4日前
エイリンは血塗れた顔を拭くと、兜を脱ぐ。鎧はまだ風呂の時間ではないので、脱ぐ事は出来なかった。
背中や膝裏に溜まった汗が気持ち悪い。こういう時は、鎧が脱げない事が恨めしく感じる。
既に戦闘は終わり、全員食事の準備をしている。
戦闘の結果はもちろん、大原の国が勝った。
「食いませんかい?」
中年の兵士が、スープを差し出す。具は米と干物だけ、スープに味付けはされていなかった。
米はただ米粒をスープの中に入れただけで、芯が残り噛みごたえがある。
干物は塩を使いすぎているために、塩の塊を食べているかのようだった。
そんな物であろうと、ご馳走だ。穀物と肉類と水が胃に入れられるのだ、それだけ十分助かる。
「ありがたく頂くが、そこら辺に野草は生えてないのか?」
中年は、はは、と笑うと、真っ青な顔をした兵士と騎士を指差した。
スープの入った御椀とスプーンは、エイリンへ手渡す。
「あいつら、もうほとんど食欲が無いみたいなんすよ。もし、野草なんて入れたら、血がこびり付いてなくても、吐き出しちまいますぜ」
エイリンは指された方を見て、ああ、と納得した。
真っ青な顔で、細々と胃に食べ物を詰めている一団が居いる。どの顔も見覚えが無い。全て実戦はこの戦争が始めての新米だ。
「もう、一ヶ月近く戦ってるんだ。慣れればいいものを」
頭が痛い、とエイリンは呟き、独白を続ける。
「これからは、こんな事だけが三日は続くんだ。あれで持つのか?」
最後の問いは、中年の顔を見ながら問うた。
「どうでしょうねぇ。まぁ、自分の初陣後も似た様なもんすよ。確か、二、三日肉は食えんでしたね」
「そんなものか?」
エイリンは、自分の初陣後を思い出し首をひねる。
彼女は初陣後、たまたまどこかの兵が捕まえた猪で、猪鍋を食した。最後は肉の取り合いにも参加した、と記憶している。
「そりゃ、あんたと比べたら可哀そうですって。
大体、まともに切り合ったのは今回が初めて、しかも死体の八割がスプラッタ。
神経の細い奴はノイローゼぐらいなってる、て噂っすから、そうなってないだけ、マシマシ。
実際、他の奴らはシンペー共の世話で、手一杯ですしな」
中年は、多少同情のこもった目を新米兵士達に向けた。エイリンの下についた事に対する同情だ。
「そんなものか。覚悟が足らん証拠だな。ラグズ、兵士の教育はお前達、古参の連中に任せてあったな?」
エイリンは、視線を口元を押さえている新米兵士達に視線を戻した。
中年の兵士は、そうっす、と首を縦に振る。
「覚悟ぐらいきちんと着けさせろ。それこそ、人を食ってでも生き残る覚悟が無いと、ここから先」
そこで一拍おいから続けた。
「栄養失調で倒れるぞ」
笑いながら言ったその言葉に、違いない、と中年は頷いた。
「まぁ、冗談はさておき、さっさ食うか。風呂まで時間が無いしな」
エイリンは詰め込むように、スープを流し込む。その食いっぷりを見て、何人かの兵士が信じられない、と言う顔を作った。
エイリンの様な小柄な女が平然と食事をしている姿は、新米の兵にとって悪夢なのだろう。。
「もう少し、ゆっくり食いましょや。周りが引いてまっせ」
見るに見かねて、中年の兵士が止める様に忠告した。
エイリンは忠告を無視して、食べ続ける。椀一杯分のスープを詰めこめるだけ詰め込み、噛めるだけ噛んで飲み込んだ。
見様によっては、ハムスターの様で可愛らしいかも知れない。
しかし、現状では不気味なだけだ。
「ふはぁ、気にしても仕様が無いだろう。別にマナーがある訳でもあるまい」
エイリンは頬についた米をとると、口に入れた。芯の残った米が歯の隙間に挟まる。
「ま、そうっすね。さっさと慣らしますかね」
中年も大口を開けて、スープを流し込んだ。
「そう言えば魔法使い共はどうした?、まるで姿が見えないな」
あたり一面、重い鉄製の鎧を着けた兵士と騎士しか見えない。
身軽な服に文様が縫い付けられている手袋をした魔法使い達が、一人も居なかった。
「全員、魔力無くなって、ぶっ倒れてましたぜ」
中年は、ほら、と軍の中心方向を指す。
「向こうの方で、全員おねんねしてるんすよ」
ああ、とエイリンは納得した。
今回の魔法は、レベルが違いすぎていた。
普通、魔法は魔法使いの体より発現する。魔力を体に彫られた刺青や、服に縫い付けられた文様に流す事により、欲しい現象へと変える。これが魔法使いの基本的な魔法だ。
そのため、発現場所は刺青、文様のある所に限られる。
ある程度高位の者ならば、発現場所を移動させることも出来ない事もない。それでも体のどこかから発現させる事が限界だ。
一キロ近く離れた所に発現させる魔法はほとんどない。存在するものは聖なる光の魔法だが、それは魔物にしか効果が無い。
そんな常識を外れた魔法を十数回は唱えていた。魔力が尽きて当然だ。
魔法が文様や刺青以外からも出せる。その技術は、一人の魔法使いによってもたらされた。
魔法使いは、半年前いきなり現れた。
そしていつの間にか、行政執行参謀長などと言うそれまで聞いた事のない役職についていたらしい。
この辺りの経緯は、エイリンが自分の父親が溢した言葉などから判断したものだ。
そして、その魔法使いは遠距離に魔法を発現させる技を体現したのだ。
これで戦場は変わった。魔法使いは、前線から離れる事が出来るようになった。
そして兵士や騎士は魔法使いの護衛を考える必要が無くなった。
神出鬼没に近い魔法。
目の前の敵だけを考えればいい前線。
より効率よく人を殺せるようになったのだ。
エイリン達、大原の国が勝った理由はそこにある。
これから先、魔法は更に発展するだろう。いつか刺青も文様も必要なくなるかもしれない。そうでなくても、確実に戦場は変わる。
「怖いな」
エイリンは、これから先を想像し、身震いした。
剣のない戦場、想いと命がぶつからず、ただ魔法が行きかう。想いはすれ違う事すらなく、命は殺した相手からすらも涙されない。
とても冷たく、そしてとても怖い想像だ。
「そうっすね。あの黒助が来てから、空気が妙に重てぇ」
中年は、どう勘違いしたのか、的外れに頷く。
「言うな、黒す・・・・・・もとい行政執行参謀長閣下殿様はこの戦争をとても効率的にして下さったんだ。
