第十話:大冒険! 幻の「光る魚」を求めて
ドワーフの行商人ガルドが、満足げな顔で里を去ってから数日が経った。
里の中央にある共同調理場では、サビ猫のシェフ・ロッソが、手に入れたばかりの「星銀鋼」で作った新しい特製鍋を前に、熱のこもった瞳で腕組みをしていた。
「……いいか、野郎ども。道具は揃った。火加減も完璧だ。だが、肝心の『主役』がまだ足りねえ」
ロッソの低い声が、朝の静かな調理場に響く。
集まっていたハル、村長のゴロ、そして警備担当のテツは、思わず顔を見合わせた。
「主役って、ロッソさん。こないだボタンさんが用意してくれた最高級のハーブや、里の銀魚じゃ不満なんですか?」
ハルが首を傾げると、ロッソは「ふん」と鼻を鳴らした。
「甘いぜ、ハル。この星銀鋼の鍋は、熱を均一に通すだけじゃねえ。素材に秘められた『魔力』を極限まで引き出す力がある。その力を100パーセント活かすには、世界樹の根の最深部、魔力の溜まり場にしか住まねえ幻の魚が必要なんだ」
ロッソは、古びた羊皮紙の地図を広げた。そこには、世界樹の広大な根系の中でも、最も深く、最も神聖な場所とされる「星降りの池」の場所が記されていた。
「そこに住む伝説の魚『星銀魚』。そいつをこの鍋で調理して、みんなで食う。それが俺の……いや、この里の『究極の日常』への次なるステップだ」
普段なら「面倒くさい」と一蹴するはずの村長ゴロだったが、その日は違った。ドワーフとの商談で「最高の体験」の味を占めていた彼は、ゆったりとしっぽを振って立ち上がった。
「……いいだろう。ちょうど、里の警備体制も安定してきたところだ。たまには足を伸ばして、野生の勘を取り戻すのも悪くない。ハル、テツ。お前たちも来い。これは村長命令……いや、『親睦遠足』だ」
こうして、抱っこサイズの最強(?)猫チームによる、世界樹の深部への大冒険が始まった。
世界樹のふもとの里を出て、根の迷宮へと一歩足を踏み入れると、そこは別世界だった。
地上の穏やかな光は届かず、代わりに天井を這う発光苔が、幻想的な青白い光を放っている。根の一本一本が巨大な山脈のようにうねり、猫たちのサイズでは、数メートルの段差を越えるのも一苦労……のはずだった。
「ほいよっ、と!」
ハルは、自分の三倍はあろうかという垂直の壁を、爪も立てずに一蹴りで飛び越えた。着地は羽毛のように軽い。前世では重い腰を上げるだけで精一杯だった身体が、今はバネのようにしなやかに動く。
隣を走るゴロも、その巨体を感じさせない身軽さで、根の隙間を弾丸のように抜けていく。テツにいたっては、もはや残像しか見えない。
「……ハル。集中しろ。この先は、野生の魔物も『本気』の奴らが現れる領域だ」
先頭を行くテツが、銀色の耳を鋭く後ろへ向けて警告した。
しばらく進むと、行く手を阻むように巨大な蔦の壁が現れた。その背後からは、低く地響きのような唸り声が聞こえてくる。
「……グルルル……」
現れたのは、森の暴君と呼ばれる「大牙猪」だった。村の近くに現れるものとは比べものにならないほど巨大で、その牙には世界樹の魔力が宿り、紫色の雷を帯びている。
普通の冒険者パーティなら、死を覚悟するレベルの強敵だ。
だが、ゴロは止まらなかった。
「……邪魔だ。俺たちは腹が減ってるんだよ」
ゴロがのっそりと一歩前に出る。
その瞬間、彼の「抱っこサイズ」の背後から、かつて数多の修羅場をくぐり抜けてきた男の、圧倒的な威圧感が放射された。
猪は、突進の構えをとったまま凍りついた。
この「小さな猫」の瞳の中に、底知れない深淵を見たのだろう。野生の直感が、全力で逃げろと告げていた。
ゴロが「フッ」と鼻を鳴らすと、巨大な猪は悲鳴を上げて森の奥へと逃げ去っていった。戦わずして勝つ。それが、元PMにして現村長の、合理的かつ最強の戦い方だった。
