第十一章 世界最強の女、そして……酒が弱い魔法使い
第十一話、酒が弱い魔法使い。
決戦前夜、青いマントの魔法使いが野営地に来る。
そして蜂蜜酒の樽が開く。
【第二週突入!】
作者X : @Sora_no_TENKAI
代表作『Tenkai』は完結まで毎日投稿中!
本作はこれより毎週水曜・土曜22時更新です。
決戦前夜の最後の夜には、特有の静けさがある。
でかくて、誰も声に出して言いたくないことで一杯になった静けさだ。言ったら本当になってしまうからだ。焚き火がゆっくりパチパチ鳴った。ジロは特に必要もないのにクイクイの鞍を磨いてた。手を置く場所が欲しいだけで。タラは盾を研いでた。盾を研げるかみたいな話なのに、ゆっくりとしたリズムで。サイは祈るみたいに小声で、三回目の硬貨の勘定をしてた。あたしは膝の上にモチを乗せて、横にカダヴァルを石に立てかけて座って、山を見てた。どんどん濃く、黒っぽくなる煙を吐き出してた。
沈黙を破ったのはレンだった。
「誰か来る」
全員同時に立ち上がった。タラは自動的に盾を構えた。ジロは彼女が家みたいに後ろに隠れた。サイは財布を掴むのと同じ顔で包丁を掴んだ。値段と、どこに突き刺すかを計算する顔で。
闇の中から人影が現れた。両手を上げて、わざと空っぽにして。
青いマント。短い黒髪。脅威じゃないって見せるために、わざと手から離して背中に掛けた水晶の杖。
「戦いに来たんじゃないわ」
登ってきて息を切らしながらライサが言った。
「じゃあなんで来たの?」
柄に手を置いたまま聞いた。
「取引をしに来たの」
サイが一歩前に出た。包丁はまだ手の中で、焚き火の明かりで光ってた。
「あなたは彼女が誰か知ってるのね」
「知ってるわ」
「じゃあ選択肢は二つしかないわ。あたし達があなたを消すか、あなたが口止め料を払うかよ。口止め料はここでは高いのよ」
「誰も誰も消したりしない!」
スキャンダルだって顔で抗議した。
「あたし達はそういうグループじゃない!」
「商売してるのよ、ハザエ。予防的な商売よ」
「口止めを頼みに来たんじゃないわ」
ライサはナイフじゃなくて、あたしを見て言った。
「お金を出すために来たんじゃないわ。席を頼みに来たのよ」
焚き火が、聞いたみたいに大きくパチンと鳴った。
「席?」
ジロが、タラの後ろから頭だけ出して繰り返した。
「あなたのグループに」
二回瞬いた。
「あなたにはグループがあるわ。六十人。赤いマントのリーダー」
「いたわ。今朝、ブラントのテントに置き手紙を残してきたの。『辞表を出します。焦げたマント、大事にして。熱い石の上を歩くのを覚えてね。じゃあね、ライサ』って」
ジロが短く鋭い笑い声を出して、すぐに両手で口を塞いだ。
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彼女を火の近くに連れて行った。タラは後ろに立ったまま、腕を組んで、不気味な沈黙で、モチまで静かにさせた。ライサは座って、杖を丁寧に地面に置いて、自分の縄と寒さで焼けた手を見た。
「十二年冒険者やってるわ」
ドラマなしで、低い声で始めた。疲れだけだった。
「六つの小隊を渡り歩いたわ。どこでも、氷と、包帯と、会計と、リーダーの作戦がクソだった時の言い訳を担当する魔法使いだった。誰もあたしが何をしたいかなんて聞かなかった。任務が成功した時、誰もあたしの名前を覚えてなかった。失敗した時はみんな覚えてた。『魔法使いのせいだ』って」
顔を上げた。彼女の目はあたしの目を見つけた。恐怖はなかった。もっと悪いものがあった。古い失望だ。
「今日、あなたは燃石の谷で六十人を焼け死なせられたのよ。彼らは傲慢で、うるさくて、そのうちの一人はあなたについて言っちゃいけないことを言ったわ。聞いたわ。みんな聞いたわ。でもあなたは彼らを穴から遠ざけた。走らせて、跳ばせて、恥をかかせたけど、死なせなかった。そして私が彼らを追い返すのを、あたしのアイデアみたいにさせてくれたわ」
「あたし……」