その御身体に我々の愚足を向けて横になる事などとてもとてもまして不満などあるはずが無いだろう」
途切れる事無く定規の用に平坦な口調。
何処にも含みはない。
本気で、脳神経の全てが、細胞の一つ一つが、そう考えていた。それが、騎士として正しい事だと。
「くっくくくくくくくくく、そりゃ言えてら」
中年は何かがこらえきれず腹を抱えて倒れた。
昔話をしよう。
泣いていた。少年が一人泣いていた。少年は自分の右腕を見て泣いていた。右腕に大きな切り傷がある。傷はまだ新しく、右腕は乾いた血が満遍なくこびりついていた。
少年には右腕がどす黒くなってしまった様に見えていた。
黒は邪悪、黒は悪、黒は汚らしい。そう教えられていた。
だから、怖くて泣いた。
だから、悲しくて泣いた。
少年は、皆に嫌われる事が怖かった。
世界が醜い事が悲しかった。
だから泣いて、泣いて、泣いて、それでも足りないと、喉が壊れるまで泣いた。
人が怖かった。
世界が怖かった。
生き物の匂いが気持ち悪かった。
だから泣いていた。
その全てを染込ませたような黒い右腕が怖くて、気持ち悪くて、そんなものになってしまった事が悲しくて泣いた。
それは少しづつ侵食している様だった。
黒は少しづつ体を蝕み、少年の全部を真っ黒にする様で、怖かった。
誰かに気付かれたら、捨てられそうで怖かった。
だから、泣いた。
それでも、少年は自分の居場所へと、家へと歩いていた。
縋りたかった。
誰でもない少年の無力さに縋って、少年の感じる醜さが間違っている事を誰かに証明して欲しかった。
その日、夜の国城下町は何時にもなく活気に満ちていた。
いや、満ちる何て生易しいものではない。限界まで張り詰めて、爆発している所すらあった。
爆発し、暴走し、その痕跡すらも流し、覆われ、隠され、消える。
まだ、宴は始まっていないはずだ。
劇を待つ観客のように期待に胸を膨らませ、それでも誰もが待ちきれない。客席で、観客が劇を始めてしまっていた。
まだ日も出ていない時間、テイは裏路地を曲がり歩き、西門へと向かう。
|(疲れたな)
意識が途切れる時がある。体が睡眠を欲しているのだろう。
|(親父殿にも困ったものだ。まさか会場内にまで押し入ってくるとは。あそこで周囲の取り成しがなければ、殺されてたかもしれん)
はは、と思い出して少し嬉しくなった。
|(この道化を、何もできないテイをまだ息子と言うかあの人は)
テイはその愚直さが、少し嬉しかった。そして、苦笑したくなる。
テイが道化となった時、周囲からは大きな反発があった。
今までそれなりに良い武将になれると思っていた人間が、いきなり道化となると言い出したのだ。
道化は、社会的地位がゼロだ。他のどんな職を持つ人間より格が低い。
そんなものにテイをさせたくはなかったのだ。しかし、テイの決心は固く、最後には今までの人間関係全てと縁を切ってしまった。
知り合いと呼ばれる資格すら、自分から捨てた。
テイは城を見る。
ここからでは建物に邪魔されて欠片も見えなかった。それでも、見えているかの様に、そちらに焦点を合わせる。
今、城は静まり返っているだろう、すでに東の空色が変わってきていた。あと二、三時間もせずに、太陽は昇ってくる。そんな時間、騒いでる方がおかしいのだ。
テイにしても、用事が無ければ、こんな時間に起きてはいなかっただろう。
服を全て脱ぎ、樽の中に入れる。樽の中は空っぽで何も入っていない。
銭湯近くにある右から三番目の樽、そこはいつも同じ樽が鎮座している。
樽はずいぶん昔から置かれているのか、木と土と水の匂いがした。テイの好きな匂いだ。
化粧を落とし、その場に寝転がる。そうやって、体中に土と砂を馴染ませた。髪に砂を満遍なく振り掛けると、樽のを持ち上げ、ぼろぼろに草臥れた布切れを身にまとう。
最後に顔を浮浪者らしい、生きることに疲れた顔に変えると、そこには立派な浮浪者が誕生した。
その後、適当な生ごみをあさり食べられるものを探す。
今日は、祭りの前だからか、いつもは残飯をくれる馴染みの店も、何もくれなかった。
ようやく、城に一番近いゴミ捨て場から、食べかけのチーズと形の崩れたパンを幾つか手に入れた。量は足りないかも知れないが、構うものでもない。
両手に残飯を持ちテイは、浮浪者の町ステシャへと向かった。
いらない木材で作られた、いらない食べ物と糞尿の匂いがする町へと入る。誰もが、いらない、と言った物だけで出来ている町。
そこには、外敵から身を守る塀はない。
家にしたって、寒くなったら、中に入る。入れなければ、外で焚き火でも焚く。それだけのものでしかなかった。
テイは適当な所から町へ入る。道など無い。
あるのは道のような隙間と、広場のような隙間。道のような隙間は人が道のように使い、広場のような隙間に人が集まっている。
それだけのシンプルな町。どれほど知性が先走ろうとも、これを超えるほどシンプルな町は生まれないだろう。
テイは道のような隙間を通り、片目が居そうな隙間を目指した。
片目はテイが知っている浮浪者の中で、一番浮浪者らしく、そして一番顔が広い。そして嘘や、確証のない事を言いふらさない。
テイの目的を達成するにはちょうど良い浮浪者だった。
ふと、小さな道より小さな広場の様な隙間を見つけた。
男が一人座っていたのだ。
それは十分に広場のような隙間と言えた。広場のような隙間に人が集まっているならば、人が集まっている隙間が広場とも言える。
男は、血みどろの服と、血みどろの剣、そして血みどろの鎧を着ている。そのどれもが、破れ、欠け、割れていた。
見るからに怪しい男だ。
冗談のように散りばめられた灰色の脳みそ、ピンク色の内臓、粘膜が乾いた人の内壁、死臭を周囲に漂わせていた。
「おや、新人さんか、どうだいパンはいらんかい?」
テイは男の風体など気にした風も無く、目の前に形の崩れたパンを差し出した。
この町は、誰もを受け入れ、誰もを受け入れない。
ただ、隙間があるだけ。ここ着た人が、浮浪者として振舞うのであれば、ここにいることが出来るだけの隙間を与えるだけだ。だから、ここに来た相手の過去などどうでもいい。ここに居る事が、このに居て良い唯一の理由だから。
