表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
幼馴染の機嫌が悪いのは、たぶん私のせい。  作者: situ725


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
1/10

第1話 いつもの朝

 カーテンが勢いよく開かれた。


 まぶたの向こうまで差し込んできた春の光に、私はたまらず布団を頭まで引き上げる。


「ひなた。起きて」


 聞き慣れた声が、頭の上から降ってきた。


「あと五分……」


「その五分を聞くのは、今日で三回目」


「じゃあ、あと一回だけ……」


「増やさないで」


 今度は布団そのものを引っ張られた。抵抗して端をつかんだけれど、寝起きの力で勝てるはずもない。温かかった布団はあっさり奪われ、冷たい空気が寝間着の上から忍び込んでくる。


「寒い」


「もう四月も終わるのに?」


「朝はまだ寒いの」


「そう。だったら早く着替えて」


 仕方なく目を開けると、ベッドの横に黒川玲奈が立っていた。


 艶のある黒髪は、腰より少し上までまっすぐ伸びている。目にかからない位置で切りそろえられた前髪の下には、黒に近い深い紺色の瞳。少し切れ長の目元と整った顔立ちのせいで、黙っていると近寄りがたく見える。


 私より六センチ背が高く、細身で姿勢もいい。乱れのない制服に、胸元の淡い青色のスカーフまで、鏡で測ったように左右対称だ。


 これほど整った美少女なのに、私の前では呆れたり、怒ったり、寂しそうにしたりする。そのことを知っているせいか、私は玲奈を近寄りがたいと思ったことがなかった。


 朝から何もかも整っている玲奈を見ていると、寝癖だらけの自分が余計にだらしなく思えてくる。


「玲奈、おはよう」


「遅い」


「でも、ちゃんと起きたよ?」


「私が起こしたからでしょ」


 玲奈は呆れたように息をついた。


 黒川玲奈は、家が隣の幼馴染だ。


 幼稚園の頃から一緒にいて、小学校も中学校も同じ。高校まで同じ女子校へ進み、二年生になった今ではクラスも一緒だった。


 付き合いが長すぎて、朝倉家の中を私より把握しているかもしれない。


 お互いの家族も、玲奈が私の部屋にいることをいちいち気にしない。昔から、どちらかの家にいなければ、もう一方の家を探すことになっている。


 今日だって、お母さんは玲奈を止めるどころか、私の部屋まで通したらしい。


「明美さんから、ひなたを起こしてって頼まれたの」


「お母さん、娘を起こす仕事まで玲奈に任せたんだ」


「何度起こしても起きなかったって」


「玲奈なら起こせると思ったんだね。信頼されてる」


「感心してる場合じゃない」


 玲奈が壁の時計を指さした。


 表示された時刻を見て、眠気が一瞬で吹き飛ぶ。


「遅刻する!」


「だから、さっきからそう言ってるでしょ」


 私はベッドから飛び降り、用意していた制服を抱えた。部屋に玲奈がいることを忘れ、その場で寝間着の裾へ手をかける。


「ひなた」


「なに?」


「私は外に出てるから、着替えたら呼んで」


 玲奈は顔をそらし、逃げるように部屋を出ていった。


 昔は同じ部屋で平気で着替えていたのに、最近は妙なところで細かい。


 急いで制服に腕を通し、スカートをはく。


 鏡の中には、明るい栗色の髪を肩の辺りまで伸ばした、寝起きの私が映っていた。軽く不ぞろいな前髪の下で、明るい茶色の目がまだ眠そうにしている。


 毛先は普段から外へ跳ねやすく、今朝は右側だけが特に好き勝手な方向を向いていた。玲奈のように歩いているだけで振り返られる顔ではないけれど、「笑っていると話しかけやすい」と言われることは多い。


