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「で? いいかげん吐いたら?」
あつあつだったカフェモカもすっかり飲みごろになるくらい、天使も追加で何十人通ったかなってほどの時間、松宮さんは沈黙してた。こちらが話しかけると、テーブルの上でだらりと置かれていた手は私の言葉から身を守るようにきゅっと握られた。
「君に話せることなんて、なにもないよ」
「ねえそれって子どもには話せないってこと? それとも男のプライドってやつ?」
わざといやな聞き方をしたら、松宮さんは見事に引っかかってくれた。
「違うよ、モデルとしての君に迷惑をかけるかもしれない話なんか、聞いたって困るだろ」
「そんなの聞いてみなくちゃ分からないじゃないの」
「……」
「でも確かに、ここじゃ誰に聞かれてもおかしくないから、場所を変えましょ」
トレイに自分のカップも松宮さんのカップも載せて、立ち上がる。すると、松宮さんは拒否することだってできたのに、私の後ろをついてきた。――律儀な人。
「どこ、行くの?」
「さあ、どこでしょう」
ちょうどよく通りかかったタクシーを止めて、ついてはきてるけどまだ迷ってるっぽい松宮さんの背中を押して乗せてしまう。そうして連れてきたのは。
「君の、お父さんの会社じゃないか……!」
「正解」
パパは、昔立ち上げたメンズのブランドがそれはそれは大当たりした(らしい)。今でも、名前を言えばその世代の人ならみんな知ってると、私の所属事務所の社長が言ってたっけ。
莫大な富を得て建てられた(当然、私が生まれる前だ)本社ビルは当時の最先端だったデザインを今も保っていて、大変時代を感じる。てか、壁には修繕した後が沢山見られるし、ビル自体が古い。そろそろ建て替えすればいいのにと思いつつエントランスを抜けて、今にも逃げ出してしまいそうな松宮さんの背中を押しながらエレベーターに乗り込む。
「ねえ、俺帰りたいんだけど」
「お話が済んでからね」
「なんでこんなことに……」
「私と会ったのが運のツキ」
言い放つと、大きくため息を吐かれた。
社長室のある階でエレベーターを降りたところで、改めて聞いてみた。
「本当に嫌ならこれ以上は無理強いしないから帰りなさい。そうでないなら、私といらっしゃい」
一〇秒待つ。松宮さんは、コーヒーショップで見た時のように、私を見て、視線を落として、上を見て、横を見て、また私を見た。やがて。
「君みたいな年下の子に頼る、自分の弱さが嫌なんだよ……」と言いながら、一歩前へと進んだ。
「おや奈々、今日も世界で一番かわいいね! ところで、そっちのしょぼくれたボーイはどうしたんだい?」
パパは外国の陽気な船員さんみたいに、青のストライプのTシャツに赤いスカーフ、それから本人いわく『夢と希望の詰まった』お腹ゆえ、シルエットがぽーんと出てしまうサロペット姿で、ランニングマシーンの上をのんびり歩いてた。
「拾った。ねえ、それ走らないと意味ないんじゃない?」
「いいのさ、歩くのが一番いいってテレビで聞いたんだよ」
「ママこの間『若い頃のパパは引き締まってて本当にかっこよかったわ』って言ってたけど」
私がそう告げると、パパはさっそく設定速度を上げてランニングに勤しんだ。何分持つことやら、と思いつつ、私は奥の小部屋へと彼を連れて行く。
「こっちへどうぞ」
「……」
抗議のつもりなのか無言で、それでものろのろと席に着いた。
「なに飲む? コーヒー? それとも紅茶?」
「さっき飲んだからいいよ」
「そう、じゃ、今度こそ『私に迷惑かけるかも』な話をしてね」
自分の分だけアップルティーを入れて、向かい側の席についてにっこり笑うと、松宮さんはまた深く深く息を吐いた。
「盗用?」
「……多分ね。実際に受け渡しの現場を見たわけじゃないから確実じゃないけど」
松宮さんの話はこうだ。
留学後、約束されていた通りそのデザインチームで働き出した彼は、インスピレーション豊かなデザイナーと彼を囲むチームの一員として、毎日意気揚々と働いてた。――その日までは。
ある時からデザイナーの出してくるものが変わったな、と思ってはいたそうだ。でも、そのデザイナーは次々に新しいチャレンジをする人だから、特にそれを疑問には思わなかった。そんな折、明らかに他人の描いたもの、それもデザインチームの描いたものではないと分かるデザイン画が、デザイナー本人のデスクに広げられてたのを偶然松宮さんが発見。
