4/52 獲物を喰らう、私が獣(ルフ視点)
「ぐ、が……っは、」
鮮血をぶちまけて、喘鳴を上げたのは、木から落ちてきた細身の男。
「……捕まえた」
ワタクシはにんまり、笑う。ワタクシの周囲五十センチから向こうに綺麗に円を描いて飛び散っている無数のナイフ。それはワタクシには届いていない。そろそろ視界も戻って来た。ああ、やっぱりお嬢様は素晴らしい。……よく効く解毒剤だ。もがく男にワタクシはゆるり、近づく。
「……では、おやすみ」
即効性の麻酔を塗った針で一刺し、ぷっつりこと切れたように男は静かになったが、まだ息はある。……大事な大事な、『情報源』だ。先に捕えた小男同様、殺してはならない。とりあえずは、まだ。意識を落とした男を回収しようとワタクシは近づき、
ギイィン!
地面から蹴り上げたナイフで飛来した千本を弾いた。敵、―――否。
「………趣味、悪いぞ」
ワタクシの顔は血まみれの上憮然としていただろう。だって『彼女』は敵じゃない。敵意も殺気も害意すらもなかった。実際、弾かなかったところであの千本の軌道であればどこぞの癒しのつぼにさっくり刺さったのだろう。そういう人だ。悪意はない。多分。きっと。おそらく。ちょっと我らがボスの影響が強いだけだ。
だがまあ本当に、悪趣味ではある。大体毒はお嬢様謹製の解毒剤によって消えているとはいえ――天才たるお嬢様は既存の毒薬に対してほぼすべて効く解毒剤を開発しており、それをワタクシたち『影』は常備している――失血量は多かったのだ。ナイフの雨に紛れて解毒剤を投与するために無駄に攻撃も受けた。それでも圧倒的不利をひっくり返したのだ、褒めてほしい。褒め称えてよしよししてそのおみ足で弄んでくださいお嬢様ぁ!
ではなくて。
「まあ、油断していないようで何よりです。流石ルフですね」
楚々として笑うのは、侍女服に端正な顔を乗せた女性――お嬢様付き侍女、メリィ・レンドール。
「……筆頭」
そう。ワタクシたちお嬢様の耳目であり手足の『影』、その『筆頭』。
そのうちの一人が、普段は侍女としてお嬢様のお傍に侍っているメリィ・レンドールその人なのである。そして、
「あちらは?」
「アリィはマンダたちについています。あちらの方が敵の人数が多く、相性も悪かったようですね。わたくしとアリィで見つけましたから、五人で叩いておきました。今は後始末をして屋敷に向っている頃でしょうね」
「……なるほど」
「生きていますよ、皆」
「―――――ああ、そうでなくては」
そうでなくては。この『二人』が出たのだから。メリィ・レンドール。そして、アリィ・レンドール。レンドールの双子は二人で『影』筆頭の、『双璧』だ。なお、一年半前エルお坊ちゃまの事件があった後に脅威の根性と狂気の努力と圧倒的戦闘センスであっという間に筆頭にのし上がったという逸話があったりもする。変態武術師範をして「お、おぅ……」と若干のドン引きを示していたという噂まである。その底力の原点を探った誰かに、本人たちは声をそろえては『愛が全てですよ』と朗らかに語っていたそうだ。返り血に染まりながら。
ともかく。
そんな『双璧』が出張って何処のとも知れない輩に負けたとあっては『影』はもはや務まらない。全員シャロンお嬢様の再教育が決定する。お嬢様が構ってくれるのはうれしいが、その対象がワタクシだけではないというのは面白くないので、却下である。
「相変わらず、見事な風使いですね、ルフ」
がっしりわしづかんだ、今だ昏倒したままの男をきゅっと縛ってポイっと収納魔道具に放り込むワタクシに、懐を探りながらメリィが言う。ワタクシは只肩をすくめた。
――風。それがワタクシの唯一適性を持つ魔術。そしてワタクシの十八番は、索敵だ。最後によけきれないほどのナイフの雨を弾き飛ばしたのは全身を包んだ風の『楯』。それと同時並行でに索敵を展開し、『生体温度』と『呼吸による風のゆらぎ』から位置と人数を探っていた。格上相手に気づかれぬようにするには時間がかかった。だからこそ、あえて殺気を発露し、攻撃をぎりぎりで掠めさせながら逃げまどい、解毒剤をぎりぎりまで使用せずに敵に油断を誘った。……ワタクシが仕込んだ風刃の魔術で、最速で、静謐に、綺麗に。はらわたを切り裂いて半殺しにできるポイントへ、誘導した。
追い込んだのがワタクシで、追い詰められたのがあの男だ。……そんなこと、攻撃を受ける瞬間まで露ほどもあの男は思っていなかっただろうが。
ひゅん、と飛んできた小瓶を受け取る。メリィが懐から取り出したそれ。片眉を上げれば、メリィは飲めと促す。
「お嬢様の開発された、最新の回復薬です。服の汚れも取れますよ。どういう原理かは……風と光と水と闇の魔術を組み込んでいることは判りましたが、理解するにはわたくしでは役不足でしたね……」
何を語られたのだろうか、少々死んだ目だった。しかし原理の理解ができずともお嬢様謹製に間違いはない。解毒剤然り。ちょっと効能が意味わからないだけだ。お嬢様素晴らしい。なのでワタクシは迷わず小瓶の中身を嚥下する。ほんのりリンゴ味だった。何て配慮が行き届いているんだろう。おいしい。そしてふわっと光って全てが戦闘前の状態に戻ったワタクシの身。服まで汚れもほころびもなく……繕い物の必要がなくなった。洗濯も必要ないかもしれない。いいにおいがする……。
「……」
「……」
原理の分からない現象に無言になる。ランスリー家では時々よくある光景である。そしてそのままワタクシとメリィは無言でうなずきあい、そっと孤児院へと向かったのである。
生きて、帰る。それを遂行しなければ、いつまでもこの森の中で遊んではいられない。ワタクシたちのお嬢様が待っておられるのだ。
道中は、とりあえずどこまでお嬢様の手の内だったのか、わくわくしながら聞くことに終始したワタクシなのである。