農村でロハスな生活
透改め、「トオコ」さんです。結構村の生活に順応しています。
村についた日から、既に2カ月ほどが経過している。
全く言葉が分からない国でも必死でやってみると意外となんとかなるもんで、俺たちはごく簡単な会話であればカタコトで村の人とコミュニケーションがとれるようになっていた。トモくんの能力も地味に役に立っている。実はあの能力、手紙やメモなんかは内容が単語程度であれば「さよならと書いた手紙 価値:★」などのように内容が分かることがあるようだ。ただし、何かポイントのようなものを消費しているのか、一日10回までしか使えない上に、使っていくとだんだんトモくんの元気がなくなってきて、使い切るとぐったりして寝こんでしまうので、いまいち使い勝手は悪い。
生活については、ロッタのおやじさんのバートさんが相変わらず面倒を見てくれていて、半分ここん家の子みたいになっている。面倒を見てもらうかわり、いろいろ村の仕事のお手伝いをさせてもらうことにしたので、俺は料理や繕いものや牛の乳搾りなんかが結構うまくなった。真帆は家事はさっぱりだが、畑仕事や薪割りなんかをしていて、心なしか腕がたくましくなってきたような気がする。トモくんは食べられる野草や薬草に詳しくなった。いざとなれば能力を使って難しい毒キノコの判別もできるわけだから、なかなか有能だ。
食事は概ね味気なく、風呂やトイレの事情はよくないが、贅沢は言っていられない。村の人はみんなよそ者の俺たちにも良くしてくれる。後ろ盾になってくれているロッタやバートさんの人柄が村の人たちに好かれているということもあるんだろうな。俺たちは東洋人の見た目をしているが、それも意外と気にされていない。
俺には村の男性陣から「嫁に来ないか」というお誘いがいくつかあったりして、現在人生初のモテ期を体験中だ。そういった人たちから自家製チーズや野菜のプレゼントなんかもしばしばあって、我が家の食卓に貢献している。……こうやってちやほやされると、たまーに自分がおっさんだったということを忘れそうになるな。
いつも早寝早起き、健康で、仕事も頑張っていて、人にも好かれている。非常に充実した毎日だ。特に他人の目を盗んでこそこそしなくていいのがいいな。うしろめたさがない。正直な話、俺個人としてはずっとこのままでもいい気がしている。前の生活には未練はないし、前の姿にも特にこだわりはない。まるで生まれ変わったような気持ちだ。
……でも、真帆はきっとそうではないんだろうな。
表向き不満を口に出したりはしないが、ごくたまに何か考え込んでいるような時がある。俺と違って真帆は元の生活をしていた頃から未来があったし、やりたいこともあっただろう。まだ未成年だから、両親を思い出してホームシックにもなるかもしれない。トモくんだってきっとそうだ。ここで過ごせば過ごすほど、彼らの貴重な時間は失われていく。ここで使った時間が長いほど、元の世界に戻ったときに苦労するだろう。なんとかして早く元の生活に戻してやりたい。
ゲームの世界、か。
俺もまだ半信半疑だが、もし今いる場所がゲームの世界なら、クリアすれば戻れるんだろうか。だとしたら、こうしてここで生活しているよりも、「何か」と戦いに行ったほうがいいんだろうか。
でも、もしこれが単なるゲームなんかじゃないとしたら。たとえゲームだったとしても、俺たちが「勇者」だとは誰にも言われていない。戦って負けてもよくあるゲームの勇者様のように教会で復活するわけじゃなく、そのまま死んでしまうとしたらどうする。あのツチノコのようなものと戦って感じたが、俺たちは決して強くない。レベル2の相手と戦ってあの程度だ。レベルってのはいったいいくつぐらいまで上がるんだ?俺たちが倒さなければいけない相手はいったいレベルいくつなんだ?
