戦争準備
禎兆九年(1589年) 九月下旬 近江国蒲生郡八幡町 八幡城 朽木基綱
大評定を終えて自室で寛ぐ。お茶が美味いわ。皆朝鮮討つべしになったな。良いよ良いよ。これでイエズス会、イスパニアの目を誤魔化せるだろう。何時頃本当の事を言おうか? やはり年内には言わないと駄目だよな。となると軍略方、兵糧方には十月の末ぐらいには伝えよう。心配なのは将兵の衣服だ。朝鮮と呂宋じゃ気候が違うけど二月だったら呂宋もそれほど暑くは無い筈だ。それに暑いんだったら服を脱げば良い。大丈夫だよな? その辺の確認も必要だな。
朝鮮が如何出るかな? どうも対馬は朝鮮領だと主張しているのは朝鮮王らしい。或いは朝鮮政界の実力者だな。だが半九郎に対応した官吏は危険だと感じているフシが有る。前回の官吏も上に危険だと報告したのかもしれない。日本に対して弱腰だと非難されて交代させられたのだろう。今頃はホッとしているかもしれんな。続けていれば拙い立場になると思った筈だ。
あれかな。朝鮮王が強硬論を吐くので皆が付き合っているが実際に半九郎に応対する人間はビクビクしているのかな。日本を怒らせて戦になると責任を取らされるのは応対した官吏だ。間違っても朝鮮王が責任を取る事は無い。それを考えれば怯えるよな。日本が強圧的になったと知ったらどうなるかな? 朝鮮王はそれでも強硬論を主張出来るのか。はったりだと無視出来るのか……。見物だな。
朝鮮への使者は十一月の末頃に送ればで良いだろう。年末年始、朝鮮の王宮は大騒ぎだろうな。先ず間違いなく朝鮮は明に使者を送るだろう。明は驚く筈だ。明も混乱するだろう。そこで日本が朝鮮では無く呂宋に攻め込めば……。明の中では話が違う。騙された。朝鮮は信用出来ないという声が上がる筈だ。明は朝鮮への不信感を持つだろう。悪くないね。どういう風になるかは分からないが日本にとって悪くない。
毛利にも文を送る必要が有るな。朝鮮攻めを考えている。毛利勢は出兵後の守りを頼みたいと。これは早めに出そう。イスパニア攻めは既に右馬頭には説明してある。朝鮮攻めをカモフラージュに使うという事も教えてある。大丈夫だと思うが児玉三郎右衛門に話しておこう。幸鶴丸と桐の婚約は予定通り行う事も話しておこう。戦にかまけて忘れていないよと伝えるのは大事だよな。毛利は安心する筈だ。それと大々的に戦の準備をして貰おう。イスパニア、バテレン達は日本が朝鮮と険悪になったと喜ぶ筈だ。
「宜しゅうございますか?」
廊下から声を掛けてきたのは重蔵だった。
「構わんぞ」
返事をすると重蔵が入ってきた。後ろから小兵衛、そして伊賀衆の百地丹波守が姿を見せた。おいおい、八門と伊賀が揃って来るとは……。
「何やら物騒な話のようだな」
座った三人に言うと三人が顔を綻ばせた。
「一番物騒なのは大殿でございましょう」
「父の言う通りにございます。油断がなりませぬ」
「真、皆が哀れでございましたぞ。朝鮮攻めなど目眩ましですのに」
三人が笑い声を上げた。俺も笑った。確かに酷い奴だ。
「分かった、分かった。俺は諸悪の根源だな。それで、何が有った?」
三人が顔を見合わせた。そして丹波守が俺を見た。
「呂宋全体の地図、マニラの地図でございますが来月にはお渡し出来ると思いまする」
「そうか。良くやってくれた。兵、軍船の配置図は?」
「そちらも一緒に」
「よし!」
思わず膝を叩いた。これでイスパニア攻めに不安は無い。
「来月の末に軍略方、兵糧方にイスパニア攻めを伝える。彼等も地図が有れば安心するだろう。地図は十部用意してくれ。軍略方に二つ、兵糧方に二つ、俺と大樹に一つづつ、後は水軍に二つ、陸の指揮官に二つだ」
「はっ」
「マニラの大凡の兵力は如何程だ?」
「イスパニアの兵が六百人ほど、原住民の兵が千人ほどです」
妙だな、原住民の方が多いのか? 反乱が起きたらとか考えないのかな? その事を訊くと丹波守が笑った。
「大分大殿を恐れていますようで」
「なるほど、それで原住民を増やしたか」
丹波守が”はい”と頷いた。
「常時二百人程が日本人町を警戒しております。来年の五月になればイスパニア本国から増援が来る。それまでは原住民に頼るしかないと」
「なるほどな。となると日本が朝鮮と揉めれば……」
丹波守がニヤニヤ笑った。イスパニアの陸上兵力は少ない。だが已むを得ないのかもしれない。
イスパニアの主戦場はヨーロッパだ。どうしてもアジアの重要度は下がる。イスパニアはガレオン貿易で呂宋を重視しているが発展させようとはしていない。呂宋はイスパニアと明の中継地点、貿易の拠点でしかない。そのせいで呂宋の生産力はそれほど高くない。下手に大軍を置くと本国からの補給が相当な負担になるだろう。大軍を置きたくても置けないのが現実なのだ。
「安心すれば反乱を心配しましょうな。原住民を減らすかもしれませぬ」
