第24章 : 受け継がれた謎
「おはようございます。朝早くにすみません」
「先日お電話した、古谷学です」
古谷は、おばあさんと挨拶を交わした。
「おはようございます。わざわざ遠いところありがとうございます。大変だったでしょう」
「いいえ、仕事で福岡に来たので」
「どうぞ、奥でお茶でも飲みながら」
おばあさんが社務所へ案内する。
灯真と美琴は、不思議そうに顔を見合わせた。
「誰やろ?」
「分からん、初めて見る人」
「親父、今の人、誰?」
父親は、少しばつが悪そうに答えた。
「みこっちゃんのお父さん、進さんの知り合いたい」
「俺も一緒に話しばするけん、今日は二人とも出かけんで家におらなんぞ」
「分かった」
親父も社務所へ消えていった。
◇
ラジオ体操を終えると、二人は先に朝食を済ませた。
美琴は、やっぱりいつもと違う。
元気がない。
二人は美琴の部屋で夏休みの宿題を広げていた。
「何で夏休みって、こげん宿題がでっとやろか」
美琴がぼやく。
「ほとんどプリントやったけん、すぐ終わるやん」
灯真は、意外にも宿題のほとんどを終わらせていた。
「灯真、意外と真面目なんやね」
「宿題は先に終わらせる派やけん」
「でも一般常識は壊滅的やけど」
「うるさか」
少しだけ笑う。
けれど、その笑顔は長く続かなかった。
美琴の手が、問題集の上で止まった。
甘木山で動けなかったこと。 両親のこと。
昨夜の夢。
すべてが頭の中でぐるぐると回っている。
「美琴、元気がなかばってん、どげんした?」
美琴は下を向いたまま、しばらく黙っていた。
やがて、ぽつりと口を開く。
「私って、口ばっかりで……一緒におっても役に立たんやろ!」
「あん時も、灯真について行くって言ったばってん……」
「私、いざって時に足がすくんで、なんも出来んやった」
「一緒に行っても……足手まといやろ」
涙がこぼれた。
「いや、そげんことなか! なんやきゅうに?」
灯真は慌てて否定する。
「美琴がおったけん、助かった場面もあったやん!」
しかし、美琴は首を横に振った。
「なんか……もう嫌」
「訳分からんし、怖か」
美琴は頭を抱えるように、机へ顔を伏せた。
「お父さんも、お母さんもおらんごとなるし」
「おばあちゃんも何も教えてくれん」
「私は……何もできん」
初めて弱音を吐く美琴。
「なんで、二人ともおらんごつなったとやろか」
「私が、嫌いやったとかな」
堰を切ったように泣き出した。
「そげんこと、あるわけなか!」
灯真は思わず声を荒げた。
「おじさんも、おばさんも、美琴のことば一番大事に思っとったはずたい」
「きっと何か理由があるに決まっとろうもん」
「美琴が嫌いやったけん出て行ったなんて……そげんことだけは絶対なか」
「だって、私、意地っ張りで、わがままやし……見捨てられても……」
美琴は、自分を責めるように小さく笑った。
「灯真も、きっと……」
「……バカ」
灯真は、美琴の言葉を遮った。
「俺は、美琴のそばにおるけん」
「そげんか事、二度と言うな」
灯真は、そっと美琴の背中に手を添えた。
「今まで、ずっと我慢しとったとやろ」
「思いっきり泣くとよか」
「もう、無理せんでよか」
美琴は、こらえていた涙を抑えきれず、声を上げて泣き出した。
◇
しばらくして――。
コンコン。
「美琴ちゃん」
おばあさんが部屋の扉をノックした。
美琴は慌てて涙をぬぐい、泣いていたことがばれないよう扉に背を向ける。
「なに、おばあちゃん?」
扉が少しだけ開いた。
「話があるけん、二人とも社務所に来てもろてよかね」
「片付けたら、すぐ行きます」
灯真が慌てて返事をする。
「みんな社務所で待っとるけん、はよ来んね」
「はい」
おばあさんは静かに扉を閉め、そのまま社務所へ戻っていった。
灯真は美琴へ目を向ける。
「俺が先に行っとくけん。顔ば洗ってから来るとよか」
「……わかった」
美琴は涙を手で拭い、小さくうなずいた。
灯真は後ろ髪を引かれる思いで、美琴を部屋に残したまま社務所へ向かった。
◇
社務所へ入ると、おばあさんたち三人は机を囲み、古い資料とパソコンを見比べながら、難しい表情で何かを確かめていた。
机の上には、大牟田の古い地図や巻物、神社に伝わる記録など、たくさんの資料が広げられている。
