第63話 禁域の根、侵入者を拒絶する
雪の身に着けているアクセサリーは、誰が見てもただの装飾品ではなかった。
緻密な細工、魔力を帯びた微かな光沢、そして何より……そこから漂う、得体の知れない気配。
それは、どこか危うく、どこか甘やかで、けれど確かに異質だった。
インクラインの誰もが、それに気づいていた。
朱音は、魔剣士としての直感で、空は、盾越しに感じる微細な魔力の揺らぎで、風花は、精霊たちのざわめきから。そして花恋は、香りの変化で……萌黄は、空気の違和感で、それぞれの感覚が、同じ警鐘を鳴らしていた。
(あれは……雪には、似合わない)
そう思ったのは、誰もが同じだった。
雪の持つ、白印としての儚さや、柔らかな気配とは、あまりにもかけ離れていた。まるで、彼の中に別の何かが入り込んでいるかのような……そんな錯覚すら覚えるほどに。
けれど、不思議なことに、普段なら、真っ先に注意を促すはずの朱音も、そっと声をかけて真意を探るはずの空も、精霊の声を借りて問いかけるはずの風花にしても……誰一人として、そのことを口に出そうとはしなかった。
言葉が、喉の奥で引っかかる。
問いかけることが、何かを壊してしまうような気がして、雪の中にある何かに、触れてはいけないような気がして。
それは、彼が白印であることと、無関係ではなかった。
この世界では、あまりにも希少な異性で、あまりにも特別な存在。だからこそ、彼の変化に気づいても、踏み込むことができない。仲間として、家族のように過ごしてきた時間が長いほどに、その一歩が、遠くなる。
そして何より、雪自身が、そのアクセサリーについて、何も語らないことが、すべてを物語っていた。だから、誰もが黙り、そっと見守ることしかできなかった。
ユグドラシルの森に吹く風が、どこか張り詰めた空気を運んでくる。その静けさの中で、インクラインの絆は、言葉にならない想いを抱えながら、静かに揺れていた。
その異変に気づいていたのは、インクラインの仲間たちだけではなかった。
配信を通して彼らの冒険を見守っていたミラージュリンク……特別配信の視聴者たちもまた、雪の身に着けたアクセサリーに目を奪われていた。
画面越しでもわかる、繊細な細工で材質が不明なネックレスに耳元で揺れるピアス、そして左手の薬指に光る指輪。それらは、彼の儚く中性的な雰囲気とはどこか異質で、けれど不思議なほどに似合っていた。
それ以上に、そこに漂うただの装飾品ではない気配に、視聴者たちはざわついていた。
【コメント欄】
『雪様がアクセサリー付けているの初めてみた……』
『え、待って、指輪!? 薬指!? 薬指ってことは……!?』
『ネックレスもピアスも、全部セットっぽい……誰かからのプレゼント……?』
『あのデザイン、見たことない……どこのブランド!? 誰か特定班呼んで!』
『なんか……魔力、感じない? あれ、ただのアクセじゃないよね……?』
『雪様が無意識に触れてるの、めっちゃ気になる……』
『え、これって……もしかして、恋の予感……?』
『いやでも、雪様が誰かと……って考えたら……無理、心が追いつかない……』
『空さんじゃない!? 違うの!? じゃあ誰!?』
『あの指輪に嫉妬してる自分がいる……』
『お願い、誰か真相を教えて……このままじゃ夜しか眠れない……』
『それ……昼も寝ようとしてるやつのセリフやん!』
【雪華百式 専用チャンネル:リアルタイム解析ログ】
そのアクセサリーの存在を、誰よりも強く感じていたのは、雪華百式のメンバーたちだった。
あのピアスと同じ意匠のイヤリングが、数日前、雪華百式全員のもとに届けられた……差出人は、もちろん鏡宮 美麗。
[雪華百式 限定特別仕様]と記された、真紅の封筒とともに。
そのデザインが、雪が身に着けているものとまったく同じなことに誰もが驚き、そして歓喜した。
(私たちも……雪様と、同じものを……)
装着した瞬間、微かに耳元が熱を帯び、魔力がじんわりと吸い取られるような感覚があった。けれど、それすらも彼女たちにとっては、とてつもない祝福だった。
(これは、雪様と繋がっている証……)
(この身が削れても、雪様の力になるのなら……)
その想いは、狂信にも似た熱を帯び、彼女たちの心を満たしていた。
