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12 聖女の快適ライフ




狩猟館。引っ越しの初日。

異世界に来て二度目となる、美しい満月の夜だった。

マリンとドロシーは同じ寝室の同じベッドに潜り込んだ。

パジャマパーティーに似たハイテンションの所為でいつまでも話が尽きない。


「シオン様ー、のけ者にしてしまってごめんなさーい」ドロシーが分厚いドアに向かって発し、マリンは手を叩いて笑った。

別にドアの向こうに彼はいない。一階の奥に彼専用の寝室がちゃんとある。

館の塀の外側や村の出入り口は護衛騎士で固めている。

二十四時間の警備が万全になった今シオンも少しは楽が出来る事だろう。本人は望んでいないかもしれないけれど。


眠気は一向に訪れないものの、さすがにそろそろ眠らなければマズイ時間帯になってきた。

サイドテーブルの置時計に目をやってマリンは「ほら寝るよ」とドロシーの頭にシーツを被せた。

溺れていたシーツから顔を出したドロシーが文句を言いつつ灯りに手を伸ばす。


消灯。

暗闇の中で互いの肩や腕を「このこの」と拳や指で突き合って、力尽きる。

腕が疲れてやっとマリンの瞼が重くなって来た。


寝入りばな「――そういえば」とドロシーの声が闇に発した。


「わたくし思い出したことがあるのです」

「ねえ、それ明日じゃダメ?」

「子供の頃の記憶です」

「ダメなのね……うんうん、で?」


マリンの肩を一度叩いてドロシーは言う。


「ある日父が幼いわたくしを見下ろして呟いたのです。お前はヒールだと」

「幼女にハイヒールを履けだなんて」

「分かってて言ってますわよね」

「なんで娘にそんな酷い事言うんだろ」


ハイヒールだろうがヒールだろうが同じだ。マリンには意味が分からない。

困惑するマリンにドロシーも頷く気配があった。


「きっとプロファイラーの分析結果にそう出ていたのだと思います。そして、だからこそわたくしは王太子の婚約者だったのです」


「だから」の意味がマリンにはやはり分からない。益々謎は深まった。

とりあえずプロファイラーは故障で間違いない。




静かで豊かで呑気な館での暮らしが始まった。

基本的に料理は女子たちで行っている。

王都の皆様方には「ドロシーをこき使っている」事になっているが、仮にそうだったとしても割と楽勝仕事だった。家電がある。

エスプレッソマシンとホームベーカリーも勿論館に持ち込んだ。誰も使わないならマリンが大いに活用させて頂く。聖女マノに乾杯だ。


外の掃除は護衛騎士が当番で回し、館内の掃除は村から通いの女性たちが受け持ってくれている。洗濯及びベッドメイクの類も彼女たちの担当だ。

マリンとドロシーだけでは家事の全てに手が回らない。手芸ワークが無ければ何とか遣り繰り出来たかもしれないが現状両立は厳しかった。


警備体制が万全になった副作用で誰よりも手すきになったシオンはというと、鍛錬の傍らで庭仕事に励んでいる。庭木を切ったり、水を撒いたり、雑草を毟ったり。

「シオン様、暇過ぎでしょう……」庭にしゃがみ込む広い背中にドロシーが指摘すると、シオンの仏頂面が振り返って無言のまま地面に向き戻った。


マリンが出掛けない限り身辺警護たるシオンは活躍の場が無い。

ぶちぶちと雑草を引き抜くシオンがふてた子供のように見えてきて、マリンは居たたまれなかった。


「なんかすみません……」

「お気遣いなく。何事もないのは良い事です」

「はい……」


現在、マリンのお出掛け先は手芸店しかない。変装し、途中で馬車を変える小細工をしている。馬車の乗り継ぎ地点でシオンには待機してもらっている。甲冑の騎士は目立ち過ぎるし、王都に聖女不在なのに聖騎士が一人で城下をうろついていたら怪しまれてしまう。

