6 夢の夢
前史のはるか昔、いまのファーイーストシティにあたる国はもっとずっと混沌としていた。
いくつかの勢力がせめぎあい、さらに遠方からの外圧や自国内での反乱などといった絶え間ない戦乱のなかで、安らぎはみじんも存在しなかった。
「不平等、不公平に端を発した争いによる虐殺、病気、隷属、貧窮、憤怒、憎悪、不信――それにともなう不安や懊悩からくる無知、無言、無関心で、私たちの国は坂道をころがり落ちるがごとく疲弊し、衰退しました。老若や性別を問わぬ悪しき者たちの邪気に満ちたあざけりの声はいまでも耳に焼きついています……」
お姫さまの説明はたしかにリウノにとってはおとぎ話のようだった。
「私はそのとき小国の王女であり、隣国には婚約をしていた王子がおりました。しかし、激しくつづく戦火における謀殺、裏切りで私は国王と王妃をうしない、策謀によって隣国とも決別しかねない窮地となり、あまりに繰り返される信じがたき愚行の数々に耐え兼ね、ひとつの決断をしたのです」
お姫さまは目を伏せる。
コタツはその顔を心配そうに見上げた。
「王子と私はそれぞれ、魔法と呼ばれる特殊な能力を継承していました。それが王族たるゆえんだったのです。そして、王子の魔法はあなたたちもみた、あの琥珀のなかで永遠の眠りにつくもの。それから、私のそれは呪いの文言により世界を滅ぼすことのできる魔法なのです」
「え? だから、滅んでしまったの――?」
コタツが眉をぴくりと動かす。冗談にも本気にもみえる動きである。
お姫さまは口もとをゆるめる。
「いいえ、悪しき手が私たちに及びそうになったとき、私はそれを王子に提案しました。忌まわしき世界は滅亡やむなしです、と。ですが、王子は極限のときにあってもなお、それを拒んだのです……」
ざっくり学んだ歴史にはそこまでドラマチックな情報はなかった気がする――でも、昔あった国はある意味で夢とおなじなのだ。
「王子は賭けをうながしました。私が王子の魔法で深い眠りにつき、いつかめざめたとき、めざめることがあったとき、世界が変わらず忌むべきものであったなら、私の呪いの魔法で滅亡させる――」
コタツがひげアンテナを動かす。
「そして、もし世界が生きるに足るものへと浄化されていたのであれば、私の呪いの魔法を封印する、と。悪しき手が目前にせまるなか、私は王子の魔法で眠りにつきました。どれほどの時が過ぎるのか、あるいはもうめざめることはないのか、それはもうわかりませんでした。私自身とても不安であり、まるで暗い影の牢獄に閉じこめられたかのような孤独のなかで、長い長い悪夢をみていました……」
データで証明できるかは不明だけど、教授たちはその夢を共有したのではないか――リウノはそんなことを思う。事前情報の動画のひずみも無関係ではないかもしれない。
「王子さまもきっと、とてもたいへんだったね」
コタツがすり寄り、お姫さまはゆっくりとコタツの背をなでた。
「ええ、私に魔法をかけるときの、王子の瞳を、私は忘れません。忘れえぬものです。私とおなじ不安と、私とこの世界への深い慈しみと、行く末を見据えた強い決意を秘めた最後のまなざしを……」
お姫さまはうつむいた。しかし、すぐに顔をあげる。
「ここは建物なのでしょう。そとにでることはできるでしょうか?」
リウノは迷う。強い脱水であるうえ、筋力ももどってはいないだろう――動かしていいものか。
「いいよ、リウノも手伝って」コタツがひげアンテナを動かす。どうやら、教授らに確認をしたらしい。
リウノはうなずいて、お姫さまの横に向かい、そっと肩を貸した。
手も身体も冷え切っていたが、案外強いちからでリウノを頼ってきた。
すぐそばでみるお姫さまの顔は、とても美しいけれど、悲愴感があった。覚悟とはそういうものなのかもしれない。
お姫さまを介助しながら、リウノはコタツとともに少しずつ歩き、野外へと向かった。
ラボ内にはだれの気配もなく、廊下は静まりかえってきた。
きっと、配慮してそうなったのだろう。リウノの代わりにコタツがべらべらと話しかけ、お姫さまの相手をした。
リウノはただただ、ファンタジックな魔法の世界の話を聞くともなしに聞いていた――。
――コタツはいつでもリウノのそばにいて、あまり意味がないようだが適切な補助をしている。
今般のようなお姫さまの相手は、人づきあいが苦手なリウノにはむずかしい。
リウノがコタツに内蔵されたAIがファンタスティック・ドーター(FD)だと推測したことは、そこに理由がある。
