4/31 マイ・レディ
孤児院内でじっとり、が正しい表現である視線で私をねめつけてくるエルとジル。その二人の視線の意味は私たちがエイヴァの好奇心によって武器屋に道を逸れた、そこに端を発する。
正確に言うとそこでエンカウントした私の『知り合い』がちょっと個性的だった。
「ひゃっふおおおおおい!」
と奇声を発しながら躊躇いなく飛び込んだエイヴァ。寸でのところですり抜けられたので捕獲・拘束・連行を完遂するために続けて飛び込んだ私・エル・ジル。
店内をちょろつこうとしてエルとジルに犯罪者のように捕まったエイヴァ、しかしそれでも目を輝かせている『魔』。そして同様にこのような町の店には初めて足を踏み入れたのだろう、若干興味深げなエルとジル。そこで『それ』に気づいてあっと思った私。騒ぎを聞きつけ出てきた髭の店主。目が合った私と店主。……時間が止まった私と店主。
「………ふぁっ!?」
「……Oh」
一拍あけて奇声を発した店主、いい発音をしてしまった私。ジルたちの視線が一瞬で集まった。しかし店主は壊れたラジオのように声帯を震わせる。
「ママママママママ」
発声練習かと思うようなどもり具合である。ジルたちは、
「『ママ』?」
と眉をひそめているが店主が言いたいのはそれではない。あれは只のどもりによる一音リピートだ。しかしいつまでたっても『ママママ』しか言えない店主なので仕方なく私は口を挟もうとし、
「あの、」
「まあ! 『マイ・レディ・シャロ』様!」
その必要はなくなった。すっぱんと髭の店主を打ちのめし(鮮やかなスリッパ捌きだった)、奥から出てきた女性。彼女は店主が言いたかったのだろう言葉を正しく発音し、そしてそれは私の呼称だったのである。
ばっと風切り音と共に私に集まるエル・ジル・エイヴァの視線。「マママママ……マーマー……」と呟きながら蹲る髭の店主。にこにこと歓迎の姿勢の女性。カオスを生み出す店内にほかの客がいなかったのは僥倖であったのだろう。私は笑った。
「お久しぶりです、ミサさん! その呼び方はやめてくださいね! ただの『シャロ』でいいですよ!」
最高に爽やかな挨拶だったと思う。それにふふふ! と笑い返してくれたのは女性――「マママ」としか言えない髭の店主の妻であるミサさんのみだったけど。むしろ「マママ」しか言えなかったはずの髭の店主は、
「ハハハハゲハゲハゲハゲ、ハゲだけは、ハゲだけは、もうこおおおおおおん……」
などと蹲った姿勢のまま神に祈るかのように手を合わせ、奇怪な呪文を並べ立てており……エルたちの訝し気な視線はまっすぐ私に刺さっていた。
『貴方、何をしでかしました?』と如実に問いかけてくる三対の視線。しかしその疑問に華麗に朗らかに、そしてにこやかに答えたのは私ではなくミサさんだった。
「ふふ! もう、シャロ様はいつもそう言いますね。私たちは皆貴方に感謝しているから愛と敬意を込めてそうお呼びしたいのに……、ヘティ――主人をニートから育ててくださったシャロ様ですもの!」
そっと彼女は私の手を握る。女性にしては少し節の目立つ固い手は、働く女性の強さと美しさがある。私はぎゅっと握り返す。
「いいえ! 彼らのお母さまに頼まれたことをしただけですよ? ミサさんも、さっきのスリッパ捌き、素敵でした」
「まあ! 嬉しい!」
きゃっきゃ、うふふ。私とミサさんは二人の世界を作り上げていた。何処か背後から、「……スリッパ捌きをほめられるとうれしいのか?」「深く考えてはいけませんよ。女性とは強いものなのです。シャロをごらんなさい」「ハゲハゲハハハハゲ……」「納得です、ジル。多分御店主は、昔ご自由な方だったんですね」「ええ、きっと毛根を脅かされる何かがあったのでしょう、残酷ですね」「……残酷ですよね」「……残酷だな」「ハゲが、ハゲが髪で髪髪髪……」という声たちが聞こえた気がしたが、気のせいだろう。
ともかく。
「――ミサさん。せっかく会えてうれしいのだけれど、私たちこれから行かなければならないところがあるんです」
何時までもここでキャッキャしているわけにもいかないのが本日なのでそう切り出せば、しごく残念そうな顔をしたミサさん。「ハゲっ」と言語を失いつつも反応を示した店主。そんな店主には再びミサさんのスリッパがさく裂したが、そんなことはどうでもいい。私の予定をおもんばかってくれたミサさんは「また来てくださいね」と名残惜しみつつも私たちをスムーズに送り出してくれた。
サクサク、歩く。
「……」
「……」
「……」
「……」
沈黙、数十歩。私の右にエル、左にジル、背後にエイヴァ。そっと添えられる、彼らの手。そうして私は拘束され、
「さあシャロ。詳しい話を「……むっ? あれは何だ? 何の店だ!」っ待ちなさいエイヴァ!」
「ああああっちの捕獲が先だったなんて! 待って全力疾走はやめてエイヴァ君!」
突然のエイヴァの暴挙再びでジルとエルは疲労に歪みきった顔で追跡を開始したので私は晴れて自由になった。なんという牡丹餅。グッジョブエイヴァ! ……じゃない!
「お待ちなさいなぜ一度で覚えられないのこの馬鹿!」
もちろん私もエイヴァを追って、走り出すしかないのである。これだから体力のある馬鹿は!