⑥
「――嘘だ……」
深い山の中、冷え切った夜の空気中に、エリーは白い吐息を零した。
……信じられなかった。
ついさっきミルディア領主とは会ったばかりだ。もしティルの言うことが事実だとしたら、スタンリーのエリーに対する温かな振る舞いは、すべて演技だったということになる。
「嘘で口にするのは失礼な話でしょう」
「じゃあ、町長に指示を出して、税率を上げているのはミルディア領主なのか?」
ティルは付近の切り株にゆったりと腰をかけた。
「さてね。でも、ミルディアとサンセクトは手を組んでいるのは確かだろうなあ」
「どうして?」
「ミルディア領主が聡明だからさ」
目を覚ましたイサがぶっきらぼうに答えた。何が言いたいのかさっぱり分からない。
「まるで意味が通じないぞ、金貸し! お前だって狡賢い金貸しじゃないか!」
エリーはたまらずに、イサの月光に白く映える襯衣の襟元を掴んで揺さぶった。
「ま、待て。殺さないでくれ」
「確かにあの人は頭の回転が早い感じがしたけど、でもなあ!」
「冷静になりなよ。エリー。第一印象で決めている場合じゃないでしょう。このイサだって、町長を探るために、金貸しのフリをしてたっていうんだし……」
「本当なのか……?」
「久々にサンセクトに里帰りしたら、大変なことになっていてな。……何とかしたかったんだよ。だから、実際はそんなに金の回収だって厳しく取り立ててないはずだ」
「そりゃあ、すまなかったな」
エリーは不機嫌なまま、イサから手を放した。イサは引っ張られた襯衣を直しながら、独り言のように訊いてきた。
「あんた達一体何者なんだよ。二人は仲間なのか?」
「仲間のはずがない」
即座にエリーは首を振る。ぽかんとしているイサに、ティルが冷静ぶった口調で続けた。
「彼は彼の大義名分で動いていて、私は私の目的で動いている。たまたま行動が一致しているだけだよ」
「俺は……」
大義名分と一言されるのも不快であったが、ティルの「目的」が分からないのも、腹が立った。
……コイツの目的って、いったい何なんだ?
ただ、街の人を救おうというだけでもないらしい。
だったら、一体なんなのだろう?
「おい。ティル、お前はもったいぶっているみたいだけど、その目的ってのは、本当に存在しているのか? 存在しているのなら、一体何なんだ?」
「―――…………秘密」
まるで、エリーの怒りを助長するような不敵な笑みで、ティルはあっさりと言い放った。
…………なんだと?
「俺はな、ティル。お前のそのふざけた口調が気に入らないんだ。大体、姑息なんだよ。影でこそこそ仲間を使いやがって」
「はっ? 誰のこと? 何を勘繰っているのか知らないけど、私は誰かとつるんでなんかないよ」
「ふん。あくまでしらばっくれる気だな。こうなったら、絶対暴いてやるからな!」
「ご勝手にどうぞ。精々、頑張って」
「くぅー、嫌な感じだな。まったく」
感情のまま、剣の柄に手を置いたところで、ようやく、エリーは、我に返った。
そうだ。今はそれどころではないのだ。
エリーは何度か深呼吸をして、心を落ち着かせてから、イサと向き直った。
「……で、領主が聡明だと何が悪いんだ?」
「えっと、それは……」
一瞬、急に自分に話を振られて、呆然としていたイサだったが、やがて、咳払いと共に、神妙に話を進めた。
「…………ミルディア領主は完璧なのが逆に怪しいと思うんだ。戦時中もうまく自分の領地を支配していたみたいだし、戦後は難民の受け入れにも積極的だ。庶民の嘆願にもきちんと耳を傾けているし、きめ細かい政治をしている。そんな領主が自分の領地内の悪政について知らないはずがない。……そう、俺は思ったんだ。」
「それは…………」
…………確かに。
もしも、的外れな意見だったら、ぶっとばしてやろうと思っていたエリーだったが、残念なことに、イサの指摘はまともだった。
……多分、その通りなのだろう。
イサはエリーが思っていたより、ずっと利口な男のようだった。
「そういえば、宿屋の女将が、ミルディア領主が会ってくれなかったと言っていたな」
「おそらく、領主は最初からサンセクトの人間と会うつもりがなかったんじゃないの」
「――ティルも分かっているだろうけど、俺はな、ミルディア領主に会ったんだ」
エリーはうつむいて、腕を組んだ。考えがまとまらない。
「目的が見えないんだ。領主は金儲けに走っているような方ではなかったし、戦争を望んでいるような方でもなかった。公明正大な、それこそ自分の正義を持っているような感じの方だった。それに、亡くなった娘さんは、反乱軍、今のウィラード国王陛下の軍に参戦していたって。……まさか、これも領主の嘘だというのか?」
「残念ながら、それは事実だよ」
「ティル。お前はそこまで知っているのか?」
自分があの戦争に関わったのを認めるかのように、ティルはしっかりと頷いた。
「私は会ったことはないけど、領主の娘さんが反乱軍にいたことは知っている。もしかしたら、国王は知っているかもしれないね」
それなら、なおさら意味が分からなかった。スタンリーは娘が命を落とす原因が国王のせいだと思い込んでいるのだろうか?
