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ラストウィザード  作者: 森戸玲有
第2章
14/40

「――アイリーン」


  ティルは弱々しくそう呟いたが、しっかりとエリーの耳にはそう聞こえた。

 嘘じゃない、本当の声だった。

  ―――本物。

  ……本物のアイリーンだ。

  エリーも悟った。

 しばらく見つめ合っていたティルとアイリーンだったが、やがてアイリーンは、側に控えていた神女たちに介抱されながら、慌しくその場を出て行った。

 エリーにとって、何もかもが想像のつかない展開だった。

 神聖な場があっという間に、物騒な状況に変わっていく。


「聖女さま!」

「いったい聖女さまはどうなされたんだ!?」


 どよめきが怒声となって、波のように広がっていた。


「お前のせいだぞ」


 アイリーンが出て行ったことを知るや否や、ついに矛先はエリーに向いた。


「これから、聖女さまにお力を借りるつもりでいたのに、台無しじゃない!」

「お前にあの国王の何が分かるんだ?」

「まったく、もう……」


 すぐ脇で、ティルがこれ見よがしに深い溜息をついた。

 どうして、こんな状況になってしまったのか。

 逃げ場すらない。

 聖女アイリーンを妄信している町の人間に四方を囲まれている。


「困ったものだよ。まったく」

「俺のせいだって言うのか?」

「別に、あんたの大声と目立つ行動のせいだなんて、私は言ってないよ」

「腹の立つヤツだな! お前だって、辛そうな顔をしてたじゃないか。だから、俺は……」

「わ、私が辛そうな顔をしてたって!?」

「してたじゃないか? 泣きそうな面をして。お前、案外自分のことに関しては演技が下手だろう? だから、お前のためにも、この場を去ったほうが良いと思って、俺が連れ出してやったんだ……」