相談でも受けているのかと特に気に留めずにいた数日後、デザイナー本人から、例のデザイン画をそっくりそのまま描いたものを渡されてしまった。
一人で悩んだ末、思い切って周りに相談しても『よくあることだから』『きれいごとばっかり言ってたらこの世界で生きていけないよ』と、逆に松宮さんが窘められる始末。そうこうしているうちに、デザイナー本人の耳にも松宮さんがデザイン盗用疑惑を抱いているという報告が届いたらしい。
『僕のやり方に文句があるなら今すぐここから去ってくれ』
そう言われて、その日づけでそのブランドを退職したそうだ。
最初のもくろみより少し早いけれど、そのままブランド立ち上げと行こう。そう思った松宮さんだけど。
『悪いね、他当たって』
先に元いた会社のデザイナーがほうぼうに手を回していて、ブランド立ち上げの時には力になるよと言ってくれていた人たち――縫製工場さんや、パタンナーさん、雑誌の編集さんにその他もろもろ――は、誰も動いてくれなくなってしまった。
当然、ブランド立ち上げは宙ぶらりん。それでも、デザインだけは湧いてくる。
そんなやりきれない状況で、私と再会したってわけ。
「……ひどい話ね」
「よくあるらしいけどね」
「そんなのは、卑怯者の言いわけよ。現に、うちのパパは今でもちゃんと自分でデザインしてるわ」
「なんでそんな言い切れるの」
「ダサダサだから」
「……ひどいお嬢さんだね」
「よく言われるソレ」
気になることがあった。彼が下げてる平べったくって大きいトートの中身。
「ねえ」
「なに?」
「デザイン帳、今持ってる?」
「ああ」
「それ、パパに見せてもいい? 誓って盗用はさせないから」
「いいよ。どうせこのままじゃ日の目を見ないんだし、せっかくだから講評してもらおう」
「ダサダサだからろくな講評は期待しないでね」
小部屋を開けてパパを呼ぶと、彼は予想通りすでにランニングマシーンを降りて大好物の生クリームたっぷりなウィンナーコーヒーを飲んでいた。
「……ママに惚れ直してもらうのはまだ先みたいね」
「ママは僕にずっと恋してくれてるから、惚れ直す必要はないね」
チクリとやっても、あっさりと開き直られてしまった。
松宮さんのぽつぽつトークとそれを補足した私の話を、パパは生クリームたっぷりのガトーショコラを平らげながらふむふむと聞いてくれた。
「で? これほんとに僕見てもいいの?」
「どうぞ」
「じゃ、遠慮なく」
ペラッとめくられたそれを、私も一緒になって覗き込む。
コンテストで見たのとは、また違う趣き。今度は、実生活で誰かに着てもらうことを想定しているものが多い。だからと言って輝きが薄れてるわけじゃなくって、スカート一つとってもボックスプリーツの箱ひだの中が別布だったり、マキシスカートの後ろ身頃にだけフリルを使っていたりと遊び心が満載だ。これがもしお店に並んでたら、『今店頭に出てるの、全部包んでちょうだい』をやってみたいと思うほど魅力的。
パパは食べかけのガトーショコラのお皿を脇にどかして、一枚いちまい丁寧に最後まで見た。途中、何度も手が止まって、焦れるほどそれをゆっくりと眺める。
そしてお気に入りの絵本を読み終った子どものように、どこかぽーっとした顔でデザイン帳を静かに閉じると、松宮さんににっこりと笑いかけた。
「いいね、うん、いいよこれ」
「……ありがとうございます!」
無邪気に喜ぶ松宮さんだけど。
「でもこのままじゃ、発表のめども立ってないのよ」
「そうだねえ。奈々はどうしたらいいと思う?」
パパのいつもの返し方。これ、って答えを見せないで、私に一度投げ返してくる。そうやって私の出した答えは、正解でも不正解でも小さい時からないがしろにされたことはなかった。だからきっとこれも。
パパが笑いをこらえるみたいな顔して私の言葉を待ってる。松宮さんも、縋るように私を見てる。心配しないで。私は、今からあなたの魔法遣いになってあげるんだから。
「パパ、松宮さんと業務提携して。あと資金提供もね」
「簡単に言うねえ」
「パパならできるでしょ?」
だてにこの業界で生き残ってるわけじゃない。松宮さんの元いたブランドのデザイナーが手を回したとしても、それが及ばないところなんていくらだってある。
「まあできなくもないけど、それにしても理由がないよ」
確かに、彼はまだ実績のないデザイナーだ。何の関わりもないし。
「なら理由を付けてあげる。とびっきりのをね」
「なんだい?」
私は一人話に取り残されている松宮さんの席までつかつかと歩いて立たせ、その腕をぎゅっと抱いた。
「彼と結婚する」




