16 聖女と衝撃
マリンは夕食の時間まで手芸に取り組んでいた。
北の一行が布陣している以上、馬車を出せないので暫く納品が滞るかもしれない。キットの売り上げだけでも利益は充分だが、それではつまらない。
誰か人を雇って品物を届けてもらうのが良いと思う。
昼に続き夕食も大人数分となる為、村の料理上手達を呼び戻した。いい迷惑だろうに「臨時収入喜んで」と言って引き受けてくれた女性陣には頭が下がる。
ドロシーは給食センターと化したキッチンで現場指揮を取っている。
弄びたい思考があるマリンは自室に籠った。
天井に商品を翳し離して見る。左右から確認しつつ考える。
トライズの話は衝撃だった。
彼は初代聖女マリアの唯一の理解者たる女性戦士の子孫でもある。因縁深い血統をお持ちだ。
聖剣の盗難云々について、マリンは完全に時効だと思っている。聞けば王家はもう探してすらいないと言う。しかもトライズは堂々と帯剣して登城したにも拘わらず誰からも指摘は無かったそうだ。薄情というか何というか。
いずれにせよマリンが聖剣の返還をトライズに迫る事は無いし、王家に「これですよ」と教える気も無い。放っておく。
「私が王都にやって来られたのは――」初代聖女の話の後トライズはこう告げた。
「条件が整ったからです」
「条件?」
「オブジェクトが一人以上死んだ」
意味不明の発言にマリンの脳は混乱する。
その言葉、どこかで聞いた気がする。どこだっただろう。
マリンが思い出せない内にトライズは言った。
「オブジェクトとは降臨する聖女の結婚相手の候補という意味です」
「候補が予め分かる? ――あ」
「お察しの通りプロファイラーです。洗礼の際に判明します。配役、とエマは表現していました」
マリンはあの石板をいい加減叩き割りたくなってきた。空手のオリンピックメダリストとか来てくれないだろうか。
トライズの説明は続く。
「元王太子アレックス、神官レフィン、魔法騎士と錬金術師もそうです。彼ら、随分と大人しいみたいですね。……リスクを恐れて様子見をしているだけかもしれませんが」
やっとマリンは思い出した。錬金術師が言っていた。あの時は風に遮られてはっきりとは聞き取れなかったけれど間違いない。
トライズはマリンをじっと見詰めた。
「そして、この私もオブジェクトの一人です」
条件が整ったと彼は言ったな、とマリンは軽く顎を引く。
トライズは軽く頷いた。
「エマ曰く、氷の辺境伯はサイレンスと呼ばれる者なのだそうです。通常の手順では日の目を見る事のない陰なる存在。表舞台に自由に入る事は許されず、出番が来るのをじっと待つより他ない」
「……なんか、酷いですね」
「同感です。しかし今回、急遽決められた婚約者が逮捕された途端、領地を囲んでいた氷河が融け出し、長らく閉ざされていた王都への最短ルートが開かれたのです。その上私が呼び出された理由は元王太子の葬儀。恐ろしいほどの好都合です。エマでなくとも何かの意思だと感じざるを得ない」
熱を帯びた両眼に見据えられマリンは居心地が悪い。
ふ、とトライズは小さく笑うとマリンから視線を逸らした。
「先ほどは子供を理由に我が領へお越し頂くよう貴女に乞いましたが、私は勇者と同じ轍を踏む気はありません。祖先の真心を踏み躙る行為だ」
女性戦士を想ってマリンは頷いた。
初代辺境伯となった女性戦士は名君として七十年以上も北に君臨し、在位五年の勇者と大差をつけたと記録があるらしい。マリアが望んだ通りさり気なく勇者に恥を掻かせた。
玉座を引きずり降ろされた勇者はと言うと、王城の地下五階に死ぬまで幽閉された。暗殺でなく監禁だったのは身内の恩情ではなく「聖剣」捜索の為だ。剣が近くに来れば彼には気配が分かる。氷の壁がその捜索を阻み続けた。
トライズは言った。
「丁度足止めを食らっておりますので私の提案を検討してみてください。私も貴女という女性をもっとよく知りたい。妻にするしないに関わらず」
確かに考えなければならない問題が生じたが、マリンの答えは決まっている。
「侯爵閣下、申し訳ありません。先にこれだけは言わせてください」
「はい」
「私は既に心に決めた方がいます。閣下に嫁ぐ事だけはありません」
トライズは瞬き、苦笑した。
「承知しました。――確かに彼はいい男だ」
マリンは頬を引き攣らせた。バレバレだった。
苦笑したトライズの面相から、ふと表情が抜け落ちて陰る。
マリンが気遣う素振りをするとトライズは「ああ失敬。何でもありません」と力なく笑んで見せた。
夕食の後、マリンは談話室にシオンとドロシーを呼び集めた。
トライズの話を二人にも共有する。
驚愕の真実に二人は顔色を失った。
ここが「乙女ゲーム」なるものをもとに構築された歪んだ世界である可能性は、誰にとっても相当なショックだ。
長く声を失った後、ドロシーが重い口を開いた。彼女が注目したのはゲーム云々では無かった。
「初代聖女様は異世界を憎んでいらっしゃったのですね……」
強い目をマリンに向け彼女は言い切った。
「とにかくマリン様は王都から離れるべきですわね」
「……そんなすぐ動けないよ。神殿や城に何て言えばいいか分からないし」
「何か方便を考えましょう。引っ越しについて悩む余地などありませんわ」
「……どうしたらいいか私まだよく」
シオンの手がマリンの手を掴んで、引いた。
ドロシーがいるのに接触する彼が意外で、マリンは正面に立つ彼に瞠目の目を注いだ。
「シオンさん?」
