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幼馴染の機嫌が悪いのは、たぶん私のせい。  作者: situ725


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10/10

第10話 これからも隣で

明日が早く来てほしいと思っていたのに、いざ朝になると、心の準備がまったくできていなかった。


 玲奈がいつものように私の部屋へ入ってくる。


「ひなた、起きて」


「起きてる」


「目、閉じてるけど」


「考え事をしてるの」


「ベッドの中で?」


「一番落ち着く場所だから」


 目を開けると、玲奈がベッドの横に立っていた。


 きれいに整えられた黒髪。


 左右のそろった淡い青色のスカーフ。


 いつもと変わらない玲奈の姿なのに、目が合っただけで胸が落ち着かなくなる。


 今日の放課後、話がある。


 昨日届いた短いメッセージが、頭から離れなかった。


「玲奈」


「何?」


「今日の話って」


「今は言わない」


「少しだけでも」


「駄目」


「気になって眠れなかった」


「今まで寝てたでしょ」


「眠りが浅かったの」


「寝癖は深いけど」


 玲奈が私の髪へ手を伸ばしかける。


 けれど、触れる直前で指が止まった。


「どうしたの?」


「……何でもない」


 玲奈は一度手を引き、机の上の櫛を取った。


 いつもより少し離れた位置から、毛先だけを整えていく。


 私の方だけが意識しているわけではないのかもしれない。


 そう思った途端、胸の奥に小さな期待が生まれた。


 でも、まだ決めつけない。


 私たちは、決めつけたことで一度離れてしまった。


「放課後、ちゃんと聞くね」


「うん」


「私からも話したいことがある」


 玲奈の手が止まる。


「何?」


「今は言えない」


「……仕返し?」


「違うよ」


「顔が笑ってる」


「気のせい」


「笑ってる」


 玲奈に頬を軽くつままれた。


 痛くはない。


 それでも、触れた指を意識してしまい、私はまた目を閉じた。


「本当に変なひなた」


 玲奈の声も、少しだけ落ち着かないように聞こえた。


     ◇


 学校へ着いてからも、私たちはいつもどおりには戻れなかった。


 一時間目、玲奈は日付を一日間違えてノートへ書いた。


 私が小声で教えると、玲奈は何も言わずに消しゴムで消した。


 二時間目、私は問題文を最後まで読まずに答えを書き、ほとんど間違えた。


 玲奈は私の答案を見て、呆れたように息をついた。


「今日はいつもよりひどい」


「玲奈だって日付を間違えてた」


「一つだけでしょ」


「玲奈が間違えるのは珍しいよ」


「ひなたが間違えるのは珍しくないけど」


「そこまで言わなくてもよくない?」


 言い返しながらも、少しうれしかった。


 玲奈も今日の放課後を気にしている。


 そのことが、たった一つの日付から伝わってくる。


 昼休みには、二人ともお弁当を食べる手が遅かった。


 向かいに座る玲奈は、卵焼きを箸で持ったまま、何度も窓の外を見ている。


「玲奈、食べないの?」


「食べる」


「それ、さっきからずっと持ってるよ」


「ひなたこそ、御飯が全然減ってない」


「私は玲奈を見てたから」


 玲奈の箸から卵焼きが落ちかけた。


「そういうこと、急に言わないで」


「昨日も見てるって怒られた」


「怒ってない」


「じゃあ、照れた?」


「違う」


 玲奈は卵焼きを口へ入れ、そのまま私から顔をそらした。


 耳が赤くなっている。


 私の頬も同じくらい熱かった。


 気持ちへ名前をつけただけで、十年以上続いた日常がこんなに変わるなんて知らなかった。


