第71話 禁忌は、影となり牙を剥く
この世界には、ひとつの指標がある。
それは、力の証明であり、名誉の指標であり、時に国家の命運すら左右するもの……冒険者ランク制度。
冒険者と呼ばれる者たちは、ただの戦士ではない。ほぼ女性だけで構成されたパーティーを組む彼女たちは、ダンジョンに潜り、魔物を討伐し、魔石を回収することで、世界を支える存在。
魔石は、火も水も風も雷も、あらゆるエネルギーを内包した奇跡の結晶。石油もガスも、原子力さえも過去の遺物となった世界は、この新たな力によって再び動き出した。
しかし、魔石は地上には存在しない。それを手に入れるには、ダンジョンに巣食うエネミーと呼ばれる魔物を倒さねばならない。
魔物はダンジョンの中にしか現れず、しかも近代兵器は魔力の干渉で無力化される。
通常の銃も、爆薬も、通じない。だからこそ、剣と魔法を操る冒険者たちが必要とされた。
彼女たちは、命を賭してダンジョンに挑み、魔石を持ち帰る。その戦いは、今や世界中に配信され、熱狂的に支持される娯楽ともなった。
冒険者は、戦士であり、アイドルであり、国家の柱でもある。
そんな彼女たちにも、明確な階級によるヒエラルキーが存在していた。
最下層、Fランク。登録したばかりのルーキーたち。まだ何者でもない彼女たちは、小さな依頼をこなしながら、戦いの基礎を学ぶ。
Eランクになると、ようやく冒険者と呼ばれ始める。しかし、危険地帯での任務も増え、死亡率は高い。
ここを越えられるかどうかが、最初の大きな壁となる。
Dランクは、冒険者の中心層。依頼も安定し、生活も安定する。とはいえ、ここからCランクへ上がるには、厳しい試験とギルドの推薦が必要。
Cランクは一人前の証。ギルドからの信頼も厚く、指名依頼が舞い込むようになる。
Bランクともなれば、もはや熟練の域。ダンジョンの中層域での任務もこなす、冒険者の主力。Cからの昇格は百人に一人とも言われ、実力と経験の証でもある。
そして、Aランク。英雄、剣聖、上級魔導士、賢者。その名を聞けば、誰もが顔を上げる。戦律の五星姫やインクラインといった名だたる者たちが、この階層に名を連ねる。
そして、ここから先は、もはや人の域を超える者たちの領域。
Sランク……国家戦力級。全世界で確認されているのは、わずか十二名。
そのうちの一人が現れただけで、周辺諸国の軍事バランスが軋むとされる。単独で戦局を終わらせる厄災とまで恐れられる存在。
その力は、もはや神話の領域に足を踏み入れている。
そんなS級に匹敵する力を持ちながら、ギルドに名を連ねることのない者たちがいる。表には出ず、記録にも残らず、ただ女王の影として生きる者たち。
力のルーセント。技のレイン。
この二人は、鏡宮美麗の影にして、鏡の王国を裏から支える絶大なる双翼。その存在は、ただの兵士ではない。その在り方は、冒険者という枠すら超えていた。彼女たちが動くとき、それはすなわち、鏡宮が本気を出した証。
その実力は、驚くべきことに……S級冒険者に迫る域に達していた。
ルーセントとレインは、そんな頂点に限りなく近いが、ギルドに登録されていないため、公式のランクは存在しない。
鏡宮が緊急の要請を受け、派遣されてきた彼女たちの動き、戦果、そして存在感を目の当たりにした者は、誰もが口を揃えてこう言う。
あれは、S級だ、と。
ルーセントは、ただ立っているだけで空気が焼けるような光をまとい、レインは、指先ひとつで戦場の秩序を塗り替える技を持つ。
彼女たちは、鏡宮美麗の命にのみ従い、その力を、ただ王国のためだけに振るう。
そして、現在進行形でその二人が、十五階で正体不明の存在に足止めされているという。それは、美麗にとっても、想定外の事態だった。
ルーセントとレイン。
