3/43 許されない何かと覆らない全て(ジルファイス視点)
マーク・ビオルト侯爵。彼が嫌いとは断言しない。幼いころから多くを教えられてきたことも、支えられてきたことも、時には守られてきたことだって事実だからだ。ただ彼は、その抱く理想があまりにも重く、彼が私個人を見ていない。それが私にとって不愉快であり、そして人間としての欠点だったのだ。
その彼の理想主義は今をもって健在で、その口で謝罪を投げられても。――そう。
「確かに、判っていないのに口先だけで謝られたところで、不愉快は積み重なるだけですね」
……ああだから。
『魔』もきっと同じなのだ。
捕まえればどうしても処刑になる。それは『魔』にとっての救いになってしまう。処刑しか手段がないのは、それほどの『魔』を閉じ込めるのは選択肢としては不確定要素が多すぎるからだ。確実な対抗手段がシャロンしかないと判っていて、現時点でその手段を望んでいない彼女に、一生献身しろと言えるほどこの国は彼女に貸しがない。彼女の優先順位ははっきりしていて、その最上位はこの国ではないのだ。それでも強行し、そこで一度捕え逃してしまえば、『罰』に相応の『許し』を与えたようにも思われるのではないのか。その罪を『魔』が理解も反省も後悔もしていなくても。
……だから、
「あれは、知識はあるくせに思った以上に何にも知りませんでしたし、何にも考えていなかったんですの」
――頭がいい馬鹿と言う奴ですわ。
ははっと笑うシャロンの評価は辛辣だった。
「何にも知らない、何にもわかっていない、何にも考えていない。自分の何が悪かったのかもわからないあれを処刑にしても、監禁しても、それこそが温い処置だと思いませんか? 自分で経験しなければあれはきっと何も学べないでしょう。それでなくても長い長い年月を深く考えずに過ごしたボッチなのですから」
「ボッチですか」
「年季の入りすぎたボッチですわね。それが私に遊んでもらえると気付いたのだからどうせ私にかかわってきますわ。その時はいろいろと叩き込んであげるつもりですの」
「いろいろと」
「いろいろですわ」
それは怖い。シャロンが微笑んでいるのが怖い。
そしてシャロンの予測は当たる。特に自分に懐いてくる対象は嗅ぎ分ける。計画性の見える人ったらしのくせに天然も入っているからだ。私をはじめ王族も誑かされたし彼女の従えるランスリー公爵家一同も右に同じだ。猫状態しか知らないほか貴族たちも大体はそうである。
なるほど、これから先シャロンが『魔』の牽制に回り、そしてその意識改革まで担当すると豪語するのだ。彼女は出来ないことを口にはしない。
自分の罪を理解して後悔して苛まれろ。だから進め、学べ。……そういう彼女は確かにやさしくない。
だってそれは『ちゃんと苦しめ』と言っているのだ。
楽に逃げることは許さないと。
……正直に言えば、不確定要素は『魔』を投獄する以上に多い。危険性も高い。いっそ処刑してしまった方が後顧の憂いを断つことができる。多くはきっとそれを望む。
それでもそれを選ばないのは、それほどに彼女が『魔』を許せないということなのか、それともほかに思うところがあるのか。
きっとシャロンは語らないけれど。
「――つまり、今後『魔』が行動を起こす事態には、貴方が責任を持つと解釈しますが?」
それは、投獄した『魔』を見張り続けるよりも重い。
あらゆる意味で、シャロンを縛り、時にその命で持って償うことになる。
けれど彼女は軽やかだった。
「ええ。安心してくださいませ? ――私が、あれを、責任もって、『お利口さん』にして差し上げますわ」
とっても軽やかだった。
なんでそんなに軽やかなんだ。初夏の風のようだ。
しかも内容が十二歳の女の子に『お利口さん』に仕立てられる最古の『魔』……。あっ、きっと『魔』たるものは逃げられないんだろう。とても可哀想だ。なぜか腹パンされて顔面蒼白になったあげく現在監禁中の父と実行したイイ笑顔の母が浮かんだ。
どうしてだろう、分らない。でも『魔』に逃げ場はないだろうことは理解した。理解したので、私はもうそれ以上の追求をやめて、ただ乾いた声でははっと笑った。
「そうですか」
「そうですよ」
ふふふ、ははは。
きっと他者が見ればこの光景は只のお茶会での談笑に写るんだろうと思った。いや彼女との茶会はいつでもそうなのだが。だってこれが私と彼女の通常運転であり、だからこそ彼女とのやりとりが楽しい。ただ、この状況でもいつもを崩さない彼女を素晴らしいと思う。
賞賛を抱き、一方で万が一を脳裏で考えているのが私だが。可能性を考えることをやめはしない。まあ、リスクを知ったうえで彼女を否定しないそれを信頼と呼ぶのだろうけど。
彼女が彼女の仕事をするなら、私は私の仕事をしよう。
「……ところで最近のあの家の様子ですが、――――」
初冬にして比較的柔らかい日差しの中、私とシャロンの猫とタヌキは仕事を全うし、朗らかに話題はいつもの情報交換へとシフトしたのだった。