4/20 教育方針は最適解を
話を進めるうちにエルとジルは全体的にしんなりとしていた。どうやら水分が足りないようである。確かに先ほどから結構な時間が経過してる。心優しい私は手ずから紅茶を用意してあげた。彼等はなぜだか恐れるように一口慎重に口にして、私を見て、もう一度紅茶を見た。それはどういう心情の表れだろうか? 私は同じように紅茶を口に運んだ。ふむ。おいしい。メリィに師事したのだから当然だ。まあどれだけ彼女の動きを完コピしても同じ味にはならないのだが。メリィの淹れる紅茶は世界一である。
それはともかく。
そんな感じでここに至るまでの経緯をぶっちゃけてみたのははっきり言って一人で拗らせすぎたボッチの相手をするのが面倒くさかったからだ。だって見て。この状況でこの白髪のお馬鹿さんはいつのまにか口を開けていびきをかいている。三方向からとても残念な生き物を見る視線を頂戴しているというのにこの余裕である。ちなみにそんなエイヴァの現在地は私の足の下だったりする。確かに「おだまり」と静寂を促しはしたが睡眠を取れとは言っていない。いい度胸だなお前。むしろどうしてそこで眠れるのか理解に苦しむ。
とりあえず「ふがっ……ふへへへ」とか言いながら幸せそうに涎をたらしていたのでもう一度丁寧に踏みにじっておいた。屠殺される豚のような断末魔が聞こえた気がしたが、気のせいだろう。
「さて、ここで提案です」
ふわり、微笑んだ。その瞬間悲しい惨劇を見たかのように動揺し、え? それはなかったことにするの? 的な視線がジルとエルの間に飛び交ったが、恐らくは意見が一致したのだろう。彼等は先を促してきた。それでこそ我が義弟と悪友だ。容赦がない。
なんであれ。
「まずエイヴァの後見は王家に担っていただきたいのです」
ジルに振る。片眉を上げて彼は一瞬思案した。
「なるほど? ランスリー家では少々……世論が煩いでしょうしね。陛下には……」
「後で『お話』しに行きますでしょう? 問題ないですわ。経歴は先ほどの法螺話をベースに捏造いたしましょう」
ぐっとサムズアップしてみた。そっとエルにしまわれた。どういうことだろうか。
「……法螺話に捏造と言い切ったねシャロン」
「だって法螺話だもの、エル。あとはごり押しでねじ伏せて状況証拠をそろえればいいのよ」
空気を変えるように明るく言ったエルにもう一度サムズアップで返してみた。やっぱりそっとジルにしまわれた。どういうことなんだろうか。
「国王陛下にごり押しができるのは貴方くらいですよシャロン」
「いやですわジル。貴方がねじ伏せてくださるのでしょう?」
にっこり。笑えばジルは同じくにっこり笑って。
「貴方の姉が息するように私を巻き込みに来るんですがエルシオ」
「大丈夫ですよ殿下。最初から逃げ道は僕にも殿下にもなかったです」
エルは仏のような表情をしていた。そして仏はジルにも伝染した。私の義弟と悪友殿は仲がよろしいようだ。これは拳で語るべきだろうか。うん。
「……貴方たちが仲が良くて喜ばしいのか拳で語ればいいのか私はとっても複雑な気持ちですわ」
なんてこと、と正直に頬に手を当てため息をつけば「拳はいらないし仲良くない」と声をそろえて返された私は疎外感を覚えました。……うん。
「……基本的にエイヴァには寮で生活していると見せかけて我が屋敷でお勉強をしていただく予定です」
「お勉強」
「お勉強ですわね。心配いりませんわ。講師は私です」
貴族の関係性からその考え方までみっちりと。とても大切なことだ。急務である。足元の塊が心なしかびくついた気もしたが、気のせいだろう。同じく器用に足元のそれを視界から追い出したジルとエルはやっぱり顔を見合わせて居たが。
「……なぜでしょうね、複雑です。心配はないのですが」
「殿下、僕もです。憐れみと同情と安心と恐怖が程よく混ざった気持ちです。心配はないのですが」
どういう心情だろうか。まさに複雑怪奇である。そしてこれでなぜ彼らは仲良くないなど主張するのだろうか。いいコンビである。……まあなんであれ。
「心配ないなら問題ありませんね?」
イイ笑顔を崩さず言えば、ふむ、と二人は私の言葉に思案した。そっと、私を見て、エイヴァを見て、宙に視線を漂わせる。結論は揃った。
「「問題ありませんね。次に行きましょう」」
清々しかった。足元の何かが力を失った気がしたが、やっぱり気のせいだろう。
「さて、基礎は私が叩き込みますが、エル。貴方には街のことをエイヴァに教えるというお仕事を任せたいの」
勿論エルも巻き込んでいく。ジルがエルを見た。エルが私を見た。その眼は全てを諦めていた。
「……それは『平民』設定の為?」
「それもあるわね。そもそも学院に入学という後先考えない暴挙をやらかしたから貴族について教え込むのであって、本来であれば市井から徐々に学んでいくのが周囲にも本人にも負担が少ないのよ? まあ今更そんなことをいっても仕方がないから、貴族については私が叩き込みますわ。けれど所詮世間には平民の方が多いのよ。学ばない選択肢はないわ」
了承の意だろう溜息も浅く、尋ねてきたエルにさらりと返す。
「……その『講師』はシャロンではいけないの? 僕も一応ずっと貴族だよ?」
不可解なほどに領民に混ざりこんで気付かれすらしないのは貴方でしょ? とエルの瞳が語っていた。正しい見解である。そもそも根本的に日本人女子であった私は現状どれだけ大貴族であったとしても庶民感覚は根付いているのだ。転移を駆使した諸国放浪にはたいへん重宝した感覚である。しかし今回は、あれだ。
「エルの勉強というのもあるわね。民を知ることも必要よ? 教えることで理解が深まるわ。それに、」
フッと目を和ませ、私は視線を転じる。その先にいた王子様はあからさまにびくつく体を抑え込んでいました。その理性は素晴らしいが何故慄いたのかちょっと後でそれもお話しようか。
ともかく。
「ジル、貴方も一緒に学んでいただけますわね?」
有無を言わせぬ威圧をすれば、『巻き込み事故だ……』『……道連れ、』となどと意味不明な妄言が聞こえた気がしたが、気のせいだろう。
なんであれ、私はこの方針を曲げるつもりはない。勿論エイヴァの基本的な教育と監視は私の仕事ではあるが、だからといってそれをジルやエルの成長に生かしてはいけないなんて誰も言ってない。利用できるものは最大限に利用するべきなのである。
そんな思惑の中心地にいる『魔』たるエイヴァは優雅に白目をむいてピクリとも動かないがそれが狸寝入りであることは看破している。いい度胸である。まあ、私は優しくそれを叩き起こして、今後の細かい打ち合わせのために話し合いの場を設けることを約したことで、一旦場の落ち着きを見せたのだ。