第48話 焚火の誓い、鏡宮の影
宴の賑わいも、次第に落ち着きを見せ始めていた。
空には満天の星が広がり、焚き火の炎が優しく揺れている。
「ふにゃ……もう、ねむいにゃ……」
「ここで寝ても、いいにゃ……?」
昼間の恐怖がまだ尾を引いているのか、それとも、ただこの場所が心地よすぎるのか、猫獣人たちはそれぞれに毛布を持ち寄り、焚き火のそばで丸くなっていく。
誰かのしっぽが誰かの顔にかかっても、誰も文句を言わない。
ぬくもりを分け合いながら、安心の中でまどろむその姿は、大きな家族の団らんそのものだった。
「……皆さん」
焚き火の向こうから、ミトラが寛いでいた三人に静かに声をかけた。穏やかさを保ちながらも、どこか切羽つまった表情を浮かべていた。
「少し、まじめな話をしても……よろしいでしょうか?」
その言葉に、リュカ、バルド、カゲトラが顔を上げる。ミトラの瞳には、強い意志が宿っていた。
焚き火の灯りが、彼女の横顔を照らす。
宴の余韻が残る夜の静けさの中、焚き火の炎がぱちりと弾けた。その音に合わせるように、ミトラがゆっくりと口を開く。
「……昼間の、あの異形のコボルトの件について、話しておきたいことがあります……にゃ」
その言葉に、リュカたちの表情が引き締まる。ミトラは焚き火を見つめたまま、静かに語り始めた。
「最近、この辺りの空気が……あまりに不穏な気配に染まっていました。森の奥で動物たちが姿を消して、風の匂いも変わってきていた。それでも、まさか……あんな異形な姿になって、私たちを襲ってくるなんて思いもしなかった……にゃ」
焚き火の炎が、ミトラの瞳に揺れる。その奥には、恐れと、悔しさ、そして静かな決意が宿っていた。
「これまでも、コボルトたちと縄張りを巡って争うことはありました。でも、殺し合いにまでなることは、ほとんどなかった。私たち猫獣人と彼らは、種族こそ違っても、同じこの地に生きる者。争いを避けて、共に暮らす道を選んできたはずでした……にゃ」
リュカが眉をひそめ、バルドは静かに頷く。カゲトラも、腕を組んで耳を傾けていた。
「それが……あのような姿で、あのような暴力で……。まるで、何かに突き動かされているようでした。理性も、言葉も、すべてを失って……」
ミトラの声が、かすかに震える。
「この地は、ダンジョンの中とはいえ、比較的平和でした。それは、中央にそびえる世界樹の恩恵のおかげだと、私たちは信じてきた……にゃ。あの樹が放つ加護が、魔力の流れを整えて、種族間の均衡を保ってくれていました……」
彼女の視線が、遠く、夜空の向こうを見つめる。
そこには、かすかに浮かび上がる、巨大な影……ここからでもはっきりと見える、ダンジョンの中心にそびえる、神秘の大樹のシルエット。
「けれど……その均衡が、崩れ始めています。私たちは、今まさに、その兆しの中にいるのかもしれないにゃ……」
ミトラの視線の先、夜空に浮かぶ巨大な影。
それは、遥か彼方にそびえる世界樹と呼ばれる神木だった。
「……あの大樹がある限り、この地は守られています。私たちは、ずっとそう信じてきた。だから、あの樹の加護が弱まっているのだとしたら……本当に、何かが起きているのかもしれないにゃ」
ミトラの声には、揺るぎない想いがつまっていた。その言葉に、まどろみ始めていた猫獣人たちの間にも、柔らかな空気が流れる。
だというのに……リュカは、視線をわずかに上げた。バルドも、カゲトラも、同じように顔を上げ、遠くの大樹を見つめる。
その幹は、夜の闇に溶け込みながらも、どこか異様な存在感を放っていた。枝は空を裂くように広がり、葉は風もないのにざわめいているように見える。
(……あれが、加護の源?)