「どこにでも行こう。貴女さえいてくれれば私はどこにいても幸せだ」
マリンの不安を汲み取って断言してくれたシオンの言葉に、ぽうっとなった。
「はい、消えまーす」とドロシーが退室しようとしたので慌てて引き止めた。
「引っ越しの時はさ、一緒に来てくれるでしょドロシー」
「えー、わたくしなんていても邪魔じゃないですかー」
「語尾伸ばして話さないで、ご令嬢」
熱心に引き止めた結果「一応侍女として同行しますけどー」とドロシーはとりあえずの体で頷いてくれた。
三者の意見が無事満場一致となったので散会する。
部屋を出る寸前、ドロシーがほとんど口の中で告げた。
「……いざとなったら、ヒールは捨てていって」
え、何? と先に廊下に出たマリンが訊き返す。
ドロシーは「何でも」と首を左右に振った。
正面を向いたマリンの後ろでドロシーとシオンは目配せする。
ドロシーが「分かったな?」という目で念を押すとシオンは静かに首で頷いた。
二階の部屋で手芸作品を仕上げながらマリンは風呂の順番待ちをしていた。
ドロシーに一番風呂を取られた。いつもの事。
浴室は一階と二階に一つずつ設置されていて、二階の方はマリンとドロシーの寝室の間にあり、室内の横のドアと繋がっている。
ドア越しにまだドライヤーの音がしない。ドロシーはかなりの長風呂だ。いつも浴槽の縁にアロマキャンドルを並べている。
シオンは一階の食堂にいる。
ささやかな酒席が開かれているのだ。飲み会は北の一行の主催で、シオンだけでなく護衛騎士らも数名誘われている。
始め「手薄にする訳には――」と渋った堅物のシオンをマリンが「ちょっとくらい良いじゃないですか」と後押しした。
日暮れ前、城から派遣されて来た応援部隊が村の外側に配置しているし、残党狩りも順調に進んでいると報告が上がっている。
これからしばらく共闘する仲間たち。見知っておくのは必要な事だと思った。
「お友達出来るかもですよ」と軽く腕を叩いたマリンにシオンは嘆息した。
「では一時警護から離れます。くれぐれも部屋を出られませんよう」
「分かっていますって」
マリンはひらひらと彼に手を振った。
送り出すマリンに再度嘆息したシオンはドアノブを掴んで動きを止めた。
「マリン」
広い背中が低く呼んでマリンは瞬いた。
シオンは僅かに首を回して告げた。
「少しだけ寝るのは待っていてくれないか。なるべく早く宴会を抜けて来るから」
「え?」
「あまり遅いようなら無論先に寝てしまって構わないが、出来るだけ私を待っていて欲しい。もっと話をしよう」
「話……」
ぽうっと繰り返したマリンを彼は肩越しに見やった。
「王都から遠く離れた後の、私達の将来について」
ぽうっとマリンは頷いた。
微かな笑みを残してシオンは部屋を後にした。
想念を終えたマリンは、ほとんどプロポーズでしょ! と脳内で喚いてソファーの上でのたうち回る。
座面を転がった反動で、うへへへと変な声が漏れ出た。
慌てて緩んだ口元を手で覆う。
「……っぶな。こんなの聞かれたら百年の恋も冷める」
一時間半たっぷりと待たされた後、ドロシーと入れ替わりで風呂を使う。
浴槽に顎まで浸ってマリンはしみじみと考えた。
――彼と、この世界で生きていくんだな。
諦めた訳では無かったけれどこうなっては仕方がない。
好きになっては仕方がない。
『愛ってやつう?』脳内で聖女マイカが告げる。
愛ってやつ、とマリンは額まで湯に浸かった。
風呂を出て待つ事三十分。
ネグリジェではなくノースリーブシャツをインしたハイウェストのタイトスカートを身に着けたマリンは、待ち人のノックをドアに聞いた。
明るい声を発してソファーから立ち上がり出迎える。
迎え入れたシオンは神妙な面持ちをしていた。
ソファーの隣に招くマリンに遠慮し、ローテーブルを挟んで向かい側の席に腰を下ろす。
彼は、出会った頃に戻ったみたいな硬い空気を纏っている。
余所余所しい態度を目の当たりにしてマリンは胸騒ぎがした。
徐に、シオンは後ろ手にしていたらしい一冊の本をテーブルに滑らせ、マリンに渡す。
タイトルのない表紙を見てマリンはハッとした。
恐る恐る聖女の日記に手を伸ばすマリンを見詰め、シオンが低く切り出した。
「――元の世界にお帰りになれます、マリン様」
マリンはうっかり手にした日記を落とすところだった。
唖然の目をシオンに注ぐと、彼はマリンに告げた。
「閣下が仰っていました。満月の夜を二度以上、オブジェクトと婚姻する事なくやり過ごした聖女は異世界からの離脱が可能なのだそうです。そちらの、我々には読む事も開く事も出来ない聖女エマ様の日記にも記載されているとのこと」
マリンはここに来てそろそろ二ヶ月になる。二度、満月を目撃した。
エマの情報が本当なら帰宅の条件が整っている事になる。
――今更どうして。
驚愕を通り越して恨みの念が湧いた。
エマにもトライズにも理不尽な苛立ちを覚える。
思考も感情も処理しきれない。
シオンは静かにマリンを見据えた。
「貴女が帰りたがっていた事を私は知っている。ずっと傍で見て来た」
「そんなの」
「貴女は精霊を拒み魔法を拒み、異世界を拒んでいた」
「そん」
マリンの唇が戦慄いた。
マリンを遮るようにシオンは言い切った。
「こんな世界に留まる事は無い。家に帰るんだマリン」
気付けばマリンは見開いた目から大粒の涙を零していた。
予定とまるで違う話しになってしまった事がとにかく悲しかった。




