3/36 世界の虚ろ(アレクシオ視点)
『クラウシオ・タロラード』。
未だに付きまとう違和感。俺の中では、いつまでたってもただの『クラウ』、そのはずだったから。
国主である俺自身が、周囲の反対を押し切ってここまで来たのがクラウへの俺の肉親の愛で誠意だ。
クラウは己の邸の一室に、ただ一人椅子に座って俺たちを迎えた。
ゆら、と立ちあがって、クラウは俺たちを……いや、俺を真っ直ぐに見つめる。周りにはたくさんの騎士がいるのに、逃げも隠れもせず、他には目もくれずに俺だけを。
あるいはそれが、クラウから俺への誠意だったのかもしれない。
なぜだろう。
この屋敷は既に魔封じが施され、使用人も取り押さえた。俺がここまで来たことで、それが判っていないはずないだろうに、なぜだかひどくクラウは余裕に見えた。
「……これは、これは。突然の御訪問ですね? ……兄上」
冷めた声。こうなることがわかっていたとでもいうように落ち着いているのに、諦念は何処にも浮かばない。
俺とクラウの、紅の瞳が交錯する。
昔から俺たちはよく似ているといわれてきた。それでいて正反対だなと笑われてきた。その言葉は善意ばかりではなかったが……確かに、それは正しかったのかもな。
だって同じ色のはずなのに、こんなにも俺とクラウではそこに浮かべる表情が違う。
クラウが口を開いた。
「気づくのが遅かったのですね、兄上。……いつか、いらっしゃるとは思っていましたが」
平然と。皮肉気なことを言うそれはいつもと同じようでいて、どこか調子はずれだ。
その言葉に眉根を寄せた騎士団長が、ずいと前に踏み出した。
「クラウシオ・タロラード公爵。貴方の犯した罪の証拠は既にそろっています。罪状は、拉致監禁・殺人罪および殺人教唆、国庫の横領、情報漏洩……」
騎士団長は機械的に罪状を並べ立てていく。よくもこれほど、とシャロンが呆れていたくらいにたくさんの罪状。その罪の深さがわからないはずはないだろうに、騎士団長にはちらりとも目を向けず、眉ひとつ動かさない、クラウ。
それは怨みと呼べるものだろうか。
そうこうしているうちに、騎士団長は最後の『罪』に辿り着く。
「……これらに伴う、国家反逆罪。……釈明の余地はありません。……ご同行いただけますね?」
決定事項を告げる、当然のような声。拒否されることなんて考えていないかのような。
この状況では、確かにそう思うだろう。
俺の背後には居並ぶ騎士。脇を固める騎士団長、魔術の封じられた屋敷。クラウは丸腰でたった一人。反抗する方が、おかしい。
おかしい、はずだ。
……けど、クラウは、その中で。
不意に。
「ははは、あはははは、」
――嗤った。
「はははははははは、あははははははははは!」
「……ッ何が可笑しい!」
騎士の一人が叫ぶが、クラウは肩を震わせたまま。
まるで、壊れた人形のようだと思って、自分の抱いた感想に嫌悪感が募る。
紅の瞳は、明確な狂気を孕んでいた。
「……ははっ。いや……実に、馬鹿馬鹿しいと思っただけですよ、兄上」
その声は間違いなく俺の『弟』のものなのに。……それが含むいかれた色に、背筋が、冷える。
「……クラウ」
呼べども、ねえ、とあいつはただ笑って。
「連行? 好きにしてください。何にも失うものなど今更ない。大丈夫ですよ、私は、愛しただけなんだ、アイシャを。それだけが全てでそれだけが私にとっての真実です」
――世界の誰がそれを気狂いだと言ったとしても。
高く高く、哄笑を上げて、クラウは叫ぶ。声を張るわけじゃない。でもそれは叫びに聞こえた。叫びだと、思った。
「アイシャのいない世界は要らない。そんな世界は、私の居場所じゃない」
「やめろ、クラウ……もう、」
言っても、笑って、クラウは。
「私はね、兄上。アイシャに逢いに行くんです。彼女もきっと、寂しがっている」
笑って、笑って、笑って。
寂しがってる? アイシャが? ……なあ違うだろう。そうじゃないんだろう。
死後の世界など判らない。だって俺は死んだことがない。だから死者が嘆くかは知らない。でもアイシャは優しく儚く、でも強かな女だったとお前より知っている奴なんかいないだろう。
クラウのその瞳に写る狂気で。
どうしようもなく、お前が寂しかったんだろうが、なあ、クラウ。