第49話 鏡の舞台、配信される運命
静寂が支配するその部屋の扉が音もなく開かれ、鏡面のように磨かれた床に、影が差す。
そこに立っていたのは、美麗とよく似た容貌の秘書長を務める女、無機質な光しか灯っていない瞳に、白磁のような肌、無表情のまま微動だにしないその姿は、どこか爬虫類を思わせる。
「……予定通り、白銀坂 雪は十五階を目指して出発したのかしら?」
美麗は振り返らない。そして、鏡に映るその姿に目をむけることなく、問いを投げかける。
「はい。インクラインの五名と共に、定刻通りミラーパレス一階へ突入しました」
秘書の声は、感情の起伏を一切感じさせない。まるで、完璧に調律された機械のように、正確で、冷ややかだった。
「ふふっ……よろしい。計画通りね」
美麗の唇が、わずかに弧を描く。その笑みは、氷の刃のように鋭く、そして静かに人の心を裂く。
彼女が唯一ライバル視する九条家がバックアップしている冒険者グループ『戦律の五星姫』が、黒の回廊、未到達ゾーンへ挑むのは明朝の予定。全世界に配信予定のそれを巡って今やSNSや掲示板はお祭り状態だった。
「ふふっ……彼女たちが十八階に到着したタイミングで、アレを転移させなさい。娘と、最も信頼する冒険者が全世界配信中に皆殺しになる様を見せられれば……あの女狐も、さぞかし……悪夢にさいなむ事でしょう……楽しみだわ」
鏡の中の美麗が、もう一人の自分と共に、妖しく微笑む。その笑みは、慈悲も情も持たぬ支配者のもの。まるで、すべての運命が、すでに彼女の掌の上にあるとでも言うように。
ミラーパレスの奥、白亜の玉座にて、鏡宮美麗の計画は、静かに、しかし確実に動き出していた。
「……ゼロ、それでは……今回のインクラインの配信は?」
背後に控える秘書長が、静かに問いかける。その声には、彼女にしては珍しくごくわずかな高揚とした気配がにじんでいた。
美麗は応えない。
ただ、指先で魔導端末をなぞりながら、鏡の中の自分を見つめる。
……五星姫の配信は、色々な意味で伝説となるでしょう。
そう、あの女狐が仕掛けるタイミングは、確かに見事ではある。しかし、それはあくまで表の舞台での話。そして今回の配信で後継者を失う惨劇のシナリオが九条家にもたらされる。
そのタイミングで我がユグドラシルの存在を、全世界に知らしめる絶好の機会ではあるが……。
美麗の唇が、わずかに弧を描く。
「今回は、ミラージュリンク内のみでの限定配信といたしましょう」
「……御意」
秘書長が恭しく頭を垂れる。
「昨日の特別番組『インクラインLIVE in ダンジョンゲート前』の配信と、白銀坂 雪のダンジョン挑戦を受け、ミラージュリンクの会員数は、群星リンクに匹敵する十万に迫っております」
「ふふっ……人は、いつだって娯楽に飢えているものよ」
美麗の声は、まるで氷の鈴のように冷たく響く。その瞳に宿る光は、まさしく支配者のそれだった。
十万に届く視聴者がいれば、白蛇紋は間違いなく稼働する。
情報と魔力を繋ぐ白蛇紋システムは、ただの技術ではない。それは、世界の認識を塗り替えるための、鏡宮美麗の鍵だった。
そして今、鍵穴は開かれつつある。あとは、その扉がどのように開くかだけ。
「……雪華百式は、いかがいたしましょう?」
秘書の問いに、美麗はわずかに目を細めた。その瞳に宿る光は、冷たさの中にどこか慈しみすら帯びている。
「もちろん。彼女たちには、優先的に特別な画像を届けてあげましょう。あの者たち自身はまるで知らないことですが……特別な魔力と想いを秘めた、選ばれし、世界に愛された者たちなのですから」
鏡の中の美麗が、静かに微笑む。
その笑みは、母が子を見守るようでありながら、どこか狂気を帯びていた。
雪華百式。
インクラインのファンクラブ『ミラージュリンク』の中から、選び抜かれた百人の精鋭。
群星リンクのガチ勢『百花繚乱』同様ただのファンの集団ではない。
彼女たちは、インクラインのすべてを記憶し、模倣し、信仰に近い情熱でその存在を支えている。
配信の一挙手一投足を解析し、衣装の縫製から魔力の揺らぎまでを記録し、時に自らもダンジョンに潜り、同じ景色を追体験する。
その執念と忠誠は、もはや信仰の域に達していた。
彼女たちは知らない。
自らの魂が、白蛇紋にとってどれほど純粋なエネルギーであるかを。
だが、それでいい。愛は盲目であるほど、美しく、強い。
「さあ……始めましょう。この世界に、真の現実を見せてあげる時間よ」
《配信ログ:特別番組『インクラインLIVE in ミラーパレス突入』》
白銀のゲートが、静かに開かれる。
その先に広がるのは、無機質で冷えた空間。天井も、壁も、床も、滑らかに整えられてはいるが、どこか人工的で、無感情な灰色の石材が広がっている。