 鏡に映る私は玲奈より少し背が低く、細すぎない健康的な体格をしている。運動も、それほど苦手ではない。


 とりあえず髪を手ぐしで整えてみたけれど、頑固な寝癖は直らなかった。


「玲奈、できた!」


 扉を開けると、玲奈は廊下の壁にもたれて待っていた。


 私の姿を見るなり眉を寄せる。


「全然できてない」


「着替えたよ?」


「そういう意味じゃない。じっとして」


 玲奈の指が、私の胸元へ伸びてくる。


 曲がっていたスカーフを解き、手早く結び直す。顔が近い。玲奈の長い睫毛まで見えたけれど、これも昔から何度も繰り返してきたことだ。


「はい。次は髪」


 続いて寝癖を押さえられる。


「痛い、痛い」


「動くからでしょ」


「もういいよ。走ったらまた崩れるし」


「ひなたがよくても、隣を歩く私が気になるの」


 玲奈はそう言いながら、最後まで丁寧に毛先を整えた。


 一階へ下りると、お母さんが袋に入れたパンを差し出した。


「はい、朝ごはん。玲奈ちゃん、今日もありがとうね」


「いえ。いつものことなので」


「私にも何か言うことは?」


「明日は自分で起きてね」


「お母さんまで玲奈側?」


「最初から玲奈ちゃん側よ」


 味方が一人もいない。


 私はパンを鞄へ押し込もうとして、なかなか入らずに首をかしげた。昨夜使ったノートや筆箱に交じって、読みかけの漫画と空になったお菓子の袋まで詰まっている。


「ひなた、ちょっと貸して」


 見かねた玲奈は鞄から漫画と空のお菓子袋を抜き取り、空いた場所へパンを押し込んだ。


「はい」


「ありがとう。玲奈がいると便利だね」


「便利って言わないで」


 私は鞄を受け取り、玲奈と一緒に玄関を飛び出した。


     ◇


 四月も終わりに近づき、通学路の桜はほとんど葉桜へ変わっていた。


 道の端には、散り残った花びらが風に集められている。


 春の風が吹くたび、玲奈の長い黒髪が背中で揺れる。朝の光を受けた髪は、真っ黒というより、わずかに青く艶めいて見えた。


「玲奈、先に行ってもよかったのに」


「何度も行こうとした」


「でも待っててくれたんだ」


「一人で遅刻したくなかっただけ」


「玲奈なら私を置いていけば間に合ったと思うけど」


「うるさい。口を動かす前に足を動かして」


 少し前を歩く玲奈の耳が、わずかに赤くなっている。


 急いでいるせいだろうか。


 私は小走りで隣へ追いついた。


「ねえ、玲奈」


「今度はなに?」


「パン、半分食べる?」


「いらない」


「おいしいよ?」


「走りながら食べないで」


 怒られた。


 それでも玲奈は速度を少し緩め、私がパンを食べ終わるまで隣を歩いてくれた。


 校門をくぐったときには、始業まであと十分ほどしかなかった。


「間に合った!」


「誰のせいで走ったと思ってるの」


「玲奈のおかげだね」


「反省して」


 そんな話をしながら教室へ入ると、先に来ていたクラスメイトたちが私たちを振り返った。


「ひなた、おはよう。今日もぎりぎりだね」


「寝坊?」


「うん。玲奈が起こしてくれなかったら危なかった」


「また黒川さんに起こしてもらったの?」


「いいなあ。私も黒川さんに起こされてみたい」


 周りの視線が玲奈へ集まる。


 玲奈は表情を変えず、自分の席へ鞄を置いた。


「おすすめしない。何度呼んでも起きないから」


「でも、起きるまで待ってくれるんでしょ?」


「仕方なく」


 そう答えた玲奈は、本を取り出して席に着いた。


 玲奈は静かにしているだけで目を引く。


 私は玲奈のような美少女ではないけれど、よく笑うせいか、話しかけられることは多かった。


 私の机の周りには、そのまま何人かが残った。


 次の小テストの範囲や、連休中にどこへ出かけるか。話題は次々に変わり、気づけば私は輪の中心で笑っていた。


 その中の一人が「今日の小テスト、自信ある?」と聞いた。


「小テスト?」


