18.袖
書庫を出たユラは、詰めていた息を吐いた。不覚にも溢れそうになった涙が引っ込むように、ゆっくりと瞬く。
ーーー好きだから、好きなだけだ。
一緒だ、と思った。ユラが騎士であることにこだわるのも、伯爵のことを好きなのも。ただ好きだからだ。
だから敵わないと分かってしまった。アンディアナにではなく、伯爵の愛に、だ。彼が竜を愛する以上には、彼のことを愛せない。
ユラは、騎士が好きだ。騎士であることが好きだ。それがどんな想いより、恋心なんかより、強くある自分の本心なのだ。
それは伯爵の竜に対する愛情と同じものだ。だから、失恋くらい、ユラにとっては全然、全く、どうってことはないのだ。
「……どうってことないけど、あの朴念仁」
伯爵のあまりにまっすぐな恋心に、胸がちくりと痛んだのは、仕方がない。
鼻水をすすっていると、近づいて来る気配に気づいた。
チカーシュならこんなに無警戒で近づいては来ない。であれば、カークだろう。
ユラは気の合わない仲間の登場にため息をついた。
カークとはなぜか初対面のときから険悪だ。ユラが彼に腹を立ててしまうためだが、理由は明確ではない。近頃は真面目に調査に取り組む態度を見直してはいるが、何となく気に食わないのだ。
カークは、書庫の前に立つユラを見て、興味なさそうに視線を逸らした。
そのくせ、なかなか扉を開かずに、ユラの前に立ち尽くしている。
「何?」
痺れを切らしたユラが問いかけると、カークはポツリと呟いた。
「伯爵にふられたか」
ユラはぷいっと顔を背けた。情けないが、なぜか彼には恋心がバレていたのだ。たぶんサブリナもクレイも、チカーシュでさえも、ユラの気持ちに気づいていなかったのに。カークだけは、たまに意味深な視線を向けてきた。彼は人をよく見ている。出会ってからの短い時間でも分かるほどに。
黙ったままのユラに、カークはぶっきらぼうに声をかけた。
「大丈夫か?」
やっぱり気に入らない。ユラがカークを睨みつけると、怯むように表情を固くした。
「大丈夫、なわけないでしょ」
せっかく抑えた涙が、また滲んできてしまう。こんなやつの前で泣きたくないのに。けれどこんなやつの前なら、別に泣いてしまってもどうでもいいか、とも思う。
スンスンと鼻を啜っているユラを、カークはじっと見ている。
「見てないで、ハンカチのひとつでも差し出したら?」
「持ってないよ。袖でもいいか?」
冗談で文句を言うと、カークは真面目な顔で左腕を突き出した。
王宮で用意された上等な服だ。ユラは投げやりな気持ちで、その袖を握った。
目元に当てがうと、布が涙を吸って、力んでいた顔の筋肉が緩む。噛み締めていた奥歯が震えた。ようやく、深く息を吸い込めた。
カークは濡れていく袖から腕を引っ込めて、大人しくされるがままになっていた。
ユラは、今後は少しだけカークに優しくしようと思った。
こんなときに誰かが近くにいるのは、たとえ嫌いなやつだとしても、まあ、それほど悪くはないと思ったから。




