➀
絶望の淵は、身を焦がす炎の中にあった。
すべてが燃えていた。
見渡す限り赤色に染まった世界の中で、ティルはただ泣き叫ぶことしか出来なかった。
あの時……。
何故、自分の力を過信したのだろう。
何故、彼女の言う通りにしなかったのだろう。
こんな結末を望んだわけじゃない。せめて、自分が犠牲になれば良かったのに……。
何度も心を過ぎった言葉。後悔なんて言葉では済まされない。
――だって、アイリーンは。
「ティル……」
今でも鮮明に覚えている。
何事もなかったかのように、いつものおどけた口調。
けれども、彼女の白い神衣はぼろぼろで、指先から血が伝っていることをティルは知っていた。
「アイリーン!」
そっとティルを後ろ手で庇う。女性のくせに、並みの男より勇敢な後ろ姿だった。
地面に赤い染みを作りながらも、彼女は前進をやめない。
諦める気なんて、更々ないのだ。ティルが後ろにいる限り……。
「アイリーン。ゴメン……。こんなことになるなんて、俺思ってもいなかったんだ! 本当に、本当に俺……、どうしたら……」
抑制がきかない感情を込めて、ティルはアイリーンの背中を掴んだ。
いっそ、叱りつけて罵倒して殺してくれれば良かったのに……。
その時のアイリーンはいつもの毒舌ではなく、優しくティルの金髪を撫でるだけだった。
それがティルにはたまらなく恐ろしかった。
「心配するな。大丈夫だ。まだやりたいことだって、沢山あるし。ほらお前とは約束しただろう」
――何のこと?
と恐る恐る聞き返せば、アイリーンは肩で笑いながら言った。
「……いつか、ヴァールの祭りに行こうって」
「は?」
ティルはそんな絵空事信じていたわけではなかった。
事実、その時のグローリアは荒れていて、祭りどころではなかったのだ。
アイリーンが口にしていた幾つもの戯言など本気にもしていなかった。
あの頃のティルには、この国が安定する日が来るなんて、想像もつかなかったのだ。
しかし……。
――今年ヴァールの祭礼は復活する。
皮肉なものだ。魔女の彼女があんなに行きたがっていた祭典に、当時、何の興味もなかった自分が行くのだ。
「何でかな……」
ぽつり独り言を口にするティルは、馬車がほとんど動かなくなっていることに、ようやく気がついた。
感傷を打ち消すように、横の小窓をひらく。
ミルディアの城下町は色を変えていた。
剛健質素な印象をこの街に持っていたティルは、人々が狂喜している様に、目を細めた。
いたるところに、色とりどりの花が飾られ、通りを埋め尽くす露店では、祝い酒が振る舞われていた。
一年に一度の「ヴァール祭」。ミルディアの都市部で開かれるこの祭りは、古代からグローリア国内でも有名だった。
―――とはいえ、何か大それたことが行なわれるわけではない。
古代はいざ知らず、戦争前にやっていた祭りは、ただのどんちゃん騒ぎで、女神ヴァールに一年の感謝とこれからの安泰を祈るという建前で、皆で踊り、酒を飲む。たったそれだけのことだったそうだ。
しかし、それでも戦時中は禁止されていたし、ようやく今年解禁となった祭りは、ミルディア都市部に暮らす人たちにとって、大きな癒しになっていることは確実なようだった。
……たとえ、権力者の思惑とは違っていても。
「何を見ているのかな?」
暑苦しい男の声が、ティルの耳元でした。ティルは、咄嗟に無理矢理笑顔を作り出す。
向き合うようにして座席が作られた大きめの馬車は、ほとんど肉が包まっているような派手な格好をした男に占拠されていた。
「そんなに珍しいかね。ミルディアの祭りは?」
「え、ええ。お祭りって何だかどきどきしますわ。それに、こんな大きな街初めてです。こんな大きな街の夜会に招待されるなんて、さすが町長さまですわ」
ティル自身、痛々しい世辞だったが、町長は何度も首肯して、相好を崩しっぱなしだった。
何もかもティルの言葉を鵜呑みにしている町長は、憐れなくらいティルに忠実だった。
「それにしても、良かった。お前が無事に帰って来て」
「本当、怖かったです。あの男、私を無理やり……」
「つくづく許せんな。裏切り者のイサめ!」