 聞き返した瞬間、教室の空気が止まったような気がした。


「一時間目の英単語。昨日、先生が言ってたでしょ」


「来週じゃなかった?」


「今日だよ」


 背中に冷たいものが流れた。


 私は机の中から教科書を引っ張り出し、指定されたページを開く。知らない単語がたくさん並んでいた。正確には、見たことはあるけれど覚えていない単語だ。


「玲奈、助けて」


 気づけば、玲奈の机の前で両手を合わせていた。


「昨日、範囲を教えたでしょ」


「聞いた記憶はあるんだけど」


「覚えてないなら、聞いてないのと同じよ」


 玲奈はため息をつきながらも、本を閉じた。


「全部は無理だから、出そうなところだけ。まずこの五つを覚えて」


 玲奈の指が、教科書の単語を順番に示す。


 意味だけでなく、似た単語との違いや覚え方まで簡潔に説明してくれた。普段から勉強している人は、焦っているときにも頭の中が整っているらしい。


「ここまで、分かった?」


「たぶん」


「その返事は分かってないときの返事」


「じゃあ、もう一回お願いします」


「最初からそう言いなさい」


 玲奈は始業のチャイムが鳴る直前まで、同じところを二度説明してくれた。


 小テストが終わると、英語を担当する女性教師の指示で隣の席の人と答案を交換し、その場で採点することになった。


「七十二点」


 胸を張るほどではないけれど、何も知らなかった朝の私からすれば大健闘だ。


「玲奈、見て。七十二点」


「そう」


 玲奈の答案には、赤い丸が一列に並んでいた。端に書かれた数字は百点。


「玲奈は相変わらずだね」


「ひなたは詰めが甘い。ここ、さっき教えたのに間違えてる」


「でも赤点じゃなかったよ」


「目標が低すぎる」


 そう言いながら、玲奈は私の答案の間違いに小さく印をつけた。あとで解き直せということらしい。


 ちゃんと「ありがとう」と言うと、玲奈はわずかに目元を和らげた。


     ◇


 昼休み、私は自分の弁当を持って玲奈の席へ向かった。


 玲奈に「一緒に食べよう」と確認したことはない。幼稚園のころから、昼になれば隣に座るのが当たり前だった。


「今日の卵焼き、甘いやつ?」


「そうだけど」


「一つほしい」


「自分のおかずがあるでしょ」


「玲奈の家の卵焼きの方が好き」


「毎回そう言って取っていくよね」


 文句を言いつつ、玲奈は卵焼きを一つ、私の弁当箱へ入れてくれた。


「代わりに唐揚げあげる」


「いらない」


「遠慮しなくていいよ」


「朝からパンしか食べてないひなたが食べなさい」


 朝食の量まで把握されている。


 向かいの席には、朝から私と話していたクラスメイトたちが集まった。連休の話の続きらしい。


「ひなた、駅前に新しいお店ができたんだって。連休にみんなで行かない? 買い物して、そのあと甘いもの食べようよ」


「行きたい。玲奈も行く?」


 私が尋ねると、玲奈は箸を止めた。


「私はいい」


「予定あるの?」


「ないけど、人が多いところは疲れるから」


「そっか。じゃあ、お土産買ってくるね」


「好きにすれば」


 返事が急に短くなった。


 玲奈は卵焼きの残りを見つめたまま、こちらを見ようとしない。


 さっきまでは普通だったのに。


 私は玲奈の顔をのぞき込んだ。


「玲奈、機嫌悪い?」


「悪くない」


「本当に?」


「本当。みんなと出かければいいでしょ」


 そう言うなら、そうなのだろう。


 けれど玲奈がこういう顔をするときは、だいたい私が何かしたときだ。


 何をしたのかは、いつもよく分からない。


 それでも、玲奈の機嫌が悪いのは、たぶん私のせいなのだと思う。


 私は少し考え、弁当箱に残っていた唐揚げを玲奈の方へ差し出した。


「はい」


「いらないって言ったでしょ」


「お詫び」


「何に対して?」


「分からないけど、たぶん何か」


 玲奈は呆れたように私を見た。それから、ほんの少し迷って唐揚げを受け取る。


