5/4 不穏は甘いか
「……エル?」
「……」
アホを回収して席に戻ってきてからのことである。
……結局、私とジルがチーズケーキ、エイヴァがベリータルト、エルがイチゴタルトということで決定した。注文の際にありがとうございますと定型句を吐いた店員さんの顔は笑っていたが目が笑っていなかった。お前らいい加減にしろよと語っていらっしゃった。大変申し訳なかったと思う。
とにかく。
ようやく無駄に専門性の高いケーキ論議を終結させ、エルの待つテラス席にアホを引き連れ戻ってきた。そうするとこのありさまだったわけである。どこか遠くを見ているようなエル、呼びかける私。しかし反応がない……。
さて、どうした? 私が目を離したたった十分弱の間に何があった? 通り魔か?
「エル、どうしたの?」
今度は肩に手を置いて、しっかりと目を見つめて。先ほどより、少し強く声をかける。すると、
「……、え、……――あ、シャ、ロ……」
はっとしたように、やっと焦点が私にあった。
「何が、あったのです?」
尋ねたのは正気に戻ったジルである。虚ろな目をしてケーキのうんちくを滔々と詳細に語っていた先ほどの面影はない。流石の切り替えの早さである。隣のエイヴァはケーキが来るのを今か今かとちらちら気にしているが、まあ置いておこう。今はエルである。
そのエルの目が、ジルの問いに一瞬だけ迷うように震えて、それから……まあ、泳ぐ、泳ぐ。
「う……ん、なんでも、ないです……」
「何という嘘を」
ジルの口から飛び出した言葉は私たち三人の胸の内を正しく代弁していた。
どうしたの、アルカイックスマイルはどこへやったの。だって、ここ最近はエルの猫もだいぶ成長を遂げて、今日は若干疲れていたとはいえ自分の知られたくない感情を取り繕うことぐらいはできるようになっていた。「だんだんエルシオが強くなるぞ? シャーロットの洗脳か?」などとエイヴァが馬鹿極まる発言をして制裁を加えたことがあるほどだ。
だのにこの惨状。これは、精神的に相当クることがあったということだろうか。十分弱の通り魔が私のカワイイ義弟に危害を加えた。産まれたことを後悔させる時間を始めるべきだろうか。許しがたき暴挙である。
見ればジルは美しく笑っているしちらちらケーキを気にしていたエイヴァまで楽しそうにアップを始めている。なんという頼もしい戦闘凶だろうか。奴らは殺る気である。
が、
「えっと、ちょっと、気になることが、あっただけですよ。僕は、大丈夫です!」
殺戮の気配を感じたのだろう、当のエルが慌てて静止に入ってきた。必死だった。私は探るようにじっと、その眼を見返す。けれど困ったように眉を下げるものの、何があったのかを言う様子はない。私たちは目を見合わせた。正確には、私とジルが目を見合わせた。
「……本当に、大丈夫なのね?」
目を見つめ、ゆっくりと確かめれば、エルは頷く。私たちの間の空気は張り詰めていた。しかしそんな私たちの背後では、もどかしくなって何か空気を読まない発言を吐き出そうとしたエイヴァをジルが押さえ込んで何か小声の早口で言い聞かせていた。「なにをするのだ、我はエルを虐めたものを吹っ飛ばして、」「これはそういう問題ではありません、」「だっていじめられたのだ、殴ろう!」「拳で解決するなと何度言えば、」云々。やはりエイヴァに空気は読めないようだ。もちろん私とエルは綺麗にその喧噪を聞こえなかったことにした。
「貴方が大丈夫というのなら、今は、聞かないわ」
「うん。ごめんなさい、ありがとう」
エルと私は何かを解りあい、朗らかな笑顔だった。通りかかった他のお客さんがえ? 背後のそれは大丈夫なの? と、とうとうジルに先ほど購入したゴリラ人形を人質に取られたエイヴァが慌てて涙目になるという茶番と、優雅にコーヒーを啜りケーキを口に運び始めた私たちを見比べていた気もするが、気のせいだろう。
まあ慣れている私たちは別として、この空気の中を颯爽と断ち切るようにコーヒー四つにケーキ四皿を「ご注文の品です」と完璧な作り笑いで運んできた店員のお姉さんは、出来ると思う。
その眼は、はよ食って、金払って、出て行け。そう語っていた。
目は口程に物を言う。店員さんの瞳は雄弁だった。
……まあ、今回は、エル自身に任せてみよう。これ以上ここで騒いでも、エルに話す気がないのなら意味がないし、話す気がないということは己で解決する心算なのだろう。
それならそれで、構わない。
どうしても様子がおかしいなら『影』さんたちは一部始終見ていただろうし、そちらから聞き出すことはたやすいのだ。まあ、その『影』さんたちが何も手を出さなかったということは、少なくとも命に係わる何かではない。後から幾らでも対処は可能である。
孤児院のこと然り、薬物のこと然り。問題は尽きないが、―――さて、なにがでてくるか。
コーヒーとケーキに舌鼓を打ちながら、私はひそかに笑った。