ずいぶん長らく、オーサム・ファーザー(AF)とグレイト・マザー(GM)は人類のみちびきかたについて議論をしていたと授業でも聞いた。
くわえて、長いスパンでも、欠陥がみつかったときでも、キョーイク制度は見直しや改定がその都度おこなわれてきたそうだが、リウノはふと、そういうことだけではないのではないかと思ったのだ。
すべての人をひとつの考えかただけでひっぱることには無理がある、とAFとGMは判断したのではないか。
だから、新たなFDとして、個別に一人ひとりに寄り添うことにした――それこそ、友だちのようなものとして。
不足が争いを生む。物理的に満たされたいまの世界ではだいぶ減ったけれども、それでも。
物質だけでなく、リウノのように性格や性質において、なにかが足りない場合もあるだろう。目にみえるものだけがすべてではない。
だから、そんな足りないものを大きなトラブルを避けながらいっしょにさがすことのできる、友だち――FDとはそういうものなのではないか。
相性や好き嫌いや利害関係も問わない、家族でも同僚でもないさりげない関係。
無論、多くの不足に煮詰まらない人たちにとっては、ずっとつづいていくであろう平和で退屈な生活のなかで、いつまでもとなりにあって、ともにあくびを噛みころすだけの友だちになる。
意味なんてない、そんな意味をもったものだ。
そうして、ラボの屋上にでた。
自動ドアが開くと、秋っぽい涼しげな風が吹きつけ、頭上には青空と白いちぎれ雲がひろがった。
リウノの肩で、お姫さまが身体を硬直させたのがわかった。
お姫さまは手すりぎわまで歩いていくと、「もうだいじょうぶです、ありがとう」と手すりに両手を置いて自立した。
コタツは手すりに跳びのって、お姫さまに寄り添った。
危険だけれど、まァ、落っこちても平気か、猫だし、たぶん。
リウノは少し間をとった横に立ち、荒野をみつめる。
視界は良好で、ずっとさきまで見渡せた。
大地や岩や草原や樹木がごった煮のスープのようでもあり、ひろがる世界全体が大きな船のようでもあった。
「ああ……」
ふいにお姫さまが吐息をもらした。
「なんて青い空――」
例によってなんて応えていいかわからないリウノをよそに、コタツがにっこりした。
「お姫さまの時代は、空が青くなかったの? そういえば、大昔はタイキオセンとかあったんだよね?」
お姫さまはやさしい瞳をしてコタツをみる。
「いいえ、私の国でも晴れた日には空は青いものでした……私が感慨深いのは、ずっとさきの未来であるこの時代でも、空の青さが変わらないことです。この空を守るために、きっと王子は死力を尽くし、嵐の終わりを願い、戦いつづけた。王子だけでなく、それに賛同する多くの人々が恥辱にまみれ、苦渋を呑み、這いつくばり、時に意図的な危険をおかし、眠れぬほどの不安に耐えながらも、命をつないできたのでしょう。ろうそくの火を、一本また一本と、そっとつないでいくように。とても長い時間がそこにあります。たくさんの魂がそんな途方もない時間をこえて、ゆるやかに、少しずつでも世界を善き方向へとみちびいてきたのです。私はそれぞれの役割を果たした、そのすべての命を祝福したい――」
お姫さまはそのままの瞳で、リウノをみた。
「祈りとは、ともにあるということです。私はこの世界に祈りを捧げたい。そして、血に秘められた忌まわしき呪いの魔法を封印すると決めました……」
すると、そっとうつむいたお姫さまの右の目じりから、ほろりとしずくが流れた。極度の脱水状態であるにもかかわらず。
屋上に、やさしいけれど、ちょっぴり淋しい風が吹いた。
こんな日にリウノは、ひざ丈ほどの草が波のようにゆれる原っぱで、目を閉じているのが好きだった。
さわさわとゆれる草の音に、いつもは口数の多いコタツも少しくらいはつきあって昼寝のひとつもするにちがいない――。
「あのね、この時代の言葉にはいろんな種類があるんだけど、涙ってTearともいうんだ」
コタツがなんだか楽しそうにお姫さまに笑いかける。
「これって、引き裂くという意味でもあるの、なんでかっていえば引き裂かれるのは泣いちゃうほど悲しいからだと思うんだけど――でも、これからは、ひとつになる、って意味も加わるといいね。だって、うれしくても涙ってでるもんね?」
お姫さまは泣き笑いの顔をして、コタツの背をなでた。
リウノはといえば、そんな姫の頬を流れるひとしずくの涙のことをきれいだと思ってしまった。まるでだれも知らない大地の深いところで数千年のときを経て生みだされた輝石のように。