「……意味が分からない」


「でも食べるんだ」


「返すわよ」


「嘘。どうぞ」


 玲奈が一口食べる。


「おいしい?」


「普通」


 まだ少し不満そうだけれど、さっきよりは声が柔らかい。


 私はそのまま玲奈の隣に座り、連休の予定と、帰りに寄りたい本屋の話を続けた。


     ◇


 午後の体育は、校庭でのバレーボールだった。


 運動は嫌いではない。特別上手なわけではないけれど、飛んできたボールを追いかけるくらいはできる。


 一方で玲奈は、教室では何でもそつなくこなすのに、体育になると途端に動きが固くなる。


 今日も、真正面から飛んできたボールを見つめたまま、その場に立ち尽くしていた。


「玲奈、前!」


 私が横から飛び込み、両腕でボールを受ける。


 上がったボールは狙った方向から少しずれたけれど、同じチームの子がどうにか相手側へ返してくれた。


「玲奈、動かなきゃボールは取れないよ」


「分かってる。身体が動かなかっただけ」


「それを動けなかったって言うんじゃない?」


「うるさい」


 玲奈は悔しそうに眉を寄せた。


 次のボールも玲奈の近くへ飛んでくる。


「腕を出して!」


 私が声をかけると、玲奈は今度こそ両腕で受けた。ぽん、と軽い音を立てたボールは、ほとんど真上へ飛ぶ。


「できた!」


「まだ続いてるから、前を見て」


 喜んでいた私は、返ってきたボールを額で受けた。


 痛くはなかったけれど、みんなに笑われた。玲奈まで口元に手を当てている。


「今、笑ったでしょ」


「前を見ていないからよ」


「玲奈が初めて取れたから、うれしかったのに」


「初めてじゃない」


「じゃあ、今日初めて」


「同じようなものに聞こえる」


 玲奈の口調は冷たかったけれど、ほんの少しだけ楽しそうだった。


 授業が終わるころには、玲奈はすっかり疲れ切っていた。長い黒髪も風に乱され、いつもの整った姿とは別人のようだ。


「もう走りたくない」


「ほとんど走ってなかったよ?」


「気持ちの上では走ったの」


 そんな言い方があるのだろうか。


 玲奈の髪に小さな葉が絡まっているのを見つけ、私は手を伸ばした。


「じっとして」


「なに?」


「葉っぱがついてる」


 朝に寝癖を直された仕返しのような気持ちで、黒髪を指先ですくう。引っかからないように葉を外し、乱れた毛束を手ぐしで整えた。


「はい、できた」


 顔を上げると、玲奈が黙って私を見ていた。


「まだついてる?」


「……ついてない」


「じゃあ、教室に戻ろう」


 歩き出した私の後ろを、玲奈は少し遅れてついてきた。


     ◇


 帰りのホームルームが終わると、昼休みに話していたクラスメイトの一人が私の机へやって来た。


「ひなた、これから駅前に寄らない? 昼に話してた新しいお店、今日からなんだって」


「今日?」


「うん。みんなで行こうって話してるの」


 楽しそうな誘いに心が動いたけれど、私は先に玲奈の席を見た。


 玲奈は帰り支度をしながら、こちらを気にしていないふりをしている。けれど鞄を閉じたあとも、席を立とうとはしなかった。


「ごめん。今日は玲奈と帰るから、また今度でもいい?」


「相変わらず仲がいいね。じゃあ、次は黒川さんも誘おうよ」


「うん。玲奈も一緒なら行く」


 クラスメイトが去ったあと、玲奈のところへ向かう。


「お待たせ」


「私は別に、待ってないけど」


「じゃあ、ちょうど帰るところだった?」


「……そういうことにしておく」


 玲奈は立ち上がり、私の隣へ並んだ。昼休みに少し硬くなった表情が、いつの間にか普段のものへ戻っていた。


 帰り道、私は本屋へ寄りたいと玲奈に話した。


「小テストで七十二点だった人が、参考書を買うの?」


「漫画の新刊」


「やっぱり寄らない」


「待って。宿題もちゃんとやるから」


「朝倉家へ帰ったひなたの『ちゃんとやる』は信用できない」