その中に――
一冊だけ、ひどく古びたノートがあった。
表紙には、かすれた文字で、
『炭坑日記』
と書かれている。
灯真は、その文字を見た瞬間、少しだけ胸がざわついた。
(……ひいじいちゃんの日記だ。)
以前、蔵の中で見たものと同じだった。
(……何ば調べよるとやろ)
◇
しばらくして、廊下を歩く足音が近づいてきた。
……社務所のドアが開く。
「おばあちゃん、話ってなに?」
美琴は下を向き、何もなかったように平常を装っている。
「ごめんね。二人にも、ちゃんと話ば聞いてもらおうと思って」
「何の話?」
おばあさんは、少しだけ言葉を選ぶように黙った。
そして、ゆっくりと口を開いた。
「進と美咲さんの話たい」
「えっ!……お父さんとお母さんの?」
「うん」
おばあさんは机の上に飾られていた、美琴の両親の写真へ目を落とした。
「進がおらんごつなる前、美咲さんと一緒に大牟田のことば調べよったげな」
「大牟田のこと?」
美琴の表情が変わる。
「……何か、関係あると?」
「それがね」
おばあさんは両親の写真を見つめる。
「ばあちゃんも、本当のことは知らんやった」
「じゃけん、今まで美琴ちゃんに話してあげられんやった」
「ごめんね」
美琴は、写真を見つめた。
「……お父さんとお母さんは、何を調べよったと?」
その問いに、社務所の空気が静まり返った。
古谷 学が、ゆっくりと口を開く。
「君のお父さんは、大学時代から……あるものを追いかけていたんだ」
「あるもの?」
古谷は一度、机の上に広げられた資料へ目を落とした。
「大牟田にはね、炭鉱ができるずっと前から、いくつもの伝承が残っている」
「蛇の話。山の話。地下の話。そして――」
古谷は、一枚の古い資料を手に取ると。
「この土地に残る神話は、実は日本だけのものじゃないんだ」
灯真が顔を上げる。
「どういうこと?」
「例えば、世界各地に残っている蛇の神話」
古谷の声に、少しずつ熱がこもっていく。
「人間を見守る蛇。神として崇められる蛇。逆に、人間を誘惑する蛇。世界の終わりに現れる蛇。そして、巨大な樹に絡みつく蛇――」
資料が次々と机の上に並べられていく。
「アダムとイブみたいに、聖書にも蛇が出てくるよね」
「そして、世界各地の神話には、似た構造を持つ話が驚くほど多い」
古谷は別の資料を開いた。
「世界樹。生命の木。蛇。地下世界。燃え続ける火。禁じられた場所。そして、人間がそこへ入ってしまう物語」
美琴は、最初こそ愛想笑いを浮かべながら相槌を打っていた。
「へぇ……」
「そうなんですね」
「なんか、すごかね」
けれど、古谷の話が続くにつれ、その表情から少しずつ笑みが消えていった。
一方、灯真は違った。
机の上の資料を一枚ずつ手に取り、食い入るように見つめている。
「……これ」
「何?」
「この蛇の話……」
灯真は資料を指差した。
「大牟田の大蛇の話と似とらん?」
古谷の目が鋭くなる。
「……そうなんだ」
「だから、お父さんは調べていた」
「大牟田に残る伝承が、世界各地の神話と偶然似ているだけなのか」
「それとも――」
古谷は、そこで言葉を止めた。
美琴は、もう資料を見ていなかった。
自分の父親と母親が何を研究していたのか。
大牟田の神話が世界の神話とどう繋がっているのか。
そんなことは、今の美琴にはどうでもよかった。
頭の中にあるのは、ただ一つ。
――お父さんとお母さんは、どこにいるのか。
「……あの」
美琴が小さく口を挟んだ。
古谷は話を止める。
「そんな話じゃなくて」
美琴は俯いた。
「お父さんとお母さんは、どこに行ったの?」
社務所に沈黙が落ちた。
古谷は、はっとしたような顔をする。
「あ……」
そして、困ったように頭を掻いた。
「申し訳ない。悪い癖で……熱が入ってしまった」
「そうだね」
古谷は苦笑する。
「今、一番知りたいのは、そのことだよね」
「うん」
美琴は小さく頷いた。
「でも、この話だけは先にさせてほしい」
古谷は、机の上に一枚の古い紙を置いた。
「君のお父さんとお母さんが最後に調べていたものに、これが関係しているんだ」
紙には、古い文字で何かが記されていた。
