4/2 蕾になれない大輪の(ジルファイス視点)
彼女が好きだ。
……被虐趣味もなければその容姿につられたわけでもないとだけは言っておこう。
まあ自分でもどうしてそうなったとは思う。今も思っている。しかし落ちたものは仕方がない。あれは人誑しの底なし沼だ。
今まで彼女の能力の高さから婚約者候補にと考えたことはあったが、恋愛感情が根底にあったとは気づかなかった。己は思うより鈍感であったのかと内省したものである。
この感情に気づいたのが何時かと問われれば、昨年の夏、南の隣国ヴァルキア帝国主宰の歓迎会でと答えよう。気づいたのがその時だったのであって、恐らくこの思いを抱いたのはもっと前、いっそ『ランスリー家の怪』の折にアポなし訪問を敢行したあの時には既に芽生えていたのかもしれない。そう考えれば彼女にストーカー呼ばわりという不名誉を賜ることになった何時にない私から彼女への『交流』にも説明がつく。ついてしまう。何ということだ。
そして気づいたきっかけも割と世間一般さまとはズレている感が否めない自分が虚しい。
――そのヴァルキア帝国での歓迎会……といっても夜会ではなく昼食会ではあったのだが。ともかくその歓迎会でのことだ。
その隣国様との関係性や歓迎会へ至る経緯としてはまあ色々と事情や思惑が絡まっている。
宮廷魔術師を多く抱え、ランスリー家を擁する我がメイソード王国はその国防においてやはり魔術に重きを置いている。それに対してヴァルキア帝国は洗練された戦士たちの武力が主力である国だ。国民性もその傾向が強いのか、一般参加も可能なコロシアムでの闘技大会などが有名な国でもある。勇猛果敢な戦士の国、公明正大な武力の国。まあ色々と評価は分かれるが、我らが国王陛下はかの国に接していつか思わずのようにこうこぼしあそばした。
『……脳筋』と。
さて、そんなヴァルキア帝国とメイソード王国は友好国という関係にある。今のところは。……ヴァルキア帝国の皇帝はその国民性からも窺えるように支配に貪欲だ。前皇帝時代は利と機を見て自ら戦争を他国に仕掛けたこともある過激さを秘めている。というより和睦は成っているがその前皇帝には、こちらも前国王時代ではあったが戦争にて敵対していたことすらある関係性だ。危うい。だからこそ付け入る隙を与えず、付かず離れずバランスを取って付き合っていかなければならない相手だ。なので国王陛下は口を慎んでいただきたい。切実に。
……その国に私が出向くことになったのは、互いに友好的であることを他国に示すとともに互いの距離を探ることが目的だ。いつもであれば外交を担当するのは母である王妃や兄である王太子なのだが、「魔術師との交流」が名目に掲げられていたことで私に白羽の矢が立った。……いや、正直に言ってしまえば、そんな名目はいくらでも言いくるめて他の者を向かわせることは出来た。以前社会勉強を兼ねて母の外遊について挨拶をした際に、ヴァルキア帝国の皇女に目をつけられた自覚があった手前、気乗りはしなかったのだから。それでも打診をけむに巻かずに了承したのはそう、『彼女』が一緒だったからだ。
もちろんそれがシャロンだ。
『魔術師』を名目にするならばメイソード王国が擁する『ランスリー家』は欠くことができない存在なのだ。ランスリー公爵夫妻が病死したことは、ヴァルキア帝国にも知れている。むしろ現在の『ランスリー家』に探りを入れたいというのは前々からわかりやすかったし、分りやすくしたのだろう。弱みを見せるわけにはいかないのはこちらなのだ。
それでも正式な社交界デビューもしておらず、貴族社会で必要以上に目立つことを良しとしていない彼女が来てくれるかは半々だった。やりたくないことは完璧な理由をつけてバッサリお断りするのがシャロンだからだ。本当に断る際にはバッサリとことわられる。近年私にも国王陛下にも容赦はなくなって、「嫌よ。そうね、理由は『――――』だということにしておいてくださいます?」と清々しい。せめて歯に衣着せてはくれまいか悪友殿。そして相手方はすべからくその後付け甚だしい理由に納得するのだから彼女の本性を暴露してやりたい気分になる。あらゆる手段で正当に報復される気しかしないので死んでもやらないが。
ともかく。
そういった今までの彼女との付き合いに私も毒されたのか、シャロンが行くのであれば私も行くことにしようと決めて打診をすれば、返って来たのはあっさりとした了承だったというわけだ。
「……珍しいですね。あまり公式の場は好んでいないでしょう?」
「嫌ですわジル。私ごときがあなた様からの打診を断れるとでも」
「あはは、白々しい。本音は?」
「気が向きましたの」
深く得心してしまったあの時の私は何か間違っていただろうか。彼女は非常に己の欲望に忠実なのである。
彼女の義弟であるエルシオも共に、という話も出ていたが、まだ彼は何もかも学んでいる最中であることを理由にシャロンが断りを入れてきた。「今の時点でエルの周囲にこれ以上の脳筋はいりませんわ」と言い放った公爵令嬢は各方面に失礼なブラコンである。
そんなランスリー次期公爵な彼にはまあ私もいろいろと思うところはあるのだが、シャロンとは違い国内での立ち位置も確立していない現状では時期尚早と判じたのだろう。ランスリー家の直系はシャロンであるし、現時点でそのカリスマ性や物理的戦闘力は綺麗に包み隠しているものの『魔術師としての才』は轟いている彼女がいればヴァルキア帝国も文句は言えない。
まあ、轟いているはずの『魔術に関するシャロンの才覚』でさえ、事実のほんの一部どころか氷山の一角のような可愛らしいものでしかないのだが。彼女はいったいどれだけのものをあの美しい微笑みの裏に隠しているのだろうか。背筋に震えが奔るが、国王陛下にそれとなく話したところ心なしか死んだ目で、
「お前も、わりと、大概だと思うぞ」
とゆっくりはっきり言われた。しかしこの父とあの母から生まれたのが私である。私に限らず兄上もだが、確実に両親の血を受け継いでいるのだからその死んだ目の原因は巡り巡って陛下自身に返ってくると思われる。
諦めが肝心ございます、とはシャロンの専属侍女の言葉だったか。真理である。
いや、話がそれた。
なんにせよ、そのような経緯で私とシャロンは昨年の夏にヴァルキア帝国に招待されたのだ。