ティルは、イサに無理やり拉致されてシザの山中に監禁されていたことにした。
火薬の存在を知ってしまったことにすると、話がややこしくなるので、知らないふりをしている。
イサならきっと、サンセクトの町でうまく身を隠すことができるだろう。町長はティルの言葉を信じ込んでいる。
話を捏造することなど、造作もないことだ。
夜会に忍び込むつもりでいたティルには、町長が招待されていたことは、幸運だった。
夜会には、領主に関わりを持ってい旧貴族たちが大勢招待されている。今回の一件に関しても解決に近い情報を入手することができるかもしれないし……、
それに、彼女も来るかもしれない。
「あ!」
「ど、どうしたのだ?」
「あ、あああ……。どうやら私、馬車に酔ってしまったみたいだわ」
「それはいかん!」
町長がでっぷりした体を前傾させたので、馬車が軋んだ。町長は御者に止まるように指示を出しているようだった。
……好機だ。
ティルはその隙に、真っ赤な礼装を翻して、馬車から飛び降りた。
「町長さま、私歩いて城に向かいますわ」
「そんな勝手な!」
「……大丈夫です。招待状、自分で持っていきますから」
「な、なんと!?」
町長は胸衣嚢を探りながら、頬の肉を震わせた。ティルは町長の隙をついて、招待状を奪い取っていたのだ。
「町長さまは、皆さんご存知ですから、招待状がなくても城に入れると思います」
「そ、それはそうかもしれないが……」
ちゃっかり、自分に好意的な意見として受け止めている町長を、ティルは呆れた眼差しで見送った。
脇の細い路地に入っていく。もう、馬車は入ってこられないだろう。
しかし、さすがに町長の信頼は揺らいだかもしれない。
だが、仕方ないだろう。ティルは見つけてしまったのだ。
――彼女の姿を……。
「そこのお嬢さん」
びくりと前方を歩いていた女性が歩みを止めた。
しかし、ティルだと気づいたのだろうか、再び逃げるように歩き始めた。
高い踵の靴がよほど歩きにくいのだろう。足を引き摺るようにして歩いている。
小脇に抱えている細長い物体は、布で隠してはいるが、どう見ても剣に違いない。
精一杯、変装しているつもりなのだろうが、かえって目立っていた。
「ちょっと、待ちなよ。三日振りじゃないか。やっぱり、領主に会えなかったんでしょう? ……切ないね。だから、祭りに合わせて変装なんかしているわけ。……イサはどうしたの? まあ、あんたのことだから、強引に別れてしまったんだろうけど」
エリーは、ティルとは対照的な青い礼装を身に付けていた。夜会に参加するのは一目瞭然だ。
……面白い。
ティルは噴き出しそうになるのを辛うじて堪えていた。
そんなティルの気配を察したのだろうか、エリーは怪しい足取りで懸命に歩いている。もちろん、ティルは逃がすつもりはなかった。
「あっ! 鬘がずれてる」
「えっ! 嘘だろ」
「やっぱりエリーじゃないか」
周りこむと、不機嫌極まりない顔つきで、横を向いたエリーがいた。
「こ、これは、その、仕方なく変装でだな。お前のような趣味の女装とは違うんだからな」
そう言って、露出度の高い礼装の胸元を隠すように押さえるが、微かな胸の膨らみが作り物ではないことは、明らかだった。
「分かっているよ。あんたの場合は女装じゃなくて、正装でしょ。女なんだから……」
「何だって!? いつだ? 一体いつから知っていた?」
「ほとんど最初から」
「嘘だ」
「嘘以前の問題だよ。私は冗談でも、男のことをエリーだなんて呼ばないよ。まあ、その様子だと、エリーというのも本名だったりするのかな」
「……そんな」
愕然としているということは、図星なのだろう。
だが、分からないほうがおかしいとティルは思っていた。
だいたい、声だって低いとはいえ、女が精一杯虚勢を張っているようにしかみえなかったし、体は大柄とはいえ華奢だ。腕は骨張っているとはいえ、ティルが触った感じからして、男ではありえない柔らかさだった。
エリーは女だ。
エリオットなんて分かりやすい偽名も、笑えるくらい、無理をして男装している娘だ。
むしろ、騎士団の連中がどうやってエリーに接していたのかが、ティルにとっては、最大の疑問だった。