聞かれた男は何の反応も示そうとせず、その場から動かない。
「そうかい、そうかい、すこしはこっちをみておくれ、じゃなけりゃあきちはしんじまう」
調子外れた声で、テイは歌った。金切り声に近い声、大人が子供の様に叫んだ時に良く似ている。
男は無言、何も話さない。
「なぜなんだい?、なぜなんだい?」
後ろから誰かが合いの手を加えた。テイは、それが当然であるかのようにすねた顔で振り返る。
「あきちはうさぎ、さびしいうさぎ、だからころっとしんじまう」
合いの手を入れたのは、女だった。そこら辺に捨ててあったシーツを肩から羽織っただけの女だ。
テイに乳房を見せながら、その事をまるで気にしてない。
適当に刈られた男の様な髪が、少し印象的だ。
「そりゃたいへんだ。おいらはなにをしたらいい?」
女はまた合いの手を加えた。テイも先を続ける。
「きれいなおべべをかって、おいしいごちそうをちょうだい、よるはずっといっしょにねてちょうだい」
「そりゃむりだ。そりゃむりだ。おいらにできない。むちゃくちゃだ」
「ああ、かなし。ああ、かなし。それならなにがでるんだい?」
「いちにちいっかいみてやろう。あんたをいっかいみてやろう」
二人は歌い続けた。男と女の喜劇。約束なんて出来なくて、信じる事も出来なくて、それでも一緒に歩く二人の物語。
春は桜の中で
夏はセミと共に
秋は紅葉を背に
冬は雪をこの身に抱いて
そう誓ったはずなのに、気付いた時には二人は別の道を歩む。
それでも女は桜の中を歩き、セミを探し、紅葉を眺め、雪を手に取った。
男も桜を探し、セミを捕まえ、紅葉を握り締め、雪をその身まとった。
それでも二人は、二度と出会わない。そんな物語。
「ありがとう」
「ごめんなさい」
食い違うことすらない、見当はずれな言葉、それが歌の終わりだった。
歌い終わったテイは、女に形の崩れたパンを投げた。女はシーツが肩から落とさず受け取る。
「くれるのかい?」
女はパンを持ち上げて尋ねた。
「くれるんだよ」
テイはもう一つパンを取り出し、小さく頷く。
「じゃ、遠慮なく」
女は、パンを少しちぎって食べた。決して満足のいく量ではない。それでも、それ以上は手をつけなかった。
「あんたも、ほら」
テイは、ずっと身動ぎ一つしない男にも、パンを一つ渡す。
男は動かず、パンは地面に落ちた。
テイは落ちたパンをもう一度男へ渡す。
パンはもう一度地面に落ちた。
「無駄だと思うよ」
女はパンを片手で弄びながら、テイに忠告する。もう食べる気は無かった。別に食いたくないわけではない。他の浮浪者に分けなければ、きっと居心地が悪くなるからだった。
「新人さんに、残飯はきついて言うのか?、だからどうした。他に食いもんなんて無いじゃないか」
「そうじゃないよ。そいつ多分、逃亡者だから」
別段何の含みも無く、女は動かない男を見下ろす。
「逃亡者か、何処から逃げて来るんだか」
テイの言葉に、女はさあ、と答えた。
相変わらずパンを弄んでいる。
二人とも、男が逃亡者であっても、浮浪者であっても、どちらでも構わなかった。
逃亡者なら自分の居場所が恋しくなれば帰る。
浮浪者なら自分の隙間を欲して生きる。
どちらであっても、テイも女もまた男と会う事は無いだろう。
他人事でしかないのだ。
テイは地面に落ちたパンをゆっくり拾うと、男の横に置いた。
「まぁ、いい。それやるよ。好きにしな、それじゃ」
テイは、そのまま男の脇を通ると、面倒くさそうに歩き始める。
もう時間がなかった。
朝日が昇れば、祭りが始まる。祭りで働かない道化なんていない。
誰かを笑わせることが道化の居て良い理由だ。祭りの様な楽しい一時に、それが出来ない道化は害でしかない。
「待ちなよ」
女がテイを呼び止める。急いでる、とは言えず、テイは仕方なしに振り返った。
「何処行くか知らないけど、東に行く事を進めるよ。極星と大原の戦争、初戦は大原が勝ったんだ。このままじゃ、ここも戦場になるかもしれない」
テイは片目に会うまでも無く、知りたい情報を知る事が出来た。
「なんでそんな事知ってんだ?」
浮浪者が嘘を吐くとは考えていなかったが、テイは念のため確認を取る。勘違いなどだったら、余計なお節介だった。
「そこの男、たしか極星の国の武将だよ。昔見た事があってね」
女は動かない男をあごで指す。
血で塗れた体と、壊れかけた鎧を見れば、どっちが勝ったか等、大体予想が付いた。
それ以前に、ここに武将が逃亡したのだ。結果など火を見るより明らかだ。
「なるほど、分かった。ありがとさま」
テイはその場を離れていった。
「礼はいらんさ。パンの代金だから、それじゃ」
変わった事を言って、女もその場を離れる。テイとは別方向だ。女が去って行く事を、消えてゆく足音だけで感じながら、テイは前だけを向いて面倒くさそうに歩いた。
その後、テイは片目と会い、女の言っていた事の裏を取る。女一人では信用できなかった。
それに、あれは女の記憶が間違っておらず、更にあの逃亡者がその戦に出ていた、と言う前提で話が進んでいる。実際にそうなのか、確証を持てるものではない。
片目からは必要な情報が手に入る。本当に情報が手に入った事にテイは驚いた。片目本人も驚いていたが、情報の移動が早すぎる。
ここから戦場までは八十キロ程度、死ぬ気で走れば、先ほど会った男の様にここに居ても可笑しくはない。
しかし、まともに考えれば、戦場の関係者がこちらに来る可能性はかなり低いものだ。
極星の国と夜の国の国境には巨大な森がある。
ここを越えようとする人間は、ほとんど居ない。あの男が異例だと言えた。かと言って、極星の国の民から噂の様に伝わってくるには、時間が短すぎた。
戦端を開く時は、相手に戦う事を伝えなければならない。そのためすぐに情報が下級階層まで降りてくるが、戦の結果はその限りではない。
相手を完全に叩き潰しても、無言を通すときすらあるのだ。そう簡単に情報が降りてはこないものだ。
|(意図的なものを感じるな)
そう感じながらも、テイは必要な情報が手に入った事で満足し、その場を後にした。
|(テイ、お前はどうする?)