 放課後までの時間は、いつもの倍くらい長く感じられた。


     ◇


 帰りのホームルームが終わった直後、クラスメイトに当番表の確認を頼まれた。


 短い相談を終えて廊下へ出たとき、玲奈の姿はもうなかった。


 端末を見ると、メッセージが一件届いている。


『先に行ってる』


 私は鞄を持ち直し、校舎を出た。


 走るとスカーフが曲がる。


 玲奈に見つかったら直されると思ったけれど、今日は少しでも早く会いたかった。


 風見ヶ丘公園へ続く坂を上る。


 新緑の桜が、傾き始めた陽の光を受けて揺れていた。


 昨日まで二人で座ったベンチに、玲奈はいない。


 代わりに、丘の上にある一番大きな桜の木の前に立っていた。


 春の風が、長い黒髪と濃紺のスカートを揺らしている。


「玲奈」


 私が呼ぶと、玲奈が振り返った。


「遅い」


「これでも走ってきたよ」


「三分」


「三分でも待ったことになる?」


「なる」


「ごめん」


 玲奈の前まで歩く。


 近くで見ると、玲奈の指が制服のポケットの上から何かを押さえていた。


「昨日書いてた紙?」


 玲奈の肩が揺れる。


「見えてたの?」


「窓の向こうで、何枚も丸めてたから」


「……見ないでよ」


「何を書いてたの?」


 玲奈はしばらく迷ってから、折り畳んだ紙を取り出した。


「今日、話すこと」


「読んでくれるの?」


「そのつもりだった」


 玲奈は紙を開く。


 几帳面な文字が、何行も並んでいる。


 けれど、その目は最初の一行を追ったところで止まった。


「無理」


「無理なの?」


「書いたときは、これなら言えると思った。でも、ひなたの顔を見ながら読むのは無理」


「じゃあ、私が後ろを向く?」


「そういうことじゃない」


 玲奈が紙を畳み直す。


「上手に言えなくてもいいから、玲奈の言葉で聞きたい」


「書いたのも私の言葉よ」


「それなら、紙を見なくても言えるよ」


「簡単に言わないで」


「ゆっくりでいいよ」


 急かさず、玲奈を見る。


 玲奈は何度か小さく息を吸った。


 紙を持つ指が震えている。


 それでも、逃げるように視線をそらすことはなかった。


「私は、ひなたが水瀬さんに告白されたとき、取られると思った」


「うん」


「ひなたが誰かの恋人になったら、朝も、放課後も、今までみたいにはいられなくなる。私よりその人を大切にするようになるって」


 結衣ちゃんから尋ねられたことと同じだった。


 玲奈も、あのとき同じ未来を想像していたのだ。


「それが嫌だった。水瀬さんに腹が立ったんじゃない。ひなたを好きになったことも、気持ちを伝えたことも、水瀬さんは何も悪くない」


 玲奈は一度言葉を切る。


「怖くなって、聞くこともできなくて、ひなたに怒った。自分でも理由が分からないまま、隣にいてほしいのに突き放した」


「私も、玲奈の本当の気持ちを聞かなかった」


「今は、私が話す番」


「……はい」


 真面目な声に押され、私は口を閉じた。


「公園で仲直りしてから、ずっと考えた。どうして、ひなたが誰かの特別になるのが嫌だったのか」


 玲奈の頬が少しずつ赤くなる。


「ひなたは、私のことを家族みたいに大切だと言ったでしょ」


「うん」


「うれしいはずなのに、足りないと思った」


 胸が大きく鳴る。


 玲奈の声は震えていた。


 それでも、一つずつ確かめるように言葉を続ける。


「一緒にいる時間が長いから、そばにいたいんじゃない。私の機嫌を分かってくれるからでも、困ったときに助けてくれるからでもない」


 玲奈の瞳が、まっすぐ私を捉える。


「ひなたといると安心する。うれしいことがあったら最初に話したいし、怖いときは手を握ってほしい。朝、一番に顔を見たい。これから先も、ひなたの隣にいるのが私であってほしい」