「礼装はどうやって調達したの?」
「そこの酒場の親父の亡くなった奥さんの礼装を借りた。奥さん大柄だったみたいだから、ぴったり大きさが合って、鬘も靴も一式借りることが出来た。勿論、ちゃんと金は包んできたぞ」
「……どおりで」
ティルは額に手を当てた。せっかくの「夜会」。いくら何でも女性だったら、お洒落にも念を入れるところだろうが、エリーにはそういう配慮がまったくない。
もしも、その酒場の奥さんとやらが生きていたら、こんな逸材を放っておくような真似はしないだろう。もっと綺麗に飾り立てたはずだ。
「化粧もしないで、夜会に行くわけ?」
「俺はただ領主に会えれば、それでいいんだ」
「招待もされていないのに、どうやって入るの?」
「取りあえず、招待客っぽい格好をしていけば、どうにかなるだろう。俺は領主の娘に似ているっていう話だし」
「なるほど。娘と似ているのを利用して、中に入り込もうという魂胆だね。幼稚だけど、あんたらしい考え方だ」
「それは、馬鹿にしているんだよな?」
「だって、その格好じゃ、街の娘には見えても、あの城に招待されるような貴族には見えない。せめて、化粧くらいしなきゃね。仮装じゃないんだから、領主に追い返されるよ」
「そうは言ったって、道具もなければやったこともないし……」
困惑するエリーの手をひいて、ティルは先ほど町長と別れたばかりの大通りに出てきた。
通りかかった辻馬車を止める。
「一体、どうするつもりだ?」
ティルは、目を白黒させているエリーを馬車の中に引きずり込むと、御者の男にたんまりと金を渡した。
男は快く応じて、馬車を通りの端に止めると、御者台から降りて行った。
「少しの時間、御者は食事に出てもらうから、そのうちに、とっととやってしまおう」
「何を?」
「化粧だよ」
ティルは手馴れた手つきで、鞄の中から一式を取り出した。
「お前、本物の変態だろう。男が化粧道具なんて持ち歩くなよな!」
「似合うんだから、仕方ないじゃないか」
「ひ、開き直るな!」
うろたえるエリーを押さえつけて、ティルはさっさと、化粧水をふりかけていく。
髪を結って、白粉を塗っていく頃になると、ようやくエリーも腹が据わったのか、だいぶ大人しくなった。
「お前、俺が領主に会うのを、反対してたのに、どうしてこんなことをするんだ? 何か企みでもあるんじゃないのか?」
「……別に。考えが変わっただけだ。領主があんたに会わないのは、後ろめたい気持ちがあるからなのかもしれない。そう思ったんだ。殺すつもりなら会ったほうが早い」
「お前も、やっぱりそう思うだろう!?」
エリーは領主が主犯格から格下げされたわけでもないのに、嬉しそうだった。
騎士のくせに、なんてお人好しなのだろうか。
「実はな、何度行っても領主は祭りの準備で忙しいとか言って、会ってくれなかったんだ。女中を使って、俺に王都に帰れって言うし。まるで心配しているようだった。領主は俺を危険から遠ざけるために、わざと会わないんだ。つまりこの件には、更に黒幕がいるっていうことだ。俺はそいつを突き止めてやる」
そう言うエリーは、おそらくその黒幕について、まったく気付いていないのだ。
――無理もない。
あらかじめ沢山の情報を持っていたのは、ティルのほうだ。
黒幕の正体をティルは確信を持って知っている。しかし、それを今エリーに告げるつもりはない。
多分、彼女は、領主といたほうが安全なのだ。
「……動かないでくれる。口紅がはみだすよ」
ティルは、淡紅色の貝殻を開いて、鮮やかな赤い口紅を指先につけた。
何気無く、エリーのふっくらとした唇に指を伸ばすが、そこでふと違和感を覚えた。
「……エリー、あんた何で、目を閉じてるの?」
「閉じるもんじゃないのか?」
「普通は閉じないよ!」
ティルは慌てて退いた。エリーは目をつむって顔を突き出してくる。ついでに胸も……。
絶対無意識だ。彼女は別に何も意識などしていない。それは理解していた。
けれども、狭い馬車の中に、二人しかいない。息遣いさえ聞こえてくる距離を、意識しないように心掛けるのは難しかった。
普段、露出することもない彼女の白い肌が何だか妙に艶かしい。……危ない。