「……相変わらず、ゴロさんの目は据わると怖いですね」
ハルが苦笑いすると、テツも「うむ。あれには私も勝てる気がせん」と同意した。
数時間の踏破の末、一行はついに目的地へと辿り着いた。
「……すごい……」
ハルは思わず息を呑んだ。
そこは、世界樹の根が編み上げた巨大なドーム状の空間だった。
天井からは魔力が結晶化した「魔宝石」の鍾乳石が垂れ下がり、星空のような輝きを放っている。その光を反射して、中央に広がる池は、まるで銀河を閉じ込めたようにキラキラと揺らめいていた。
「あれが、『星降りの池』か……」
池の水面で、時折、パシャンと銀色の火花が散った。
その正体が、伝説の「星銀魚」だった。体長は猫の手のひらほど。その鱗は、光を吸い込んでは吐き出す、生きた宝石のようだった。
「よし。ハル、テツ。猫本来のやり方で行くぞ。……狩りの時間だ」
ゴロの合図で、三匹は水際に散った。
ここからは魔法も知恵も関係ない。
ただ、一匹の猫としての本能が試される。
ハルは水面に映る自分の顔をじっと見つめ、精神を集中させた。
水の音。魔力の揺らぎ。
魚が跳ねる一瞬の予兆。
(……今だ!)
ハルの前足が、閃光のような速さで水面を打った。
バシャッ! という音と共に、空中に銀色の線が描かれる。ハルはそれを空中で鮮やかに咥え込み、陸地へと放り投げた。
「獲った!」
テツもゴロも、次々と魚を仕留めていく。
抱っこサイズの猫たちが、星空のような洞窟の中で銀色の魚と舞う光景は、神話の一幕のような美しさだった。
「……完璧だ。これ以上ないほどの鮮度だぜ」
現地に合流した(護衛付きで後からゆっくり来た)シェフのロッソが、早速「星銀鋼」の鍋を火にかけた。
焚き火の薪は、道中で拾った世界樹の枯れ枝。これ自体が、最高の香木だ。
鍋の中に、世界樹の湧き水と、ボタンが育てた特製の岩塩、そして獲れたての星銀魚が並べられる。
星銀鋼の鍋が熱を受け、特有の美しい模様を浮かび上がらせる。
やがて、洞窟の中に、これまで嗅いだことのないような「芳醇」で「澄み切った」香りが立ち込めた。
「さあ、出来たぜ。ケットシー流・星銀魚の香草蒸しだ」
ロッソが蓋を開けると、そこには透き通ったスープの中で、白銀色に輝く魚の身が、ふっくらと踊っていた。
ハルたちは、自分たちで作った木の皿にそれを取り、一口、その身を口に運んだ。
「…………っ!」
言葉が出なかった。
口に入れた瞬間、身が淡雪のように溶け、その後に爆発的な旨味と、清涼感のある魔力が全身の血管を駆け巡った。
前世で食べたどんな高級料亭の味も、これに比べれば「雑音」に等しい。
身体が芯から温まり、精神が極限までリラックスしていく。
猫であること。この世界にいること。そのすべてが「正解」だと、魂が叫んでいるようだった。
「……ああ。俺は、この一口を食べるために転生してきたのかもしれないな」
ゴロが、珍しくしんみりとした声で呟いた。
テツも、真面目な顔を崩して、幸せそうに髭を震わせている。
お腹がいっぱいになった猫たちは、焚き火の周りで、お互いの背中を寄せ合って丸くなった。
「……ハル。満足したか?」
ゴロが、眠そうな声で尋ねた。
「はい。最高の大冒険でした。……でも、やっぱり」
ハルは、洞窟の天井で光る石を見上げながら、大きく欠伸をした。
「里に帰って、いつものひだまりで二度寝するのが、一番の楽しみかもしれません」
「はっはっは、違いない。……じゃあ、一眠りしたら、里へ帰るとしようか」
世界樹の最深部。
星のように輝く池のほとりで、小さな守護者たちは深い、深い眠りについた。
彼らの冒険は、これからも続く。
時々は大冒険を、基本はのどかな田舎暮らしを。
世界樹のふもと、もふもふたちの隠れ里。
そこには、今日も世界で一番幸せな、ゴロゴロという合奏が響き渡っていた。