「玲奈」


「私は、ひなたの幼馴染じゃ足りない」


 風が吹く。


 頭上で桜の葉が大きく揺れ、木漏れ日の形を変えた。


「一番近くにいるだけじゃなくて、ひなたの一番になりたい」


 玲奈は折り畳んだ紙を胸元へ抱く。


「ひなたが好き。私と付き合ってほしい」


 ずっと待っていた言葉だった。


 昨日、結衣ちゃんに教えてもらうまで気づけなかった気持ち。


 気づいてからは、伝えたくて仕方がなかった言葉。


 それなのに、胸がいっぱいになって、すぐには声が出なかった。


 玲奈の瞳が不安そうに揺れる。


「ひなた?」


「ごめん。うれしくて」


「それなら、早く答えて」


「玲奈、今すごく玲奈らしい」


「感想はいいから」


「うん」


 私は一歩近づいた。


 玲奈は逃げなかった。


 昨日のベンチより近い。


 手を伸ばさなくても、触れられる距離だった。


「ずっとそばにいるのが当たり前だったから、気づくのが遅くなった」


 玲奈が息を止める。


「玲奈が結衣ちゃんの告白を嫌がったって知って、少しうれしかった。玲奈の隣に誰かが立つことを考えたら、私も嫌だった」


「水瀬さんと、何を話したの?」


「私が本当に見てるのは、結衣ちゃんじゃないって教えてもらった」


 玲奈の眉が、わずかに寄る。


「水瀬さんに教えてもらったの」


「そこは気にしないで」


「気になる」


「結衣ちゃんは、私たちより先に分かってたんだよ」


「……そう」


 玲奈は複雑そうな顔をした。


 それでも、今度は結衣ちゃんへの不満を口にしなかった。


「私も玲奈が好き」


 はっきり伝えると、玲奈の瞳が見開かれた。


「幼馴染じゃなくて、恋人として玲奈の隣にいたい」


「本当に?」


「本当」


「私が先に言ったから、合わせてるんじゃなくて?」


「昨日から言いたかった」


「昨日?」


「授業中、玲奈のことをずっと見てたでしょ」


「あれは、そういう意味だったの」


「うん。だから、私の恋人になってください」


 玲奈はしばらく私の顔を見ていた。


 やがて、泣きそうな顔で笑う。


「……はい」


 その返事を聞いた瞬間、身体の力が抜けた。


「よかった」


「私が告白したのに、どうしてひなたが安心するの」


「私も断られたらどうしようって思ってたから」


「断るわけないでしょ」


「言わなくても分かると思うのは禁止」


「今、好きって言った」


「そうだった」


 二人で笑う。


 喧嘩をする前と同じように笑えた。


 けれど、今までより少しだけ近い。


「その紙、どうするの?」


 玲奈が、胸元に抱えていた紙を見る。


「もう必要ないから、捨てる」


「捨てるなら、私にちょうだい」


「どうして?」


「玲奈が私に告白するために書いてくれたんでしょ。大切にしたい」


「読まないで」


「もらうのに?」


「書き直した跡も残ってるから、恥ずかしいの」


「じゃあ、玲奈が読んでもいいと思えるまで待つ」


「……ずっと読ませないかもしれない」


「それでも大切にするよ」


 玲奈は迷いながら、折り畳んだ紙を私へ差し出した。


 受け取った紙を、折れないように鞄の内ポケットへしまう。


 初めてもらったラブレターのようなものだから、家に帰ったら大切に保管しよう。


 私は玲奈の手へ触れた。


 指を重ねると、玲奈が握り返してくれる。


「これで、恋人?」


「そうだと思う」


「思う?」


「私も初めてだから、分からない」


「私もだよ」


「ひなたは、急に慣れてるみたいな顔をするから」


「手をつなぐのは慣れてるよ」


「今までとは違う」


 玲奈に言われた途端、重ねた手が急に熱く感じられた。


 手をつなぐだけで、こんなに緊張したことはない。


「玲奈も緊張してる?」


「してない」


「手、熱いよ」


「ひなたの手が熱いから」


「私のせい?」


「たぶん」


 玲奈が少しだけ笑った。


 いつもなら、玲奈の不機嫌の理由を探すような言葉だった。


 けれど、今度の玲奈は不機嫌ではなかった。


 その笑顔を見ていると、もっと近づきたいと思った。


「玲奈」


「何?」


「もう一つ、してみたいことがある」


「何を」


 言葉で尋ねられると、急に恥ずかしくなる。


 それでも、分かってもらえるのを待つのではなく、自分から伝えると決めた。


「キスしてもいい?」


 玲奈の顔が一気に赤くなった。


「急すぎない?」


「付き合ったら、するものかなって」


「そういう理由でするの?」


「違う。玲奈としたい」