「私はね、こんな騒ぎになるようなことをしてくれなんて、あんたに頼んだ覚えはないよ。もう少し冷静な騎士だと思ってたんだからね」

「馬鹿じゃなきゃ、わざわざこんな危険な道を選んじゃいないだろ」


 余りにもエリーがはっきりと言ったものだから、ティルは笑っていた。

 エリーもつられて笑う。何だかとてもおかしくなってきた。


「なにを笑っているんだ?」


 当然エリーのそんな態度が気に入らないのだろう、大柄の男がエリーの胸倉を掴んで持ち上げた。


「聖女様を侮辱しているのか!」


 大きな拳が振り上げられる。

 エリーは動揺していない。

 この男より、黒騎士団の団長の拳のほうが二倍は大きい。

 正直殴られても良いと思った。

 実際、自分でまいた種なのだし、どんなに悪態をついてきたとしても、相手は庶民だ。まさか、ここで庶民相手に剣を抜くわけにはいかない。

 近衛騎士の誇りのための言動が本末転倒になってしまうではないか……。


「エリー!?」


 そんなエリーの心情を読み取ってか、ティルが慌てて叫んだ。だが、その瞬間、


「ちょっとお待ちになってくれませんかね」


 粘着質な声がからみついた。エリーが横を向くと、でっぷりと重そうな腹に視線を奪われた。


 ……町長だった。


 町長が現れた途端に、エリーの前に集まっていた民衆はわっと割れて、遠巻きになった。


「……えー、えっと……。どうして?」


 エリーを助ける理由は町長にはないはずだった。

 しかし、町長はエリーよりも、エリーの背後にいるティルに注目していた。

 あの女です、と中年の金貸しが町長に耳打ちをしている。そう、ティルはこの男共から金を借りているのだった。

 益々ややこしくなった現状に、エリーは頭を抱えるしかなかった。


「ティル、お前一体いくら借りているんだ?」

「気にしなくて良い」

「気にするだろう。普通!」


 もしも、エリーが今持っている金の中でケリがつくのなら、立て替えてやっても良いと思ったのに……。

 小声で話していた声が、うっかり怒声に変わってしまった。


「ふふん」


 下卑た笑いを大きな口元に浮かべて、町長はうっとりした表情でティルに近づく。女としてティルを見ているのは、明らかだった。


「かわいそうな町長」


 そう、小声で呟きつつも、エリーは不思議な気持ちで、ティルを自分の後ろに回していた。

そもそも、こいつは男だ。女ではない。むしろ女は自分なのだ。

だが、今の状態はどう見ても、かよわい女性を守ろうとする騎士の姿にしか見えないはずだ。


「話は聞きましたよ。騎士殿、困りますな。嘘を簡単に口に出すと、神罰が下りますぞ」

「嘘じゃないが、あんたには分からないだろうな」

「騎士殿は誤解をされているようですな。私はそもそも敬虔なヴァール神信仰者ですよ。聖女様と共に、この町の平穏と繁栄を祈念しているのです」


 その顔で、「祈念」などという言葉を使って欲しくはない。


「それに、後ろの女性も罪深い……、嘘をついているようだし」

「それは……」


 ティルがどういう状況下で、何故金を借りる必要があったのか、分からなければ、エリーはティルを庇うことも出来ない。

 ちらりと横目でティルをうかがうものの、ティルはエリーさえ見ていなかった。

アイリーンを目で追っているのだろうか、その瞳は祭壇の方向に向けられている。


「はあ……」


 一人で、勝手に何かに気付いて、うなだれているティルにエリーは腹が立った。


「おいっ。ティル! いい加減にいくら借りたのか、俺に……」

「ご、ごめんなさい!」


 拍子抜けするほど、芝居がかった動きで、ティルはエリーの前に進み出た。

 華奢な体をくねらせて、あからさまにか弱い女性を演じている。


 ……一体何がしたいのだろう?


「盗むつもりはなかったんです! ただ家が貧しくて仕方がなくて」

「借りたんじゃなかったのかっ!?」


 寝耳に水だった。

 ティルの思いも寄らない自白劇に、目を白黒させていたエリーを、同情的な眼差しで二人の金貸しが眺めていた。


「騎士の兄ちゃん、昨日俺の話を最後まで聞かなかったのは、あんたなんだぜ」

「この女はなあ、300ペニを盗んだんだ。立派な泥棒なんだよ」


 300ペニといえば、エリーの半年分の給料と同額だ。

 言葉がない。どんなに町の状態が悪いといっても、それとこれとは別問題のはずだ。

 大体、この町の住人でもないティルが金を盗んだのは出来心としか思えなかった。


「ティル、お前その金はどうした? 今一体何処に?」

「全部、実家に送って……。きゃ! 乱暴はしないで!」

「まあまあ」


 勢いにまかせて、殴りかかろうとした髭の男を偉そうに止めたのは、町長だった。

 エリーは最早何をどう考えれば良いのか、分からなくなっていた。


「君達も落ち着きなさい。金貸しという仕事上、この女性を許せないと思う気持ちは分かります。しかし、女性に、しかも神女様に暴力を振るうのはいけません。分かりますね」


 男たちは周囲をうかがった。まばらになってはいたが、まだ観衆の目があることに気付いたのだろう。まだこいつらの方が可愛げがある。

 エリーには、町長のいやらしく細められた瞳が何を狙っているのかが分かっていた。


 ――そいつ、女じゃないんだけど……。


「実家に連絡をすれば、数日でお金は返ってくると思います」

「おい女! お前は家が貧しいから、盗んだんじゃないか?」

「それは、その、そうですけど。でも、全額ではないかもしれませんが、必ずお金は……!」


 ――返ってくるはずがない。

 ティルのヤツ、またしても嘘をつくらしい。


「まあまあ。信じてあげようじゃないですか。全額戻って来なければ、戻って来なかった分、私の家で働けば良い。それなりの収入は保証しますよ」

「まあっ!」

「なにっ!?」

「おや、騎士殿は不満でございますか?」

「しかし、みょ、妙齢の女性が一人でだなあ……」

「ならば、騎士殿が300ペニ肩代わりをしてくれると?」

「それは……」


 無理だ。

 エリーの手持ちの有り金は、20ペニ程度だ。


「私、嬉しいです。町長さまがこんなに慈悲深い方だったなんて、知りませんでした。是非住み込みで働かせて下さい。私頑張りますから」

「よしよし、いい子だ。そうと決まったら、ついて来るが良い」


 町長は目尻を下げて、陶然とした眼差しでエリーの肩を抱いて歩き出す。


「何だか、そういう方向で話が固まったみたいだな」


 金貸し二人が肩を落として、その後をだらだらとついて行く。


「ちょっと、待て!」


 良いのか。これで?

