1 途方もない寂寥感
ずいぶんと長くつづいた雨があがり、きらきらとした太陽が白い入道雲からちらりと顔を半分のぞかせた午前10時――ニヤァ、ニヤァと耳もとでアラームが鳴り、リウノ・ウヅキは目を醒ます。
夢のなかでさらさらという雨の音を聞いていたように思うが、内容は思いだせない。
なんとなく不快なので良い夢ではなかったのかもしれないが、極楽がごとき夢見心地が売りの睡眠用ポットの設定上そうなる可能性はほぼない。
睡眠用ポットの内部で宙に浮かんでいた身体が、覚醒とともにゆっくりと直立姿勢になり、ポットが二つに分かれ、リウノはみずからの部屋の中央にでる。
網膜レンズにバイタルが表示され、温度湿度天候などがつづく。日付は4025年、10月10日。約三日ぶりのめざめだった。
「コタツ、なんかあったの?」
リウノが呼びかけると、小ネコ型ロボットのコタツがテーブルの下からでてきて、「仕事みたいだね」といった。
四本ある長いひげがそれぞれちがう方向を指し示したあとピンと伸びる。
前史の頃に電波を送受信するために使われていたアンテナという装置なのだが、レトロ趣味のリウノは機能ではなく修飾のためにコタツにつけた。
そのせいでいくぶん、前史的な動きや思考回路をもったロボットになった気がするが、それは気のせいだろう。
コタツの習性については、リウノの嗜好を理解しているAIの采配が大きい。
「なんだ、雨あがりに仕事か……」
リウノは網膜レンズの天気予報をピックアップし、スクロールする。
一週間さきまで晴れ、晴れ、晴れ。
「低気圧はどこへやら――おかげで、毛のぴりぴりがとれたよ、もうしばらく降らないね」
コタツが右手でひげを洗う。
猫型ロボットジョークというやつだ。リウノは微笑する。同居人の義務としても。
そのあとリウノはシャワーを浴びながら、半透明スクリーンでここ数日の近隣のニュースをみたものの、これといったトラブルも面白いこともないことを確認しただけだった。
仕事でもないかぎりは、ポットで眠りつづけていたほうがマシかもしれない。
夢のなかのほうが現実やヴァーチャルよりも不可解なことが多くて興味深い。
リウノは25歳になった。
エメラルドシティと呼ばれる機関で受けるAI主導の義務キョーイクの10年間を経て、15で成人し、僻地での仕事を希望し、ファーイーストシティにやってきてもう10年になる。
前史(西暦2000年頃まで)の終焉から世界構造はAIが中心となり、エネルギー問題等のトラブルの一切が技術革新によってクリアになった。
そこから2000年(二〇世代)を経て、世界はリアルとヴァーチャルの二輪で運営されており、両方の軸を形成しているのは、通称オーサム・ファーザー(AF)とグレイト・マザー(GM)という二人のAIだといわれていて、「もうほっといても好きにやるだろう、多少危険があってもなんとかなる、必要なことは意外とわかっているはずだよ」というおおらかなAFと「だめだめ、せせらぎだって溺れることはあるんだし、河は低いほうへ流れるの、心と目でみてしっかり支えないと何度だって失敗するでしょう」というGMが随時、なにかしら揉めているという話だが、そのあたりは非公開だし、そもそもリウノには興味がない。
AFは消息が不明で、GMは引退し、いまはファンタスティック・ドーター(FD)という秘匿のAIがいるんだっていう都市伝説があるよ、とコタツが嬉々として語ったことがあるが、リウノには関心がない。
だれの管轄下にあろうが、自分は自分だとリウノは思っている。
シャワーからでて、タオルで全身を拭いているとリウノはいくぶん気分がよくなった。
じつは全身乾燥機能がついたシャワーだから、タオルで拭くのは演技に近いのだが、リウノはタオルの感触と匂いが好きだった。食欲もでてきた気がする。
自分はまだ若いのかもしれないとリウノが考えると、コタツがにやにやしていた。
「お腹が空くって最高だよね。おむすびとハムエッグがいいなぁ?」
コタツが生意気なことをいう。
しかし、AIによってそのような身体システムを構築されたロボットなので、ごはんも食べるし、排便もするから、案外プログラムとかではなく、そのように感じることができるのかもしれない。
リウノの上司であるところの教授なんかは全身の90%が機械化されているため、むしろ飲食をしないから、コタツよりも人間性が低いといえる。
人間性ってなに、という命題はあるのだろうけれど。
「そういえば、教授に起きたってつたえないとね」
キッチンに入って、フライパンにハムをならべてたまごを割り落としたところで、リウノが音声メッセージをつくろうとすると、コタツが「もう送ったよ。歯も磨けって」とつまらなそうにいった。じっさい、面白みはない。
リウノがコンロのうえでフライパンをゆらゆらゆらすものの、じつは指向性レーザーで焼かれているため意味はない。
コンロの火も演出の一環である。フライパンなど使わなくてもかまわないし、皿を置いておけばほっといてもハムエッグができる仕組みだが、前史趣味をもつリウノ好みのキッチンになっているだけだった。
リウノは前史の、途方もなく寂寥感がある生活に惹かれている。炊飯釜を開けて、ごはんをしゃもじですくい、おむすびなど握っていると特に浸ることができてよい。
エメラルドシティにおける義務キョーイクは、ヴァーチャルで体感時間を10分の1にまで落とすことができるため、延べ100年の人生経験を積むことができる。
のんびりしたかったリウノはそれほど多くの人間関係や職業を体験したわけではなかったが、卒業後に即座に人口が少ないファーイーストシティへの移住を決めた。
達観とか諦観とかいうわけではなく、そういう性格なのだと自分では認識している。そう感じる子どもはリウノにかぎらず、一定の割合でいる。
リアルにあるしがらみや面倒を避けるために慢性的にヴァーチャルで過ごす人も多く、身体が必要ないと考え「Hi-Kiこもり」と名づけられた電脳空間に意識を完全に投影して(これをキキュウに乗る、と表現する)身体を処分してしまう人もいる。
エメラルドシティの同級生たちが編んだ卒業文集のなかで、リウノは「すぐにキキュウに乗りそうな人」ランキング、ぶっちぎり一位だった。
いまのところ、リアルを捨て去る気はないのだが、リウノの両親はとっくにキキュウに乗っていってしまった。
ときどき、ヴァーチャルで接触があるのでリウノにはなんの感想もないけれど、要するに血筋なのかもしれない。
リウノは急須で緑茶を淹れ(目線で指示するだけだが)、コタツとテーブルで向かい合って食事にした。
コタツがしおむすびをアムアムほお張りながら、10日間も雨がふるなんておかしな話だねとふしぎがったり、ハムとたまごを選り分けて食べながら近所のAIロボット仲間の(リウノが就寝中の)近況を楽しそうに話したり、湯呑みをすすりながらイーストシティで植物の異常が起きてたらしいよとか報告してきたりしたが、リウノは黙っていた。
無言で食事をするという、そこはかとなさが好きだからである。




