15 初代、聖女
※R15、留意。
ティータイムの少し前。北の一行の辞去から凡そ二時間後。
文字通りの火急の報せが狩猟館に齎された。
「村外のあちこちの水車小屋でボヤが――!」
門柱に駆け込んで来た村民らの訴えを受け、護衛騎士らは鋭い声で「案内を!」と彼らを先行させた。
騎乗がてら現場指揮官の護衛騎士が配下らに早口で言い置いた。
「何人か共に来い! 風の担当者たちは引き続き聖女様の警護だ。館内のシオン殿にもお伝えしておけ」
同意の顔が持ち場に散っていき、指揮官を先頭にした数騎が火事の現場を目指して駆け出した。
火は駆け付けた騎士らの「水」の魔法で間もなく消し止められた。
無人の小屋だったので人的な被害も無し。
護衛騎士らは迅速な対応だった。
護衛騎士ら以上に迅速な対応をしてくれた者たちがいた。
「――間に合って何より」
遠目にも畑から不自然に上がっている煙に気付き、北の一行の半数が村に引き返してくれた。もう半数は犯人捜しに繰り出している。
「明らかに放火です」
狩猟館にUターンする羽目になったトライズは、リビングルームのソファーセットで向かい合うマリンに重々しく告げた。
蒼褪めたマリンは、隣に座らせたドロシーと背中に回した腕を交差させて互いに抱き合う。ソファーの背凭れの外側ではシオンが険しい表情を浮かべていた。
不安そうにする女子たちに、トライズは更に深刻な情報を伝えなければならなかった。
「荒っぽいやり口から野盗の仕業と見ています。――実は、王都に向かう途中の山道で我々は盗賊団と一戦交えました。ほとんどは狩りましたが取りこぼしは否めません。組織を壊滅に追い込んだ我々を残党どもが恨み、ここまで追ってきたのかもしれません」
ドロシーの息を呑む気配に、マリンは彼女の腰を抱く手に力を込めた。
「では、王都の騎士団にお願いして一層の警備強化を――」
それより、とトライズは鋭い目元に鋭い眼光を宿した。
「我々をお使いください。我々の責任なのですから」
「貴方方は何も悪くないでしょう」
「犯罪者を取り逃がしたことは事実。言い訳の出来ない落ち度です」
「そんな――」
何より、と彼は膝に乗り出していた上半身を真っ直ぐ伸ばし、胸を張った。
「私の部隊は世界最強を自負しております。この際なのではっきり言わせて頂くが王都のぬるい王宮騎士団など当てになりません。彼らをエリートと言うが所詮は血統で選ばれただけの集団。実戦経験の乏しい者など有事の際役に立たない。毎日綺麗に行進をして素振りをして、馬車の洗車しかしていないような連中に大切な聖女様の身柄を任せてはおけません」
言い切られマリンは言葉に詰まった。
少しトライズらに席を外してもらい、シオンとドロシーに相談する。
ドロシーは頷いた。
「彼らが世界最強というのは誇張ではなく事実です」
シオンも頷いた。
「王宮の連中とは明らかに鍛え方が違います。彼らは私が戦場で見て来た騎士、いえ本物の兵士です」
火事騒ぎというのが村の不安を大いに煽ってもいた。
狩猟館だけは石造りだが村は木造建築。火が一番恐い。
監視の目は多ければ多い程いい。村民たちも安心出来る。
「彼らは強い水の魔法を使う――」シオンは悔し気に言い添えた。
「水を生じさせる上に操るのです。傍に運河が流れるこの村において最大の攻撃と防御を得ているに等しい」
マリンは二人の意見に同意し、納得した。
「事態が収拾したと確信を得るまで村を守ってもらいましょう」
その旨を城と神殿に伝えたところすんなりとゴーサインが出された。
それは北の辺境伯軍に対する信頼の表れとマリンには取れた。
一時間ほどで森を臨む草原に巨大なテントが三つ設営された。
臨時の駐留軍基地である。
三つの中で最大のテントをマリンは訪ねていた。
テントの外側にはシオンが待機している。
「何か不足はありませんか?」
マリンに椅子を勧めたトライズは「何も」と小さなテーブルを挟んで向かい合う席で微笑んだ。
「大変良くして頂いています。城からも充分な補給物資を送って頂ける予定です」
「閣下の部隊に対する信頼の証ですね」
