第6話 煽って煽り返す
気持ち悪い部屋から抜け出したレーベンは、屋敷の廊下を歩いていた。
どこもかしこも豪華だ。しかし、幾ら歩いてもメイドの姿はない。窓の縁を指でなぞる。埃は付かない。
部屋の隙間や棚の上なども綺麗にされていた。
こんなに静かだと不気味な屋敷に一人で迷い込んだみたいだ。
マルスが好きなように見ていいと、堂々とした様子で言っていたが、確かにメイドや内装以外は変なところは何一つない。幾つか部屋はあったが見ることはなかった。さすがに人様の部屋を覗き見ることなんて無理だ。
レーベンは鼻を掠めた匂いを捕まえるように、すんと息を吸う。
「とりあえず厨房に行ってみるか」
夕食が近くなって来たのだろう。厨房が近いのか、香りが漂っていた。たまねぎを炒めている匂いだろうか。肉も一緒に焼いているような。階段を降りて行けば行くほど、強くなっていく匂い。
食器の音がする。
足音も一人分だ。
「あったあった」
マルスの声だった。何かを入れる音が聞こえる。
そっと、厨房の中を確認する。
大きなフライパンで肉を焼くマルスがいた。白いエプロンを着て、肉をひっくり返していた。
手に持ったボトルを傾ければ、炎が勢い良く上がる。恍惚とした表情のマルスがフライパンを揺らす。
その瞬間、肩に誰かの手が置かれる。
「!?」
勢いよく振り返れば、ルストの姿に瞬時に胸を撫で下ろす。不気味な屋敷でやっと独りから脱することができた。
「何やっとんねん。もう腹でも減ったんか?」
「なわけあるか、調査だ調査」
緊張の糸が切れてしまった。
それにしても、こいつ。さっきあんなに人を煽っておいて、よく普通に話しかけられるな。
レーベンは小首を傾げ、調理場に視線を戻す。
「うわっ」
マルスと目が合ってしまった。
こちらにゆったりとした足取りで向かってくる。
レーベン達を見たマルスは、にっこりと微笑んできた。
「どうぞ、気が済むまで調査して下さい」
どこからそんな自信が湧くのだろうか。
「先ほどもお伝えしましたが、鍵がかかっていないところならどこでも」
「おー、ええこと聞いたわ。まだ飯やないやろ? レーベン、探検しに行こうや」
腕を引かれ、無理矢理歩かされる。
「行ってらっしゃいませ」
お辞儀をしたマルスが調理場の奥へと戻って行った。
窓の外が騒がしくなって来た。大粒の雨が地面を黒く塗りつぶしていく。
「おい、ルスト」
前を歩くルストは腕を離してくれなかった。ずんずん、と前へと足を進めて行く。
「おい、ルスト! 離せ!」
「……なんや。まだ怒っとんの?」
鼻で笑われる。
また、それだ。人を馬鹿にしたような笑い方。
アモルの名前を出して来たり、煽ってきたのはそっちだ。
それにずっと苛立って。部屋を別々にしたのがそんなに気に食わなかったのか?
確かに離れるな、とは言われたがあの状況では、仕方がなかった。
「俺はこっちへ行く。お前はそっちへ行け」
ルストとは別の方向へと歩みを進める。
「おい、待てや」
「うるさい」
「お前、俺がバディ亡くしてんの分かっとってそーゆーことしとんのか?」
「はあ?」
「……ほんま、人間はくそやな」
ルストは吐き捨てるように、冷笑を浮かべる。
人間がくそだって?
ここに来るまでは、バディを亡くした者同士、少しは歩み寄ろうと思っていた。
もうやめだ。
どんなに話したって合わない奴は、とことん合わない。
「お前ら獣人だってくそだろ……」
ギフトっていう意味わからんもん体に溜め込みやがって。
それがなければ今頃、獣鬼なんて生まれもしなかった。
アモルが苦しむこともなかったんだ。
レーベンは溢れ出てくるモノを拳できつく握り潰す。
「なんや、泣くんか? 弱っちぃな。騎士団、辞めた方がええんやないか?」
「……辞める?」
「そうやで、弱っちぃ奴は辞めた方がええ」
レーベンのきつく握られた手がゆっくりと開いていく。
アモルが亡くなってから考えて、踏みとどまっていた場所。ルストの一言でその道への門が開く。
辞めれば騎士のレーベンではなく、ただのレーベンに戻れる。アモルへの罪悪感からも解放されるじゃないか。
「まあ、嘘やけど」
「分かった、辞めてやるよ」
「は? 辞められるわけないやろ。騎士団辞めて、どこ行くんや」
「騎士団じゃなくたって生きていけるよ……お前は無理だろうけどな」
はっ、とルストに向かって鼻で笑ってみせた。
「なんや、逃げるんか。俺からも、アモルからも……自分からも。ここ数時間でつまらん男になりおって。ええよ、バディ解消したるわ」
ルストは琥珀色の瞳で睨みつけてきた。それに心臓を抉るように刺されてしまう。
ふわふわのルストの尻尾が勢い良く風を切るように動く。縁でも断ち切ったかのようだった。
廊下の奥へと消えていくルストの後ろ姿を見送る。
また一人になってしまった。雨が強くなってきているのか、嘲笑うかのように窓を鳴らしてくる。
アモルから逃げるのか、と言われてしまった。
獣鬼になる数日前のアモルは、眉を垂らして笑っていた。あの時、何て言ってただろうか。確か。
「逃げてもいいから、帰っておいで」
レーベンは、その場から動けなくなって雨に打ちつけられている窓の縁に背を預けた。




