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第8話『転校生・織川律さんによる監禁③』

「申し訳ないのですが、まだ教科書が揃っていなくて。坂木さんの教科書を一緒に見せてもらってもよろしいですか?」


 教室に戻るなり、織川さんが僕に問いかけてきた。

 ほんの一瞬だけ躊躇ったが、何も問題はない。転校生が教科書を買い揃えられていないなどよくあることだし、隣の席の生徒がそれを見せるのも何ら不自然ではない。


「もちろん大丈夫だよ」

「本当ですか? ありがとうございます。やっぱり坂木さんは昔と変わらず優しいですね」


 ぴたっ、と。

 僕の返事を聞くなり、俊敏な動きで織川さんはこちらに机を寄せてきた。肩が触れるほどの距離に彼女が迫ると、まるで花のように甘い匂いが鼻をくすぐってきた。


「実はずっと……またいつか会えたらいいなって思ってたんです。私たち、ひどい別れ方をしてしまったでしょう?」

「……そうだったかな?」

「ええ、すべて私が悪かったのです。なんでも許してくれる坂木さんの優しさに甘えて、ついおかしな遊びをしてしまいました。それで両親からとても怒られて……疎遠になっているうちに坂木さんはどこかに引っ越してしまいました。あのときのことを謝りたいと……ずっとずっと、そう願っていたのです」


 織川さんは小声で、しかし強い悔悟を滲ませてそう言った。

 なんだか僕は自分が恥ずかしくなった。ちゃんと当時のことを反省して、ここまで真摯に謝罪の念を抱いてくれていた織川さんに対し、あらぬ疑いをかけていたなんて。


「ううん。小さい頃の諍いなんてよくあることじゃないか。ちっとも気にしてないし、これから友達としてまた仲良くやっていこうよ」

「そう言っていただけるのは大変嬉しいです。ですが、謝罪というのは十分な誠意を示してこそ初めて成り立つと思うのです」


 そこで織川さんは自分の通学鞄に手を差し入れ、やたらと分厚い茶封筒を取り出して卓上に置いた。


「――ですから、どうかこれをお納めください。ほんの慰謝料です」


 そう囁く彼女はドス黒い目をしていた。

 和原さんにも負けず劣らずの。まるで墨で塗りつぶしたような掛け値なしの暗黒だった。


「こんな日が来ることもあろうかと、常に肌身離さず持ち歩いていたのです。受け取ってくれますよね?」

「はは、冗談がきついよ。たかが子供の頃の話でそんな」

「それだけ私は坂木さんにずっとずっと謝りたかったのです」


 くっつけた机の上をスライドさせ、織川さんは封筒をこちらに寄越してくる。

 その際、わざと中身がちょっとはみ出すように勢いをつけてきた。中から飛び出したのは、正真正銘本物の一万円札である。それが一センチ近い厚さ。そんじょそこらの高校生が持ち歩いていい金額ではない。


「もし不十分でしたら、現金以外にもいろいろとご用意できますよ……?」


 生暖かい吐息を耳元に吹きあてられ、僕は頭を切り替えた。

 徹底的に鈍感モードでいこう。きっと彼女は僕を狙ってこの学校に来た。何かしらのよからぬ思惑を抱いている。申し訳ないけれどその前提で対応させてもらう。状況証拠がこの数分間であまりに出揃いすぎた。


「ええと。確か、織川さんの家は有名な玩具メーカーだったよね?」


 ここで僕は状況を打開すべく過去の記憶を掘り返す。


「覚えていてくれたのですね?」

「うん。小さい頃からよく僕にいろんな玩具を試供品としてプレゼントしてくれたよね。だんだん思い出してきたよ」

「ええ、ええ。そうなんです。新製品の試供品を持って行くたび、坂木さんはとても嬉しそうに喜んでくれて……楽しそうにしてくれて……」


 そこで織川さんは愛おしそうに僕の首元を見つめた。かつてそこに嵌まっていた何かを思い出すように。


「まるで子犬を見ているようで楽しかったんです」


 彼女の嗜好はおおよそ把握できた。

 おそらくベースとなっているのは支配欲求。現金や玩具を貢いでくる行為はペットに対する餌付けに近いスタンスだろう。比較的オーソドックスなタイプではあるが激太実家による財力が伴っている分だけ手強い。


 僕は封筒に手を伸ばし、飛び出していた現金をしまってから織川さんの方にそっと押し戻した。


「悪いけどこれは受け取れないよ。校則に触れるからね」

「生徒間での慰謝料の授受を禁ずる校則はありませんよ?」

「さすがに僕も昔みたいに鈍くはないよ。これはドッキリ用のパーティーグッズか何かだろう?」


 僕はおどけたように肩を竦めて的外れな言葉を並べる。


「たぶん試作品の玩具だと思うけど、現金部分の再現度が高すぎるかな。敢えてもうちょっとクオリティを落とした方がトラブル防止になると思う」

「……?」


 僕のこれに対し織川さんは反論してくるでもなく、ただ不思議そうにきょとんとしていた。


「受け取ってくださらないのですか?」

「玩具の持ち込みを見つかったら怒られちゃうから。さ、先生が来る前に織川さんも早く隠しておいた方がいいよ」


 かつての「ぼんやりした子供」時代の僕だったら、織川さんの餌付けに付き合ってとりあえず唯々諾々と受け取ったことだろう。その後しばらく経ってから――たとえば「勉強を教えてくれたお礼」などと称して同額を彼女に返したと思う。

 そして、互いに事あるごとに現金を贈り贈られ続ける奇妙な関係となったことだろう。

 あるいはどこかのタイミングで根負けすることもあったかもしれない。


「――坂木さん。以前と少し変わりましたね」


 僕の変節を察したらしい織川さんは、封筒を机の中にそっとしまった。

 そう、もはやかつての僕ではない。織川さんには悪いが、その手の癖を満たしてあげることはできない。

 分かってくれたならば、ごく普通の友人として今後の学生生活を――


「ところで私、素っ気ない猫を慣らしていくのも大好きなんですよ?」


 どうやら対立は避けられないようだった。


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