「嬉しい事です」と軽く目を伏せた彼は一度口を噤み、マリンを一瞥する。
少しの間を経て告げた。
「――マリン様、この機会にご提案をさせて頂きます」
マリンは心持ち姿勢を正してトライズを正面から見る。
トライズは言った。
「王都を離れ、我が領へお越しになりませんか。聖女エマが愛した土地へ」
マリンは言葉を失う。トライズはマリンを見詰めた。
「エマが王都を離れた理由は当時の辺境伯と恋に落ちたから、よりももっと深い事情があります」
「え?」
「エマは、この世界で家庭を持ちたがっていたのです」
意味が分からずマリンは困惑を浮かべる。
トライズは声を潜めた。
「聖女は王都近郊にいたのでは子供が出来ないそうです。初代聖女による闇の魔法で――付近一帯の土地には彼女ののろいがかけられている」
のろい、と聞いてマリンは絶句した。今度こそ呪い。
聖女エマの結婚後の日記は北の辺境にあり直系子孫が大切に保管している。
この異世界が乙女ゲームではないかと推測するエマの考えを、トライズは理解していた。彼は日本語の読み書きも出来ると言う。
より正確に言うと、ここは聖女たちによって本来のゲームが所々捻じ曲げられてしまった世界なのだそうだ。エマが言うには、ゲームの世界にはこれ程文明が溢れていなかったし、世界人口も多過ぎらしい。
初代聖女――マリア(まりあ)の時代から、相当進んでしまっている。
その始まりの聖女についてトライズが教えてくれた。エマが子孫にだけ書き残した王家にまつわる極秘情報である。
マリアは異世界降臨時まだ十三歳の少女だった。
異世界トラベルをするにはあまりにも幼かった。毎日両親や家を恋しがって泣いていた。
泣いて過ごすマリアを「勇者」は精一杯励ました。
「聖女よ。聖剣に選ばれし勇者であるこの僕が貴女を守ろう!」
「パパ、ママ、帰りたいよ……」
ホームシックの少女に少年の言葉は一切響かなかった。
「聖剣」だの「勇者」だの言われてもマリアには何の事か分からなかった。価値が分からない。見ず知らずの男子に守るとか言われたって安心感など得られない。
「魔法」なんて知らない。「精霊」なんて知らない。
知らないものは全部、幼いマリアにとって恐怖でしかない。
孤独も恐怖も払拭されないままマリアは勇者の少年と結婚させられた。
中学生で結婚だなんてマリアの常識ではありえなかった。気弱なマリアに対して周囲が推し進めた。
酷い人生が始まったのだ。マリアは挙式の最中ずっとヴェールの下で震えていた。
初夜は何とかやり過ごした。
他の大人には「体調不良」と言い訳したが、寝室にやって来た無神経極まりない勇者には「彼氏でもない人が私に触らないで!」と突き付けて追い払った。
突き付けられるまで彼は、自分が聖女から拒絶されている事に気付いてもいなかった。仮にも夫となった相手が全然自分を理解していないのだと知り、マリアは心底哀しかった。
聖女と祭り上げられたマリアだが、特別な業務が課せられてはいなかった。
「いる」だけで国に良い事を齎すのだと言う。
結婚の翌年、勇者だか何だかの夫だか何だかは「悪の帝国」が布陣する戦場に仲間を引き連れて繰り出していった。マリアはただ彼らを見送った。
出立を見送る際「聖剣」に武運を祈って欲しいと、異世界で唯一まともな会話が成立する女性戦士に申し訳なさげに乞われ、そうした。ついでなので彼女の剣や弓にも同じ事をするととても感激された。
半年後、大勝利を手土産に勇者の一行は大部隊を引き連れて凱旋した。
勇者よりも女性戦士の安否が気になっていたマリアは元気な彼女の姿を見てホッとした。女の子が戦うなんて信じられなかったから心底心配していた。
「おかえり」と微笑むと、彼女は白い歯を見せ「ただいまです!」と笑った。
夕方に始まった勇者の祝勝会に参加する事無く、マリアは城の寝室で寝ていた。
連日女性戦士の身を案じていたから眠りが浅かった。
すっかり陽が落ちて暗くなった部屋に侵入者があった。勇者だ。テラスから入って来た。酒臭い。酔っている。
「僕は国を救った英雄なんだ。そろそろ受け入れてくれても良いだろう」
