第50話 見えない幹、誘う迷宮
《配信ログ:特別番組『インクラインLIVE in ミラーパレス攻略戦』》
地下十階層、踏破完了。
インクラインは、わずか一日でミラーパレスの十階層まで駆け抜けた。
その進撃は、まさに戦うアイドルの名にふさわしく、華麗で、鮮烈で圧倒的だった。
そして、彼女たちは気づいた。このダンジョンの、ある奇妙な構造に……それは階層を下るごとに、空間そのものが広がっていくのだ。
まるで、地中に巨大な三角錐を築いて、そこに層を重ねていったかのようにミラーパレスは、階層を下るごとにその広さを増していた。
「……中心部、見えないね」
ぽつりと呟いたのは、藍坂 空だった。
透き通る藍色の髪が、淡い光に揺れる。巨大なタワーシールド《蒼壁》を背に負い、静かに歩を進めるその姿は、まるで静寂を帯びた守護者にみえた。
各階層は円形の構造をしている。しかし、その中央には、常に分厚い壁がそびえていて、どの角度から覗いても、まるで、何かを隠すように、その先は見えない。
「中心が空洞になってる……そんな気がする」
空の声は、静かで、けれど確信に満ちていた。その言葉に、仲間たちが足を止め、無言で頷く。見えない何かが、確かにそこにある。
どの階層からも、その中心を直接見ることはできなかった。まるで、何かを隠すように、厳重に覆い隠されている。
「でも、感じるよ……何かが、ずっと、そこにある」
翠坂 風花が、そっと胸に手を当てた。若草色の髪がふわりと揺れ、彼女のまわりだけ、風が優しく流れているように見える。
風の精霊が、微かにささやく。そして木々の精霊が、静かに震えた。
風花は、耳を澄ませる。目には見えないけれど、確かにそこに何かがある。それは、彼女の中に根を張る精霊たちが、言葉にせずとも伝えてくる感覚だった。
中心の空洞。
その存在は、まるで巨大な幹のようだった。見えずとも、確かにそこにあり、まるで世界を貫く何かが、静かに息づいているかのように。
それは、彼女たちにひとつの確信を与えた……ユグドラシルは、確かにここにある、と。
このダンジョンを突き抜け、天へと伸びる、世界の中枢が。
【コメント欄】
『十階層を一日で!? やっぱインクラインやばすぎる……』
『階層が下に行くほど広くなるって、どういう構造してんの!?』
『中心部が見えないって、絶対なんかあるでしょ……』
『空洞って……まさか、ユグドラシルの幹!?』
『風花ちゃんが感じるって言うなら、絶対に何かいるんだよ』
『このダンジョン、構造からして異常すぎる……』
『考察班、出番きたぞ』
『やっぱりミラーパレス、ただのダンジョンじゃない……』
『この配信、リアルタイムで見れてるの本当に奇跡だよね』
十階層を踏破した彼女たちは、次のフロアへと足を踏み入れていた。そこは、これまでと同じく円形の構造をしていたが、ひとつだけ明確に違っていた。
「ねぇねぇ、なんか気づかない? この床……ちょっとずつ下がってない?」
桃原坂 花恋が、くるりとスカートを翻しながら、周囲の香りを嗅ぐように歩く。
「おおっ、ほんとだ! なんか滑り台みたいに、じわ〜っと下ってる!」
黄金坂 萌黄が、軽快に跳ねながら応える。
「滑り台って……もえもえ、それでさっきから転びそうになってるんだね」
「えっ、バレてた!? いや〜、この傾斜、地味にくるんだよね〜。ビリビリっと!」
「それ、ただの足元注意ってやつじゃない?」
「うっ……否定できない……!」
ふたりのやりとりに、朱音が微かに笑いながらも、視線を巡らせる。
確かに、このダンジョンは通常の迷宮とは違っていた。複雑な分岐や入り組んだ構造はなく、円形のフロアがなだらかな傾斜で繋がっている。まるで、自然と下へ下へと導かれていくような造り。
攻略するには楽だが……その単純さが、逆に不気味だった。
「ねぇ、カレンたん。ダンジョンって、こんなに親切だったっけ?」
「ん〜、どうだろ? でも、なんか……こっちにおいでって言われてる気がするんだよね〜」