何て言えばいいかわからずに言いかけた。
「あなたは私が誰だって言った時、私を殺せたわ。脅すこともできたわ。聞こえなかったフリをしたわ。下手くそなフリだったけどね」
黙った。火はどんどん低くなって、赤くなってた。
「誰かと一緒にいたいのよ、そういうことをする人と」
ライサは最後に、小さく、ほとんど囁くように言った。
「一撃で全部破壊できる力があるのに、破壊しないことを選ぶ人と。辱める力があるのに、辱めないことを選ぶ人と。それは珍しいわ。巨人より珍しいわ」
誰も何も言わなかった。いつも表を用意してるサイですら。いつもつまらない冗談を用意してるジロですら。タラは腕を組むのをほんの少しだけ解いた。演説に値するほんの少しを。
背中のカダヴァルが、軽く温かく振動した。
『彼女、本当のこと言ってるわよ。毒なしよ』
「わかってる」
心の中で思った。わかってた。
咳払いした。感情はあたしを気まずくさせるからだ。
「何か役に立つ能力ある? クソみたいなリーダーに皮肉な置き手紙残す以外で、それはもう素晴らしい能力だけど」
ライサは笑いかけた。ほとんど。
「氷よ。石も、マグマも、空気も、何でも冷やせるわ。巨人が溶岩でできてるなら、溶岩を遅く、重くできるわ。タラが溶けずに抑えられるように地面を準備できるわ。それと少しだけ拘束のルーンがわかるわ。ボレアリスの祖母から習ったの」
サイはゆっくりナイフをしまった。彼女の脳はもう火山で氷がどれだけの価値があるか計算してた。
「それは作戦を変えるわね」
彼女は言った。
「良い方に?」
期待して聞いた。
「すごく良い方に。『もしかしたら死なないかも』ってくらい良い方によ」
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交渉はジョッキ一杯半の時間続いた。
「二割」
ライサがきっぱり提案した。
「五分」
サイは瞬きもせずに答えた。
「一割、旅費別途」
「六分、旅費は自己負担で」
「八分、リスク条項付き。もし私が死んだら、グループがちゃんとした葬式を出すの。花付きで」
サイは止まった。彼女に今まで見たことない何かでライサを見た。本物の尊敬だった。海賊から海賊への。
「合意。でも葬式は銅級で」
「銀級の葬式よ」
「磨いた銅級。同じくらい光るわ」
「磨かない銀級よ。シンプルな」
二人は長いこと睨み合った。全部の値段を知ってる二人の女として。最後に、二人の戦士が同じ戦争でお互いを認め合うみたいな固さで握手した。
ジロが感心してあたしに小声で言った。
「あの人、もう俺より家族っぽい気がする。サイと同じくらい値切るし」
「馬鹿なこと言うな。お前は家族だよ」
「俺は?」
「お前は一人にしたら飢え死にするか火山に落ちるから守ってる可哀想なやつだよ」
ジロは一瞬考え込んだ。検討して。
「それって褒め言葉?」
「まあね。保険付きの褒め言葉だよ」
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祝うために、ブラントの樽を開けた。今はもう征服権と軟膏権で、あたし達の樽だった。
中から出てきた蜂蜜酒は金色で、とろっとして、香り高くて、良い方のヴァレンフォートの、樫樽で十二ヶ月寝かせたやつだった。タラが儀式みたいにジョッキに注いだ。ジロは一口飲んで即座に寄り目になった。サイは味見して、転売価格を頭の中でメモした。レンは失礼にならないように半分だけ受け取って、毒を嗅ぐみたいに飲む前に匂いを嗅いだ。
ライサは慎重に、両手で自分のを受け取った。
「あたしあんまり飲まないの」
真面目に警告した。
「みんなそう言うよ」
もう縁まで自分のを注ぎながら、テンション高く答えた。
「本当に言ってるの。限度が低いの。すごく低いの。一杯でもう……」
「乾杯!」
遮って、ジョッキを掲げた。
「ハザエ……」
「新しい仲間に! ライサに! クソみたいなリーダーを捨てて、良い氷を持ってる女に!」