「……言い直さなくていい」


「駄目?」


 玲奈は答えず、つないだ手に少し力を込めた。


 深い紺色の瞳が、一度だけ私の唇へ向く。


 それから、小さくうなずいた。


 私は玲奈へ顔を近づける。


 目を閉じる直前、玲奈も目を閉じたのが見えた。


 触れた唇は、ほんの少し震えていた。


 確かめるように触れただけの、短いキスだった。


 離れると、玲奈は私の手を握ったまま俯いている。


「玲奈」


「今、顔を見ないで」


「どうして?」


「恥ずかしいから」


「私も恥ずかしいよ」


「ひなたは平気そう」


「心臓、すごく速い」


 つないだ手を自分の胸元へ引こうとすると、玲奈が慌てて止めた。


「分かったから」


「まだ触ってないよ」


「触らなくていい」


 玲奈がようやく顔を上げる。


 頬はまだ赤かったけれど、口元には柔らかな笑みがあった。


 私もきっと、同じ顔をしている。


     ◇


 家までの帰り道で、私たちは何度も「恋人」という言葉を確かめた。


「明日も起こしに来てくれる?」


「行かないと遅刻するでしょ」


「恋人になっても?」


「恋人になったからって、急に一人で起きられるようにはならないでしょ」


「じゃあ、玲奈はこれからも私の部屋に来る?」


「……それは」


 玲奈が言葉に詰まる。


「今までみたいに、勝手に入っていいのか分からない」


「どうして? 今朝までは入ってたのに」


「そのときは、まだ恋人じゃなかったから」


「恋人の方が遠慮するの?」


「意識するの」


 玲奈はそう言って、私から顔をそらした。


 学校ではいつものように話せたのに、二人きりになると何もかもが恥ずかしくなる。


 それは私も同じだった。


 家の前に着いても、つないだ手をどちらからも離せない。


「玲奈」


「何?」


「家、隣だよ」


「知ってる」


「また窓から見えるよ」


「それも知ってる」


「じゃあ、そろそろ離す?」


「ひなたが先に離して」


「玲奈が先でいいよ」


 譲り合っているうちに、二人で笑ってしまった。


 最後は三つ数えて、同時に手を離した。


 ほんの四メートルほどしか離れていない自分の部屋へ戻るだけなのに、少し寂しい。


 部屋へ入ると、すぐに窓を開けた。


 向かいの窓から、玲奈もこちらを見ている。


 私が端末を持ち上げると、玲奈も机の上の端末へ手を伸ばした。


『おかえり、恋人』


 送信する。


 窓の向こうで、玲奈が顔を赤くした。


『その呼び方、やめて』


『嫌?』


 少し間が空く。


『嫌じゃないけど、恥ずかしい』


『じゃあ、二人のときだけ』


『今も二人でしょ』


『玲奈、私の恋人なんだね』


 返事はなかなか来なかった。


 けれど、窓の向こうの玲奈はカーテンを閉めない。


 やがて、短いメッセージが届いた。


『ひなたも、私の恋人だから』


 その一文を何度も読み返しながら、私はベッドの上でしばらく笑っていた。


     ◇


 翌朝。


 目を覚ました私は、しばらく扉の方を見ていた。


 いつもの時間になっても、玲奈が入ってこない。


 寝坊したのだろうか。


 心配になって起き上がると、扉の向こうから小さな音が聞こえた。


 控えめなノックだった。


「どうぞ」


 扉が少しだけ開き、玲奈が顔をのぞかせる。


「おはよう」


「おはよう。どうして入ってこないの?」


「……恋人の部屋に勝手に入るのは、よくないかと思って」


「昨日までは入ってたのに?」


「恋人になる前は、幼馴染だったから」


 玲奈は真面目な顔で答えた。


「じゃあ、これからは毎回ノックするの?」


「その方がいいでしょ」


「玲奈らしいけど、少し寂しい」


 素直に伝える。


 玲奈は扉の隙間から私を見つめた。


「寂しいの?」


「うん。公園で、寂しいときは言うって約束したから」


「それは私が言う約束だったでしょ」


「私も言うよ」


 玲奈は迷ったあと、扉を開けて部屋へ入った。


 ベッドの端へ腰を下ろす。


 今までなら、私を起こすためにもっと近くへ来ていた。


 今日は一人分ほど空けて座っている。


「玲奈」


「何?」


「遠い」


「これ以上は近い」


「昨日はキスしたのに?」


「朝から言わないで」


 玲奈の顔が赤くなる。


 私は笑いながら、玲奈との間にあった隙間を少しだけ詰めた。


 触れそうになった手へ、自分の指を重ねる。


「これなら?」


「……遅刻する」


「嫌とは言わないんだ」