「それ、ホラーの前兆じゃない……?」
「えっ、やだやだやだ! ホラーはダメ! おばけ出るの!?」
「いや、出ないとは言ってないけど……」
そんな軽口を叩きながらも、彼女たちの視線は、フロアの最奥へと向かっていた。
そこには、次の階層へと続くための階段の前に本来なら、ボスが待ち構えているはずの大きな部屋だったが、そこに必ずいるはずの主は不在だった。
「……あれ? ボス、いない?」
「えっ、寝坊? それともトイレ?」
「いやいや、そんなわけないでしょ〜!?」
笑いながらも、ふたりの目には、緊迫した雰囲気が色濃くでていた。
何かがおかしい。その違和感が、じわじわと彼女たちの背筋を撫でていく。
しかし、結局その階層では、何事も起こらなかった。ボス部屋は空っぽのまま、ただ静寂だけが支配していた。
彼女たちは拍子抜けしつつも、慎重に部屋を後にし、隣接する小部屋へと移動した。
そこには、次の階層へと続く階段が設置されているだけの、いつもの小部屋があった。そこで少しだけ休憩をとることになった。
「……そろそろだな。五星姫たちも、黒の回廊に突入してる頃か」
紅坂 朱音が、ふと呟いた。その声は、どこか遠くを見つめるように静かで、けれど確かな熱を帯びていた。
黒の回廊……未だ誰も到達していない十八階層を目指し、戦律の五星姫が全世界配信にて動き出した。
「斗花……無茶してなきゃいいけど」
朱音の脳裏に浮かぶのは、彼女のライバルである黒鋼 斗花の姿。拳ひとつで戦場を駆ける、豪快で熱血な拳闘士。かつて軍に所属していた彼女とは、何度も模擬戦を重ねる仲だ。
剣と拳の違いこそあれど、戦い方も、気質も、炎属性なとこも、あまりにも似ていた。ファンの間では「キャラ被りすぎ!」とネタにされることも多かったが、朱音にとっては、数少ない本気でぶつかり合えるAランク冒険者の同志だった。
「……あいつが無事に帰ってくるといいけど」
ぽつりと漏れたその言葉に、誰も何も言わなかった。けれど、皆が同じ気持ちでいることは、言葉にせずとも伝わっていた。
「でも……私たちも、それは同じ」
朱音は、そっと背後を振り返る。そこには、仲間たちの中心で、無邪気に笑う白銀坂 雪の姿があった。
「私たちは、あの子だけは……絶対に、守らなきゃいけない」
その声は、静かだった。けれど、紅蓮の魔剣《緋焔》のように、朱音の胸の奥で、確かに炎を灯していた。
「でさ〜、うたたも今ごろ十八階目指しているわけでしょ? あの子、ちゃんと起きてるのかな〜?」
桃原坂 花恋が、くるくると香炉《桃薫》を回しながら、わざとらしく肩をすくめる。
「えっ、うたたちゃんって、戦闘中も寝てるの!?」
萌黄が目をまんまるにして振り返る。
「ううん、詠唱始めたら起きるよ。むしろ、起きたらめっちゃ怖いの。あの子の魔法、マジでえげつないから」
花恋は、くすくすと笑いながらも、どこか遠い目をしていた。
「え〜、でもさ、あの子いつも『あ〜、だる〜い』とか言ってるじゃん? あれで国家秘匿級って、逆にズルくない?」
「でしょ〜? しかもあの地雷服でしょ? あたしの香りに『くさっ』とか言ってくるくせに、自分の部屋は魔力で燻されてカビ臭いのにさ〜」
「うわ〜、それはちょっと……」
「でしょ? あたしの《桃薫》の香りの方が、絶対いい匂いなのに〜」
花恋はぷくっと頬を膨らませて見せたが、その表情はどこか楽しげだった。
「でも、なんだかんだで心配なんでしょ?」
萌黄がニヤニヤしながら覗き込む。
「……べっつに〜? あたしはただ、あの子が寝ぼけて爆発魔法を味方に撃たないか心配してるだけで〜」
「それ、めっちゃ心配してるやつ〜!」
「うっ……うるさいな〜、もえもえは〜!」
花恋はぷいっと顔を背けたが、頬がほんのり赤く染まっていた。
彼女と空木 うたたともう一人、九重すみれ……三つの北極磁石。決して交わらない、けれど不思議と惹かれ合う三人の関係は、今も変わらず続いている。