「どうしたんだ?」
我に返ると、あっけらかんとエリーが小首を傾げていた。ティルの苦労も知らずに……。
「男は捨てたつもりだったのになあ……」
憎しみが呟きにこもった。
ティルが女装をするのは、似合うからという自由意志もあるが、女の領域に踏み出したいという、願いもあった。
女性がどんなに武術を極めても、男の体力に叶わない瞬間があるように、魔術も女の方がヴァール神と感応しやすい。
ティルは魔術を極める者として、どうしても女に近づきたかったのだ。
しかし、どう頑張っても女の心にはなれないらしい。
「お前なんか、性別以前に性格に問題があるからな」
エリーが深読みすることなく、素直に返答してくる。
「――それは、あんたもでしょう?」
ティルも精一杯の理性でそう言い返した。照れ隠しのように、エリーに首飾りをかける。
サンセクトの露店で、エリーに高値で購入させた首飾りだった。
「ミルディアで有名な『フローラルナイト』もどき。青い礼装に映えるんじゃないの」
「フローラルナイト? 良いのか。俺がこんなの身につけて。本物の女みたいじゃないか」
「……本物でしょうに」
間もなく、御者が帰って来たので、ティルとエリーは馬車に揺られて、城を目指した。
途中、遠景に見える城が夕陽と一体化し、神秘的な光景を二人に見せた。
森を抜けて、いよいよ城が迫ってくると、石造りの小さな城には、祭りらしく、沢山の松明が使われていることが分かった。城に続く坂の下は招待者の馬車だらけである。
だが、エリーは馬車を城からだいぶ離れた場所で止めさせた。
御者の手も取らずに、難しい顔で、長剣を片手に馬車から降りてくる。
「何だ。エリー、また、尾行されてるの?」
ティルは眉をひそめた。エリーに分かって、自分に分からないのが、ちょっと悔しい。
「実はミルディアに着いてから、ずっと尾けられてたんだ。でも、ミルディア領主の手勢ではないようだし、特に殺気は感じなかったから、放っておいたんだが……」
「ずいぶん、気長だね」
「女装したら、撒けるかとも考えていたんだが、そうはいかないらしい。今も後ろの馬車で俺を見張っている。お前の仲間なんじゃないか?」
「私に仲間はいないって言っているじゃないの」
「多分、先日、神殿で出くわした仮面男だろう。お前と入れ替わるように現れるなんて、怪しすぎるじゃないか」
「仮面……もかぶってたの?」
「やっぱり、心当たりがあるんだろう?」
ティルは自然な演技で惚けた。
「いや、知らないよ。趣味で仮面をつけるような男に知り合いはいないよ。あんた、怪しい奴は全部私関連だと思ってるでしょう?」
「とにかく、これからが本番なんだ。ここでこの問題にはケリをつけておきたい」
エリーは、素早く会話を打ち切ると、真っ青の礼装をはためかせて、後続の馬車に近づいた。
御者台の男に勢いよく剣の鞘を押し当てて、毅然と言い放つ。
「いい加減にしろ」
女であることが勿体無いほど無駄のない身のこなしをして、エリーは鋭い瞳で、男を見上げた。
男は銀色のおかしな仮面を被っていた。
「馬車の中は空だろう。馬の蹄の音が軽かったからな。……で、仮面男。神殿で助けてもらったことは忘れていないが、一体どういう目的で俺を追っているのか、説明してもらおうか?」
誰なのかとっくに見当がついているティルは、苦笑するしかなかった。
間近で見ると、本当に怪しい。警邏隊に引き渡されそうな格好だった。
「とりあえず、その仮面を取ったらどうだ」
静かに男は頷いた。そして、周囲を見回してからゆっくりと仮面を外した。
ティルは分かり切った結末に、視線をそらしたが…………、
「貴方は! フェルディン執務官!」
「………嘘!?」
エリーの予想外な一言に誘導されて、男と至近距離で向き合う羽目となってしまった。
……だけど。
やはり、嘘だった。
大体、机仕事ばかりで、滅多に腰を上げないフェルディンが動くことより、無駄に行動力に溢れているこの男がやって来る方が、可能性として、はるかに高いのだ。
彼女は、とことんこの男に騙されているらしい。
三年ぶりに再会した男は、嫌がらせのように晴れやかな笑顔をティルに向けていた。




