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と思ってたのに、さっそくママから連絡がいったのか、スマホがパパの会社からの連絡を受けた。
「はい?」
『あ、奈々? パパだよー』
「急いでるから切ってもいい?」
『あ、待って待って!』
「なに? 用があるなら手短に伝えて」
亜紀さんはどこにいるだろう。会社かな、それとも家?
頭の中でそれぞれの行先への最短ルートを検索してたら、『ちょっとね、これから会社に来てもらえないかなあ』とのんきなパパの声。
「仕事の話?」
『んー、そうなようなー、そうでないようなー』
切ろうかなと思っていたら、『お電話変わりました、甲田です』とパパから電話の相手が話の早い甲田さんのテノールに代わった。
『弊社の事で、折り入ってお嬢様にお話がございまして』
「……分かりました。すぐに向かいます」
結局、亜紀さんへ会いに行くのを諦めて、そちらへ方向転換した。
急いで駆け付けたっていうのに、通された社長室ではパパが優雅にエアロバイクを漕いでいた。
「やあ、そろそろ来る頃だと思ったよ」
「……ちょっとパパ、会社が大変だっていう時にどうしてエアロバイクなんか漕いでるのか聞かせてくれる?」
「だって松宮君がー」
「亜紀さんは今関係ないでしょうが!」
「大有りだよ」
「え、」
ここにいるはずのない人の声が聞こえてきた。
亜紀さんが、奥の小部屋から出てきた。怒った顔して早足で私に進んできて、手首をがしっと掴む。
「なんで勝手に離婚届に判押して、勝手に家出て、勝手にスマホ変えてんの。奈々は俺の嫁さんだろ」
「……だって」
泣かない。泣かないったら泣かない。瞬きをしないで堪えていたけど。
怒られて嬉しい。離されない手が嬉しい。
私は、要らなくないみたいで、嬉しくて、堪えきれない。
「甘えてよ。奈々ばっかりじゃなく、俺にもかっこつけさせてよ。最初の時受けた恩を全部返せるだなんて思ってないけど、今がその時だから」
「そうそう、会社は松宮君のグループの傘下に入ったんだよー」
「なにそれ、おっさんブランドなんかどうすんのよメリットないじゃないの一ミリも!」
「パパ傷つくなーその言いぐさ……」
いつもの調子のパパと私に、怖い顔してた亜紀さんがくすりと笑う。
「奈々の隣に似合う服も作りたくなったから、ブランドを引き継ぐことにした。大丈夫、俺たちの会社はびくともしない。三年やってみてダメならまた考える。ただしこれには奈々に呑んでもらう条件があって、」
「呑みなさいナナ」
「ちょっとパパは黙っててくれる?」
ぎろりと睨むと、パパは「あとは二人でゆっくり話し合いをしなさい!」とエアロバイクから降りて社長室を出て行ってしまった。多分、甲田さんのところに行って『なんで奈々はあんな怖い子になっちゃったんだろうねえ』なんて愚痴をこぼしながらガトーショコラを食べるに違いない。
「……条件て、なに?」
しんとしてしまった部屋の中で聞くと、亜紀さんがぽつりと答える。
「俺と結婚したままでいてよ」
「……それで、いいの?」
だってあなたには大事な人がいるんでしょう?
「一生、そばにいてもらう」
「でも、」
「ねえ、奈々はどうしたら俺のことを愛してくれる?」
「……え?」
「君に早く釣りあえるように、頑張ってここまでやってきたよ。でも、奈々はステラシオンが大きくなるたびに、俺から離れてった」
亜紀さんは笑ってるけどそれはあまりにもさびしそうで、掴まれていない方を思わず伸ばした。波打つ髪をそっと撫でたら、ぎゅっと抱き締められる。
「ブランドが成功しても、好きな服を贈っても、女王様はいつまでも俺のものにはなってくれない。どうしたらいい?」
「……そんなの、簡単よ」
背伸びをして、彼の耳元で囁く。
「『奈々の事が好きだ』って、一言口にすれば、それでいいのよ」
私が泣き笑いしながら告げると、亜紀さんは「……照れるね」と困ったような笑顔で、それでも「好きだよ奈々」とちゃんと言ってくれた。
「私も、あなたが好きよ」
「……うん」
やっと、互いにその言葉をおくることができた。嬉しいけど、つい「どうして、今まで言ってくれなかったのよ」って文句を言ってしまう。
「君は俺の服だけ好きなんだと思ってたし……そんなの言うのは恥ずかしいんです」
「結婚が破たんしかけた原因の一つなのに随分と余裕ね?」
「……反省してます」
これからはちゃんと言えるように頑張ります、って、小学生の反省文みたい。
冷静になると、色んなことが気になってくる。
「……あなた、会社は」
