13 聖女と聖騎士
相変わらず手芸作品も制作キットも売れ行き好調だった。
「――カスタマイズ出来る商品っていうのはね、どんどん可能性が広がるから終わりが無いんだよ。女子の夢と欲が続く限り、無限なんだよ」
ヒットが継続される。
マリンの力説をドロシーは手の中のメモパッドに書き留めていた。
彼女、ひょっとして商人に転職する気だろうか。
先週、どこかの下級貴族が手芸店に探りを入れに来たらしい。
その際つんと澄まして偉そうにものを訊ねるものだから、一見呑気そうに見えて実は職人気質でプライドの高い店主をムッとさせた。
「あんたら何様だ。偉そうに。俺の店から出ていけ」
で、口論になった。
軍が呼ばれる事態とまではいかなかったものの大騒ぎの所為で平民を見下す貴族の言動が界隈に知れ渡った。
平民たちはみんなして白けた。貴族は去れ、という態度をあからさまに取るようになった。
平民女性は子供から高齢者までさり気なく「可愛く」なっていく。ハッピーな変化が始まっている。
貴族や富豪の貴婦人たちはハッピーな平民女性を目撃してはそわそわするだけで何も出来ない。安物なのに手が出せない。
「平民の物なんぞ欲しがるんじゃない。みっともない!」などと家長に言われたらもうどうしようもなかった。
平民と貴族の間に溝が出来た。元来両者には埋められない溝があったのだけれど、更に違うルートが掘り進められてしまった。
騒ぎの場に偶々居合わせていたドロシーは肩を竦めた。
「平民ルックで大正解です。わたくしまで危うく石を投げられるところでしたわ」
すっかり他人事のドロシーに、マリンは何とも言えない気持ちになった。
平日の午前。
納品に出掛けたドロシーを送り出し、マリンは自室で手芸制作に励む。
包みボタンを作っている。カーディガンの前ボタンを全部違うものにする。
――絶対ウケる。
同じ生地で作られた服に個性が出せる。女性の大好物、自分だけの服が作れる。
首と肩が凝って来たのを悟って一旦作業を中断する。
テラス窓傍にラグを敷き、ピラティス開始。筋肉を解して骨の位置を左右対称に正すこの自重トレーニングは、聖女マノの功績の一つで美肌にも良い。ドロシーも毎日朝晩行っている。
彼女は下半身を細く維持するのに必死だ。マリンも他人事では無かった。
インナーマッスルを叱咤し、ゆっくりと呼吸を整える。
ふと下を見ると、庭先にシオンが現れた。これから樹形を整えるところらしい。
見物しに下りてみる。村の農家の男性が口喧しくシオンに指導していた。
「はい、そこもバスッと落としちゃってください。――あ、切り過ぎた。あーあ、またやっちゃいましたね騎士様」
「……難しいな」
「まあ練習用の木で良かったですよ。これが表の植樹だったら絶望です」
「……悪かった」
しゅんとして見えるシオンを認め、大変申し訳ないと思いつつもマリンは笑ってしまった。
マリンを振り返ったシオンがバツの悪そうな顔をした。狩猟館に来て以来、兜を被らなくなったから表情を隠す物が無い。
森林ホリデーを経て、シオンとはかなり距離が縮まったとマリンは思っている。
あの日、長らく重ねていた両手をやっと離した後二人は馬に戻った。
先に騎乗したシオンはマリンを手で呼んだ――前へ。
「前にいてくださった方が安定しますし馬の速度が出せますので――」
言い訳じみたシオンの言葉の途中でマリンは彼の手を思い切り掴んだ。
シオンは瞬き、力強い腕でマリンを引き上げた。
乗り上がった反動でマリンはシオンの胸元に凭れかかった。
鋼の感触だけ。鎧が邪魔だな、と惜しんだ。
警備が万全なのだし村内では着けなくても良いだろう、と思った。
マリンの提案にシオンは首を左右に振った。
「さすがに鎧が無くては聖騎士としての面目が保てません」
「心情的には聖騎士を辞めてるのに?」
「ポーズです」
「ふうん」
帰路の最中、マリンは手綱を掴む彼の腕に凭れて分厚い肩に頭をくっ付けていた。
シオンは険しい顔つきをしていた。何かを堪えるみたいに。
速度云々とか言っていた癖に、行きよりものろまだとマリンには感じられた。
休日の想念を終え、マリンはにんまりとしてシオンを手招きする。
手にしていた鋏を農家の男性に任せ、シオンが駆け寄って来た。
「は」
「お茶に付き合ってくださいな」
人目が無いのを良い事に、マリンはシオンの手を掴んで引く。意図的に駄々を捏ねる子供ぶった振舞いをする。
仕方なくの体でシオンは「……は」と応じ、軽くマリンの手を握り返してからそっと握力を抜いた。
ゆっくりと手を放して二人揃って館内に入る。
茶番を演じていると気付いている。お互いに。
元王太子アレックスの訃報が王都を駆け抜け、大陸全土に広まっていった。
服毒自殺、と医師は見立てた。
聖女に対する不届き行為は城の中枢しか知らされていない。知っている者たちからすれば王子の自殺は何も不自然では無かった。
表向きには、アレックスは病を理由に王位継承順位が下がった事になっていた。
そんな訳で彼の自殺が「病死」と書き換えられるのも自然な成り行きだった。
マリンは国葬に参列しなかった。