 どうして、こんな決着を迎えてしまうのだろうか。

 なぜエリーがここに置き去りにされなければならないのか……。

 とにかくちゃんとティルに説明して欲しかった。

 しかし、エリーの伸ばしかけた手は空中で止まった。

 所在無く、そのままの姿勢で硬直していたのだが、固まっていた手が不意に強い力で掴まれて、エリーは我にかえった。


「誰?」


 多分男だろう。掴んだ手のがっしりとした感触ですぐに分かった。

 アイリーンと同じように頭からすっぽり黒のフードを被っている男は、問答無用で呆然としているエリーの手を引っ張った。


「ちょっ、ちょっと、待て。お前は一体!?」


 抵抗しようと試みているうちに、ティルの白い後ろ姿は神殿の外に消えて行く。


「俺はアイツに用があるんだ」

「その用を済ましているうちに、君の命も消えるかもしれないよ」


 くぐもっている声は、よく聞こえない。

 どうやら男はフードの中に仮面のようなものを被っているようだった。


 怪しすぎる。


 だが、かえってそれがエリーに男から逃げ出そうとする気持ちを消失させた。

 見極めてやろうと思ったのだ。

 ティルの消えた反対方向へと男はエリーを誘う。呆気にとられている町人たちを押しどけて進む。どうやら神殿の裏口に向かっているようだった。


「大体何処の神殿も同じような造りをしているものさ」

「ここから、あのアイリーンも出て行ったってことか?」

「だろうな。もう、いないだろうけど」


 男は神殿の地下に入って行く。

 冷たい石壁の真ん中。

 迷うことなく黒ずんだ石を押して、隠し扉を開いた。

 単純な隠し通路のようだが、神殿内部に深く入ることが出来ない庶民にとっては、知る由もない、秘密だった。

 直進する男に従って、しばらく暗闇の隧道を走ると、清らかな空気が流れこんできて、やがて、陽光がエリーの長靴(ブーツ)の先に差し込んだ。


 外だった。

 夕暮れ空が暗がりに慣れた目にまぶしい。

 どうやら、神殿の裏手に出たようだ。

 高台になっていたため、エリーは神殿を真上から見下ろしている格好となった。

 眼下の物騒な景色が、詳細な風景画のように見ることができた。


「町人は、本気で君を襲撃するつもりだったみたいだな」


 神殿の正門の前には、大勢の町人が鍬や鋸を持って、武装して待ち構えていた。


「まるで、戦争だな。まさか、ここまでするとは……」

「一度町に戻って、武器を調えてきたみたいだな。怖いもんだ。これだから、宗教っていうのは……」


 男は呆れた口調でそう言うと、エリーの肩を軽く叩いた。


「まあ、これで君も外に出るのが大変になってしまったわけだ。これから先、君も外出は、俺のように変装して歩いたほうが良いのかもしれないね」

「そんな変な格好して歩くくらいだったら、戦ったほうがマシだ」

「勝気だな。でも、ここで騒ぎを起こすのは良いことじゃないっていうのは、君にも分かっていることだろう?」

「――ああ。だから素直にあんたに礼を言おうとは思っている」

「君は演技が下手だね。ぜんぜんそう思ってないということがバレバレだ」

「ほっといてくれ。自覚はしてる」


 顔は見えないものの、男は小さく笑ったようだった。


「……で、お前は一体何者なんだ?」


 そよ風が草木を揺らして、エリーの体も撫でた。


「変装して歩かなければいけないような、身の上なんだろう?」

「うーん」


 男は額に手を当てて、思案しているようだった。


「まさか君、俺が犯罪者だと思ってる?」

「しらばっくれるな。……ティルの仲間だろう? ティルはお前を見て態度を変えた。誤魔化されないぞ。お前の手は、武人の手だった。剣に覚えがあるだろう。おいっ」

「今はまだ言いたくない」

「はあ?」


 エリーは、男の肩を掴んで、引き寄せた。

 しかし、男は……。


「消えた?」


 触れた布の感触はあったはずなのに、男は既にそこにはいなかった。

 まるで、魔術のように瞬時に姿を消失させた……。


「まさか、本物の魔術師ティルだとか?」


 声に出してみて、エリーは苦笑をした。

 どうにも自分は「ティル」という名前に囚われているようだ。

 そして、いつの間にか重くなっていた(ポケ)(ット)の中身に、エリーはようやく気がついていた。

 ぎっしりと、折り畳まれた札束。数えるのが面倒な額だった。


 ――誰の仕業かは直ぐに分かった。


「あの馬鹿……」


 今回もエリーはまったく気付かなかった。一度ならず二度までもやられたのなら、油断したとか、既にそういう話ではない。

 敵わないのだ。


「首飾りの金のつもりか?」


 なのに、微妙に金額が多いのは何故なのだろう。こんなことをしても、ティルには何の利点もないのだ。


「こんなことするくらいなら、最初から金なんか盗むなよな……」


 独り言が虚しく感じられた。

 ティルの人間性について、簡単に決め付けるのには、まだ早いのかもしれない。



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