1話 俺の魔力は、0らしい
目覚まし時計の無機質な電子音が、薄暗い部屋に響き渡る。手探りでアラームを止め、重い体を起こした。
「……ふぅ、今日が入学試験か」
ベッドの端に腰掛け、自分の掌をじっと見つめる。
長かった。あの日から、この十年間。
突如世界中に発生した巨大な穴——ダンジョン。
幼かった俺の目の前で、両親は俺を庇って魔物に噛み殺された。
血の匂いと絶望の悲鳴。
なのに、なぜ自分だけが無傷で生き残れたのか。その理由は未だにわからない。
あるのは、両親を噛み砕いた『あいつら』を一匹残らず絶滅させるという執念だけだ。
そのためなら、冒険者学校での面倒な人間関係も、偽りの学園生活も耐えてみせる。
「——兄さん? 兄さん!」
不意に耳元で囁かれ、肩が跳ねた。
「……あっ、忍」
「もう、どうしたのですか? また何か考え事ですか?」
覗き込んできたのは、整った顔立ちの少女——西条忍。薄桃色の髪を揺らし、心配そうに俺を見つめている。俺の妹だ。
「兄さん、怖い過去はもう忘れましょう? また、お父さん達が亡くなったときのこと、考えていましたね?」
「……まあな」
感情の読めない瞳で見つめていた忍は、次の瞬間、花がほころぶような笑みを浮かべて俺の首元に両手を回してきた。
「兄さん、ぎゅ〜。大丈夫ですよ、私がいます。ですから……もっと私に頼ってくださいね? ふふ、くすくす……」
胸元に押し付けられた小さな頭。
温かいはずの妹の抱擁だが、その声には、かすかな歪みが混ざっていた。俺はその違和感に気づかぬまま、機械的に妹の頭を撫で返した。
「兄さん! 兄さん!」
実技測定会場の出口から、忍が弾んだ声をあげて駆け寄ってきた。
手に持った判定紙を掲げ、誇らしげに胸を張る。
「私、Sランクでした! 魔力測定だけで合格です!」
「マジか……すごいな、忍」
さすがは自慢の妹だ。
だが、俺も負けてはいられない。
仇を討つためには最低でも上級クラスに潜り込む必要がある。
「よし、次は俺の番だな」
「頑張ってくださいね、兄さん。ふふ……」
係員の指示に従い、水晶のような測定器の前に立ち、掌をかざした。
直前の受験者のときは眩い青い光を放っていた石が、俺がどれだけ意識を集中させても微動だにしない。
「……魔力、0。次、体力測定に移ってください」
冷淡なアナウンスに周囲から失笑が漏れる。
だが魔力がないのは織り込み済みだ。十年間死ぬ気で体を鍛えてきた。
しかし、グラウンドのトラックに足を踏み入れた瞬間、己の甘さを思い知らされた。
「はい、50周目! まだ半分だぞ、ペース落とすな!」
「ハァ、ハァ……っ! 1000メートル×100……っ!?」
足が鉛のように重く、限界を超えて膝が震える。
その場に崩れ落ちた俺に、係員が呆れたように手帳へ書き込んだ。
「一般人よりはかなり上だが、上を目指すには程遠いな」
見渡せば、他の受験者たちは音を置き去りにする速度で疾走していた。
魔力で身体機能を強化した『冒険者候補』たちの現実。
続く破壊力測定でも、魔導金属の大岩に刀を振れば刃が根元からへし折れ、ハンマーを打ち下ろしても痺れが走るだけで傷一つ付かない。
拳を叩きつけようとして、砕けるだけだと直前で思いとどまった。
「そこまで。終了ー。お前、Dランクな。ま、精一杯頑張れよ?」
「兄さん……Dランクだったのですか?」
クラス分けの掲示板の前で、忍が悲しそうに眉をひそめて見上げてきた。
「そうだな。現実は甘くないらしい」
自嘲気味に息を吐く俺の袖を、忍がキュッと強く引っ張った。
その瞳には、縋るような、けれど底知れない深闇が宿っている。
「兄さん、もうやめましょう? Dランクでは……ダンジョンに入ったら死んでしまいます。だから……ね? 私とずっと、家にいましょう?」
「忍、それはできない」
袖を引く手を優しく外す。あいつらを殺すまでは、立ち止まるわけにはいかない。
「はぃ……分かりました」
「それじゃ、俺は教室に行くから。忍も遅れるなよ?」
「はい! 行ってらっしゃい、兄さん」
花が咲いたような笑顔で見送られ、俺はDランククラスの校舎へと足を進めた。
一人残された廊下で、忍は遠ざかる兄の背中をじっと見つめていた。
可憐な表情は影を潜め、瞳から光が完全に消失する。
「はぁ……魔力を奪うだけでは、諦めてくれませんか」
忍は満足そうに、けれど少し困ったように溜息をついた。
「しかたありませんよね……ふふ。もっと……私にくださいね? 兄さん……」
少女は甘い愉悦に浸るように、自身の胸元を愛おしそうに抱きしめた。