ジョッキがぶつかった。音が石に響いた。ライサは小さく一口飲んだ。顔をしかめた。それからもっと大きくもう一口。それからもう一口。
三巡目には、もう頬は赤くて、目はキラキラしてて、杖はもういらないみたいに石に立てかけられてた。
「暑い」
突然言って、襟を引っ張った。
「暑い?」
ジロが聞いた。
「俺寒いと思ってたけど。風吹いてるし」
「暑いわ」
ライサは繰り返した。もっと大きく、普遍的な真理を発見した人の確信を持って。
「すごく暑いの!」
青いマントの留め金を外して、劇的な仕草で地面に投げた。
「えーっと……おけ」
横を見ながら呟いた。
それから革のベストを脱いで、マントの上に投げた。
「ライサ」
サイが声のトーンを上げて警告した。
「暑すぎるの!」
魔法使いは立ち上がって、火山に向かって両腕を広げて発表した。
「どうしてこんなに重ね着して生きられるの? 布だらけで、偏見だらけで、服だらけで? 体は呼吸しなきゃいけないのよ!」
「やめろ!」
ジロが両手で目を塞いで、背を向けて、速すぎて座ったまま転んだ。
「神様お願い!」
あたしが今まで見た中で一番速くタラが反応した。一秒後にはライサの後ろにいて、次の秒には巨大な厚いウールの毛布を広げて、肩から足先までライサを巻いてた。貴重で酔っ払った巻物みたいに巻いて。きつく。
「あたしは自由よ!」
ウールの繭の中からライサが叫んだ。もがきながら。
「これはあたしの体で、あたしの熱で、あたしの真実なのよ!」
「哲学者みたいなこと言ってる」
魅了されて、もう一口飲みながら呟いた。
「明日後悔する酔っ払いみたいなこと言ってるわよ」
サイが訂正した。もう野営地での公然わいせつで罰金を計算してた。
「野営地での公然露出で罰金取るわよ!」
サイが毛布の中に向かって叫んだ。
「規則にそんなのないわよ!」
ライサが中で叫び返した。
「今できたわ! 新しい条文よ! 今作ったの!」
レンが立ち上がった。落ち着いて、ジョッキを手に持って、野営地の端まで歩いて、背を向けて、山を驚くほど真剣に、ほとんど宗教的に集中して見つめ続けた。
「何してるの?」
ジロが、まだ背を向けたまま指の間から覗きながら聞いた。
「火山を見張ってるんだ」
振り向かずにレンが答えた。
「お前火山の見張りなんて興味ないだろ! 足跡しか追わないじゃん!」
「今日は火山にすごく興味があるんだ。すごくね。火山は魅力的だよ」
肩の上のモチが小さくて好奇心旺盛な火花を出した。タラが空いた手で、見もせずに外科的な正確さで叩き落とした。
あたしはと言えば、上機嫌だった。馬鹿みたいに幸せだった。
「やっとだ」
カダヴァルに抱きかかえたジョッキを抱きしめながら囁いた。
「やっとあたしより恥ずかしいやつがグループに来た。十七年待ったわよ、これを」
『おめでとう』
剣が女王に冠を授けるみたいな厳かさで答えた。
『あなたがこの集団的気まずさのレベルに到達するって、あたしはずっと知ってたわ。才能よ』
「誇らしい?」
『感動してるわ。ほとんど感動して。目があったら泣いてたわ』
ライサはこの時点で、身体の自由について叫ぶのをやめて、自分のことを『水晶の赤ちゃん』って呼びながら、杖に向かって音痴な子守唄を歌い始めてた。タラは彼女を石に座らせて、自分の巨大な肩に寄りかからせて、そこに押さえた。いたずらで重すぎる赤ちゃんを押さえるみたいに。
二十分もしないうちに寝てた。毛布の中で小さくいびきをかきながら、頬をタラの肩にくっつけて。
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太陽の最初の光で目が覚めた。頭が重くて、口が渇いて、昨夜すごく大事で、すごく恥ずかしいことがあった気がするのに思い出せないっていう、漠然とした嫌な感じがした。
ライサはもう消えた焚き火の近くに座ってた。顎まで毛布に包まれて、短い髪はぐしゃで、手には水の入ったジョッキを持って、間違った場所で、間違った人生で目覚めた人みたいな顔をしてた。