無理をする必要はない、と城からも神殿からも通達されていた。
気遣いに感謝し、館に留まって静かに顔見知りの死を悼んだ。
レフィンの時と同様に気分は悪かった。
立て続けに二人、顔と名前を知る人が命を落とした。
城の使者から聞かされた機密によれば、アレックスは自殺らしいので本人の意思で命が絶たれている。突然死のレフィンとは死因が全く違う。関連は無い。
「――そうです。関係ありませんわ」ドロシーは訃報に顔色を無くしたマリンに強く言い切った。
「聖女云々は絶対に関係ありません。単に彼らの寿命です。早死にする運命だったのです」
そういう彼女は喪服を纏って国葬に出掛けて行った。公爵家に一人残った令嬢としてやるべき義務なのだと思う。
二階テラスのカウチに腰掛けてマリンは青空を見上げた。
優しい風が吹いている。
誰かによる精霊の耳打ちは、もう心配ない。
護衛騎士の中にはレフィンと同じく器用な風を使う者たちがいて、逆に耳打ちを阻害する精霊技というのを持つと言う。
因みにドロシーも同じ精霊技を持つ。レフィンの盗聴を知った後、彼女はそれを頻繁に使ってくれていた。
室内からシオンがやって来た。
座面をポンポンと叩いて促すと、すんなりマリンの隣に腰を下ろす。
重い鎧を纏った体重が加わりカウチの脚が小さな悲鳴を上げた。
「マリン様、大丈夫ですか」
「私は大丈夫です。カウチの方が大丈夫じゃなさそうです。やっぱり室内で鎧なんて要りませんよ。装備が大袈裟」
「そのお話はまた今度に」
シオンは嘆息してマリンと同じ空を仰ぐ。
「――王子の自殺は、私が彼の死を強く願った所為です」
「ちょっと、いきなり何言い出すんですか」
ぎょっとしたマリンに彼の横目が向いた。
「死んでくれて清々しています。彼を殺したのは私です。貴女は関係ない」
言いたい事が伝わってマリンは思わずシオンの手を掴んだ。
シオンは一瞬だけ迷う素振りをしてマリンの手を握り返した。
もう片方の手で手の甲を覆い、両の手で包み込む。
宝物のように扱われて、マリンはシオンに体を寄せた。
この、彼の指先まで覆う鋼のグローブが邪魔だ。鎧なんて邪魔なのだ。
鋼の肩当てから剥き出しになった太い二の腕にぐりぐりと額を押し付けて、マリンは口を開いた。
「シオンさん、――」
言いかけたマリンにシオンが「――よせ」と鋭く発した。
パッと顔を上げたマリンは、こちらを見ようとしない苦し気なシオンの横顔を目の当たりにする。
胸が震えた。
「でも私、シオンさんが好――」
言い切る前にシオンの大きな掌がマリンの口元を覆った。
歯を食いしばって耐える顔つきのシオンは、瞬くマリンと鼻先で両眼を合わせると喉の奥で低く唸った。
「――言うんじゃない。私より先に」
マリンはシオンを見上げたまま頻りに瞬いた。
とうとう言ってくれるのかな、とマリンが思った瞬間、シオンは突然自分の手の甲に唇を押し付けた。
手を挟んでマリンに口付け、直ぐに離れる。彼は一息に告げた。
「お慕いしています、マリン様」
マリンの見開いた瞳が涙で溢れた。
口を塞ぐ邪魔な手を掴んで浮かせ、言った。
「それ、忠誠心でないなら、様とか余計です」
素敵な台詞が台無しだ、と訴えるとシオンは仄かに微笑んだ。
「忠誠心ではありません。では二人の時だけ、――マリン」
マリンは両腕を回してシオンにしがみ付いた。
優しい腕が肩を抱き返してくれる。鋼と分厚い服地の感触。
やっぱり鎧が邪魔だとマリンは思った。
王都から狩猟館に戻って来たドロシーが、二人を見て一瞬「あ」という顔をした。
すぐさま平静を取り戻し、視線を流しながら「今日のディナーはどうしましょ」などと呟いている。
彼女は二人の微妙な変化に気付き、そして気付かないふりをしてくれている。
マリンもシオンもドロシーの思惑に気付き、苦笑の顔で目配せをした。
マリンは白々しくこの場から遠ざかっていくドロシーの背中に駆け寄って、両腕で飛びついた。
突撃にドロシーは怒って振り返ったけれど、肩に回されたマリンの腕を強く掴んで励ますように何度も叩き、ひっそりと二人の仲を肯定してくれた。
友人に肯定してもらえてマリンはとても嬉しいのだが――。
この日の夜からドロシーはマリンの寝室に来なくなった。
さあどうぞ、と言わんばかりの対応にマリンは閉口した。
――お気遣いどうも。でもまだ当分は要らないから、それ。
翌朝、廊下で会うなり「どうでした?」とにやけ顔に言われてマリンは頬を引き攣らせた。
ドロシーの細い首に片腕を回してしめてやった。
これまでの優雅な人生でヘッドロックなんてかけられた事がある筈も無い令嬢は、両手を振り回して、きゃー、いやーっと大パニックだ。髪の毛ぐちゃぐちゃ。
騒ぎの声を聞きつけて来たシオンが「よく分かりませんがもういいでしょう」と止めに入るまで、マリンはドロシーへの仕置きの手を緩めなかった。
解放されたドロシーは盛大に憤慨したが、マリンがさっと襲い掛かる素振りをすると「きゃー」の声と共に逃げていった。
マリンは楽しくて仕方がない。美少女を甚振る。ちょっと癖になりそうだ。