リュカの胸に、ふと冷たいものが走った。
神聖というより、どこか触れてはならないような、そんな気配。
バルドも、眉をひそめ、静かに目を細め、カゲトラは、無言のまま刀の柄にそっと手を添えた。
三人は、言葉を交わさなかった。けれど、目と目が合った瞬間、互いの胸に同じ感情があることを悟る。
あれは、聖域とよべるものなんかでは決してない。
ミトラの信じるその大樹には、何か裏がある。とはいえ、それを勘や直感だけで、彼女に伝えることはできなかった。
焚き火の炎が、ぱちりと音を立てる。その音が、三人の沈黙をそっと包み込んだ。
炎が、ゆらゆらと揺れる。ミトラは一呼吸おいてから、深く頭を下げた。
「……お願いです……にゃ。どうか、コボルトの件が落ち着くまで、私たちを守ってほしいのです。この里には、戦える者がほとんどいない。今、あなたたちの力が必要なんです……」
その声は、ひたむきで、まっすぐだった。誇り高き族長としての責任と、仲間を想う気持ちが、言葉の端々ににじんでいた。
リュカは、力強く頷いた。
「もちろん。こんな状況で、地上を目指す気にはなれないしな。落ち着くまでは、ここにいるよ」
「拙僧も同じく。加護を授けるべき者たちが、ここにはいるのだから」
「拙者もまた、剣を預かる身……この有様を見てなお、背を向けることなどできぬでござる」
ミトラの肩が、ふっと緩んだ。その瞳に、安堵の光が差し込む。
「……ありがとうにゃ。心から、感謝するにゃ……」
「やったにゃーっ!!」
そのとき、ぱっと焚き火のそばから飛び出してきたのは、ニャルだった。続いて、コトラとフワリも、ぱちくりと目をこすりながら立ち上がる。
「寝てたんじゃなかったのか……」
リュカが苦笑する間もなく、三人は勢いよく飛びついてきた!
「リュカ、だいすきにゃーっ!」
「カゲトラ様、ずっといてくれるんですね……!」
「バルド様、またごはん作ってにゃ〜!」
「ぬっ!?」
「おっとっと……!」
「こ、これは……」
三人の少女たちに抱きつかれ、三人はたじたじになったが、その顔には、どこか嬉しそうな笑みが浮かんでいた。
焚き火のぬくもりと、彼女たちの笑い声。それは、確かに守るべきものの形をしていた。
高難度ダンジョン『ミラーパレス』
それは、世界の中心にそびえるとされる世界樹ユグドラシル……神の遺産か、あるいは誰かの野望の象徴かとも囁かれる、その巨樹をようする鏡の迷宮。
深部と呼ばれる地下二十階層にもなれば、天井も、壁も、床すらもすべてが磨き抜かれた鏡面で構成され、光と影、虚像と実像が交錯する、現実離れした空間が広がっているという。
とはいえ、そこに至った冒険者はいまだ存在せず、その真偽は定かではない。
また、十五階には世界樹ユグドラシルが存在すると噂されているが、その姿を実際に見た者はいない。語られるのは、あくまで伝聞と憶測ばかり……その真の姿は、いまだ鏡の迷宮の奥深く、謎に包まれたままである。
そして、そのダンジョンの地表、世界樹ユグドラシルの真上にあたる地点に、ひときわ異彩を放つ白亜の宮殿がそびえ立っていた。
その居住の奥まった一室、完璧な造形を誇る豪華な椅子に、女が静かに腰掛けている。
鏡宮 美麗。
鏡宮財閥の総帥にして、白蛇紋 (ホワイトスネークコード)システムの創造主の娘。
その存在は、九条 静流と並び称される現代の女帝であり、リバースアース日本の二大財閥の片方の長。
「……九条 静流。お前がポーションで世界を変えるつもりならば、私は白印の存在自体、そのものを塗り替えてみせるわ」
その声は、氷のように冷たく、そして甘美だった。長く流れる銀糸のような白色の髪が、鏡面に映えて揺れる。
そしてその瞳は、まるで万華鏡のように、見る者の心を映し出す。
彼女の背後には、幾重にも連なる魔導演算装置が静かに稼働していた。
白蛇紋システム……それは、魔力と情報を融合させ、世界の認識そのものを書き換える、禁忌の技術。
「世界は、私の手のひらの上。このミラーパレスこそが、真の現実。そして、ユグドラシルがまことの姿をみせる時……鏡宮こそが唯一の世界となる」
彼女の指先が、宙に浮かぶ魔導端末をなぞる。その瞬間、無数の光の帯が空間を走り、ユグドラシルに張り巡らされた白蛇紋が、淡い白色の輝きを放った。
「さあ、静流。お前の理想がどこまで通じるか……見せてもらおうじゃないの」
部屋中に張られた鏡が、多角的に彼女を映し出す。その中の彼女は、観るもののすべての背中が凍える微笑みを浮かべていた。