「ミルディア領主に、誰かが指示を出しているかもしれないでしょう」
「まさか、アイリーン!?」
エリーは叫んでから、慌てて口に手を当てたが、ティルがうたろえた様子はなかった。
「その可能性もないとは言えないけど、それは有りえないね。……私が保証するよ」
「じゃあ、一体誰が?」
「さあね。いずれにしても、やり方が巧妙だっていうことだよ。税金は法外に上げているけど、町民が餓死するまで追い詰めるようなことはしていない」
ティルの言葉に、その通りだと、何度もイサが相槌を打った。
「ここら一帯はすべてミルディア領だ。この道を行けば、ミルディアの城下町に着く。他の道を使っても、町は違えど、そこもミルディア領だ」
「要するに、何が言いたいんだ。イサ?」
「今まで国王に嘆願書が届かなかったのは、つまりそういうことだ。どの道を行こうとも王都に抜けるためには、番所を通らないといけない」
「まさか、ミルディア領主がそんな指示を出しているのか?」
「そんなことは分からない。ただこれが現実だってことさ。番所をサンセクトの人間が抜けるためには、よっぽどの理由が必要となる。番所の方は物騒だから警備を厳しくしているとでも言えば、良いわけだ」
イサの正確な指摘に、エリーは押し黙って考えた。エリーは近衛騎士団の任命証を見せて、すんなりミルディア領に入ることが出来た。だが、都に帰るとしたらどうだろう。一筋縄でいくだろうか。益々、雲行きが怪しくなってきた。
「分かったよ。ティル。俺が領主ともう一度会ってみれば良いんだな」
「エリー、もしかして、これからミルディアに戻るとか言うんじゃないだろうね?」
「ああ、今からなら明日の昼には到着するだろう」
「あんたは本物の馬鹿か……」
「何度も馬鹿と言うな。女装男!」
「ふん。私は女装だけど、あんたみたいに馬鹿じゃないよ。――まったく。あんた、死ぬつもりか? たった今、殺されかけたんだよ。あんたを殺そうとしている男のもとに、のこのこ出向いて行ってどうするつもりなの?」
「まだ黒幕が領主と決まったわけじゃない」
「もっとも疑わしい人物なんだよ。もしも、あんたの言う通り領主じゃなかったしても、訓練を受けた連中があんたを狙っているんだ。わざわざ隙を作る必要はないじゃないか。私は言ったよね。サンセクトの件を調べたら、とっとと王都に帰るようにって」
「俺は騎士だ。騎士ということに誇りを持っている。一度抜いた剣を鞘に戻す時は、戦いが終わった時と決まっている」
「―――分からず屋」
ティルは立ち上がると、くるりとエリーとイサに背を向けた。
「何処に行くんだ?」
「町長のところ。やりかけの仕事があるんだ」
「お前だって、危険なことをしているだろう」
「あんたと私では危険の度合いが違うんだよ」
早歩きで、ティルはどんどん進んで行く。直ぐにその華奢な後ろ姿は、木々に埋もれて見えなくなってしまった。
こんな別れ方で良かったのだろうか。
他にもエリーはティルに、色々と聞きたいことがあったのだが……。
気がつくと、エリーの隣りでイサがうろたえていた。
「まさか、アイツが男だったなんて、一体、世界はどうなってるんだ?」
「たいしたことじゃないだろう」
「たいしたことだよ!」
これ以上議論の余地はないと、あきれたエリーはイサの服を掴んで引っ張った。
死んでしまった髭面の金貸しを弔ってやろうと思ったのだ。
イサは落ちていた木の枝で、土を掘りながら、エリーを横目で見ていた。
「まあ、確かにあんただって男なんだから、そんなに変なことじゃないのかもな」
「――それは俺が男らしくないって、馬鹿にしているのか?」
「違う。誉めているんだよ」
エリーは憮然とした顔つきで、頭二つ分、背の高いイサを見上げる。イサは金貸しをやっている時には見せなかった、あどけない顔で笑った。
「お前はどうするんだ? まさか、町長の所には帰れないだろう」
「サンセクトに帰って仲間と合流する。せっかく命拾いしたんだ。大切に使うつもりさ」
「……仲間がいるのか?」
「サンセクトの町民が腑抜けだと思うなよ。聖女を信じるか信じないかで対立はしているけど、根本にある気持ちは一緒だ。―――町長が悪いってな」
「町長は確かに悪いけど……」
エリーの頭の中は、混乱していた。
あからさまに悪人の町長がいて、英明な領主がその近くにいる。ティルは神殿内で、「アリスタが絡まないのは、おかしい」と言っていた。
馬車の中にあった禁制品の火薬はアリスタ製だ。
「やはり、……目的は反乱なのか」
エリーは苦々しく呟いた。