「これは、神崎神社に伝わっている歌だ」
古谷が読み上げようとした、その時だった。
「……待ってください」
灯真が顔を上げた。
「その歌――」
古谷が灯真を見る。
「何か知ってるのかい?」
灯真は、少し考える。
そして、以前、歴史資料館で見た歌を思い出した。
「それ……埋蔵金伝説の歌と似とる」
「埋蔵金伝説?」
美琴も顔を上げた。
「善徳長者の……?」
「そう」
灯真は頷いた。
「前に調べたとき、似たような歌が出てきた」
古谷の表情から、笑みが消えた。
「……どんな歌だった?」
「確か――」
灯真は、記憶を辿るようにゆっくりと口を開いた。
「朝日さす夕日てり込む木下に……」
「そう!」
古谷が驚いて続きの歌を読む。
「油千杯、朱千杯、座頭の杖の飛ぶとばん」
「知ってるんですか」
灯真が身を乗り出して質問する。
「この神社にも、同じような歌が残されていてね」
古谷は、2枚の紙を比べるように机の上に広げると。
「この地に災い訪れるとき――」
古谷が、ゆっくりと読み上げる。
「朝日さす夕日照り込む木の下に、灯り持つ者、朱持つ者、座頭の杖のその先へ、悪しき者を払わんとす」
美琴は黙って聞いていた。
「この歌の意味を、進さんたちは調べていたんだ」
「……どういう意味なんですか?」
美琴が尋ねる。
古谷は、紙を指でなぞりながら説明を続けた。
「まず『朝日さす夕日照り込む木』」
「これは、古い伝承に残る巨大な木を指しているんじゃないかと考えられている」
「巨大な木……?」
「そう。大牟田には、昔から大きな木にまつわる伝承が残っている」
古谷は一度、資料に目を落とした。
「そして、その木の下にあるものとして語られてきたのが――地下の世界だ」
美琴が少しだけ眉をひそめる。
「地下の……世界?」
「そう」
古谷は頷いた。
「善徳長者の埋蔵金伝説では、それが『油千杯、朱千杯』と表現される」
灯真が資料を覗き込む。
「油千杯……」
「油のように燃えるものーーそう考えると、石炭を連想させる」
「そして『朱』は、赤い色を持つもの。古くから神聖なものや、血、生命、あるいは神の領域を象徴することもある」
「千杯というのは、文字通り千杯という意味ではない。数え切れないほど大量にある、という表現だろう」
灯真の目が、資料の文字を追っていく。
「じゃあ……」
古谷が続ける。
「『座頭の杖の飛ぶとばん』」
「これは、明かりの届かない暗い場所を意味するという解釈がある」
「つまり――」
古谷は机の上の資料を見渡した。
「大牟田の地下深くには、燃えるものと、何か神聖なものが大量に存在する」
美琴は、少し困ったような顔をした。
「でも……それって、埋蔵金の話ですよね?」
「そう。昔の人々は、それを宝として考えた」
古谷は苦笑する。
「ところが、面白いことに、この伝承が語られていた時代には、まだ大牟田で石炭が発見される前だった」
灯真が顔を上げる。
「……じゃあ、昔の人は石炭のことを知っとった?」
「そこが分からない」
古谷は首を横に振った。
「だから、進さんたちは調べ始めたんだ」
美琴の表情が少しずつ曇っていく。
「お父さんたちが……?」
「そう」
古谷は、神社に伝わる歌へ視線を戻した。
「そして、二つの歌があまりにも似ていることに気付いた」
「埋蔵金伝説の歌と……この神社の歌」
灯真が呟く。
「そうだ」
古谷は頷いた。
「どちらも『朝日さす夕日照り込む木』から始まり、地下の暗闇を示している」
「そして、どちらも『朱』という言葉を使っている」
美琴が紙を見る。
「……朱持つ者」
「そう」
古谷の声が少し低くなる。
「進さんたちは、この『朱持つ者』が誰を指しているのかを考えた」
美琴が顔を上げた。
「誰って……」
古谷は、言葉を選ぶように一度黙った。
そして、美琴を見る。
「君じゃないか、と」
「……私?」
美琴の声が小さくなる。
「君には、生まれたときから手首にその印がある」
美琴は反射的に自分の手首を押さえた。
「進さんと美咲さんは、その印と神社の伝承に何か関係があるんじゃないかと考えていた」
「だから……」
美琴の声が震える。
「だから、お父さんとお母さんは……?」
古谷は答えなかった。
(第24章 終わり)