神殿と城には相変わらず体調不良を訴えて死んだふりをしている。

見舞客も応対が大変だから困る、と釘を刺してある。


シオンの言う通り村は何事もない。良い事である。

大変申し訳ないけれど、シオンには庭仕事で無聊を慰めてもらうより他ない。




就寝前、マリンは聖女マイカの日記を読んでいた。

無断持ち出しを誰からも注意されない。恐らく司書は日記を把握していない。


ヒロインを自称するマイカ。

ちょっと考えなしで気が多いけれど元気で明るい少女だった。


神経質なマノも大雑把なマイカも、マリンは気に入っている。

異世界を逞しく生き抜いた先輩として歴代たちを尊敬している。

前例を齎してくれた。感謝している。


さて大雑把なマイカは一つ前の聖女について時々思い出したように触れている。

フードよりスイーツのレシピを世に広め、製菓協会を設立した事でも有名な聖女エマ(恵真)だ。


『エマ曰く、ここは×××××××××っていう乙女ゲームの中なんだって!』


そうだったんだ! とは同調出来ずマリンはこう思った。


――乙女ゲームって、何。


恐らくゲームとやらのタイトルなのだろうがこれも知らない。マリンの周囲にはモニターに四六時中張り付くタイプの女子はいなかった。男子ならいたけれど、彼らが熱心にプレイしていたのは主にあの有名な「勇者」になるゲームだった。


では乙女ゲームとは「乙女」になるゲームか。女子力をアップさせるゲーム。

その点への解説はしないままマイカは興奮気味に綴っていた。


『ゲームの世界とか凄すぎ。やっぱり私がヒロインだった。やったー!』


やったね! とマリンは今度はマイカに同調した。


『でも私ゲームとかよく知らないの。エマってばズルくなーい?』


まあまあ、とマリンはぶすくれるマイカを宥めた。

マリンとてゲームを知らない。第一、本当にゲームの世界か否か分からない。気にしても無駄って気がする。

マリン個人の感触としては「ここは乙女ゲームとやらでは無い」だ。

もしゲームの世界なのだとしたら知識も興味も無いマリンやマイカが呼ばれるのは可笑しい。文字通り「縁」が無いのに。


お呼びじゃない。場違いだ。


マイカの日記を読み進める。

彼女は王太子と仲良くする一方で錬金術師との距離を縮めていく。魅力的な二人の男性の間で激しく揺れている。


『どっちか一人なんて選べない。二人共素敵だよ。どっちも好きだよお』


マイカは十六歳にして贅沢な悩みを抱えていた。

一旦は権力が勝ち王太子との婚約が纏まる。しかし火縄銃開発で密な時間を過ごした錬金術師への未練を彼女は断ち切れなかった。

断ち切れないマイカを残して王太子は戦場へ。そして散る。

悲嘆のマイカを錬金術師が懸命に支え、二人はめでたく結ばれた。


『これって運命だったのかなあ。彼も私たちは運命だって言ってる』


勝者たる錬金術師の口説き文句が後世に伝わっている、とマリンは悟った。


以後はほとんどマイカの惚気話だったのでさくさくと飛ばす。

エマに関する記述を探す。


『氷の辺境伯と結婚したんだよねえエマ。めちゃ遅いけどおめでとー』


おめでとー、とマリンもマイカに倣って胸中に言っておく。

さらりと流すところだったが、どこかでも耳にした気がするこの「氷の」とはどういう事だ。

今回の場合は魔法の事を指しているのか。もし人格の事だとしたら失礼過ぎる。


マイカが首を傾げている。


『エマってゲームの攻略法? っての知ってたんだよねえ。なのに都会の王都じゃなくてわざわざ寒いトコに嫁ぐって何か意味あるのかな。あ、氷をも解かす愛ってやつう?』


――愛ってやつう?


