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親心

 

 オレンジ市への小旅行から帰って1週間後、醸に手紙が届いた。

 母からだった。祖父の具合が良くないと書いてあった。入退院を繰り返していたが、最近は体重が減って食欲も無くなってきたのだという。

 その上、父は重い荷物を持つのが辛そうだし、階段を上がる時や急いで歩いた時に息切れを起こすことがあるので、どこか体の具合が悪いのではないかと心配していた。


「オヤジももう少しで69か……」


 誰に言うでもなく、喉の奥から不明瞭な声が漏れた。


「う~ん」


        *


 それから3日後、「帰りましょう」と幸恵が醸を促した。既に荷物をまとめているという。


「今帰らないと後悔するような気がするの」


 すぐに船に乗っても2週間かかると、訴えるような目で見つめられた。

 しかし、そう簡単ではなかった。帰るにしてもオーナー夫妻の許可を得なければならないからだ。無理を言って雇ってもらった恩義に反することはできないし、下手をしたら學の顔を潰すことにもなる。切り出すタイミングを慎重に見極めなければならないのだ。


        *


 その翌日、オーナー夫妻から夕食の誘いがあった。子供のいない彼らにとって醸と幸恵はその穴を埋めるような存在のようで、月に何度か誘ってくれるのだ。


 その夜もワインの出来栄えや幸恵の仕事の話などで盛り上がったが、食事が済んでデザートワインを楽しんでいる時、「それはそうと、ご両親は健在かね?」とオーナーが話題を変えた。


 一瞬口ごもってしまった。

 まだ心の準備ができていなかった。

 隣に座る幸恵が促すように頷いたので話さなければと思ったが、口が動かなかった。


「どうした?」


「それが……」


 言い出せないでいると、見かねたのか、祖父と父の体調不良を幸恵が打ち明けた。


「それは大変だ。すぐに帰ってあげなさい」


「でも、ここの仕事が」


 躊躇うと、オーナーの顔色が変わった。


「仕事と家族とどちらが大切なんだ! かけがえのない人を失くしてから後悔しても遅いんだぞ!」


「でも、こんなにお世話になったのになんのお返しもできていませんし、それに一度日本に帰ったら、もう二度とこちらに来ることはできませんので」


 するとオーナーの顔が更に厳しくなった。


「クビだ! 今日限りでクビにする。すぐに出て行け!」


 ドアを指差して、更に大きな声で怒鳴った。


「Get out of here!」


 余りの剣幕に驚いて固まってしまった。しかし、尚もドアを指差して出て行けと叫ぶので、逃げるようにドアから外に出るしかなかった。


 音がしたので振り向くと、奥さんが追いかけてきていた。


「あれがあの人の優しさの表現なの。あなたたちのことを実の子供のように思っているから心を鬼にしてあんなことを言ったのよ。わかってあげて」


 即刻帰国させるためには追い出すしかないと判断してあのような言い方になったのだと説明してくれたが、それは痛いくらいにわかっていた。かつて一度も大きな声を出したことがない穏やかなオーナーの変わり様に意味があることは明らかだった。早く日本に返してやりたいという親心から出た言葉だということは疑いようがなかった。


「ありがとうございます。オーナーのお気持ちはしっかりと受け止めさせていただきます。このご恩は一生忘れません」


「気を付けて帰ってね。お爺様とお父様を大事にしてあげてね。それと、ここをアメリカの実家だと思っていいのよ。だからいつでも帰っていらっしゃい。待っているからね」


 醸と幸恵を交互に抱き締めた彼女の目には温かい愛情の火が灯っていて、それはオーナーの溢れんばかりの慈愛と同じものに違いなかった。窓辺でこちらを見つめる彼に向かって醸は深く頭を下げた。



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