4/19 軽妙な『魔』は憐れだろうか(ジルファイス視点)
シャロンの説明は時系列に沿って簡潔だった。『魔』は人間社会を学ぶために学院入学を決意した。なるほど非常に分りやすく恐らくは今度こそ事実なのであろう。……まあ彼女は息をするように嘘を吐く人種であるし見事先ほど騙された。きっと口先から生まれてきたのだろう。それを踏まえれば疑心暗鬼に陥るのが通常であろうが、それを踏まえても完全に同類である私にはそこを責める権利はない。こんな重大なことでとも思うが重大なことだからこそさらりとやってのける、それがシャロン、そして私であると自負している。
なお、そんな汚いやりとりに慣れていないというか恐らく根本的に人種が違っているのであろうエルシオからはたびたび助けを求める目で見られたが、済まない、助けを必要としているのは私だ。よって君を助けることは出来ない。現実逃避に忙しい。土気色になって意識を失ったエイヴァ殿が少々恨めしいほどだ。なぜならば私は流れるように吐かれる噓にもシャロンの突飛な行動にも慣れているが、『魔』たるものが目の前にいる現状に遠い目にしかなれないのだ。まあその『魔』たるものは器用にも目を開けたまま意識を失っているのだが、そんなことはどうでもいい。問題はあれが『魔』であるということだ。戸惑いきった声で質問を重ねるエルシオに感謝しかない。流石シャロンの義弟。肝が太い。
というか。あんなに昨年から悩まされた元凶がなぜここに。エルシオは実戦経験が少なく、またタロラード叔父の騒動についても概要しか知らぬ故に半信半疑なのだろうが、多少戦闘経験があり、事件について全てを聞き知っている私には確信できる。これは『魔』だ。なぜ言われるまで気づかなかったのかといえばシャロンが巧妙にその『魔』たるものの気配を覆い隠していたからのようだ。規格外は規格外に器用なことをする。やめてくれ。
父よ、私の思い人はつくづく私の予想を斜め上に裏切ってくれるようです。
ともかく。
「……『平民の天才』……ですか。それは確かに、王宮にも話が届いていましたね」
可哀想な私の部下がひどく冷静に報告して去っていった案件である。あれは確かシャロンの所為で話題性がかすんだのだったか。そうかまた彼女か。
「その彼ですわ」
「ですがそう言えば……少々『忙しかった』ので、私は直接は関与は出来なかったのですが、確か後見人についてもめていたとは記憶していますが……」
朗らかに私の言葉を肯定した彼女に嫌味を交えながら尋ねる。事実である。シャロンがやらかした所為で私は他国への対応に追われていたため非常に多忙だった。冬には大陸中で起こった異常気象の影響をもれなく受けたということもあるし。タロラード叔父の件でも後処理は残っていたというのもある。なにより学生に関しては別に私の管轄ではない為、関与というか多少素性の調査を命じる程度でさして重要視していなかったというのが正しいが。……が、
「いえ、可笑しいですね」
シャロンの応えの前に私はつぶやく。そう、確かに私は命じていた。『平民の天才』なる少年の素性調査を。なのに今までその名を知らず、後見人が決まったかも知らず、あまつさえそれを疑問にも思っていなかった? おかしい。私はそれほどうっかりな人間でもなければ部下もそれほど愚鈍な人間ではない。
「……どういうことです」
何故それだけの情報しか持ち得ないのに疑問を持たなかったのか、と。眉をひそめ、言葉少なに尋ねた先はシャロンである。エルシオも違和感に気づき眉を上げて義姉を見つめていた。しかしシャロンは爽やかなものだった。
「後見人は決まっていないそうですわ? まあ決まっていればなかったことにするだけですけれど……手間が省けましたわね」
「そうではありませんシャロン。貴方の意見は正しいが根本的にズレていますね?」
「そこじゃないよシャロン。あとなかったことにしちゃだめじゃないかな?」
反射のように私とエルシオが返した言葉にしかしシャロンは小首をかしげて。
「あら……私は今のところ何もしていませんわ?」
「なんて見え透いた嘘を」
「シャロン、もう正直に話そう?」
とても悲しそうな表情を作ってそう返した私たちは何も間違ってはいない反応だっただろう。百歩譲って後見人が決まっていないがゆえにそれについて行動を起こしていないとして、私の『平民の天才』への認識やそもそもなぜ後見人が決まっていないのかについて、シャロンの関与を疑わずにはいられない。
が、
「いいえ、私はいつでも自分に正直ですわ。そしてこれと再会したのは今朝、我が家の本邸であってそれまでは私も全く関知していなかったのです。その計画性のなさについては制裁を加えておりますからご安心くださいませ。それを踏まえてジルや周囲の認識、後見人不在についてはエイヴァが原因ですわね。これは腐っても最古の『魔』で馬鹿ですが頭はいいんですのよ」
シャロンはそうまったく安心できない言葉を吐いて土気色で目を開けたまま意識を飛ばしたかの少年を優雅に、そうそれはたおやかな動きで、踏みつぶした。「おぶォっ」とトドメを刺されたカエルのような声を出したがしかし彼は元気に飛び起きた。
「シャーロット、痛い、我、痛い!」
「おだまり」
ぴしゃりと言い放ったシャロンは慈母のような顔をして慈悲のかけらもないと思う。そしてまだ踏まれているのにぴたりと黙った少年の姿に絶対的な力関係を見た。何て可愛そうなんだ。親近感がわいた。不覚である。しかしエルシオも同情を寄せているようだ。とても可哀想な生き物を見るような目をしている。残酷な義姉弟である。何て可愛そうなんだ。
だがしかし。
「エイヴァ、貴方、後見を申し出た貴族と王宮の方たちに何かしましたわね? 今ここで白状してくださる?」
「うむ? ああ、……あの煩いやつらか? なんだかごちゃごちゃと煩かったから、ぶわっと。誤魔化してきた。魅了魔術の応用だな!」
真犯人が白状したので別に彼は可愛そうではなかったことが判明した。
「王宮に侵入したのかしら?」
「うむ、シャーロット、お前の屋敷よりは簡単には入れたぞ! 頑張っただろう?」
「不法侵入者が何か喚いていますわね。お勉強の項目追加ですわ」
「なぬ!?」
頑張ったのに! と喚いている『魔』たる少年に冷めきった目をしたシャロンから二度目の「お黙り」が発動した。エルシオのなんと言ったらいいのかわからないような視線を私は鋼の精神で受け止めたけれど、今の軽快なふざけた会話の中で私の心は傷つきそして仕事が増えた。
どうやら私は警備の人間と少しお話をしなければならないようだ。
シャロンを見たら頷かれた。この時ばかりは神妙だった。
「ジル、陛下と貴方に、後でお話がありますわ」
私もだよシャロン。じっくり話し合おうか。