良いわけがなかったのに、日頃から独善的な上に酔っ払いとなった勇者に言葉は通用せず、非力なマリアに抵抗する術も無かった。
この晩マリアの心は死んだ。
たった一人信頼できる女性戦士にだけ恐ろしい一夜について打ち明けた。
彼女は涙の出なくなっていたマリアの代わりに泣き、怒り、言い放った。
「勇者を消しましょう。あれは王になってはダメな奴です。代わりの人材はいる」
戦場でも勇者は無鉄砲で、考えなしで散々仲間の足を引っ張ってくれたらしい。
「聖剣」は人間の適性など見ない。
賢く強い人格者を選んでいる訳ではない。多少見栄えがして前に出たがる「愚か者」を選ぶ。それを彼女は戦場で見抜いた。
神が生み出した聖なる武器。
世界の全てを創造した神が、人間だけに肩入れする兵器など与える筈が無かったのだ。偶々人間を選んで知能を与え、玩具にして遊んでいる。
「これで賢く遊べ」とも「これで滅べ」とも言っている――。
マリアは女性戦士の話を聞き、ある提案をした。
女性戦士はマリアに苦心して同意した。
「よろしいのですね」
「私はとっくに死んでます。ここに来た時からずっと死んでました」
無理やり聖女にさせられた少女の願いが託された。
勇者の戴冠式が始まり、盛大な拍手で以て終わる。
城に張り出したテラスから若き国王夫妻が大観衆に手を振り、退場する。
背を向けた。
城塞の見張り塔の一つに潜んでいた女性戦士は、勇者の背中に狙いを定めた。
番えた三本の矢を同時に放つ。風の魔法で意志を持った矢は散開し、まるで三方向から飛来したかのような軌道を取った。
目と耳の良いマリアは背中の気配に微笑んだ。それでなくても自分の祈りが込められた矢だ。自分の物は分かる。
――有難う。
御大層なマントを羽織った勇者の背中を力いっぱい押し出した。簡単に死なれては困る。たっぷり恥を掻いてから死ね。
矢が届く寸前マリアはありったけの闇の魔法を使った。
まじないではなくのろいを大地にかけた。可能な限り広く行き渡るように祈った。
――子供なんて要らない。
マリアの胎内には誰にも知られる事なく新たな命が宿っていた。
自分と同じ思いをする少女が現れない事を強く願った。
毒矢を受けて母子ともに死んだ。
マリアが正妃だったのは僅か半日足らずだった――。
一度言葉を切ったトライズを注視したまま、マリンは瞬きを忘れていた。
思い出したように瞬いて、問う。
「エマだけが王家の真実を知っていたんですね。ゲームだと知るエマだけが」
それを子孫にだけ伝え残した。
トライズは静かに首肯し、話を続けた。
矢を放った暗殺者たる女性戦士は捕まる事無く、聖女の葬儀を終えると素知らぬふりをして王都を後にした。
彼女は聖女から直々に北の大地を褒美として受け取っていた。
そして女性戦士が去って間もなくとんでもない不手際が生じる。
「聖剣」が消えた。失意の勇者が酔っ払って寝ている間に紛失した。
「確かにベッド脇に置いていたのに、なんで――」
盗まれたからに決まっている。
犯人は分からず仕舞い。剣の行方も分からず仕舞い。
長い長い紛失の間に聖剣は「あった」事すら人々から忘れ去られていった。
「てかどんな剣?」
「分からん。宝物庫のボヤで記録もなんも残ってない。大昔の武器だぞ」
「まあ別に無くても誰も困ってないか。それより次に聖女様が降臨されるのはいつなんだろう。神殿の発表中々無いね……」
因みに、聖剣を紛失した勇者の国王としての在位期間は僅か五年だった。
政権は頭脳派の彼の親戚筋が立派に引き継いだ。そもそも傀儡だったのでバトンタッチはすんなり済んだ。
聖剣は引き継げなかった。生憎――。
「生憎――」と、トライズは口の端を微かに上げた。
意味深な笑みと思えてマリンは瞬く。
徐に、トライズは片膝を覆う重いマントを払い除けて腰を晒した。
金色に輝く長剣を携えている。いかにもっぽい。
「まさか……」マリンの呆気顔に、トライズはすんなり頷いた。
「女性戦士が持ち出した本物の聖剣です」
長らく分厚い氷の中に神の玩具は隠されていた。