『雪様の左手薬指、今朝から計十七回目の接触確認。平均間隔、約十二分。これは……無意識の執着』
『ピアスの材質、銀精鉱混合。魔力伝導率、通常の十倍。贈与者、魔導師系の可能性あり』
『ネックレスの魔力波形、過去ログ第千四話の[謎システム反応]と一致。これは偶然ではない』
『雪様の視線ログ、空様への斜め下からの一瞬視線が3回。だが、感情波形に変化なし。朱音様、空様の贈与者候補から除外』
『風花様の精霊が雪様の周囲を避けて旋回。これは警戒ではなく、畏れの反応』
『雪様の鼓動、通常時より増加。感情タグ:困惑、微熱、微笑。これは……恋ではない。もっと複雑な感情』
『このアクセサリー群、明らかに何ものかの意志が籠められている。雪様の魔力と共鳴している……』
『雪華百式メンバー全員に贈られた雪様と同意匠のイヤリング、装着時に微弱な魔力吸収反応あり。これ……雪様との魔力リンクの兆候……』
『この繋がり……私たちも、雪様の一部になれる……ああっ、美麗様ありがとうございます』
『インクラインのメンバーですら、このことをまだ知らない。私たちが、雪様と同じものを身に着けていることを……』
『雪様の涙が、こんなにも美しいなんて……魔力が枯れても、あの光は消えない……』
『願って、雪様……私たちの魔力、全てを貴方に捧げるから……』
休憩を終えたインクラインの六人は、再び歩き出していた。
森の空気は次第に変わり、風の流れが重くなる。木々のざわめきも、どこか遠く、まるで深海の底で響く音のように鈍くなっていく。
そして……それは、突然、視界に現れた。
「……あれが、ユグドラシル……?」
最初に声を漏らしたのは、萌黄だった。
目の前に広がるのは、まるで山脈のようにうねる、巨大な根の群れ。地を割り、空を裂くように伸びるそれは、もはや木の根という言葉では収まらない。
まるでこの世界の始まりそのものの圧巻とする風景だった。
その時……風花の肩に乗っていた風精が、このエリアに来た時以上に震え、続いて、腰の精霊石から現れた樹精も、葉を揺らしながら、風花の背後に隠れるように身を縮める。
「……っ、シルフィ? ドリュアス……?」
風花の声が、穏やかな彼女にしては激しく揺れる。
精霊たちは、普段なら彼女の呼びかけに応じて軽やかに舞うはずだった。けれど今は、まるでそこに近づくなとでも言うように、風花の手を引いて後退しようとしていた。
「……風が、言ってる……戻れって……」
風花の瞳が、大きく波打つ。精霊たちがここまで怯えるのは、彼女の記憶の中でも初めてのことだった。
ユグドラシルの根は、確かに脈動していた。そして低く唸るような音を立てだした。
その音は、地の底から響いてくるようで、空気そのものが震えているように感じられた。
次の瞬間……耳をつんざく雄たけびのような音とともに、根の隙間から赤黒い煙が勢いよく噴き上がった。
それはまるで、彼女たちの到来を歓迎するかのように、ゆっくりと、しかし確実に周囲を包み込んでいく。
煙はただの霧ではなかった。鼻を突くような鉄錆の匂いと、肌を刺すような瘴気の圧が、インクラインの六人を包囲する。
「っ…………来る!」
朱音が即座に魔剣を抜き、空が盾を構える。風花の精霊たちは、もはや完全に沈黙し、彼女の背後に隠れて震えていた。
そして……地鳴り。ユグドラシルの根の一部が、まるで生き物のように脈動し、次々と裂けていく。
「……コボルト……?」
そこから現れたものを見て、雪が呟いたその名に、誰もが首をかしげる。
確かに、姿は似ている。しかし、そこに現れたそれは、彼女らの知るコボルトとは、まるで別物だった。
身の丈は二メートル近く。筋肉の鎧をまとったような巨体に、黒紫の毛並みがびっしりと生え、背からは黒煙のような禍々しいオーラが立ちのぼっている。
その瞳は、深淵のように濁り、理性のかけらも感じられなかった。
そして、その異形の背後から、さらに続々と同じようなコボルトたちが姿を現す。
その群れの中には、先ほど襲撃してきた、あの異形のゴブリンたちの姿もあった。ひと回り大きく、赤く血走った目に、黒い紋様が浮かぶ異常個体たち。
彼らは、まるで従者のように、コボルトたちの後を追って現れる。そして、彼女達が辿ってきた道の脇から、さらに凶悪な気配が、地を揺らしながら近づく音が響き渡った。




