第109話 白銀の帰還と、新たな波紋
ユグドラシルの聖域広場が白金の光に包まれ、雪が元の姿へと戻った光景は、ミラーパレス最奥の執務室にも映し出されていた。
静寂に包まれた鏡の間。宙に浮く魔導モニターには、雪を抱きしめる朱音、そして歓喜に沸く仲間たちの姿が映っている。
美麗は、その光景を見つめながら、胸の奥でそっと息を吐いた。
「……よかったわ。白銀坂 雪……あの子が、無事に戻ってきてくれて」
その声音には、総帥としての冷静さと、ひとりの女性としての安堵が混ざっていた。美麗は、雪を昔ながらの逞しい漢へと変貌させたかっただけで、彼を失うことが世界的な損失であることを、十分理解していた。
雪だった者の暴走。この世に存在することさえ伝説のエリクサー精製。そして奇跡の帰還。
すべてが一瞬のようで、しかし長い戦いだった。
美麗は胸元に手を当て、静かに目を閉じる。
(鏡宮の悲願はもろくも崩れたわ……だけど……間に合った。あの子を失わずに済んだ……)
そして……その安堵は、すぐに別の感情へと変わっていく。
美麗はゆっくりと目を開き、モニターに映る六人の男たちへ視線を移した。
黒の回廊十八階ボス部屋から、騎士であるクラウ、魔術師のストレイ、調薬錬金術師のフェルマ、そしてこのユグドラシルのエリアに突然現れた、吟遊詩人と斥候のようなリュカ、侍のカゲトラ、戦闘僧侶であるというバルドの六人は、レインとエコーの念話によって名前と職業が明かされた。
その六人の漢たちは、雪の帰還を見守りながら静かに立っている。
美麗の唇が、わずかに上がった。
(……ここからが本番よ……特に、あの九条の女狐には絶対に渡さない)
朱音が雪に抱きつく姿を見ながら、美麗の瞳に鋭い光が宿る。
(六人もの規格外の、そして鏡宮が目指した理想の漢たち……しかも全員が、私のダンジョン内にいる。この状況……神の采配が、私に勝ち獲れと言ってるのでしょ?)
背後で控えていたエコーが、静かに一歩前へ出る。
「……ゼロ。現状のユグドラシルエリアにて待機中の我が兵をもって、全員を拘束できる可能性は……どの程度と見積もりますか?」
美麗は視線を外さずに言った。
「計算しなさい、エコー」
「……承知しました」
エコーの指が端末を走る。数秒の沈黙……そして、エコーは息を呑んだ。
「……っ……計算結果……1%もありません」
しかし、美麗は眉ひとつ動かさなかった。
「……そう。想定内よ」
エコーが驚いたように目を上げるのを、美麗は机の上で優雅に肘をかけながら、淡々と続けた。
「まず、あそこには九条の娘がいる。賢者である、あの女の戦闘力は知れている。だけど知略は厄介」
モニターには、雪を揉みくちゃにしながら歓喜に湧くインクラインメンバーの姿。
「そして未知数の漢が六人。さらに五星姫もいる。我が陣営とはいえ、あの状況ではインクラインも敵に回るかも知れない……となるとルーセントとレイン、四戒仙がいても、正面からの制圧は不可能」
美麗はゆっくりと微笑んだ。
「となれば……武力をもって制するのは愚策。手段としては、絡め手しかないわね」
その声は静かで、しかし新たな漢たちを巡るし烈な戦いの始まりを告げていた。
戦律の五星姫と三人の漢の四組が、黒の回廊十八階から転移した後……百花繚乱のメンバーたちは、魔導ドローンを回収した紫乃お嬢様なら必ず再度接続してくれると信じ、息をひそめて画面を見つめていた。
そして、その願いが叶ったのか、突如、画面に見たこともない光景が広がる。
巨大な大樹。
天を突き抜けるほどの幹。枝葉は光を帯び、風に揺れるたびに金色の粒子が舞い散る。まるで神話の中に迷い込んだような、圧倒的な存在感。
視界が開けると、そこには複数の兵士が地面に倒れ、その中には、いかにも一般の兵士とは別格のオーラを放つ、特別仕様の軍服を着た二人が居たが、その二人もまた地面に膝をついていた。
その横には……虎耳、狼耳、狐耳、狸耳、そして揺れるしっぽと獣の気配をまといながら、人の姿と獣の本能を併せ持つ、見たこともない存在たちもいた。
しかし、その誰もが、ある者は膝をつき、ある者は地面に倒れながらも目線だけは、ひとつの場所に向いていた。
その場所は、ただそこに居るだけで、空気が震えるような圧。黒の回廊の閉塞した空気とはまるで違う、戦いの余韻がまだ地面に残っている場所の匂いする。
倒れ伏す兵士たち。膝をつく特別仕様の軍服の二人。獣耳の女性たちの鋭い視線。巨大な大樹の根元に漂う、神域のような静けさ。
そのすべてが、ここがただのダンジョンではなく……何かが終わり、何かが始まった場所であることを物語っていた。
百花繚乱のメンバーは、紫乃お嬢様が放ったドローンが映し出すその全景を前に、息を呑むしかなかった。
(……なにここ……?……本当にダンジョン……?……いや、これもう聖域じゃない……? で、なにと戦っているの……?)