テイは、歩きながら自分に問いかけた。
極星の国が負けたのだ。予想以上の速さだ。
実際には、初戦を負けただけだ。しかし、つぎ込まれた戦力が軍の四割を占めるとなれば、極星の国がもう勝つ事は難しいだろう。
それどころか、和平の一つぐらい持ち掛けるかもしれなかった。
|(始まればたいてい数日で決着がつくが、この速さは危険だな。この勢いで、何処まで行くのやら。この国を攻めれば、どうなるのだろう)
テイは唇を舐める。渇いた唇が鋭い痛みを返してきた。
|(まぁ、英雄殿のお手並み拝見させていただこう)
そう決めると、テイは大きく欠伸をした。東から日の光が出てきている。もう少しで祭りの始まりだ。
詩行の間にて、参謀達は疲れた顔で机を囲んでいた。今は服装を気にする必要が無い所為か、服は乱れ、髪の毛もボサボサである。
全員疲れた頭を休ませる事無く動かしている。
今しがた、間者から大原の国と極星の国の戦争、その勝敗が渡されたのだ。
途中経過は書かれていない、ただ結果だけが書かれている。
極星の国敗退、被害甚大なり、大原の国未だ健在、引く事なし。
それだけだ。
これは仕方ないだろう、今回間者を送り出してから、まだ九時間しかたっていないのだ。
極星の国の西に夜の国があり、北に大原の国がある。そして戦場は極星の国の北西に位置していた。
距離にして大体八十キロ程ある。
たった九時間で、この距離を往復しただけでも褒めるべきなのだ。
詳しい情報などあるはずが無い。
「おかしすぎる。おかしすぎるんだ」
参謀の一人が頭をかきむしる。眼鏡が激しく揺れた。
「そんなのは解ってる。問題は目的だ」
別の一人が珈琲をがぶ飲みする。
「そうだ。戦果等は良い。姫の星読みが当たっただけだからな。多少覚悟はしていた。問題は、目的だ」
理屈をこねながらも、古参の参謀が珈琲を飲んだ参謀と同じ事を怒鳴った。
「大体、何でこんな場所で戦端を開く」
眼鏡をかけた参謀が机にしかれた地図を殴りつける。拳の下には、今回の戦地があった。
「われらの予想から、西に四十キロは離れている」
珈琲をダーツに持ち替えた参謀が、予想していた地点にダーツを突き刺す。
「お前たち、そんなパフォーマンスはどうでもいいから、まじめに考えろ」
二人の過剰なパフォーマンスに、古参の参謀が怒りで応えた。
「と言われましても、皆目見当が付きません」
参謀の一人が、ダーツを手で遊びながら言った。
「ですな。ここで戦う意味が見受けられない」
眼鏡をかけた参謀も、それに頷く。
「国を取るなら城を落とせば良い。領土がほしいなら、東の方を狙った方が良い。人がほしいなら戦争なんてしない。
この場に重要なものがあるかと言ったら、何にも無い。だから考えるんだ。それが俺たちの役目だろう」
古参の参謀は他の参謀達を叱咤激励すると、コップのたかさ四分の一まで珈琲豆を投入した。同量の砂糖と幾ばかのミルクをたらす。最後にかき混ぜながらお湯を入れる。即席不眠剤の完成である。
「何時こっちに火の粉が舞うか分からん。愚痴る前に頭を動かせ」
そう言うと、古参の参謀は先ほど作った珈琲を一気に飲み干す。
一気に胃が痛くなるがそんな事は気にしなかった。
気にしている暇があるなら、過去の事例を調べるなり、まとめるなり、やる事はまだまだ無数にあるのだ。
「まぁ、頭を悩ましていても仕様が無い。大原の国の外交データ、過去の戦歴、気象条件、現在の財政、全部一から調べなおすぞ」
そう言って、机の上に散らばっているファイルを手に取る。周囲は諦めた様にため息を吐き、それに習った。
朝日が昇り始めると、夜の国の城下町に人が溢れ出て来た。これ以上は待てないとばかりに、人が増えていく。
一晩、溜めに溜めた気持ちが、人々を家から外へ出させた。
城と東西南北にある門を繋ぐ大通りには、出店がぎっしりと並んでいる。三分の二以上の出店が準備を終え、客を待っている状態だ。
誰もが浮かれていた。ようやく本当に平和になった。その事が老若男女かかわらず、人々を浮かれさせていた。
魔王が勇者に倒されてからの一年間、各地に残った魔王の部下が猛威を振った。
そのため魔王が居なくなった後も、暫くは魔物による被害が各地で起きていた。
更に、魔王によって壊された建物、失った畑、腐敗した土、それらの爪痕は予想以上にひどかった。
魔王を倒してから二回冬を越したが、最初の冬など餓死者が生まれるほど、食べ物がなくなっていた。二回目にしても、かなり厳しい状態だったのだ。
誰もが、平和になった、と感じ始めたのは、ここ数ヶ月の事だった。
そして今日、ようやく、平和になった、もう安心して良い、と勇者達が宣言するためだけの式典を行う。
誰もが、浮かれきって当たり前の日だ。
当然、その会場となる夜の国には、さまざまな国から観光客が来ていた。
テイは何時もより人通りの多い路地裏を、何時も通り阿呆の歩きで歩く。
時々、見慣れぬゴミが放置されていたが、祭りと言うことを考えるとそれほど不思議でもなかった。
角材や、紙、絵の具の入っていた瓶、黒い袋、小さな布切れ、野菜の皮、普段とは違うが疑問に思うものではない。
テイは探し物がある様に、右を見て、左を見る。そしてまた右を見て、時々後ろを振り返りもした。
そうして、一人で居る人間を見つけると、肩を叩き芸を見せる。相手が笑うまで、辛抱強く芸を見せた。
相手はこの祭りを楽しんでいない人間だ。そう、式典を快く思わないものもいる。戦で親兄弟、恋人をなくし、自身も周囲から見放されたもの等はその筆頭だ。
笑わせるどころか、肩を叩いただけで殴られる事が何度もあった。
普通、そんな奴にかかわる馬鹿はいない。テイの様に殴られるか、嫌味の一つでも言われるのが落ちだ。