ここでの日々はそれなりに楽しいが、このままではいけないのではないかという漠然とした焦りと危険に飛びこむことへの恐れの間で俺の心は迷い続けている……
俺はため息をひとつついて、刺繍を縫う手を止めた。
「疲れた?ちょっと休憩しましょう。お茶を淹れますから」
ロッタのお母さん----ベルダさんがロッタによく似た顔に優しい笑みを浮かべて、作りかけていた刺繍をテーブルの脇に置いた。お湯をわかしてトモくんが集めてきたハーブを使った自家製ハーブティを作ってくれる。
「トオコちゃんが手伝ってくれて助かるわ。ロッタは不器用だから」
「まだまだ手際が悪いですけどね」
「この刺繍は村の伝統的な模様なの。野いばらがモチーフなんだけど、悪いものを退ける意味があって、ハンカチなんかに縫い付けてお守りにする。トオコちゃんも一つ持っておくといいわ」
「はい」
ハーブティはカップの中で湯気を立てている。悪いもの、か。あのゲームはやはり何か悪いものだったのだろうか。くれた相手は、そんな様子ではなかったが。俺はカップの中で浮遊しているハーブの欠片を眺めた。
あの夜はとても蒸し暑かった。そういう夜は、俺はあまり家にいるのを好まない。外から取り込んだ熱気が体の中で冷めずに渦巻いているようで、エアコンをつけていてもなぜか寝苦しく感じるんだ。寝苦しいといらいらしそうになるから、俺は気分がしずまるまで目的のない夜の散歩に出ることにしている。俺は昼間はめったに外に出なかった。出られないわけじゃないが、近所の人に見られて話題にのぼるのが嫌だから。つまらない噂をされるのは今さら仕方ないと思えても、それが妹の耳に入るのは何だかいやだったんだ。だが夜は、たいして人通りもないので昼間よりも気楽だった。
あの日は少し足を延ばして、駅向こうのさびれた商店街のほうに行った。20年ぐらい前は活気のある商店街だったと思うが、だんだん店主たちが高齢化してきて、駅の周辺にちょっとしたショッピングモールのようなものもできたので今はほとんどシャッター街になっている。さびれた商店街はそれ以上新しい店舗が入ることもなく半分朽ちたような店舗が並んでいるだけ。生き残っている店もあるかもしれないが、時間が時間だったので当然開いているような店はなかった。
俺は誰もいないそのシャッター街の道の真ん中を、堂々と歩いた。ほとんどの店舗のシャッターはさびていて、店の看板や壁もくすんでいたりペンキがはがれたりしていた。こうした店舗も活気のあった頃はまだ新しく、ぴかぴかして華やかだったのだろう。でも、現在の姿のほうが俺には似合っていると思った。
そうして歩いている時、俺を呼びとめる声があった。
「ねえ、そこのあなた」
シャッター街を全体の半ばまで歩いた時だった。付近に人がいるとは思っていなかったので、俺は幽霊に声をかけられたように感じてびっくりした。よく見てみると、ある店舗の前に一人の老人が立っていた。薄暗いのでよく見えていなかったが、たぶんずっとそこにいたのだろう。
「あなたはずっと昔この店に来た子だね。まだ子供の頃、ここに来たことあるだろう」
そこは古いおもちゃ屋のようだった。言われてみれば、来たことのある店のような気もする。俺は足をとめたが、出来れば長話はしたくない。適当に受け答えをして別の場所に移動しようと思った。
「来たことはあるかもしれないけど、よく覚えてはいません」
わたしは覚えているよ、と老人は言った。その顔は頭蓋骨が半分に縮んだかのようにしわしわで、男性か女性かも良く分からないぐらいだった。どこかであった気もするが、会っていても今の顔では誰だかわからないかもしれない。
「あの頃は、この店の中には数え切れないぐらいの種類のおもちゃが並んでいた。どのおもちゃもそれぞれに人を夢中にさせるだけの魅力を持っていた。あなたはこの店に来て、宝探しでもするかのように次々と棚の中をのぞいた。その目は毎日が楽しくて仕方がないというふうに、きらきらしていたね。」
そんなこともあっただろうか。あったかもしれない。
「時の流れというのは残酷なものだ。活気にあふれる日々が毎日続くと信じていても、ほんの10年、20年でこんな風になってしまう」
それは街の様子を言っているのか、俺のことを言っているのか分からなかった。居心地の悪さを感じて、できれば早く立ち去りたいと思った。俺が切りあげようとすると、老人は俺に旧式のゲームソフトを手渡してきた。
「これをあなたにあげよう。この店で最も価値のあるものだ。もっとも、ほとんどのものは古びて価値を失ってしまっているけれど。これは古くてもう誰にも手に取ってもらえないかもしれないが、本当はまだ力を失っていない。人を楽しませることを諦めていない。機会さえ得られれば、やめられないぐらい人を夢中にすることができるだろう。きっとあなたにとっても良い出会いとなる」
そのソフトを動かす為の機体は確かに30年近く前まではほとんどの子供を魅了するぐらい人気があったものだ。しかし、今こんなものをもらっても困る。かつては宝物のように思っていたその機体も、今となっては全く出番がなく、家の物置に入れっぱなしになっているはずだから。
俺はそれを返そうとしたが、老人は受け取らずどこか悲しそうな顔で続けた。
「わたしは今夜、ここを去るんだ。もうあまり時間がないので、他にこれを預けられる人はないだろう。だからもしあなたがそれをいらないのだとしても、今夜の記念に受け取って欲しい。どうか、頼む」
俺はソフトを受け取り、家に帰った。捨てることも売ることもできたが、老人の顔を思い出すとそれは申し訳なく感じた。翌日、俺は物置で古いゲーム機の箱を探すことにした……
ハーブティを飲み終わると、目の疲れが少しすっきりしたような気がした。ハーブの薬効なのか単なるリラックスの結果なのかはよく分からないが。まだまだ作業は続けられそうだ。
「この刺繍、街から行商人が来たときに買ってくれるから、そうしたら臨時収入になるの。もし高く買ってくれたら、街のお菓子をちょっとだけ買いましょう。甘くてとっても美味しいの。みんなには内緒ね」
ふふ、と笑うベルダさん。
こういう生活は、悪くない。少なくとも俺にとっては魅力のあるものだろう。俺がもし一人で来ていたとしたら、ずっとここにとどまることを望んだだんだろうな。
俺は自分が縫い込んだ野いばらの刺繍を撫でた。糸で形作られたいばらのとげは指を刺すことはなかったが、どこからか、かすかに花の香りが漂ったような気がした。