3/31 それでもこれを愛と呼ぶ(クラウシオ視点)
彼女は私の全てだった。
愛していた。狂っていると言われても、この情愛が行き過ぎていても。
アイシャ・タロラード。私の最愛。私の伴侶。ただ一人の理解者。
――アイシャ。
アイシャ、アイシャ。
愛しい愛しい、あの人。愛していたんだ。どうしようもなく大切だった。あの日、なぜ私はお前を、たった一人で行かせたのだろう。
ずっとずっと、後悔している。
……ずっとずっと、後悔しているんだ。
例えば兄上に振り回された私を癒してくれたのはアイシャで。父であった前国王に目も向けられなかった悔しさを宥めたのも彼女で。王位争いに敗れ、臣籍降下された私に、大半のものが目を背けた時も、彼女だけは寄り添ってくれた。
ああ、アイシャ。
君だけがいれば、他には何もいらなかったのに。
君だけを見つめて、君とともに、死にたかったんだ。誰かに君を殺されるくらいならいっそ私が君を殺したかったと思うほどに深く深く、愛していた。
今も、愛している。
君を失ったと聞いた時、まるで信じられなかったんだ。嘘だと思ったんだよ。たちの悪い冗談だと。
四年前、伝令が伝えた言葉が今でも反響するように私の頭の中に響いている。
『奥様が乗った馬車が賊に襲われて―――』
襲われて、そして。
兄上が有無を言わせず賊の残党まで根こそぎ捕えて処刑したことも、屋敷中が騒然として喚く執事長の惑乱も苦言も、貴族共のうわさ話も耳にはいってはいたが意味のあるものとして私は認識できなかった。
だって、どこを探しても、名を呼んでも、君がいないんだ。
……今でも、君の部屋はそのまま、君の全てを、残してある。
もう帰ってきてなどくれないとわかっていても、君のものを少しでもなくすなんてことは、出来なかったんだ。
それが愚かさだったと判っていてなお。死者は帰ってこない事なんて嫌と言うほど知っている。知っている自分が嫌だった。この愛情はすでに狂気なのに、なぜ理性は消えてくれないのだろう。
君を失ってから一年のことは、よく覚えていないんだ。どうしても君を探してしまう。求めてしまう。貴族として、貿易外交の責任者として仕事もやることも幾らでもあった。けれどただそれも機械的に熟すだけ。まるで生きているのに死んでいるかのような心地がしていただけだ。
ねえアイシャ。どうしてこうなってしまったのだろうね。ただ嫌なんだ。耐えられないんだよ。君がいないこの世界なんて。
もしも私があの時王位争いに敗れなかったのなら、君はまだ、私の隣にいたのかなんて、意味のない仮定を追う。王都へ向かう途中の馬車で襲われたんだ。王都に最初から住んでいればよかったんだなんて今更なことを思う。
例えば何度同じ場面を繰り返しても私は王位争いに敗れるだろう。卑下ではない、単純な事実だ。だってあの兄上に勝てない事なんてわかっているんだ。今も昔も。あの兄はいつでも私の先に立っていて、でも屈託なく笑う人だった。
馬鹿で優しくて深い人。
それが私は、いつでも少し痛かったことを、覚えている。
でもその痛みさえも癒してくれたのが君だった。『大丈夫よ、わたくしがいるわ』と。『例えばあなたが何も持たない乞食でも、きっとあなたに惹かれたのよ』と。『だからあなたは大丈夫』なのだと。
優しくて甘くて可愛い人。
執務をこなす私に手ずから夜食を作ろうとして厨房を大惨事にしてコックに怒られて眉を下げた姿。王妃殿下にからかわれて真っ赤になって反論していた姿。記念日に私が贈り物をすれば君も必ずプレゼントを用意していた。庭園で互いに読書にいそしんで、ふと目を上げた瞬間に君も同じように私を見ていて、意味もなく照れて笑いあうあの時間がとても大切だった。
アイシャ、アイシャ、アイシャ。
愛している、どうしようもなく。ねえ忘れられない。
君のいないこの国に、意味なんかないんだ。
君のいない私にも、意味なんかないんだよ。
アイシャ、私の全て。
自死だけは君が許さないと判っている。
だから、いらないもの、全部、壊して、無かったことにしたいんだ。
知り合いができたんだ。恐ろしい知り合いだ。彼は全部全部、壊してくれると私に言った。
『復讐がしたい』と私は言った。彼は楽しそうに笑っていたよ。
彼は私の狂気を知っているだろう。でもきっと、彼も大概、狂った存在だ。
――ああ、アイシャ。全部壊して、君に捧げるよ。全部殺して、君の下に行くから。
待っててほしいんだ、アイシャ。
君への愛だけは、嘘じゃない。