3/49 毒を包んだ砂糖菓子(クラウシオ視点)
あんまり餓鬼を虐めてやるなよ、と。
言った兄上は苦笑していた。額を抑え、その金糸をぐしゃぐしゃにかき混ぜて。
「……愛されてるよ、シャロンは。重っ苦しい愛ばっかりの家だ、あそこは。そんで同じくらいあいつは自分の家を愛してんだろうな。国と天秤にかけて自分の家の方が大事だって断言したやつだぜ」
失うことを知っているから、きっと何より大事にしてんだ。
そんなつぶやき。けれど私はそれを聞き流すほどに自失していた。
……彼女が『シャーロット・ランスリー』だということは判っていた。そうだ分っていたのに、なぜつながらなかったのだろう。それほどに自分のことで手いっぱいだったと言えばそうだし、アイシャ以外は見えていないのは今更だ。
ああそれでも、気づいていたなら同じセリフを私は吐けただろうか。彼女は筆頭公爵家・ランスリー公爵夫妻の忘れ形見。ただ一人残された直系。『流行病で』両親を失った少女。
一人娘で、ランスリー家の婚約者は未だいない。ならば彼女の『最愛』は。
……彼女の最愛も、もういないのか。
『シャロンは何でも知ってるんだよ』。
たどり着いた結論の中、兄上の言葉がリフレインする。
「……」
そう、そうだ。あの時令嬢はどう答えた。
――『……愚弄する気か。小娘ごときに、何がわかる?』
――『愚問ですわ、分られたくもないのでしょう』
わからないとは言わなかった、少女。あの時すでに知っていたというのか。
己の両親の死がただの不幸な悲劇ではないことを。
だってランスリー家はあまりに脅威だった。『魔』に対抗しうる唯一の懸念材料。結局は、当時は軽視していた存在である『ランスリーの一人娘』にしてやられたのだけど。
「なぜ、」
格子のすぐ向こう側、届きそうで届かない兄に問う。
「それではどうして、あのれいじょうはわたしをころさなかったのですか、」
最愛を奪った憎むべき敵。あの令嬢にとって私はそうであったはずなのに。
「あいつは、まあキレてたよ。いっつも飄々としてへらへらしてる奴がさ、とことん不愉快だって顔をしていやがった」
「なら、」
「『沙汰を下すのは司法機関のお仕事』だそうだ。あいつ自身はお前を出し抜いて『魔』と対峙するのに利用したってことで溜飲を下げたらしい」
「なんでっ」
「その『魔』もな、余裕で叩き臥せて帰って来てさ、でも捕まえたり殺したりはしねえんだよ。それじゃ罪なんて理解できないだろうって。……お前は、罪を罪とわかっていて、それでも止まれなかったんだろうって言ってたな」
わかられたくなんかない。理解されなくてもいい。
何処までも正論を突き付けてきたあの少女。死者は帰らないし命はあがなえない。そんなことは判っている。判っていた、痛いほど。……彼女もそれを知っていた。
「それでも、彼女は私を許すと? きれいごとをっ」
「許してねえよ。お前は、許されてなんかない。後悔したから許すなんて言ってないし、その罪を理解しているから構わないなんて思うはずもない。……ただ死にたがりのお前らを判っていたんだ。あいつは甘くて優しくて、残酷だよ、クラウ」
罪を犯した理由が誰かを愛していたからだなんて免罪符にならない。そんなことは判っている。それでもこの世界を壊したかった。そうして死にたかった。まだ私を愛してくれる誰かがいると知っていたけれど、それでもアイシャのところへ行きたかった。
ああでも、殺した誰かにも最愛はいて、そのひとを心底愛していた人だって存在して。でもそれすらどうでもいいことだと切り捨てた私は異常で救いようもなく止まらない連鎖は憎悪を煽る。シャーロット・ランスリーだって、そのうちの一人。
あの時、茶会に招いた公爵令嬢。凛と立つ美しい姿。私の罪を指摘する声は自信に満ち溢れ、愛されていてきっと愛する者がいる。
それがとても眩しかった。
その正論が痛かった。望まれていないことも間違っていることも、理性が生きている私にはわかっていて、でももう戻れなかったから。
「彼女は、前に、なんで、」
なんで、進めたんだろう。だって私は彼女に殺されていない。
「あいつだって両親の死から半年くらいは生きながら死んでいる状態だったらしいぜ? 今の姿からは想像も出来ねえし現状すげえ生き生きしてっけどあいつ。……吹っ切れるかとか心の傷の深さとか、そんなもんは個人で違っておかれた環境にもよって、誰にも正しくは理解できないんだろ」
「あ、に、うえ、」
「それでもお前は後悔はしねえんだろう。恐れもしねえんだろう。それだってきっと誰にも理解出来ねえよ。けど、そうだとしてもお前が死ぬことも、俺にとってお前が最後まで大事であることも変わらねえから」
――ただ同じように、シャロンがお前を許す日は来ないだけだ。
兄上は悲しそうに私を見た。
「――残酷だろう」
殺されることもなく自由な身で、未来の後悔を課された『魔』。
私怨を棄てて前を進む、存在していたのにあり得なかった姿を見せつけられた私。
正論は痛いのだ。分っていて、どうでもいいと切り捨てて。今でも後悔も恐怖もないのだけれど。
例えば憎悪を向けられたなら。殺意を向けられたなら。正当な悪意で私を糾弾するなら。これほどの衝撃は受けなかったのに。
「あいつは何処まで分かってやってんのかも読ませないけどな。……ただあいつは、正義の味方じゃない」
「……そうかもしれませんね」
正論を吐く口でどこまでも利己的で傲慢な愛を貫く彼女は、優しく甘い、残酷な少女だ。
また来るからな、と遠く王宮の中心で始まった捜索の声に慌てる兄上の後ろ姿を見送って、私は簡素な寝台に腰を下ろす。
心臓が少しだけ軋んだ気がした。