それでもテイは根気良く、目の前にいる人が笑うまで芸を続けた。
それが、自分の居る意味だ、と訴えかける様に、根気良く芸を続ける。そして、彼らが笑うと、その場から去って行った。
誰がその光景を見ても、テイに同情する事も、感心する事もない。誰かを楽しませ、笑わせる事が、道化の仕事だ。その代わり銭を取り、人の世に入っていける。
大工が家を建てる様に、農家が畑を耕す様に、道化は誰かを笑わせた。
例え普通の道化が人通りの多い場所で、笑わせやすい人を狙って仕事をするとしても、テイの行動に誰かが何かを感じる事はない。
道化は人に非ず、道化は卑民、民を堕落させ、享楽へと誘う卑しき民
それが道化へ出された人の世の答えだった。
少しだけ、昔の話をしよう。
それは、森の中での出来事。きっとそれが、運命の出会いだったのだろう。
二人の男が、剣を振るっていた。
森の中、辺りは土が捲れている。
土砂が降ったかの様に、辺りにあった大木や、草花をすべて土で消し去ってしまった。
さらに土は腐臭を撒き散らしながら、健康な土を少しづつ腐らせている。
「うあわわぁあぁぁぁぁゎぁうあぁぁあ」
精神の限界を超えた一撃。それが青年の出せる最高の一撃だった。
青年は、全身泥だらけだった。少しづつ、体が腐ろうとする。その誘惑を鉄の意志で撥ね退けていた。
「はぁぁぁぁぁ」
対するは黒い鎧に黒い剣を持った男。
男は自慢の剣で青年の一撃を軽く弾くと、肉体の理論値を超える速度と力で青年を突いた。
青年は、本人の出来る最小かつ最短の動きで突きを急所より外す。剣は青年の左肩を掠った。
男は体を密着させ、左拳で腹を狙う。
青年はその一撃を剣の腹で受け、がら空きになった左足を蹴った。
剣の腹は男の左拳で押し戻され、蹴った足が折れた様に痛む。青年は効果がない事が分かり、大きく後ろへ下がった。
男はゆっくりと剣を構えなおす。
青年はどうにか立っている状態だ。
お互い、相手の力量は分かりきっているのだろう。
どちらも休む事無く間合いを詰めた。
男は早く終わらせるために、青年はそれしか勝ち目が見当たらないために、全力で駆ける。
間合いに入るぎりぎりで男が大上段に剣を構え、青年は鞘に収めた剣に手をかける。
どちらも足を止めた。
両者、靴の摩擦程度では勢いが止まる事はなく、そのままスライドする。
互いの間合いに互いの体が入った。
二人はそれを認識するより早く、本能のみで剣を放つ。
剣が落ち、剣が凪ぐ。雷撃より早い一撃と、疾風と見まがう一撃。
どちらが速いかは明白だ。
男の神速を超えた一撃が、青年の目にも留まらぬ一撃を勝る。
青年は奇跡を信じた。
男は神すらも切り裂く一撃に、すべてを賭ける。
半瞬、鮮血が二人の瞳を彩った。
この時、運命が決まってしまう。ささやかで、細い糸のような運命が、誰かの手によって引かれてしまった。
極星の国は、基本的に平原が続く国だ。森も幾つかあるが、地図で見る限りほとんど無い。
森のほとんどが北西から南西にかけてあった。
森は深く、そこに入れば地元の者でも迷う危険性がある。
そのために西側の軍備は驚くほど薄い。森を基点とする独自の民族が、森から出ようとしない事も大きな要因だろう。
森で生まれ、森で生き、森で死ぬ民族、緑の民と呼ばれていた。
彼らは独自の掟のみを法とし生きている。外界とも交流があるが、それほど積極的なものではない。
彼らにとっては、緑の民とそうでない者の二種類しか人間はいなかった。
自分達独自の文化を持つ彼らにとって、森の外で行われる事はそれほど関心の無いものだった。
その様な事をエイリンは自分の兵に話すが、兵達の顔から不安が消える事は無い。
ここは、極星の国西にある森の一つ、静かなる森だ。
そこで、エイリン達、大原の国軍はキャンプを張っていた。この辺りには森が多く、村や町は無い。
多少火を使ったところで、緑の民のものと思われ、敵軍に発見される可能性は低かった。
「そうは言われても」
「なぁ」
兵達は互いの不安気な顔を見て、頷き合った。どの顔も、股間のモノをとった様に情けない。
「だからなぁ、相手は掟で敵と見なさなければ何もしてこない。そうやって大人しくしていれば安全だ」
エイリンは、もう何度目になるか分からない台詞を吐きだした。
頭の中まで澱んで来ている事が、はっきりと分かる。
「そりゃ、頭では分かってるんすが・・・・・・」
兵の一人がそこで言い澱む。何かに怯える様に、辺りを見回していた。
「分かってるが・・・・・・何だ?、その先を言え。言わなければ、何も分からん」
既に、頭の奥まで苛立っているエイリンは、さっさと言え、と先を促す。
「あいつら何処にいるか分からない、何処で聞き耳を立てているかも分からない。
その上、やつらの掟を破ると、死よりも恐ろしい報復がある、て話しじゃないすか?」
兵の一人が気味悪そうに辺りを見ながら、小声で言った。
その先は言い辛いのか、顔を寄せ、囁く様に続ける。
「その上、何を掟にしてるのか分かりゃしない。
噂じゃ、立ちションしただけで腕一本切られたとか、歌を歌っただけで咽喉をつぶされたり、顔には妙な絵を描いていたり、生贄を囲んで串刺しパーティーとか、漆黒を祝う祭りをしたり、魔王に従ってたて噂もあるし、他にも・・・・・・」
エイリンは内容を聞くにつれ、頭が痛くなってきた。
どれもこれも根も葉もない噂話だ。
少なくとも、そんな被害や事実があったと言う事は聞いた事がない。
「お前達、それを本気で信じているのか?」
自分の兵がそこでまで大馬鹿ではない事を祈りつつ、エイリンは総勢三十人程度の男達を見渡した。
全員首を縦に振っている。大馬鹿だらけだった。
「んな、どっかの都市伝説みたいなネタを信じるな!!