マリンが同意した時、風呂場にいたドロシーが寝室に入って来た。

日記を閉じてマリンは苦笑する。


「貴女のお部屋はちゃんとお隣にあるんだけど?」

「一人なんてつまりませんわ」

「もー。二人でいたらまた夜更かしするじゃん。寝ないのお肌に悪いんだよ」

「肌なんて気にしちゃってつまりませんわ」

「貴族のご令嬢が何言ってんの。メイクのり悪くなって泣くの貴女だからね?」

「メイクなんて気にしちゃって――」


前触れなく照明を落とす。

暗闇の中、きゃーっと騒ぎながらドロシーは絨毯に四つん這いになってベッドを探している。ドロシーの彷徨う姿を想像してマリンは笑い転げた。


ふ、と灯りが点く。

暗闇の中にドロシーの不機嫌顔が浮かんでいる。顔の下で立てた彼女の人指し指に淡い光が灯っている。忘れていたがドロシーは光の魔法を持っているのだった。

つまりませんわ……。


翌日の就寝時、仕返しされたマリンは暗闇の中で「悪かったよ……」と謝る羽目になる。




休日。

折角狩猟館にいる事だしブランチ後は森の方面に足を延ばしてみた。

ドロシーは読みたい本があるとか言ってマリンの誘いを「パス」した。


「お二人でどうぞ。お気を付けてごゆっくり。とくとごゆっくり」


笑みに似た変な顔で送り出していたドロシーを想起し、マリンはシオンのマントを掴み直した。

手綱を引いているシオンは背中に張り付いているマリンを気遣い、ゆったりとした歩調で馬を進めている。乗馬二度目のマリンには彼の配慮が有難かった。


森が見えて来た。中には入らない。用が無い。

ちょっと近くで森林浴の真似事をさせてもらうだけだ。


森の入り口手前の道で馬を止め、少し盛り上がった緑の斜面にラグを敷いて腰を下ろす。遠慮しようとしたシオンをマリンは無理やり隣に引っ張り込んだ。


周囲には人気も人目も無い。護衛騎士たちは丘より向こう側に展開している。

マリンとシオンの他には野生の動植物しかいない。

豊かな森の景観を前にしてマリンは深呼吸をした。


「このヒノキっぽい樹木の香り、父の車を思い出します」


書斎や寝室のルームフレグランスもこんなだった。

唯一の手荷物である水筒を傾けて、マリンは二つのカップに飲み物を注ぐ。手製のアイスグリーンティーはライムとレモン入り。レモンの銘柄は元王太子の好物とは違う。


実はマリンもレモンが大好物である。被せて来た――筈は無い、筈だ。


喉を潤しながら森を眺め、二人して同じ事を考えている。

マリンが切り出した。


「あの子、元気ですかね」

「魔物の生態は存じませんが逞しく生きているでしょう。動物はタフです」

「シオンさんは森に詳しいんでしたね。故郷の森に魔物は?」

「いませんでした。――いても悲劇だったでしょう。森を挟む両国の王家で狩場の取り合になった可能性が高い」


進軍ルートになる以前に踏み荒らされていた。

ガラスカップの中の氷を揺らしてマリンは言った。


「その、まだ勉強途中ですがお隣の国ってもう無いんでしたっけ」

「王国のいち地方として組み込まれています。王家も滅びました」


結局、武力が国力の全てなのだ。

天災があり地域格差があり人が不満を持つ以上避けられない。苦労して生み出すより既にある物を奪った方が手っ取り早いと考える。

どれ程素晴らしい文明文化も破壊と略奪で呆気なく失われる。地球でも散々繰り返されて来た。繰り返されている。

悲しい事に全世界、それは共通らしい。


幸い、レモン戦争は停戦状態に入った。

元王太子の失墜は思わぬ効果を齎した。このまま収束に向かいそうだと言う。


ふと空になった隣人のカップを見てマリンは「お代わりは?」とシオンに促す。

手をひらひらさせると、彼は遠慮がちに「頂戴します」とカップを差し出した。


カップは軽量ガラスで出来ていて風に飛ぶほど軽い。

両手でカップを受け取ろうとして、マリンはシオンの手を一緒に掴んだ。

彼の方も片手で掴んでいたカップが飛ばないようにもう片方の手を添えていた。

二人は両手を取り合う形になった。

まるでカップを巡って争っているみたいだ。


きょとんとした二人は、同時に噴き出した。

互いに笑う合間に詫びる。

肩を揺すりながらマリンは手を離せなかった。鋼鉄越しでも、もっとシオンの大きな手に触れていたい。マリンが離さないから下にあるシオンの手は動かせない。


動かせない事をシオンは指摘しなかった。

磁石みたいにカップにくっ付いた両手を笑い飛ばした。

しばらくの間、可能な限り長く、ずっと。







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