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「お話の途中に申し訳ありません! 私の息子に『神の奇跡』を!」
男は、過密した空間を縫うように祭壇に進んで行った。
伸ばした手と、反対の手では子供を抱えている。静かだった場内は一気にざわついた。
「お願いします。アイリーン様。息子を、神の奇跡を! 何処の医者に診せても、無理だと見放されたんです。貴方様だけが最後の砦なんです! どうかお願いします」
祭壇に辿り着き、涙を流しながら、土下座をする男の肩に、優しく手がかけられた。
『目が見えないのですね』
慈愛に満ちた母のような声だった。
「ティル、もしかして?」
「ありがちな聖女様像だよねえ」
しかし、そう言うティルの瞳は真剣なものだった。
垣間見えたアイリーンの腕には、ティルと同じ金色の腕輪があった。彼女もまたマスター資格を持った魔女のようだった。衆目をかわすように、アイリーンのクロスが眩く発光する。エリーには、その光芒の中で何が行われたか分からない。
だが、次の瞬間……。
「父さん……見えるよ!」
子供は歓喜の声を上げた。男は再び膝を折って、何度もアイリーンに礼を言い続けた。
「あれは、……本物なのか?」
「施した術は本物だよ。でも……、あの親子がねえ、どうも気になる」
エリーは、いまや、我も我もと、祭壇に群がっている人の隙間からやっとのことで、問題の親子を覗き見た。父は無精ひげを生やしているが、髪はきっちりと整えられていて、子供もまたこの辺りでは、高価な藍色の衣を着ていた。これはいかにも……。
「裕福そうな感じだな」
「多分、サンセクトの行商人だろうね。今、聖女様が治療している男性も、金持ちっぽい」
「……何が言いたいんだ?」
「この町の立地条件を考えていたんだ。アリスタの側から見れば、最初の足がかりとして、国境の港町は格好の拠点になると思わないかい? アイリーンの奇跡をこの町からスフィーリアの諸都市に流して、同時に現国王の悪口も振りまく。アリスタとユスティナはその噂に勝機を見るだろうね」
「考え過ぎだ。なぜアリスタが絡んでくる」
「アリスタくらい絡んでくれないと、彼女がここで奇跡の業を披露する理由が分からない」
「……理由?」
エリーは、そこでようやく事態がエリーの予想を超えていることに気がついた。
「治癒魔術は、そもそも人の持っている力を最大限に活かすための手段にしか過ぎないんだよ。軽い病気や怪我になら、『魔術』が媒体になって体本来の治癒能力が働くけど、もしも本人が重症で、助かる見込みのないものなら、治癒魔術は何の力にもならないんだ」
「それで、聖女様は何をしたんだ?」
「聖女様は、単なる治癒魔術を使ったわけじゃない。自らの「魔力」を媒介にして治る見込みのない少年の視力を回復させたんだ。大変な労力だよ。強い……と思う。術者として」
「彼女はあのアイリーンなのか?」
「……そうなんじゃないの?」
ティルの回答はまるで他人事だった。
「でも、本物のマスター資格者はそう簡単に魔術を人前で披露などしないよ。魔術を見せることは、自分の手持ちの札を相手に見せているようなものだからね。それに魔力だって泉のように湧いてくるようなものじゃない。使いすぎると死ぬことだってあるんだから」
「じゃあ、お前は、ティルとして、彼女のことをどう思っているんだ?」
ティルは黙り込んだ。
なぜ、ティルは真相を言わないのか?
エリーは今朝からずっとそう思って内心腹を立てていた。出会ってたった一日だったが、エリーは自分が女であるという事実以外は包み隠さずに話したはずだ。
偽者だったら、違うと言えば良い。本物だったら、本物だと言えば良い。
エリーは無理やりティルを国王のもとに連れて行くつもりなどないのだ。
それだけエリーが信用されていないということなのだろうか。
しかし、信用できないのはティルのほうだ。
――この女装男め。
今度こそ取っちめてやろうかと思ったが、一層激しくなった歓声で我に返った。
壇上に別の男がいる。
小太りの男は治療を続けているアイリーンの傍らにいて、上機嫌で手を振っていた。
「町長だよ……」
「本当に?」
そう聞き返したものの、ティルの言葉を疑う余地はなかった。
エリーの周囲では、町長の名を叫ぶ声が波のように流れていた。小太りで、極彩色の派手な格好をした男。見るからに権力者だとエリーにも分かったが、サンセクトの町長には見えなかった。
……どちらかというと、金貸しのような。
そう思っていると、昨日の金貸し二人の姿を町長の背後に発見した。
「おい、ティル。これって?」
「彼らを隠すつもりもないみたいだね。後ろ盾に聖女様がついているから、町長も好き放題出来るわけだ」
つまり、聖女アイリーンをまつりあげて、町長は自分の良いように、町人を煽動しているということなのだろう。