「玲奈が見ててくれたらできるよ」


「どうして私が見ることになってるの?」


「今日もうちに来るでしょ?」


 玲奈は一瞬だけ黙った。


「……ひなたが、一人で宿題をできそうにないから」


「うん。だからお願い」


「少しは否定しなさい」


 呆れた声とは反対に、玲奈の足は自然と私の家の方へ向かっていた。


     ◇


 家に着くと、私は制服のままベッドへ倒れ込んだ。


「疲れた……」


「何もしてないでしょ」


 声に顔を上げる。


 いつの間にか部屋へ入ってきた玲奈が、私のベッドの壁側に座って本を読んでいた。


「玲奈、いつ来たの?」


「ひなたがベッドに倒れる前」


「全然気づかなかった」


「知ってる」


 玲奈は呆れながらページをめくる。


 ベッド脇の棚には、玲奈が置いている充電器と参考書。机の引き出しには玲奈用の筆記具があり、洗面所には予備の歯ブラシまである。


 私の部屋なのに、ところどころ玲奈の物が混ざっていた。


「玲奈、自分の部屋みたいに使うよね」


「昔から来てるんだから、今さらでしょ」


「それもそうか」


 私は起き上がり、玲奈の隣へ移動した。


「少し詰めて」


「反対側が空いてるでしょ」


「こっちがいい」


 玲奈は何か言いたそうな顔をしたけれど、結局、壁側へ少し寄った。


 空いた場所へ横になり、玲奈の肩へ頭を預ける。


「重い」


「ちょっとだけ」


「宿題は?」


「あとでやる」


「そのまま寝るつもりでしょ」


「五分だけ」


「朝も同じことを言ってた」


「今日は体育もあったから、朝の五分より価値があるの」


「五分の価値は変わらない」


 玲奈は本を閉じ、机の上を指さした。


「先に宿題。英語の間違いも直す」


「眠気が覚めてから」


「覚めるまで待っていたら夜になる」


 そう言われ、私は渋々机へ向かった。


 鞄から教科書とノートを取り出す。朝に玲奈が整理してくれたおかげで、今日はすぐに見つかった。


「玲奈、ここ分からない」


「まだ問題を読んだだけでしょ」


「読んでも分からなかった」


「一度、自分で考えて」


 玲奈はベッドから動かず、本へ視線を戻した。


 それでも私が唸っていると、しばらくして隣へ来る。椅子の横からノートをのぞき込み、間違っているところを指で示した。


「ここ。主語を見て」


「あ、本当だ」


「朝も言ったけど、ひなたは最後まで問題を読まないから間違えるの」


「玲奈がいれば途中まででも解けるよ」


「それでは意味がないでしょ」


「でも、玲奈は教えるの上手だね」


 何気なく言うと、玲奈は言葉を止めた。


「……手を動かして」


「照れてる?」


「次に答えを聞いたら教えない」


「ごめんなさい」


 それから三十分ほどかけて宿題を終わらせた。玲奈はすべての答えを教えてくれるわけではないけれど、私が自分で正解を見つけるまで、決して席を離れなかった。


「終わった!」


「最初から集中すれば、もっと早く終わるのに」


「玲奈のおかげです」


「明日は一人でやって」


「明日の玲奈にお願いする」


「今日のうちに断っておく」


 そう言いながら、きっと明日も見てくれる。根拠はないけれど、昔からそうだった。


 私は再びベッドへ倒れ込み、壁側に戻った玲奈の肩へ頭を預けた。


「今度こそ五分」


「好きにすれば」


 玲奈の口調は冷たいのに、私の頭を押し返そうとはしなかった。


 静かな部屋に、紙の擦れる音が響く。


 目を閉じても、玲奈がページをめくる音が聞こえる。


 いつの間にか、その音が止まった。


 玲奈が動いた気配がしたけれど、眠気に負けて目を開けられない。頬にかかっていた髪を、細い指がそっと払ったような気がした。


 すぐに、またページをめくる音が始まる。


 それは昔から変わらない、私にとって一番落ち着く音だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