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「なに言ってるの君!」
松宮さんはせっかく女子高生で、かつ人気モデルの私が腕を絡めてるっていうのに、そんなことはまるでお構いなしだ。
「ねえ、考え直して。ちょっと落ち着いて」
「うるさい」
私はみゃーみゃー騒ぎ立てる――それでいて腕を振り払わないってのがよく分かんない――松宮さんを無視して、「パパ」と話しかけた。
「なんだい」
「少し早いけど、私一七歳の誕生日プレゼントこの人がいい」
「分かったよ。君、大人しく奈々と結婚しなさい」
パパが常識ある大人として私を窘めるとでも思ってたのか、松宮さんは今までの中で一番大きな声を出していた。
「ちょっと、あなたはお嬢さんを止める立場じゃないんですか!」
「悪いね、我が家は女の人の方が色々と強くてねえ。まあ、これほど突拍子もないことはあんまり言わない子なんだけど。そんなわけだから松宮君、」
「……なんですか」
「ここは犬に噛まれたとでも思って諦めておくれ」
「いやその例えおかしいでしょ!」
今度はパパにみゃーみゃー噛みついてはいなされてる松宮さん(と、パパ)は放っておいて、私は内線電話をかけた。るるる、と呼び出し一回で、いつだってロボットみたいに冷静なパパの秘書さんが出てくれた。
『はい』
相変わらずいいテノール。
「もしもし、甲田さん? 奈々です」
『こんにちは』
「甲田さん、今お忙しい?」
『さほどでも。どうかしましたか』
「もしできたらでいいんですけど、なるべく急ぎで婚姻届をもらってきていただけませんか?」
『かしこまりました』
「あと、松宮って名前の印鑑が欲しいです」
『少々お待ちを』
誰が? とかなにに? なんて、やじ馬でタイムロスなこと、甲田さんは聞かない。それに引き換え、この人はまだうだうだしてる。
「な、なにを頼んでるの……」
「結婚に必要なもの!」
もう、さっきからそう言ってるのに!
松宮さんは、顔の前で手を高速で振りまくった。
「ありえないよ、僕と君は再会してまだ一時間経ってないんだよ」
「付き合いが長いからって幸せな結婚ができるとは限らないわ」
「そういう問題じゃないだろ」
さっきまでずっと弱気が漂ってたくせに、急に真面目な顔なんかしないでよ。
なぜか動揺したまま、平気なふりをした。
「大丈夫、私が惚れ込んだのはあなたのデザインだから。心まで欲しがるような真似はしない」
「西条さん!」
松宮さんはパパに助けを求めるけど、パパはもう着替えをして(ちゃんとスーツだ)「僕はちょっと出かけて来るから、戻るまで二人で話し合いをしなさい」と言い残して、迎えにきた甲田さんと部屋を出て行った。
松宮さんは再び、椅子に座り込む。頭を抱えて。
「どういうことだよ……。まさか俺に一目ぼれでもした?」
「いーえ。私、骨から上って興味ないの。人間中身が大事なのよ」
「モデルの君にそう言われても説得力がまるでないよ……」
「そんなことはまあいいわ、それより結婚よ結婚」
「できるか!」
「あなた恋人は」
「いないけど、でも結婚て言うのは好きなもん同士でするものなんです!」
「普通はそうね。私もそういう結婚がしたいもん」
「だったら!」
「でもこれが今、あなたとあなたの才能とあなたの服に対して私ができる最善の策だから」
そう言うと、松宮さんは口をつぐんでしまった。
結婚しなくても、他の道は確かにあるとは思う。でも、それは随分な遠回りになるだろうし、彼の要望を丸ごと叶えることはきっとできない。それじゃ意味がないんだ。
松宮さんの作る世界を見たい。そのお手伝いをするかわりに、一番近くで作り上げていくさまを見せてほしいと思うのは、きっとわがままなんだろうけど。