お前らおしめも取れん、ガキか!!!
全部眉唾だらけだ。そう言う事言ってるから、緑の民が怒るんだぞ」
エイリンは頭痛をかき消す様に、限界ぎりぎりまで叫ぶ。
咽喉が痛んだが、頭痛に比べればマシだった。
「本当に、デマっすか?」
「ああ、本当だ」
お化けを怖がる子供の様な顔をしている兵達に、エイリンは面倒くさそうに首を上下に振動させる。
「「「本当の本当に?」」」
「本当の本当だ」
この後続く落ちを予想しながらも、エイリンは頷いた。
「「「本当の本当の本当に?」」」
「本当の本当の本当だ」
予想通りの展開に、エイリンの目が据わる。顔が引きつってきた。
「「「本当の本当の本当の本当に?」」」
「本当の本当の本当の本当だ」
「「「本当の本当の本当の本当の本当に?」」」
「本当の本当の本当の本当の本当だ」
「「「本当の本当の本当の本当の本当の本当に?」」」
「・・・・・・今すぐ納得するか、剣の錆になるか選べ」
いい加減鬱陶しくなったエイリンは剣に手をかけ、選択させる。
恐怖を伴う生か、安楽の死か、目が語っていた。
エイリンの本気を感じ取った兵達は、納得しました、と馬鹿みたいに首を縦に振り続ける。
「ならいい、後五時間後には移動だ。きっちり休んでおけ」
エイリンは剣から手を離した。
兵達の中から安堵のため息が漏れる。
エイリンは、その事に憮然としながらも、無言で立ち去ろうとして、止まった。
「そうそう、大人しくしてるんだぞ。羽目を外しすぎると緑の民に呪われるからな」
一応、忠告だけしてエイリンは上官への報告へ向かった。後には幽霊に怯える子供の顔をした兵が、身を寄せ合っていた。
エイリンは自分の兵の情けなさに、ため息を吐く。
「たく、あいつ等は」
情けなく歪んだ顔を思い出したエイリンは、頭がまた痛くなった。
「まぁ、気持ちは分かるけどね」
ポツリ、と本音が漏れる。エイリンは慌てて口元を押さえ、辺りを見た。幸い、誰も聞いてなかった様だった。
「壁に耳あり、障子に目あり、が例えじゃすまなそうだし」
エイリンは、行政執行参謀長と言う役職に付く黒いローブを着た男を思い浮かべる。何度かは公務で、そして一度は偶然出会った事があった。
その印象はあまり良くない。
本音を話せば、出来るだけ会いたくない人種だ。
特に嫌がらせを受けたわけでも、格好が見れたものでない訳でもない。生理的に受け付けないのだ。
戦略、戦術どちらも一流と言える策士であり、教養もかなり高く、外面は悪くない。
しかし、打ち出される戦略はえげつなく、戦略も無意味に敵の血が流れる物が多かった。
敵であろうと、無意味に死人が増える事をエイリンは好まない。
男のやり方が、一番効率的なやり方だとは分かっていた。それでも、男が好んで残虐な作戦を選んでいる様に思えて、エイリンはあまり好きになれなかった。
偶然出会ってしまった時見た男の瞳が、追い討ちを掛けた。
まるで何かを探るように、思考どころか感情まで読まれている様な恐怖と、体中を嘗めまわされている様な視線には嫌悪感しか感じられなかった。
出会った場所が、こちらの切り札と言える物の倉庫だったため仕方のない事かもしれない、と言い聞かせても嫌悪感はなくならない。
そこで見た、漆黒の剣、刀身から意匠まで全て黒で構成された剣も一役買っている。それの放つ雰囲気はあまりにも禍々しく、人間の汚物を見せられているようだった。
「考えただけで鳥肌が起ってる。あー、やだやだ」
エイリンは自分の両腕を摩りながら、歩調を早める。
早歩き程度であった歩調は直ぐに、逃げ出す様な駆け足に変わった。
その場に居る事事体が恐怖になったように、一心不乱に走る。
エイリンは自分でも分からない感情の湧き出しに戸惑いながらも、走り続けた。
エイリンが自分の大馬鹿者共に説明していた所から、三百メートルほど離れた場所に、天幕が一つ張られている。天幕を張る意味がほとんど無い状況だが、それぐらいの見栄は許された。
天幕の中には、黒いローブを着けた男と、獣の皮で出来た服を着た老人がいる。男は左手に手袋着け、袖の長い服を着る事によってその醜い腕を隠していた。
「証を」
老人は、端的にそれだけ言った。白く長い髪と髭が軽く揺れる。
男はゆっくり頷くと、右手を老人に差し出した。老人はその手を取り、袖を上げる。左手とは違い、鍛え上げられた腕が現れた。
「では、始めよう」
男は左手に力を込める。ゆっくりと筋肉が振るえ始め、血管が浮き出た。
老人はその様子を目を皿にして見つめる。
ゆっくり右腕から魔力が溢れ出てくる。七色の美しい魔力だ。
「おおぉ」
老人は感嘆のため息を吐く。何かに魅入られたかのように、その魔力から老人は目が離せなかった。
老人が自分の魔力を見た事を確認すると、男は魔力を体の内へと戻す。
「ああ」
老人は、楽しみにしていた玩具を取り上げられた子供の様な目で腕を見続けた。
「もういいだろう」
男が老人の手を振り払う。
老人は、暫く、痴呆の様な顔で男を見た。そして正気に戻ると、男から一歩下がる。
「分かった。要求は飲む。その代わり」
「了解している。お前達の聖域は守ろう」
男は老人の言葉を遮り、鷹揚に頷いた。自分が、目の前の人間より上にいると信じきった動きだ。
「ああ、それだけは守れ。例え、持ち主だとしても、あんたには聖域に踏み入れる資格がない」
それでも信じきれないのか。老人はもう一度念を押す。
「ああ、分かってる。それぐらいは誓うさ」
老人の無駄な慎重さを鼻で笑い、男はもう一度頷いた。
