5.竜人と旅人
サブリナは、何もしないで村を去るつもりだった。
けれど教会を出た日、街からやってきた荷馬車とすれ違った。何やら物騒な連中が、村の中ではなく、教会の裏の山へと向かっていく。後をつけると、案の定、神官と密会をしているのを目撃した。
神官は、小さな村だからとほとんど警戒していなかったのだろう。金の不正や黒い関係の証拠は、街で少し調べただけで簡単に集められた。
せっかく証拠があるので、信頼のできる王都の知人を頼り、神殿に告発した。
それで終わりでよかった。
けれど何だか落ち着かなくて、サブリナは祭りの日まで山に潜んで様子を伺っていたのだ。
村人たちが祭りの準備に精を出す中、神官は街から大きな斧を取り寄せていた。
それをどうするのかは知らない。
けれど、神官が村人たちの前に竜人の青年を引っ張り出したとき、怪しく光った神官の目や、熱狂する村の大人たちを見たとき、ただとにかく青年をここから連れ出さなくてはならないと、焦燥感に駆られた。
気づけばサブリナは青年の前に躍り出て、村中の灯りを消して彼の腕を引いていた。
促されるままに走っていた青年は、激昂する神官の声が遠くに聞こえた辺りで、翼を大きく広げて空に舞い上がった。
三年ぶりの空だった。
「まるで、あなたの方が攫われているみたいですね」
すぐ頭上でくすくすと笑う声がする。
サブリナは、宙に浮いていた。
正確には、空を飛ぶ竜人にしがみついて、落ちないように必死だった。
「なぜ戻ってきたんですか?」
竜人の青年が問いかけると、サブリナは少し黙った。
一度は彼を見捨てたようなものだ。実際、戻ってくる気はなかった。
「最初は、君を解放するのは私のエゴだと思ったんだ。だって助け出したところで衣食住の保証もできない。村を出た先で、君は野垂れ死ぬかもしれない」
絶対安住の地なんてない。サブリナは旅をしているからこそ分かる。
明日の保証もない世界に解き放つくらいなら、小さな鳥籠で暮らす方が彼にとっては幸せかもしれない。
しかし、青年の目は濁って見えた。きつく鎖を巻かれた翼は、泣きたくなるほど痛々しかった。
青年は、黙ってサブリナの言葉を待っている。ばさり、ばさり、と彼の翼が羽ばたく音が夜に響く。
「……君を助けた訳じゃない。私は、君が自由を奪われても抵抗していないことが、腹立たしくて許せなかっただけなんだ」
サブリナは、とかく自由を愛していた。
「だから私は、身勝手に君の自由を望むことにした。責任は取るよ。君を竜人の国へ送り届ける。帰りたくないなら、どこか行きたいところまで連れて行く」
それは彼女なりの覚悟だ。行きたいときに行きたい場所に行くのが旅人だ。けれど、その自由をひとつ、彼のために捧げよう。
青年は、旅人の言葉に胸をつかれた。
救い出してくれたことすら自分の勝手だと言うこの人は、いつでもこうやって他人を尊重するのだろう。
青年は翼をたたみ、夜の森の中にそうっと降り立った。腕に抱いた人に衝撃がないように、優しく。
「私は、この日々がいつまでも続くなら、ただ身を任せていようと思っていました」
竜人族の寿命は長い。神官が死ぬくらいまでの間なら、恩返しだと思って諦めていた。
けれど、今このときでなくては、この旅人と旅をすることはできないだろう。
「私を連れて行ってください。私はあなたと旅がしたい」
まっすぐにサブリナを見つめた青年の瞳は、夜の星を集めたように輝いていた。