「税金をつりあげて、町人に借金をさせる。そして、救いの手として聖女を持ち出して、陛下にすべての罪を押し付ける。最低だな」
「でも、まだ町長が黒幕かどうかは分からないって言ってるでしょう」
「じゃあ、一体……?」
疑問を投げかけるエリーに、ティルはにやりと笑って、続きを封じた。
「……皆さん。『魔術』とは、人を救わんとする『神の意思』なのです。私はこの方にお会いして、それを知りました」
町長の演説などに、熱く耳を傾ける町の人が、エリーには分からなかった。アイリーンが例え聖女だとしても、この男が自分たちを苦しめて、神に縋りつきたくなるように仕向けている張本人なのだ。
……なのに、なぜそれに気付かないのだろうか。
「聖女様は、懸命に皆さんのために力を尽くしていらっしゃいます。それは、魔女だからという理由だけではありません」
町長の言葉を受けて、アイリーンは静かに、しかしよく響く声音で語り始めた。
『私は十年前、ある男に力を貸しました。彼ならば、平和な時代を取り返してくれるだろうと思ったのです。……しかし、それは過ちでした。私は人を救うという魔術の本質を見失っていたのです』
芝居がかった大振りの所作でアイリーンは頭を下げる。長い金髪が前のめりに落ちた。
『彼皆さんが支払った税金で放蕩の限りを尽くしていると言うではないですか』
「都で聞く限り、陛下はそのような方ではないぞ。ティル」
「――だろうね」
ティルは面倒そうに、首肯した。
何とか隠そうとしているようだが、エリーには分かった。ティルは落ち込んでいるのだ。その証拠にティルはアイリーンを見てはいない。
――目を閉じている。
『毎夜集めた税で、宴を開き、民衆の心など置き去りの政をしている……、そういう声を多く聞きます。私はそんな男を王にするのに、一役買ってしまった』
エリーの心臓が高鳴った。仮にもエリーは近衛騎士団だ。国王に仕える騎士であり、国王に忠誠を誓った者である。これ以上の中傷を許して良いのだろうか。
『国王の座にそんな人間がいるのは良くないことです。まだ前の王の時代のほうが良かったでしょう。こんな時代になるのなら、いっそのこと……』
「出るぞ。ティル!」
もう黙ってはいられなかった。エリーはティルの大きいが繊細な手を強引に引っ張る。
「ちょっと、エリー? 一体どうして」
きょとんとした表情を浮かべるティルを引き摺って、エリーは人を退け、出口の方向にずんずん進んだ。
「これ以上の罵詈雑言は聞いていられるか。俺は仮にも近衛騎士だぞ」
「まっ、待ってよ! 今一番核心部分でしょう。逃げてどうなるのさ?」
「逃げるだと? 俺は出て行ってやるんだ。これ以上聞いていたら、町長と聖女に剣を向けてしまうかからな。さすがにそれが賢明ではないっていうことは、俺にも分かる」
「……それは、良かった」
ティルの呆れ声を無視して、エリーは振り返る。
「あれは本当にアイリーンなのか? お前だって疑っているんじゃないのか?」
エリーはティルの碧色の瞳を覗き込んだ。
一瞬、微かにティルの瞳は揺れ、わずかに小さな唇が動いたが、しかし質問の答えよりも早く、
『そこのお二人さん?』
呼び止められた。熱気に包まれている神殿にあって、退場しようしている二人は、逆に目立っていたようだった。
聖女の美声。
鼻腔をくすぐるような甘い声は、周囲の人間を動かし、エリーとティルは、人に阻まれて前に進むことができなくなってしまった。
エリーが視線を彼女に向けると、軽くアイリーンが首を傾げたので、フードの下にある深い海色の双眸が一瞬だけ見えた。
……若い女性のようだ。
エリーよりは年上だろうが、二十代前半に見えた。
『それでは、そこの貴方』
どう考えてもエリーのことだろう。
隣で肩を落とすティルの姿が見えていないのに、想像できる。
『都の国王陛下はどのような方だというのですか?』
……やはり、エリーの声はしっかり聞こえていたらしい。何たる地獄耳だと、エリーはそう思ったが、エリーの声が大きかっただけとは、気付いてはいなかった。
「陛下は……。それこそ、恐れ多い方です。俺なんかが一言で説明なんかできません」
『ただの旅の騎士にしては、陛下のことをよくご存知みたいですね。……後ろの方は?』
エリーは、アイリーンの視線が真っ直ぐエリーの後ろに向かっていることを知った。エリーの後ろには、ティルがいる。
アイリーンは明らかに動揺しているようだった。目を丸くして、ティルに釘付けになっている。感情が波打っているのがエリーにも分かった。このティルを、アイリーンは知っているのだろうか?
……だったら?
『ティ……』
微かな呟きを飲み込んで、アイリーンは目頭を押さえ、ふらふらと倒れそうになった。いつの間にか頭巾は外れていて、素顔が露わになっている。
――――辺りは騒然となった。
ティルと同質の、いや本物の女性である分、一層華やかで麗しい相貌がそこにあった。




