第66話 観測は侵され、世界は沈黙する
ミラージュリンクの画面越しに映し出される戦いの場は、もはやライブ配信という言葉では片づけられない惨状だった。
冒険者でもあり、アイドルでもあるユニット[インクライン]
希望の象徴であり、いつも明るく、強く、輝いていた彼女たちが……確実に追い詰められている。
空が吹き飛ばされ、朱音が地に伏し動かずにいる。風花の精霊たちは怯え、花恋の桃薫も効果が薄れ、恋火も残りが少ない。唯一、萌黄だけが前線に立ち続けているが、その魔力も尽きかけていた。
画面の向こうで、彼女たちの息遣いが荒くなるたび、視聴者たちの胸も締めつけられる。
誰もが、言葉を失っていた。
(まさか……インクラインが……)
(こんな、無残な姿を……)
彼女たちの敗北など、誰も想像したことがなかった。とはいえ、目の前に見せられているのは、まぎれもない現実だった。
そして、ただ立ち尽くす雪の姿が、さらに不安をよび起こす。
世界中から愛され、貴重な男性である白印の彼は、何もできないまま散ってしまうのか。
【コメント欄】
『……嘘でしょ……?空さんが……』
『朱音の姐御、動いてない……やだ、やだやだやだ……』
『風花ちゃんの精霊が……怯えて……動けないなんて』
『もえもえ、もう限界じゃん……誰か助けて……』
『花恋ちゃんの香も効かないって、どういうこと!?』
『雪様、大丈夫る 違う……あの顔……なんか、やばい……』
『ネックレス握ってる……神に、祈るしかないの……』
『お願い、誰か、誰か助けて……』
『怖い……でも目が離せない……』
『インクラインが……負けるなんて……そんなの、見たくない……よ』
それは、世界の常識を覆す瞬間だった。
白印の男性は、癒しの象徴。攻撃魔法をいっさい使えない……それが、この世界の常識だった。
しかし、画面の向こうで起きたのは、誰もが想像すらしなかった光景。
雪の胸元で赤く染まったネックレス。噴き上がる獄炎。そして、すべてを凍てつかせる絶対零度の魔法。
視聴者たちは、言葉を失った。
恐怖と驚愕、そしてどこか抗いがたい魅了。それらがないまぜになって、ただただ、画面を見つめるしかなかった。
(白印の方が……攻撃魔法を……?)
(あれは……本当に、癒しの天使の雪様なの……?)
誰もが知っていたはずの当たり前の常識が、音を立てて崩れていく。なのに、その常識を覆す姿は、あまりにも強く、あまりにも美しかった。
【コメント欄】
『……え? 今の……雪様……?』
『白印って、回復魔法しか使えないんじゃ……?』
『炎!? いや、氷!? どっち!? なにあれ!?』
『獄炎からの絶対零度って……属性反転!? そんなのあるの!?』
『雪様……まさか、白印じゃない……?』
『いや、白印だからこそ……? え、どういうこと……』
『あのアクセサリーって、やっぱりただの飾りじゃないのかな』
『世界の法則が……壊れてる……』
『怖い……でも、綺麗……』
『雪様の涙、あれ……怒りじゃなくて、悲しみだったんだ……』
『敵だけを焼いて、仲間には一切触れない炎……そんな魔法、見たことない……』
『雪様の魔法、癒しと破壊が同時にある……これが白印の真の姿……?』
『グレイシャル・レクイエム……名前からしてヤバすぎる……』
『これ、歴史の転換点じゃない……?』
雪の魔力が爆ぜた瞬間、雪華百式の百人の女性たちは、同時に異変を感じ取っていた。
両耳に揺れる、雪と同じ意匠のイヤリング。その小さな装飾品が、まるで心臓の鼓動に呼応するように、熱を帯び始めた。
「……あっ……」
誰もが小さく声を漏らす。その瞬間、全員の身体から、じわじわと魔力が吸い取られる感覚が広がっていく。まるで、見えないラインで雪へと流れていくように。
けれど……雪華百式の誰一人として、イヤリングを外すという選択肢を、心に浮かべることすらなかった。
それは呪いの術具ではない。外そうと思えば簡単にはずせる。ただ、彼女たちは望まなかった、雪と繋がる証を、絶対に手放したくなかったから。
(雪様が……力を求めている)
(だったら、私の魔力なんて、全部持っていって……)
視界が揺れる。膝が震える。それでも、彼女たちは画面から目を離さなかった。
雪が、怒りに燃え、悲しみに凍り、そして世界を変えていくその瞬間を、自らの命を削ってでも、見届けようとしていた。
それこそが、鏡宮 美麗が見越していた絶対なる信仰だった。
雪華百式の百人が、雪にすべてを尽くす覚悟を持っていること、だからこそ、雪に魔力を捧げるための確かな供物としてイヤリングは贈られた。
【雪華百式 専用チャンネル:リアルタイム解析ログ】
『……魔力、抜けてる……でも、心地いい……雪様に触れられてるみたい……』
『両耳が熱い……これ、雪様の怒り……私の中まで燃えてる……』
『ああ……視界がにじむ……でも、雪様の姿だけは、はっきり見える……』
『このイヤリング、外せるのに……外したくない……絶対に……』
『雪様のために、わたしの魔力が使われてる……それだけで、幸せ』
『この感覚……魔力が溶けて、雪様の中に流れ込んでいってる』
『雪様の獄炎に、私の魔力が混ざってる……そう思うと、誇らしい気持ちしかない』
『グレイシャル・レクイエム……あの魔法の一部に、私の命が宿ってるのね』
『美麗様……このイヤリング、本当に……ありがとうございます……』
『雪様の涙が、こんなにも美しいなんて……もう、何もいらない……』
『魔力が尽きても、心は燃えてる……雪様のために……』
『雪様……どうか、願って……私たちのすべてを、あなたに捧げたい……』
『インクラインには悪いけど……私たちの方が、ずっと前から、雪様を見てたんだから……』
『この身が砕けてもいい……雪様の力になれるなら……』
そして、もうひとつ。この配信を、別の目的で注視している国際情報庁……通称〈I.I.A.〉。
彼らは、雪の存在とインクラインの動向を、冷静に、客観的に観測していた。ここで起こるすべてのことが、すべてはデータとして処理されていた。
しかし、その瞬間、異変が起きた。
雪が獄炎を放ち、続けて絶対零度を発動したその刹那。I.I.A.の観測室に設置されたミラージュリンク端末の前で、オペレーターたちが一斉に動きを止めた。
「…………?」
誰かが声を上げようとした。なのに、喉が震えるだけで、言葉にならない。
指が動かない。視線が逸らせない。まるで、画面の向こうに囚われたかのように、全員が沈黙した。
魔力が、抜けていく。それは、イヤリングのような媒介を通してはいない。ただ、画面を通して視るという行為そのものが、魔力を吸い上げているかのように。
(これは……視聴干渉 《パーセプション・ハック》……!?)
