66 美少女解禁放出デー
前回までのあらすじ
ボッチコミュ障の高校生・柴田は、電脳の女神エレクトラにだまされて契約を結ばれてしまう。
彼女の目的は、自分の神格を上げること。そのためには有名人になり、お供えを捧げ、魔鬼を倒せというハードモード!
生徒会長選挙へと動き始める柴田の前に、院華子が現れた──。
「上手くやりましたね、柴田くん」
図書室へ向かおうとした俺を、院華子が呼び止めた。
というか待ち構えていやがったな、こいつ。
「なんのことだ?」
とぼけて見せたが、華子は見透かすように笑みを浮かべる。
「柴田くんが暴力事件を起こしてはどうしようかと心配しておりました」
「……山崎もいたんだぞ。勝てるわけないだろ」
「そうですね。あなたでは眉村君や西野さんにも勝てないでしょうね」
アレも見ていたのか、ストーカーめ。
「おまえ、マジで気持ち悪いよ」
「んっ……」
華子が心地よげに身をよじらせ、うっとりとした顔で俺を見つめる。
「あはっ……。また気持ち悪いって言った」
「……」
ダメだ。こいつを罵倒しても喜ばせるだけだ。
嫌味な煽り合いなんてやるつもりもないが、こいつが選挙戦の大本命である以上、出方をうかがいたいってのもあるにはある。
「それで。溜飲は下がりました?」
「もとからねえよ。そんなもの」
言い捨てて行こうとしたが、俺の腕を華子が引っつかむ。
「はなせって」
けして力は強くないのだが、つかみ方が上手いのか振りほどけない。無理に力を入れると、手首がねじれそうな。
弓道部なのは知っているが、ほかの武道も心得があるのか?
華子はすっと踏み込んで顔を突き出してきた。互いの鼻先が付きそうなくらいの距離で見つめてくる。
「な、なん……」
俺はたじろいだが、うしろは壁。
ここで目線を逸らしたら負けな気がして、ぐっとこらえて対抗した。
「なんだよ……」
間近に美少女の顔があるってのは、ゲームとは違う。相手も俺を見ているわけで、否応なくそれを意識させられると「ガチ恋距離」とか言ってられる余裕なんぞない。
華子の目は大きいというほどでもないが、黒目勝ちでその妖しい光に吸い込まれそうだ。下まつ毛が長くて、よく見れば泣きぼくろがある。
その唇から漏れた吐息が頬をなでる感触で、おかしな気分が沸き起こってくるのに俺は慌てた。
「やめろって!」
俺が逃れようとすると、華子は指を絡めてきた……いや、これ指の関節極められてる!
「い、いだだだだ!」
たまらず俺はその場に膝をついた。
指の関節極めるとか、こいつは古武術の使い手かなんかかよ!
どっちにしろ禁じ手だろ! 簡単に折れるぞ、このやり方。改めて、おっかねえ女だ。
「よ、用があるならはっきり言えよ!」
「気が抜けていますね」
華子が鼻息一つ、手を離す。
俺は残っている痛みに手を振りながら、このサイコストーカーを睨んだ。
「はあ?」
「つまらないと言っているんです」
「知るかよ」
「約束、覚えていますよね?」
「あー」
「言葉に出して言ってください」
華子は無表情に口だけ動かす。
人に命令し慣れているヤツってのは、こんなふうに相手の気持ちなんて考えもしないのだろう。
「……お前が俺を奴隷にするか、俺がお前を好きにしていいって賭けだろ。下らんが付き合ってやるって」
「あなた、負けてもいいなどと思っていませんか?」
「あのな────お前こそ本気で言ってんのか? 奴隷なんて今の世の中でまかり通るわけないだろ。未成年同士でそんなおかしな関係になったとしても学校や親に知られたら、お前終わりだぞ」
「柴田くんが黙っていれば、私は上手くやりますよ。もし邪魔する人がいても……」
華子は続きを言わなかったが、そのさきは言うまでもない。魔鬼を使うってことだろう。
こいつ、もしかして今までもそうやってきたんじゃないだろうな……。
「その力は使うなって言っただろ。マジでやめろ。バレなけりゃいいとか、そういう類のもんじゃねえ」
「あなただって。さんざんその力を使って人を脅してきたのでしょう。さきほどのように」
「俺は違う」
俺は苛立ちながら華子に詰め寄った。
はっきり分からせておかないと、いつかこいつはやらかす。
自分の力を分かっていて、いきなり俺をぶっ殺そうとした頭のおかしい女だ。
「あいつらが先に手を出してきた。身を守るためにやった。自業自得だ」
「眉村さんを放っておけばよかったのではないですか。環境に馴染もうともせず、やられっぱなしにしていたせいで、さらにイジメを助長させた──それこそ自業自得です」
「あんなものが和のせいとか言うなよ。やられる方が悪いなんて、人を見下した考え方だ」
「1人が虐められるのと、10人以上のケガ人が出るのと、どちらがマシでしょうね」
「ふざけるな」