「なんであたし包まれてるの?」
掠れた声で聞いた。
全員が無言のパニックで顔を見合わせた。
「寒かったから」
ジロが速攻で言った。
「強風だったから」
サイが目を合わせずに言った。
「山が裏切るから」
レンが真面目に言った。
タラはただ罪悪感で視線を火山に逸らしただけだった。
ライサは眉をひそめた。思い出そうとして。思い出すより悪いことだ。
「たくさん飲んだ?」
彼女は聞いた。
「いや」
嘘の確信を持って素早く答えた。
「ほとんど飲んでないよ。蜂蜜酒だけだよ。弱いやつ」
「一生後悔するようなことした?」
「貨幣で請求できるようなことは何もないわ」
サイが慎重に経費の羊皮紙をめくりながら答えた。
「評判ではあるかもね」
ライサは疑わしそうにあたしを見た。もう答えを知ってるけど、友達から聞きたい人みたいな目で。
「ハザエ。あたし、欠点あるわよね? 飲むと」
口を開けた。閉じた。また開けた。また閉じた。誰もこのためのマニュアルを教えてくれなかった。
「飲むとすごく正直になるんだよ」
言葉を選びながら言った。
「すごく……誠実なの。暑がりだし」
「それだけ?」
「それとすごく……風通しが良い。哲学的な意味で。社会の重ね着を脱ぎたいみたいな」
彼女はゆっくり目を閉じて、額を手で押さえて、毛布にこもった声で呟いた。
「来なきゃよかったってわかってたわ。わかってたのよ」
「ここでは幸せになるよ」
モチを膝に乗せて、横に座って保証した。
「絶対そうだよ」
「なんで?」
顔から手を離さずに彼女は聞いた。
「だってあたしは人前でおならするし、硬貨食べる竜がいるし、名前は伝説だし、うっかり橋を壊したことあるんだよ。あたしに耐えて、それでも残りたいと思うなら、何にでも耐えられるよ。マジで強いって」
ライサは指の間からあたしを見た。それからゆっくり、すごく不本意そうに、でも避けられずに笑い始めた。
毛布にこもった低い笑いで、どんどん大きくなって、大きくなって、お腹を抱えて体を折らなきゃいけないくらいに。ジロも笑った。ほっとして。サイも笑った。口に手を当てて、会計士のポーズを保とうとしながら。タラは笑い声である低いゴロゴロという音を出した。レンですら半分笑った。何ヶ月かぶりに見る笑顔だった。小さくて、曲がってたけど、本物だった。
そしてその時、地面が揺れた。
夜の咆哮の時のような軽い揺れじゃなかった。長くて深い突き上げる揺れで、水筒の水が波打って飛び出して、石が斜面を転がって、死んだ火が灰を上げた。鳥が一斉に、一つの叫び声で飛び立った。山頂の煙は、灰色だったのが一秒で色を変えた。灰色から鮮やかで、明るくて、嫌な赤に。
モチが肩から跳んで、逆立って、金色の目を火山に釘付けにして、甲高く鳴いた。
全員同時に立ち上がった。ジョッキは忘れられた。
「時間よ」
レンが短剣に手を置いて言った。
カダヴァルの柄を握った。熱かった。本当に熱くて、ほとんど焼けるくらいだった。
『起きてるわ』
彼女は冗談なしで言った。
「わかってる」
『ハザエ』
「何?」
『正確にやって。手のひらよ。手のひら一個分だけ。綺麗じゃなくていい。正確にやって』
怖さが硫黄の匂いと一緒に背骨を上ってくるのに、笑った。
「あたしはいつも正確だよ」
『昨日カボチャに穴開けただけじゃない』
「でも綺麗な穴だったじゃん。綺麗で正確な」
火山がもう一度咆哮した。今度は十一秒じゃなかった。
途切れなかった。
第十一章・終
ここまで読んでいただきありがとうございます!
ようやく、ハザエより恥ずかしい人が来ました。
十七年待った甲斐がありましたね。
そして……火山が、起きました。
【第二週開始!】
作者X : @Sora_no_TENKAI
代表作『Tenkai』は完結まで毎日投稿中です。
本作はこれより毎週水曜・土曜22時更新です。
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次回、土曜22時に続きます!