鏡宮美麗の王国を裏から支える、静かなる双翼。その力は、もはや冒険者という枠を超えた異質の域にある。そして、彼女たちと共に行動し、時にその背を預け合う者たちがいた。
二人ほどの類まれなる力は持たない。しかし、彼女たちにしか見えない領域を、同じように体験した者たち。
鏡宮の四戒仙。
彼女たちは、かつて自らの意志で美麗の実験に身を投じた。
ユグドラシル十五階……その最深部にて行われていた、禁断のバイオテクノロジーである獣や魔物と人との融合。魔力と肉体の限界を超えるための、鏡宮式クローン融合実験。
成功率は、極めて低い。多くの被験体が、形を保てぬまま崩れ落ちた。そして、ほんのわずかだが、生き延びた者たちがいた。
彼女たちは、もはや人という括りではない。だからといって、魔物でもない。その在り方は、人と獣、人と魔物の狭間に生きる者たち『狭間の徒』と呼ばれる者に生まれ変わった。
美麗は、彼女たちに名を与え、忠誠を誓った者たちへの称号として鏡宮 四戒仙の名を授けた。
禁忌を知り、ルーセントとレインのような光や格式ではなく、もっと深く、もっと歪で、もっと静かな場所から、王国を支える影の一員としての自分に誇りを抱いた。
雷鳴が、十五階の空を裂く。それはインクラインの萌黄の雷魔法とはまた違う異質の雷。
金の閃光が駆け抜け、空気が震える。その中心に立つのは、白と金の軽装鎧の一人の女性。長く流れる金髪に、青白い稲妻が走る。金の瞳が雷の文様を浮かべ、背には雷光をまとった金狼の尾が揺れていた。
「……我ら、四戒仙」
その声は、凛として、どこか艶やかで、そして何よりも誇り高く響く。
「驚・懼・疑・惑の四戒を体現し、鏡宮に仇なす者を制す」
その言葉とともに、霧のように現れた三つの影が、彼女の背後に並ぶ。
彼女たちは、鏡宮の四戒仙。
ユグドラシル十五階の深奥で行われた、禁断の白蛇紋システム融合実験……人と神獣・妖獣の霊力を掛け合わせ、魔力と肉体の限界を超えるために生み出された、鏡宮のもうひとつの影。
その実験に、彼女たちは自ら志願し、そして生き延びた。その数、わずかに四名。しかし、その四名こそが、鏡宮の禁忌を背負い、忠誠を誓った者たちだった。
彼女たちは、それぞれが剣の道の四戒……驚・懼・疑・惑を極めた、禁忌の仙人集団。
敵の心を四方から崩し、戦意を奪い、戦場を沈黙へと導く。その姿は、人の美しさと獣の野性が融合した、危うくも魅惑的な存在。
先頭に立つのは、京華……驚の戒を宿す。雷を司る古狼の霊魂と融合し、電光石火の速さと雷撃を操る戦士。
金狼の耳と尾を持ち、白銀の鎧をまとうその姿は、まさに雷の化身。敵が気がつく間もなく、彼女の刃は閃光とともに振り下ろされる。
その隣に立つのは、久遠……懼の戒を宿す。闇に潜む黒虎の霊と融合した、静寂の抑止者。漆黒の髪に虎縞が浮かび、冷たい金の瞳が一睨みするだけで、敵の心に永遠の恐怖を刻む。その存在は、まるで影そのもの。
さらに、義那……疑の戒を宿す。幻惑の白銀狐と融合した、妖しき剣士。その瞳に見つめられた者は、現実と幻の境界を見失い、己の正しさすら疑い始める。狐火のように揺らめくその姿は、見る者すべての心を惑わせる。
そして最後に、和久……惑の戒を宿す。霧を操る古狸の妖力を宿し、柔らかな笑みとともに、敵の心と空間を曇らせる。霧の中で方向も記憶も曖昧になり、気づけば自分が誰なのかすらわからなくなる。その優しげな佇まいの奥に、最も狡猾な惑いが潜んでいる。
彼女たちは、ルーセントやレインのように表に立つことはない。しかし、鏡宮美麗の王国を支えるもうひとつの絶対的な正義として、今日も十五階の深奥で、静かに牙を研いでいる。
その正義が、世界にとって正しいことかどうかなど、彼女達にとってはどうでもよかった。何故なら正義とは鏡宮に対して益であるか、その是非だけが重要なのだから。