俺が凄んで見せても華子は何食わぬ顔でせせら笑う。
「あなたの言い分なんて、それこそ世の中で通用しませんね。弱者は食われ、強者が生き残るだけです。それが競争原理というものでしょう?」
「お前の人生観なんて知るか」
「なら実力行使でお見せしましょうか。いまから私は眉村さんに力を使います。あなたは────」
俺はその先を聞く前に、華子の首に手をかけていた。
そのまま首ごと華子の身体を壁に押し付ける。
指が白い首筋に食い込んだ。
俺は絞めた。
すぐにでも折れそうなくらい細く、手触りは柔らかく絹のようだ。
指に脈動が伝わってくるのを感じながら、さらに力を込める。
両手のなかで気道がごりっと音を立てた。
華子の顔が赤くなり、苦し気に眉が曲がる。
俺は絞め続けた。
口から唾液の混じる濁った音がした。
やがて顔の色は青ざめ、黒みを帯びていく。チアノーゼだ。
何度も何度も息を取り入れようと、肺が胸を押し上げて痙攣する。
ちょうど、こいつの魔鬼である砉が鳴くときのように。
俺は絞め続けた。
華子の眼頭と目じりから、分泌物として涙がこぼれてくる。
涎が糸をひいて顎から垂れた。
俺はそれを見ても、なにも感じなかった。
ただ絞め続けた。
「やめてください! 柴田さん!」
背中に鋭い電撃の痛みを感じて、やっとエレクトラが叫んでいることに気付いた。
「相手の思うつぼですよ!」
俺は手を離した。
我に返ったからではない。
華子が崩れるように座り込んで激しく息を吸い込む。
そうだ。
こいつはさっきあれほど巧みに俺の腕を締め上げたのに、まったく抵抗しなかった。武道や護身術をやっているなら、なんとでもできるはずなのに。────わざとだ。
こいつは俺を怒らせるために、いままでも挑発してきた。しかし被虐を楽しみながら加虐にもなりうるって、どういうネジの飛び方してんだ。歪みきってる。
「負けたら奴隷でもなんでもなってやる。和には手を出すな」
「そ……れじゃ……だめです……もっと本気で……」
咳き込みながら華子が俺の手を握る。
それは今までのような強いものではなくて、すがるように弱弱しかった。
「私を叩き潰すぐらい……激しく……してくれないと」
そう言って笑いながら、華子は顔を上げた。
その顔はぐちゃぐちゃだ。
涙で濡れた髪が頬に貼りつき、鼻水と涎まみれ。
美人も台無しってのは、この顔じゃないかってくらい。
それをやったのは俺だけど。
「おまえの取り巻きがその顔見たら気絶するぞ……」
「あはっ」
吹き出すように笑うので、また鼻水が垂れる。
これマジで見せられねえ顔だな……。
「もう……もう少しだったのに……こいつ」
華子は俺の背後あたりを睨みつけた。
「ひぃ!」
エレクトラが悲鳴を上げて俺の背中に隠れる。
「……おまえさ、見えんの?」
「気配のようなものは。──柴田くんは、見えるのですか?」
「見える。お前のもな」
「へえ……どんな姿ですか?」
「でけえモチみたいなやつだよ。……砉って奴らしい。お前と似ててキモい」
「ふふっ」
俺の手を握っていた華子の指から力が抜けて、廊下に落ちた。
まだ辛いのか、華子は顔を落として肩で息をしている。
長い髪が廊下のリノリウムのうえにとぐろを巻く。
「……お前のことは大嫌いだが、悪かったよ」
俺はポケットからハンカチを取り出したが、それが和にもらったものだと思い出した。代わりにカバンからタオルを引っ張り出して、華子に渡す。
華子はそれを受け取ると、顔を拭いた。
そのままタオルに顔をうずめて、なにやらすーはーしている。
「おい! お前何してるんだよ!」
「柴田くんの汗臭い……匂いが」
「やめろ変態!」
タオルを奪い取ると、華子が不思議そうに俺を見上げる。
目が腫れているが、さっきのひどい有様に比べればさっぱりとしている。
というか……。
今までさんざん見てきた狡猾さや激情を宿したものではなく、何の考えもない華子のこんな顔は初めて見た。
俺と同年齢の少女といった素の表情。
それでもタオルでゴシゴシ拭いて、それぞれパーツの良さが変わらないってことは化粧していないという証だ。どれだけ顔が整ってんだよ、こいつは。
「なにかすっきりしました」
「首絞められてすっきりもクソもねえだろ」
「意外と良かったですよ?」
「あーそうかい、ド変態。じゃあな」
俺は華子を置いていこうと踵を返した。
「待ってください」
そう言われると、いまさらひどい罪悪感が沸いて突き放すことができなかった。もう少しでこいつを殺すところだった。
これで憎まれ口なり、大騒ぎなりしてくれりゃいいんだが、変に毒気が抜けて素直に来られるとやりにくい。居心地が悪いというか、ばつが悪いというか。
「……なんだよ」
「さきほど失禁してしまいました」
……まじで。