「ここのブランドの引き継ぎのことを早く伝えたくて君に電話したんだけど、連絡つかなくておろおろしてたら、スタッフに『もう帰ってください』って言われた」
「……」
『おろおろしてた』って言ったけど、ママの話じゃ『そりゃあもう大騒ぎ』で『半狂乱』だったっけ。またカッコつけたなこの人。
「私のことで、どれくらいの人に連絡取った?」
「……いつか君の卒業パーティーに呼んだ人たちには全員」
「それだけ?」
「……その周辺の人にも」
「……」
ようするに、手あたり次第ってことね。了解。
「まあ、もういいけどね隠してる理由もないし……」
ステラシオンは立派に育った。今公表してももうゴリ押しとは思われないだろう。
苦笑しつつ、親しい人や仕事でかかわる人たちに新しい連絡先をお知らせがてら、『実は松宮亜紀と結婚していました』と彼の腕の中から一斉送信した。――このあとのことを考えると、ちょっとだけ頭が痛い。
予想通り、送った直後から鳴り止まないスマホをよそに、本当に聞きたいことを聞いてみる。
「それで結局ジョーは何者なのよ」
「なんか前にもそんなこと言ってたけど、いないって!」
「嘘! だって寝言で何回も聞いたんだから!『俺のジョー』って」
「……」
「答えて。今度こそ、ちゃんと」
「……それ、言わないと駄目?」
往生際の悪いその言葉に、私はにっこり笑った。
「言いなさい」
亜紀さんはこちらをちらりと見て、視線を落として、上を見て横を見て、それから私の肩に顔を埋めた。
「恥ずかしいからこのまま言う。それ、君のこと」
「……は?」
「俺の、ジョー、じゃなく、女王様って呼んでたんだよ夢でも!」
「亜紀さん」
「夢の中でも愛を欲しがって、浅ましいだろ? みっともなくて、言えなかった」
「……もう、あなたってほんとバカ……」
「よく言われるよそれ」
「でも私がそれで、何年悩んだと思ってんのよ!」
「……ごめん、奈々、泣かないで」
「無理!」
ジョーはいなかった。二人の臆病者が作り出した、幻の存在だった。
「ほんとは私、迎えに来てくれた次の日に『好きよ』って言うつもりだったのに!」
「ごめん」
「勇気出してジョーのこと聞いたのに!」
「ごめん。どうしたら俺、許してもらえる?」
「キスして」
私が即答すると、亜紀さんは嬉しそうに「女王様の仰せの通りに」って笑う。そして、すっかりぐずぐずになってしまった目元にそっと口付けたあと、お願い通りにキスをくれた。離れても、すぐにくっつきたい唇同士がまたキスするから、いつまでも終わらない。
「それから?」
「一生キスしてくれたらそれでいいわ」
「欲がないね」
「よく言われるソレ」
いつものようにそう交わして、それからやっぱりまた、キスした。
秘書室に逃げてたパパが、「ねえ、そろそろもう僕入ってもいい……?」と社長室のドアの向こうから問いかけてくるまで、ずっと。
結局私は、実家と新居になるはずだったマンションに置いていた荷物を全部引き払って、亜紀さんとの家に舞い戻った。
後日、改めて事務所の社長に結婚報告をすると、「ブスじゃなくなったからいいわよ」という微妙なお許しをいただいたので、事務所を通して公表してもらった。
あれから亜紀さんは朝から晩までずっと鼻歌テンションだ。
「はやく赤ちゃん作りたいな。ああ、でもその前に結婚式だ! 俺、もうウエディングドレスのデザインしてあるんだ、見てくれる?」
「ちょっと亜紀さん落ち着いて、まずは朝ご飯食べて。デザイン見せてもらうのは、お仕事から帰ってきてからね」
私が窘めると、すぐにしゅんとする。
「……奈々は、やなの?」
「やなわけないでしょ!」
「ねえ、俺のこといつから好き?」
なんだその質問は、と思いつつ、隠しごとは結婚生活によくないと学んだばかりだったので、仕方なく教える羽目になった。
「一七であなたと再会した時にもう一目ぼれよ!」
「なんだ、外側には興味ないようなこと言ってたくせに、気に入ってくれてたんだ」
「悪い?!」
「全然。かわいいなあ、奈々は」
その思ってもない切り返しに、うっと言葉に詰まってしまった。
「かわいいし、綺麗だし、かっこいいし……俺なんか、初めて会った日から君のことが好きだった」
「……」
「奈々、顔真っ赤」
「こっち見ないで!」
「はいはい、女王様」
私が亜紀さんのために振るっていた魔法の杖は、折れて使えなくなったし、もう必要もなくなってしまった。
色々と間違って、遠回りして、自分にとって一番大切なのに傷つけもした。
それでも、とても強くて消えないなにかが確かに今ここにあるから、私たちは多分、この先もきっと。