胸の奥がざわつき、画面越しなのに、まるで自分たちもその場に立っているかのような緊張が走った。
その驚愕は、やがてコメント欄の爆発へと変わっていく。
『ちょっと待って!? 転移先、森とかじゃなくて神樹なんだけど!?』
『あれユグドラシルって噂の鏡宮のやつ!? 実在したの!?』
『デカすぎて笑う……いや笑えない……神話のスケール……』
『兵士めっちゃ倒れてるんだけど!? なにこれ戦闘直後!?』
『てか軍隊レベルで人いるの怖いんだけど!?』
『えっ……獣耳!? なにあれ!? 可愛いのに絶対強いタイプ!!』
『虎耳の子、完全に獲物見つけた目してる……』
『狼耳の子の圧やばい、画面越しでビビるんだけど』
『ここどこよ!?!? 黒の回廊から急に神域に飛ばされるの情報量の暴力すぎる』
『紫乃お嬢様、ドローン飛ばしてくれてありがとう……ほんとありがとう……』
『というか……あれインクラインだよね? もえもえとカレンたん居るし』
『ってことは……ここミラーパレスのユグドラシル!? やば……』
『で、ちょっと待って……中央に立ってるアレなに……?』
『人……だよね? いや漢……? いや違う……なんかヤバい雰囲気してる』
『てか他にも倒れてる人いるし……状況が理解できないよ』
その中心に、ひとり立つ何かから百花繚乱のメンバー誰もが、目が離せずにいた。
白銀の髪。額には、象徴であるスノーホワイトの白印。しかしその身体は、なにかの拘束魔法に縛られ、まるで動くことすら許されていない。
周囲では、インクラインのメンバーがボロボロの状態で立ち尽くし、朱音は地面に倒れたまま動かない。
その光景は、ただの戦闘後ではなく……何か取り返しのつかないことが起きた直後であることを、誰の目にも明らかにしていた。
百花繚乱の視聴者たちは、息をすることすら忘れ、画面を凝視した。
『ちょっと待って……兵士全滅してない!?』
『インクラインの子たちボロボロなんだけど!? 朱音さん倒れてる!?』
『五星姫いるけど…………クラウ様やストレイ様……いないんだけど?』
『ほんとだ……フェルマ様もいないし、どこに行ったの?』
『ねぇ……というか……中央のあれ……白銀の髪……?』
『額に白印……スノーホワイト……?』
『いやいやいやいや待って待って待って……』
『まさか……雪くん……?』
『嘘でしょ!? あれ雪様なの!? なんであんな……えっ!?』
『すごい筋肉……腹筋割れてる……あれが男性の筋肉なんだ……』
『だけど、目のところやばいって! なんで空洞なの!?』
『インクラインと一緒にいるはずの雪様がどこにもいない!?』
『本当にアレが雪様なの!? 何が起きてるの!?』
『情報量が多すぎて脳が追いつかない!!』
『雪くん……どうなってるの……?』
百花繚乱のメンバーは、異形の存在と倒れ伏す兵士やインクラインのメンバー、その光景に半ばパニックを起こしていた。
その時……異形のすぐ近くにあった風の膜が突如として震え、つむじ風を巻き起こしながらゆっくりと晴れていく。
霧が裂け、光が差し込み、その奥から姿を現したのは……六人の、逞しく、立派で、圧倒的な存在感を放つ男たち。
ただ立っているだけなのに、空気が変わる。
画面越しでも伝わる重圧と威厳。まるで戦場の中心に降り立った英雄のように、六人は揺るぎない足取りで姿を現した。
その瞬間、百花繚乱のメンバーたちは、息を呑むことすら忘れた。