昼頃になると人の流れが変わりはじめる。皆、城の前にある広場の方へと足を運んでいた。
テイは人の流れなど分からないと言う風に、路地裏を歩き誰かを笑わせる。誰かを見つけ、笑わせ、そして去る。
言葉にすると、単純作業の様に感じられる動きだ。
しかし、そこにつぎ込まれている神経と、体力、技術は、決して単純作業と呼ばれて良いものではない。
なれない技や、既に人の域を極めかけた技を体現し続けた体は悲鳴を上げ、神経を張りすぎた脳は徹夜と相俟ってまともに動こうとはしなくなって来る。目は霞み、指先の感覚は断続的になり、膝が震えかけていた。
「さすがに、きついなぁ」
それでも、テイの口から漏れた声は妙なアクセントがあり、歩き方はフラフラと痴呆症患者の様に見える。
笑ってほしいテイは、まだ歩き続ける。例え、見る事が出来なくとも、笑ってもらう事が、何にも変えられない大切な報酬だった。
そうやって、薄汚い路地裏を歩き待っていると、生ごみの収集場所で見た事のある人間を見つけた。シーツを肩にかけただけの、テイがパンをあげた女だ。
|(おや、また会うとは)
珍しい、と感じながら、テイは女の肩を叩く。
女は驚いた様に振り向いた。
肩を叩いた主が、阿呆の様な顔をしている道化である事に気づくと、ほぅ、と安堵のため息を吐く。
「なんだい?、芸でも見せようってのかね。生憎、金も食べ物も持ってないよ」
両手を挙げて、女は何も持ってない、とジェスチャーで示した。
「この中にも、食べ物は無かったよ。今日はついてないねぇ」
女は足元にあった黒い袋を蹴飛ばしながら、ごみの山を見渡す。女の言うとおり、食べ物だった残骸はいろいろと見る事が出来たが、食べられそうなものは見当たらなかった。
|(おや、おや、御可愛そうに)
テイは、自分があげたパンしか食べていないであろう女に同情する。
しかし、顔は阿呆のままで動かさず、そのまま芸を始めた。
慣れ親しんだ芸の一つ、動作だけで壁や椅子などを表現する芸、パントマイムだ。女は口を挟もうとしたが、テイの芸を見て止める。
「まぁ、いいか」
女はそんな事を呟くと、楽しそうにテイのパントマイムを眺めた。
純粋なボディーランゲージだけでストーリーを、感じさせる。
ストーリーは、泥棒と警備兵の追いかけっこ。泥棒は運だけはいい三流泥棒、警備兵は一生懸命で単細胞、絵に描いたような漫才コンビだ。
その二人を巧みに演じわけ、テイは声の無いお喋りを、女に聞かせる。
女の耳にそれは聞こえているのだろう、笑いどころでは笑い、緊迫した場面ではじっとテイの目を見た。
テイは、ゆっくりと動きを止め、女に頭を下げた。
その一動作で、テイはたった一人のためのパントマイムが終わった事を、女に告げる。
女はゆっくりと手を鳴らした。
「面白かったよ。また今度見せてくれ」
女は満足気に笑う。
テイはもう一度、一礼をすると、鮮やかにきびす返し、立ち去ろうとし、その場で転んだ。
原因であるバナナの皮が宙を舞い、テイの帽子の上に乗る。
それでも、何とか鮮やかに立ち上がろうとして、何度も転んだ。
もう滑稽さしかない状態で、テイは何とか立ち上がると、歩き出す。
足をふらつかせながらも、何とか歩こうとするテイの姿に、女は小さく失笑した。あまりの滑稽さに、笑わずにはいられなかったのだ。声を出さずに、心を表面に出さず、女は笑っていた。
白い城には六つの白い塔が、正六角形の頂点を作る様に立っている。その白い塔の一つ、他の塔より一階分は低い塔の中ほど、そこに大きめのベランダがあった。
そのベランダの手すりに寄りかかる様に、シャナとエウシウスが立っていた。
二人とも、空を飛ぶ風に身を任せ、あつらえた様に同じ金色の髪と、あつらえた服を揺らす。夕日に照らされた頬が赤い。
「終わっちゃいましたね」
シャナが少し寂しそうに言った。
「そうだな、もう少しやってても良かったかも」
エウシウスも名残惜しそうに、町を見る。
祭りの後片付けが始まっていた。自分達が式典を行っていた会場も撤去作業が始まっている。
出店が並び、人で道が見えなかった大通りも、今では解体されかけた出店と、まばらに人の姿が見える程度になっていた。
「まぁ、色々大変だったけど、少し名残惜しいな」
エウシウスは、祭りの痕跡に消えてゆく姿が、どうしようもなく寂しく見える。
子供の頃、最後まで遊び場に残っていた時の感覚に似ていた。まだ居たい、けど居ても何も戻ってこない。
エウシウスは、子供の時代を思い出し、少し泣きたくなった。もう終わってしまった何時か、そこがもう欠片も無い事が、凍えるほど寂しい。
「名残惜しいですか。私は、寂しい、て感じますよ。だって、あんなに多くの人が幸せそうに笑ってる所なんて、こんな時でもないと見れませんから」
シャナは、嬉しそうに微笑んだ。
本当に綺麗な微笑。
穢れどころか、歪み一つ無い極上の微笑。
その微笑に、エウシウスは誰のためかわからない涙を流しそうになる。
目の前に居るお姫様の願いは、あまりにも純粋で、そしてあまりにも当たり前だった。
皆が笑いあえる世界。
エウシウスは、そんな日常を欲している事が、とてつもなく哀れに思えた。
お姫様は、それがどれだけ難しくて、どれだけ不可能な事かを知っている。その上で、お姫様は願っているのだろう、皆が幸せに笑えますように、と。
しかし、その中に、お姫様自身が入っているのだろうか?、そんな疑問が、エウシウスの中にはあった。
「そうだね。シャナも、フェイカーも、各国のお偉いさんも、式典を見に来ていた人も、皆、幸せそうに笑ってたね」