通常のダンジョンと比べれば、あまりにも整然としていて、無駄がない。しかし、まだ異様と呼ぶには至らない。ここは、あくまでダンジョンの入口にすぎないのだから。
噂によれば、深層に潜れば潜るほど、空間そのものが歪み、天井も、壁も、床すらも鏡面と化し、光と影、虚像と実像が交錯する現実離れした世界が広がっているという。
とはいえ、今はまだ、その片鱗すら見えない。そして、六色の輝きに迷いはなかった。
「行くよ、みんな。燃やし尽くすわよ」
紅坂 朱音の号令とともに、インクラインが一歩を踏み出す。
現れたのは、無機質な壁の影から這い出すように現れる、異形の魔物たち。それは、彼女たちにとっては、もはや日常の延長にすぎなかった。
「……大丈夫、私がいるから」
藍坂 空が盾を構え、仲間の前に立つ。
「風よ、導いて」
翠坂 風花が精霊たちと共に、風の渦を巻き起こす。
「ビリビリいっくよーっ!」
黄金坂 萌黄の雷撃が、敵の群れを一閃する。
「ふふっ、じゃあ私は……目、くらませちゃおっかな~?」
桃原坂 花恋の香りが、敵の視界を奪い、混乱を誘う。
そして、白銀坂 雪がそっと手を掲げる。
「だいじょうぶ、すぐ治してあげる」
白い光が仲間を包み、傷を癒やす。その輝きは、まるで聖域の祝福のようだった。
【コメント欄】
『開幕から強すぎる……!』
『雑魚敵が紙みたいに溶けてく……』
『これがインクラインの実戦……』
『ミラーパレス、初公開だけど……やばい……でも美しい……』
『このダンジョン、マジでなんなの……?』
『やっぱりインクラインは見せる戦闘が段違いだわ』
『深層に行くと鏡の世界になるって噂、マジなのかな……』
『この無機質な感じ、逆に不気味でゾクゾクする』
『戦律の五星姫が明日、黒の回廊の十八階挑戦って聞いたけど……まさか被らせてくる!?』
『いやいや、あたしは元々インクライン最推しだから! 五星姫とか興味ないし』
『今回の配信、ミラージュリンク限定でしょ? 入会しててマジでよかったよ』
『雪ちゃんの癒し、画面越しでも効いてくるのすごすぎる』
『朱音姐さんの剣さばき、今日もキレッキレ!』
『空ちゃんの盾、あれ絶対重いよね!? すごすぎる……』
『風花ちゃんの精霊、今日も可愛い〜』
『カレンたんの香り、画面越しに届きそうなんだけど!?』
『もえもえの雷、ビート刻んでるの天才すぎるわ』
『雪ちゃんの「だいじょうぶ」って言葉、ほんとに心に効く……』
『この六人、やっぱり伝説になるわ……』
高難易度ダンジョン・ミラーパレス。鏡宮財閥が莫大な資金を投じて管理する、国家すら立ち入れぬ特別区画。登録された者以外の侵入は固く禁じられ、たとえA級冒険者や白印保持者であっても、許可なく足を踏み入れることはできない。
その内部が明らかになるというだけで、ダンジョン考察勢や魔術研究者、果ては国家関係者までもが注目し、次々とミラージュリンクに加入していた。
それは、鏡宮美麗にとっては想定内。むしろ、彼女にとっては歓迎すべき事態だった。なぜなら彼らが持つ高出力の魔力、知識、そして情報収集への執着心。それらすべてが、ユグドラシルの糧となることを、彼女は知っていた。
表では限定公開という希少性であおり、裏では情報操作と誘導を重ね、彼らを自ら進んでこの場に導いたのだ。
【コメント欄】
『これ、マジで見ていいやつ!?』
『ミラーパレスの内部、初公開ってこと!?』
『白印持ちでも入れない場所に、冒険者とはいえアイドルが突入してるの、冷静に考えてヤバい』
『鏡宮財閥、何を企んでるんだ……』
『でも……この緻密な構造、ただのダンジョンじゃない……』
『考察勢としては見逃せない……これはログ必然』
『魔術理論班、今すぐログインして』
『国家機関も絶対モニタリングしてるでしょこれ』
『ミラージュリンク、入ってて正解だったね』
『裏で加入促してたって噂、マジだったんかな』
『魔力の流れが……おかしい。これ、何かあるのか?』
『ユグドラシルの活性化と関係あるって説、濃厚になってきたな』
『五星姫の十八階挑戦と被らせるとか、鏡宮マジでやることえげつない』
『でもあたしはインクライン最推しだから! 五星姫? 知らん!』
『雪ちゃんの癒しがあれば、どんな陰謀も吹き飛ぶって信じてる』
『この配信、ただのライブじゃない……世界が動いてる』
光と影が交錯すると噂の鏡の迷宮。その第一階層を、インクラインはまるで舞うように駆け抜けていく。
とはいえ、誰もが知っている。
このダンジョンが高難度と呼ばれるのは、決して雑魚敵の強さではない。その奥に潜む何かが、未だ誰にも知られていないからだった。