「私、あなたの見てくれは興味がないけど、あなたの服は気に入ってるの。だれにも渡したくないし、このまま埋もれてしまうのは悔しい」
なんか、口説いてるみたい。思わず苦笑しちゃう。
「あなたのつては使えなくても、私とパパなら別ルートを確保できる。今それがしてあげられるのは私だけじゃない?」
「私じゃなくて君のパパだろ」
ほおづえしたままふててる。うん、いじけてるよりその方がいいよ。
「そうよ。私はお嬢様だからね」
「開き直るの?」
「うん。自分のバックボーンを嫌ってみても私が温室育ちで恵まれまくってるのは変わんないし、なら存分にそれを利用するほうがいいじゃない」
最初から、そんな風に思ってたわけじゃない。学校で苛められたり、からかわれたり、モデルの現場でイヤミ言われたことなんて数知れず。
傷付いて泣いて、パパやママに『なんで普通のうちの子に産んでくれなかったの』って食って掛かったことだって何回もある。
それでも、やっとそう思えるようになった。松宮さんのドレスが、私にモデルとして本当に必要なものをくれたから。
二世なだけじゃない。私は、れっきとした一人のモデル。
それまでもやもやと抱いていた迷いは、あのドレスを纏った時に消えた。
『服を纏う仕事とは何か』を感覚的に理解して、自信と覚悟を手に入れた。その直後から今まで、私はティーンズ誌の表紙を飾り続けている。
その恩返しがしたい。ううん、それ以上のものを、あげる。魔法の杖を、あなたのために振るい続ける。杖が折れる日まで。
「……君は強いな」
「別に強くはないけど、あなたの役には立てる」
「だからって一生に一度のことを、こんな風に使っちゃいけない」
「あなたってロマンチストねえ」
ロマンチストすぎて心配になっちゃう。私が付いてないと、なんていう気になって、慌ててそれを打ち消した。
「大丈夫、離婚届も用意するから、私がいなくなってもやっていけると思ったらいつでも出せばいいわ。まあ、軌道に乗るまでは恋人ができても日陰の身で我慢してもらうことにはなるけど」
「……君の戸籍が汚れてしまうんだよ」
私のことばっかり心配するその人に、笑った。艶やかに。
「そんなことを気にするような男とは結婚しないから。それに結婚と言っても私まだ高校生だし、一緒に暮らすこともないわ」
「でも」
「そうね、ブランドを立ち上げてお店をオープンしたら、まず一年やってみて考えましょう。ダメならダメで手を引かせてもらう。あなたが続けたくてもブランドが立ち行かないようなら私はついて行かないから。そのかわり、続ける上で私が必要なら改めて迎えに来てちょうだい」
「……少し考えさせて」
「どうぞ」
いくら考えたって、これ以外の道は今のところ用意してあげられないけどね。
パパと甲田さんが戻ってきて、準備はすべて整った。
ごねるかと思ってた松宮さんは、あっさりと婚姻届にサインをした。けれど。
「彼女はまだ高校生です。卒業まで、婚姻届を出すのは待ってください」
彼は、それをどうしても譲らず、「だめなら、このお話は諦めます」と静かに私たちを脅した。
「……仕方のない人ね」
「どっちが! 無茶言ってるのは君の方だろ?」
人を『駄々をこねる子ども』みたいな扱いするのはやめてほしい。
結局、「僕もそうした方がいいと思うんだよ」というパパの言葉はともかく、甲田さんの「彼の方が冷静に判断しているようですね」という苦笑交じりの言葉でこちらが折れた態になって、しぶしぶ婚約という形に落ち着いた。あとは提出するばかりになった婚姻届を松宮さんはパパに渡すけど、「僕だと失くしちゃうから」と、そのまま甲田さんの手に渡る。うん、これなら安心確実だ。
「よろしく、婚約者さま」
「こちらこそ」
できる限り大事にするよ、なんて囁かれて、ちょっとときめいちゃったじゃないの。
大丈夫。これはビジネス婚約だから。分かってる。