「早く着替えて」


 強い口調だった。


 けれど、玲奈は手を振りほどかなかった。


     ◇


 身支度を終え、二人で家を出る。


 朝の通学路には、春の柔らかな光が差していた。


 昨日までと同じ道。


 同じ制服。


 同じように隣を歩く玲奈。


 違うのは、家を出てからずっと手をつないでいることだった。


「学校まで、このまま?」


「嫌?」


「嫌じゃないけど、見られる」


「幼馴染でも手をつなぐことはあるよ」


「毎朝つないでたわけじゃないでしょ」


「じゃあ、今日は特別」


「明日は?」


「明日も特別」


「毎日になったら、特別じゃない」


「毎日特別でいいよ」


 玲奈は何も言わなかった。


 でも、つないだ指が少しだけ強く絡んだ。


 校門が見え始めたところで、前を歩いていた小柄な生徒が振り返る。


 薄いベージュ色のカーディガン。


 濃紺の鞄には、淡いピンク色の花のキーホルダーが揺れている。


「結衣ちゃん」


 声をかけると、結衣ちゃんが足を止めた。


「おはよう、朝倉さん。黒川さん」


「おはよう」


「おはよう、水瀬さん」


 結衣ちゃんの視線が、私たちのつないだ手へ向く。


 玲奈の指がわずかに動いた。


 離そうとしているのかと思い、私は先に握り直した。


 玲奈は驚いたように私を見る。


 それから、今度は自分からしっかり握り返してくれた。


 結衣ちゃんは、その様子を静かに見ていた。


「もしかして、二人とも」


「昨日、付き合うことになったの」


 私が答えると、玲奈が小さく息をのむ。


「ひなた、言うのが早い」


「隠すことじゃないでしょ」


「心の準備があるの」


「言ってはいけなかった?」


「……駄目とは言ってない」


 玲奈は恥ずかしそうに俯いた。


 結衣ちゃんが小さく笑う。


「やっと気づいたんだ」


 その笑顔は穏やかだった。


 けれど、薄茶色の瞳には少しだけ寂しさが残っている。


「結衣ちゃんのおかげだよ」


「私が教えたから付き合えた、みたいに言わないで」


「違うの?」


「朝倉さんが自分で気づいて、黒川さんが自分で伝えたからでしょう」


「うん。そうだね」


 結衣ちゃんは玲奈を見る。


「黒川さん」


「何?」


「朝倉さんのこと、大切にしてね」


「言われなくても、そのつもり」


 玲奈らしい答えだった。


 少し強く聞こえたけれど、結衣ちゃんは気を悪くしなかった。


「それなら安心」


「水瀬さん」


 今度は玲奈が呼び止める。


「……ありがとう」


「私、何かお礼を言われることをした?」


「ひなたが自分の気持ちに気づくまで、ちゃんと話してくれたから」


 結衣ちゃんは一瞬だけ目を見開いた。


 それから、花のキーホルダーへそっと触れる。


「私は、私のために伝えただけだよ」


「それでも」


「うん。どういたしまして」


 結衣ちゃんの笑顔から、寂しさがすべて消えたわけではない。


 好きだった気持ちが、たった一日でなくなるはずもない。


 それでも、まっすぐ前を向こうとしていることは伝わった。


「先に行くね」


「一緒に行かない?」


 私が誘うと、結衣ちゃんは少し考えてから首を横へ振った。


「今日は二人で行って。私は、少しゆっくり歩きたいから」


「……分かった。また学校でね」


「うん。またあとで」


 結衣ちゃんは私たちへ手を振った。


 私も空いている方の手を振り返す。


 玲奈は一度だけ結衣ちゃんへ頭を下げ、私と並んで歩き出した。


「ひなた」


「何?」


「学校では、少しだけ手を離して」


「少しだけ?」


「教室に着くまで」


「それ、全部じゃない?」


「帰りは……つないでもいいから」


「分かった」


「素直ね」


「玲奈がちゃんと言ってくれたから」


 校門の前で、つないだ手を一度離す。


 でも、指先が離れる直前、玲奈の小指が私の小指へ引っかかった。


「玲奈?」


「もう少しだけ」


「うん」


 私は、玲奈の手をもう一度握った。


 私たちは歩く速度を少しだけ落とした。


 幼馴染だった頃と同じように、玲奈は私の隣にいる。


 ただ、つないだ手の温かさだけが、昨日までとは少し違っていた。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

近すぎて恋心に気づけなかった、ひなたと玲奈の物語を楽しんでいただけたならうれしいです。

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