誰かが心の中で叫んだ。しかし、警告を発することもできない。世界でも有数の頭脳と魔力を誇る、冷静な彼女らでさえ、 思考がじわじわとかすんでいく。
それでも、誰一人として、視線を逸らそうとはしなかった。いや、逸らせなかった。そこに映る雪の姿が、あまりにも強く、あまりにも異質で、あまりにも美しかったから。
その瞬間、〈I.I.A.〉の観測ログは、初めて沈黙した。
【I.I.A. 観測ログ:更新停止中】
※現在、リアルタイムコメントの取得が一時停止しています。
※原因不明の通信遅延を確認。復旧作業中。
※一部オペレーターに魔力消耗の兆候。緊急対応班を待機状態に移行。
※映像接続は継続中。強制遮断不可。
※対象:鏡宮美麗/白印個体『白銀坂 雪』/ユグドラシル第十五階層
※警告:視聴継続による魔力干渉の可能性あり。
※観測者の意識集中率、異常上昇。平均視線固定時間:3分42秒(更新中)
※コメント入力:全停止。視聴者反応ログ、沈黙状態継続中。
鏡宮 美麗は、静かにモニターを見つめていた。その瞳に映るのは、ただ一人の白印の少年……雪。
彼女の視線は、その奥にあるものを見据えていた。
〈I.I.A.〉の観測網。世界中の魔力を監視し、干渉を防ぐはずの鉄壁の情報機関。その中枢が、今や沈黙している。
「……やっぱり、居たわね。お利口さんたち」
美麗は、指先でワイングラスをくるりと回しながら、愉しげに呟いた。
「五星姫との戦闘でわたくしの悪夢が敗れるなんて、想定外だったわ。そして……まさか、本物の理想の『漢』たちが三人も現れるなんて……」
彼女の背後、魔導演算機の水晶盤が、淡く脈動している。
白蛇紋システム……ユグドラシルの魔力を核に構築された、鏡宮財閥の秘匿魔導機構。本来は、雪華百式を通じて魔力を供給し、雪の覚醒を促すための装置だった。
五星姫とカリギュラの戦闘の余波。そして偶然の本物の漢たちの出現が、想定を遥かに超える魔力の奔流を生み出した。
そのエネルギーを、白蛇紋は余すことなく吸収した。その結果、システムは美麗の予測を遥かに超えて進化を遂げた。
「ふふ……イヤリングを介さずとも、視聴干渉が可能になるなんて。まさに、想定外の恩恵ね」
今や、ミラージュリンクを通して視るという行為そのものが、魔力の供給源となっていた。そして、最も良質な魔力を持つ者たち……〈I.I.A.〉の観測員たちが、真っ先に選ばれた。
一方で、現在進行形で特別配信を視聴している十万人近い一般視聴者たち、魔力を持たないか、持っていても限りなく微弱な彼女らには、そこまでの影響は及ばなかった。
ごく一部の者が、戦闘の激化や雪の魔法の発動と同時に、軽い頭痛や眩暈を覚えることはあったが、それを異常と認識する者はほとんどいない。
むしろ、画面越しに繰り広げられる壮絶な戦いと、雪の覚醒の一幕に、誰もが息を呑み、心を奪われていた。その違和感に気づく余地すらなく、彼女らもまた、静かに観る者として、魔力の糧となっていた。
「冷静な分析も、理性も、魔力が削られていけば、いずれは沈黙する。ふふ……まったく、素敵な進化をしてくれたものね」
彼女の指先が、グラスの脚をなぞるように回す。
「さて、白銀坂 雪……あなたは、次にどんな素敵な魔法を見せてくれるのかしら……ふふ」
ワイングラスに揺れるのは、まるで生き血のような赤。美麗はそれをひとくち含み、愉悦の笑みを浮かべた。




