4/7 否定的世界の全てを貴方が肯定する(ジルファイス視点)
一瞬で血を上らせた。しかし一瞬で血が下がった。私を鎮静化させたのは当のシャロンだった。他に見えぬようそっと掴まれた裾、一瞬飛んできた視線。
そして彼女は笑っていた。
この世界で一番美しい生き物。
そう言って差し支えない。そんな錯覚。端的に言えばぞっとしたので一歩下がった。
ともかく、言われている本人はどこまでも笑顔だったし彼女は美しかった。いや、どうしてだ。上手に猫をかぶって『魔術に秀でた少女』の図を崩さない彼女はしかし、とんでもない負けず嫌いでもある。驚きの反骨精神と向上心。やられたらやり返す、きっとそれを常識と思っている武闘派だ。何という物騒な常識だろうか。
ともあれ。
そんな負けず嫌いで武闘派の彼女にしては、なんというか。
「貴方にしては、温いですね?」
昼食会終了後、与えられた客室。割と率直に聞いてみた。ぱちり、可愛らしく瞬くシャロンはまあ美少女だ。美しい。少々胡乱な目になった。なぜならつい先ほども何処までも笑顔のままだった彼女はかぶった猫はそのまま最終的にいいようにヴァルキア帝国貴族を魅了したからだ。人誑しここに極まれり。その気になればその口車だけで彼女は傾国になれるだろう。
だがまあ、現実は只の魅了に留まったので。やはり温い、気がするのだ。というか、私は温い、と思う。
「――聞こえていたのでしょう?」
私に対する『言葉』も、彼女自身に対する『言葉』も。
『完璧』だとか『鬼』だとか。まあ、冷静になった今でも愉快ではない、それらも。それらを隠しきることができないヴァルキア帝国貴族の詰めの甘い空気も。分りやすすぎた。やっぱり潰してやろうか。大丈夫だ痕跡は残さない。ばれなければ大丈夫だと父上も言っている。母上も言っていた。真っ黒な笑顔が素晴らしい両親である。
しかし彼女は涼やかだった。
「ええ、聞こえていましたわ?」
「ならばなぜ? ここが他国だからと遠慮するほど殊勝ではないでしょう」
「遠慮はしていませんわよ? するように見えまして?」
「見えるとお思いで? だから驚いているのですが?」
「いやですわジル。私はいつでも遠慮はしませんが慎重さも捨てていませんのよ。そのうえでアレは別に温い対応などではありません」
フフフ、と笑う彼女がどうしようもなく胡散臭かった。腹黒とは彼女のためにある言葉であったかのようだ。……そしてなんだ? 私が気付かない何かをやらかしていたのか?
で、あるならばぜひその隠密技術を教えていただきたいと思ってしまった私は多分毒されている。
シャロンは晴れやかに。
「だって、ジル。あれらが如きの戯言に心揺らすほど、私は安くありませんわ」
傲慢極まりないセリフを吐いた。嘲笑付きで。鼻で笑いやがったこの令嬢。いや、確かにそういう少女だ彼女は。何処までも傲慢で高慢でしかし裏打ちされた実力を持つ誇り高い公爵令嬢。彼女も彼女が大切にしているものも有象無象に揺らされるほど安くはない。私と同じように嫉妬にも偏見にも慣れていて受け流す術も都合よくつぶす術も知っていて、実際にそれを実行してきた。歓迎会でのそれら陰口嫌味には全てシカトの方向性だって一致していたし事実シカトしていた。
けれど、それでも。それで心が、誇りが、愛が。傷つかないというのは、別ではないのか。
ヴァルキア貴族。彼らが否定したのは、そういうことだ。
じっと、見る。ただ、見た。
彼女は嘲笑を微笑みに変える。
「私、私を愛していますの」
それだけが全てだと言わんばかりの声だった。
「私は私を理解していて愛している。私は異質よ? そのようなことはすでに分かり切っているでしょう? それでも私の大事な家族も、そしてあなたも私を理解して……」
とても、とても美しく。
「私を、愛しているでしょう?」
一切の迷いなく言い放たれた言葉は、尋ねる形をとって確信的だ。
傲慢な美少女は、しかし聖女のように笑っている。
「……ああ、……」
そうか。彼女は小者の言葉では揺らがないのだ。それが誇りを、心を傷つけるものだとして、それすらどうでもいい。
彼女の大切なものの全てが彼女を満たしているのだから。
ずっとくすぶっていた怒りが消えて、――ああ。腑に落ちた。
私には幼いころから、ずっと、自分に向けられる誹りがあった。陰口が、嫌みが、まとわりついた。私とてあれらの言葉で揺らぐほど安くはない。受け流し時に叩き潰し己を周囲に認めさせることなど息をするように行ってきた。
それでも。
それでも、きっと。
――幼かったあの時、私が受けた衝撃は失望、ではなくて。
傷ついていた。どうしようもなく、ただ褒めてくれればそれでよかったのに、それを否定された、あの時の私は。
傷ついていたから、だから。
同じように、私の大事なシャロンが、傷つくことが許せなかったのだ。
けれど事実彼女の心に瑕疵は一つもなく、そしてその一端は私が支えていて。
……それに、どうしようもなく救われたのだ。