5/6 優しさでは生きられない(エリザベス視点)
わたくしの名はエリザベス・フィマード。伯爵家が一女の腐っても貴族の娘ですわ。格としては中の下、領地は工芸品が特産物で職人の聖地とも呼ばれております。
……その貴族の娘であるはずのわたくしが、なぜ、このようなことになったのでしょうか。
現在、わたくしはドレスの裾が翻るのも構わず、ひたすら狭い路地を走っていますわ。振り返るまでもなく、背後からは複数の荒々しい足音がわたくしを追ってきています。追ってこなくてよろしいのよ、そのまま方向転換してどこかで遊んでいらしてはいかが?
まあ無理でしょうけれども。……本当に、あり得ないにもほどがあります。
けれども今は悪態をつく息すら惜しく、わたくしはただ『彼』の無事を願いながら、必死に足を動かし続けることしかできません。
走って、走って、走って。逃げて、逃げて、逃げて。
けれど、追い付かれるのも時間の問題。繰り返しますが腐っても貴族の子女たるわたくし。か弱いのです。そもそも、まさかこのように人目もはばからずはしたなくも足を上げて走るだなんて、想像もいたしませんでした。ええ、しませんでしたとも。
――そんなわたくしが、どうしてこのような事態に陥るはめになったのか……その発端と言えば、我が家のとある事情の所為なのでしょうけれども。
そう、我が家。どれ程落ちぶれていようとも伯爵という地位を王より賜った家。
家長はアホですけれども。
アホですけれども。
大事なことなので二度言いましたわ。
……まあ、ともかくも、そのアホ……いえ、家長たる我が父の話をしましょう。勿論わたくしが実の父をアホ呼ばわりするにはれっきとした理由がございます。何もないのにアホ呼ばわりするほど無礼者ではございませんわ。わたくし、礼節は心得ておりますの。
まあ、単刀直入に申しましょう。父は、骨董が好きなのです。……判りましたでしょうか? 父は、あのアホは、骨董にぞっこんなのです。……わかりましたでしょう?
まあ、好きでも分別と見る目があればいいのですけれど……あのアホは分別もなければ見る目もなく、財布のひもをどこかに千切って捨ててきたような騙されやすいお人好しでありました。
……それでも、お母様が生きてらしたころは大丈夫でしたの。お母様にお父様が逆らうなど天地がひっくり返ってもあり得ませんでしたもの。
わたくしには弟が一人おりますけれども、あの子に日々言い聞かせておりましたわ。父は悪い見本ですから、ああなってはいけませんよと。そして、結婚するなら母のように強く美しく財布のひもの堅い女性を見初めなさい、いいえ、むしろ見初めてもらいなさいと。
……お父様をしばきまわして財布を取り上げるお母様の華々しいお姿が、今もわたくしの目に焼き付いておりますわ。魔術的才能であれば父の方に軍配が上がるのでしょうが、魔術は一切行使せず、その拳で語った雄姿……母は強しですわね。凄惨な笑みを浮かべたお母さまはそのままのお姿でわたくしに微笑んだものですわ。『魔術がだめなら、殴ればいいのよ』と……。
けれども――そんな母は、五年前に流行り病で急逝いたしました。あまりに突然のことに茫然と、悲しみよりも衝撃で、その事実を受け入れるのに時間がかかってしまいましたわ。……まあ、大変だったのは、それから後なのですけれども。
なぜって、それからなのですわ、愛する妻をなくしたショックもあってか、父は元々のアホに拍車がかかってさらに散財するようになってしまったのです。
財布のひもがちぎれたどころか財布に大きな穴が開いたままへらへら笑ってるようなものですわ。危機感も想像力も欠如した愚か者の姿としか言いようがありませんでしたわね。……そうして、今に至るのですけれども。
ふふふ、ご察しの通り、素敵に膨れ上がった借金地獄に我が家は没落寸前に追い込まれておりますわぁ。
本当、毎日毎日借金取りが取り立てに参りまして……父は毎回毎回、土下座で猶予をもらっておりましたわ。領民には決して見せられたものではない姿でございますわね。
けれども。それだけでは飽き足らなかったのがかの父であったのはわたくしども姉弟が神に嫌われているのでしょうか?
……ともかく、いったいどこにそんな余裕があるのかと思うのですけれども……あのお人好しは他人の借金を、この期に及んで抱え込んできたりいたします。
そう、抱え込んで帰ってきやがったりするのでございますよ。……我が父ながら、本当に……
アホですの?
本気の本気で、救いようのないアホなんですの?
いっそ馬鹿なんですのッ!?
これ以上そのパーな脳みその中身をさらけ出すのであれば、しばき倒して闇に葬りますわよッ!!!?