シャナに合わせる様に、エウシススも微笑む。
例え、お姫様の皆にお姫様自身が入っていなくとも、皆の中にお姫様を入れてみせる、そうエウシウスは決めていた。嘆く事も、悲しむ事もしない。前だけを見据える。
「はい、そうでした」
何も知らない子供の様に微笑むシャナ。その微笑みが、エウシウスにとって何ものにも変えがたい宝物だった。
「ただ、フレイだけは最後まで不機嫌そうでしたけど」
極上の微笑みのまま、シャナは思い出したくない現実をエウシウスに見せつける。
「うっ」
思い出したくない現実に、エウシウスの顔が青く変わった。
体中にある刺青と元来の性分が微妙に妥協と協定と条約を結んだ結果、フレイは多人数の人の前に顔を出す事を極度に嫌っている。
今回も、最後まで逃げ出そうとするフレイをフェイカーとエウシウスの二人が必死に追いかけたのだ。
そして、エウシウスの手で会場に連行されたフレイが耳元で、後で苛めてあげる、と言った。
その言葉を抑揚の無い声と共に思い出し、エウシウスは微笑が引きつる事を押さえられなかった。
その日は、穏やかな一日だった。式典が終わり、各国の代表達も自分達の国へと帰っていく。
町中は、昨日の祭りに全てのエネルギーを使い切ったのだろう、何処か静かだった。まだ、祭りの余韻と残骸を残しながらも、町は町として在り、城は城として在る。
後、数日もすると、残っている祭りの余韻も消え、何時も通りに戻っているだろう。
表面上、祭りの余韻が消えた白い城。外から見れば、一昨日と、そのまた前の日と変わらないそこにも、違いはあった。
城の中で、建築的に最も貴重かつ、芸術的な部屋。
部屋は、縦二十メートル、横三十メートル、高さ五メートル、立方体の形していた。
そこには六方を囲む壁、天井、床、そして二つの扉以外何もない。これでは掴む事も、何かを入れることも出来なかった。
家具どころか絨毯すら轢かれていない、立方体方のシンプルな部屋だ。石でできた壁は磨き上げられた鏡の様に隙間がなく、そして平らである。
シンプルである為に、隠れることも、罠を仕掛ける事も不可能だった。
普段は使われないその場所に、今は十数人の兵士が円を描く様に立っている。
その中央で、シャナと白髪が所々に見える貴婦人が握手をしていた手を解いた。
貴婦人の隣には、初老に差し掛かった男が立っている。男と貴婦人は、そろいの服に身を包んでいた。
「それでは、また会う日まで」
貴婦人が微笑む。
「はい、また会える日を楽しみにしてます」
シャナも微笑み、別れの言葉を告げた。
男と貴婦人は軽く頭を下げ、来た扉とは別の扉へ向かう。周囲を取り巻いていた人間の半数がそれに続いた。
シャナは相手が扉から出るまで微笑みを崩さずに、その場で見守っている。そして、相手が扉から出ると、微笑みはそのままで後ろを向いた。
「これで、皆さんお帰りになりました。仕事が忙しい中、護衛を申し出てくれて、ありがとうございます」
微笑みはそのままで、シャナは深々と頭を下げる。兵士達はどう反応するか困った様子で、シャナの後ろ頭を見つめた。
「礼など無用です。あなたを守る事は、私達の使命なのです。気にする必要はありません。あなたが気にすべきは、その様な事ではないでしょう」
ほかの兵士より歳をとった男が、顔を上げるシャナを嗜めた。
一昨日、テイを馬鹿息子と呼び、追い掛け回した時とはまるで違う、穏やかな笑みを顔に浮かべている。口調も穏やかで、本当にやめさせたい訳ではなかった。
「ごめんなさい、でも、こうしたいんです。いきなり頼んでしまったんですから」
シャナも穏やかに、やめません、と反論する。
「そうですか。まぁ、非難はされんでしょうが」
そこで、男は苦笑した。シャナの頼みというだけで、後ろに居る兵士の三倍の人数が立候補したのだ。
その時、休息所に居る兵士がそれ以上いたならば、そいつらも確実に立候補していただろう。
今も、後ろに兵士達が、初恋の女に声をかけられた様に、のぼせ上がっていた。
「それじゃ、失礼しますね。人を待たせてるので」
シャナは小走りで兵士達の脇を通り過ぎる。全員、シャナの姿を目で追っていた。周囲の視線に気づかず、シャナは部屋から出て行った。
扉が閉まってから数秒すると、どこからともなく至福のため息が漏れる。
「いいなぁ」
誰かが漏らした。それを皮切りに、兵士達が本音を漏らし始める。
「だなぁ」
「あの若さで国を治めて」
「あの美しさ」
「才色兼備」
「天は二物を与えた」
「最高だ」
「だなぁ」
「ああ」
男は兵士達の戯言を聞きながら、指の骨を鳴らしていく。
本人の血圧に呼応するかの様に、音は少しずつ高まっていった。
そして、それに合せる様に、兵士達の口数が少なくなり、音がなり終わる頃には、誰も居なくなった。
「何で、ああも緊張感がないのか」
誰も居なくなった部屋で、男はゆっくりと頭を振る。思い出しただけで、頭の芯が痛くなった。
「それはともかく、先代が魔王に殺され、どうなるかと思ったが・・・・・・よくやっている」
嫌な事からは目をそむけ、男は良かった事だけ思い出す。娘の成長を見守る父親の顔になっていた。
「才も心もある。少々甘い面もあるが、良い方だ。これからも、守らねば」
男は決意も新たに、歩き出す。
明日の訓練メニューの増大と、今日の訓練メニュー変更のために。足取りは速く、走るといっても差し支えない速度で歩いていた。
こうして、平和を宣言するためだけの祭典はすべて終わった。




