144話 崩れ落ちる虚飾と、冷たい宣告
「忍! 大丈夫なのか!?」
駆け寄る俺の視界に、痛々しい姿が焼きつく。
引き裂かれた制服の布地から覗く肩口の肉は赤黒く抉れ、首筋から鎖骨にかけて生々しい無数の噛み跡が刻まれていた。傷口からは血だけでなく、青白い燐光のようなものが微かに湯気となって立ち上っている。
「あっ……はい。これは、少しだけ……あっ」
気丈に笑おうとした忍の膝から、突如としてすべての力が抜けた。
糸の切れた人形のように前へと倒れ込むその華奢な身体を、俺は夢中で両腕の中に抱き止める。
ドサリと胸元に預けられた妹の身体は、信じられないほどに冷たく、そして軽かった。
「忍っ……! 陽向先輩、回復お願いできますか!?」
「うんっ! まかせて〜!」
駆け寄ってきた陽向先輩が、神々しい柔らかな光を両の掌に灯し、忍の傷口へとそっとかざす。
温かな波動が染み渡るように傷を塞いでいくのを感じながら、忍は俺の胸に額を預けたまま、小さく息を吐いた。
「……兄さん。無事で……本当に、ほっとしました」
「そうか……。忍、お前……さっきまで何をしていたんだ?」
安堵と同時に、胸の奥底から湧き上がる冷たい疑念が口をついて出た。
忍は伏せていた睫毛をわずかに震わせ、どこまでも平然とした、いつもの愛らしい声で応じる。
「……ただの野暮用ですよ。兄さんが心配することなんて、何ひとつありません」
「そんなに大量の血を流して……野暮用で済むわけないだろ!」
「はい。本当に、大丈夫ですから……」
頑なに誤魔化そうとする忍の態度に、先ほどあの暗殺者の男が放った言葉が鋭い針のように脳裏を刺した。
——『そこのそいつとお前の妹、神だぞ』
——『お前、これまで何も知らずに家族ごっこしてたのか?』
俺は喉の奥を締め付けるような痛みを堪えながら、低く問い詰めた。
「……なぁ、忍。『神』と……何か関係があるのか?」
ピシッ
抱きしめていた忍の全身が、瞬間冷凍されたかのように硬直した。
張り詰めた沈黙が屋上を支配する。
忍は顔を上げず、ただ冷酷な光を宿した瞳だけで、傷口を手当てしている先輩をギロリと睨みつけた。
「……陽向先輩?」
「ち、違うよ〜忍ちゃん! 私、自分から言ったわけじゃないもん! あの暗殺者さんが勝手にバラしちゃって、ついつられちゃって……!」
必死に手を振って弁明する先輩。
言葉を失いかける俺だったが、妹の肩を強く揺さぶり、その瞳を真っ向から見据えた。
「忍!」
「……っ!」
普段の温和な兄からは想像もつかない厳しい声色に、忍の身体がビクリと小さく跳ねる。
「お前は……何なんだ? 俺の、妹なんだよな?」
「……はい! 私は兄さんの妹ですよ? それは絶対に、嘘ではありません!」
必死に訴えかけてくるその声には、狂気的なまでの真実味が宿っていた。
「それなら……頼むから、俺に正直に話してくれないか? 俺はお前が何者でも……」
「はぁ…………」
俺の懇願を断ち切るように、忍の口から深く、重い吐息が零れ落ちた。
ふっと妹の表情から『妹』としての甘えが消え失せ、底知れぬ深淵のような、人ならざる者の冷徹な眼差しが露わになる。
「……だから、嫌だったんです。兄さんを、こんな学校に通わせるのなんて」
「……忍?」
聞いたこともない氷のように冷たい声。
忍は俺の胸からゆっくりと身体を離すと、手当てを終えた肩を軽く回しながら、すっと立ち上がった。
「兄さん? 少しの間、待っていてくださいね? ……私、しばらく留守にしますから」
「な……留守にするって、どこへ行くんだ!?」
「陽向先輩。その間、兄さんのこと……ちゃんとお願いできますね?」
忍の昏い瞳に射抜かれた陽向先輩は、呑気に笑いながら頷いてみせた。
「うん、いいよ〜! ちゃんと守っておくね〜!」
「……では兄さん。楽しみに待っていてくださいね?」
そう言い残すと、忍の足元の影がぐにゃりと広がり、彼女の身体を底なしの闇へと呑み込んでいく。
引き止める間もなく、妹の姿は跡形もなく消え去り、屋上には冷たい風と、俺の胸に残る消えない戦慄だけが取り残されていた。