俺が笑うと丹波守、重蔵、小兵衛も笑った。
「水軍はどうか?」
「はっ、大型のガレー船が一隻、小型のガレー船が一隻、フスタ船が七隻にございます。ただ船の建造は進めております。フスタ船は一、二隻増えるかもしれませぬ」
「水夫はどうなのだ? 入れ物を作っても中身が無ければどうにもならんが……」
丹波守が首を横に振った。
「現状有る船で調練をしております。遠くに出るなら不安ですがマニラの直ぐ傍で戦うなら十分でございましょう」
なるほど、マニラ湾なら場所も限定される。固まって迎撃か。しかしな、大砲が有るんだ。固まって戦うよりも広がって包囲する方が有利だと思うけどな。
「厄介なのは陸よりも海のようだな」
俺の言葉に皆が頷いた。
「まあ後は九鬼と堀内に任せるほかあるまい。それで他には?」
丹波守が表情を改めた。
「マニラの明人の町で日本には銀が有ると噂になっております」
思わず”ほう”と声が出た。噂になっているか。事実銀は有る。だからおかしな噂じゃ無い。しかし明人の町というのが作為的だな。
「始まったか」
俺の言葉に三人が頷いた。明人の町には当然だが明の商船が来る。まあ倭寇が暴れているから以前ほどじゃない。それにガレオン貿易の季節でもない。それでも商船は来る筈だ。そいつら経由で明の領内に日本に銀が有ると広めようとしている。
「小兵衛、明の銀不足は酷いのだろう?」
問い掛けると小兵衛が頷いた。
「税を納めるための銀が用意出来ぬ民が増えております。物の値が下がり幾ら売っても銀が貯まらぬと……」
デフレ経済まっしぐらだな。倭寇が銀の供給ラインをぶった切った影響がもろに出ている。通商破壊作戦のお手本にしたいぐらいだ。でもなあ、イスパニアも明も手を打てない。イスパニアは戦力不足、明も戦力不足だろうが何より呂宋近海なんて興味が無い。呂宋近海は力の空白地帯になっている。
本当はな、明が海上戦力を展開して倭寇退治をしたって良いんだよ。国防ってのは国家を守る事だけじゃ無いんだ。国家の利益線を守る事も国防なんだ。この利益線ってのはシーレーンと言っても良い。その辺りの認識が明の統治階級には欠けているんだろうな。いや、シーレーンを守るって概念は何時頃出来たんだろう? イギリスの私椋船ってイスパニアを相手に戦ったんだからこの時代だと思うんだ。だとするとヨーロッパではそういう概念が有るという事になる。しかしアジアでは希薄だな。
あ、皆が俺を見ている。またやってしまったか。思考に溺れた。
「しかし妙だな。ガレオン船が日本に来ただろう。日本で明の商人と取引した筈だ。少しは明に銀が流れたと思うんだが……」
小兵衛が首を横に振った。
「取引したのは明の商人よりも日本の商人の方が多かったようです。だから銀は日本に留まりました。絹や陶磁器も買いましたが干し椎茸や海産物の方が多かったようです」
「……」
そう言えばガレオン船の船長は干し椎茸を買ったって言ってたな。ポルトガルに独占されてるから持っていけば喜ばれるって……。冗談抜きで本当に日本には銀が集まったんだ。日本産の銀と南米産の銀。溜息が出そうだ。
「イスパニアが明の目を俺に向けようとしている。バテレン達はどうだ? 動きを合わせているか?」
「マカオからポルトガルのカピタン・モールが長崎に来ました。イエズス会のバテレン達と会談しています。本来ならコンベルソを捕らえるために行動する筈です。しかしカピタン・モールは何事もせずにマカオに戻りました」
丹波守がニヤニヤ笑いながら答えた。イエズス会はアルフォンソを捕らえれば俺を怒らせる事になると言ってロッケ・デ・メロ・ペレイラを制止したようだ。そしてロッケ・デ・メロ・ペレイラもそれを受け入れた。間違いなくイスパニア、ポルトガル、イエズス会は一つの意思の下に動いている。それは日本と明を争わせる事だ。
分かっていたんだよ。そうなる事はな。だから朝鮮との関係を緊張させているんだ。あの連中を油断させるために……。
「予想通り、予定通りだな」
皆が頷いた。
「となると問題は朝鮮と明だな。小兵衛、朝鮮の様子は?」
小兵衛が畏まった。
「朝鮮王が大分強硬なようです」
「何処からそう判断した?」
半九郎は駄目だぞ。
「半月ほど前ですが綿の密売に食い込む事が出来ました。取引相手は家臣に任せて取引に立ち会いません。身分も明かしませんでしたが間違いなく相当な身分の官吏と思われます。密輸がばれても問題ないと家臣達が言っていたそうです。不祥事を揉み消せるだけの力を持っているのでしょう」
そりゃまたエラいところに食い込んだな。やっぱり八門は経済スパイ、産業スパイだわ。いや、待て。半月前か。半九郎の交渉は終わっているな。
「それで王が強硬だという根拠は?」
小兵衛がニヤリと笑った。
「相手に何故我々に声を掛けたのかと問いました。すると相手は主は王が頑固なので困っている。戦争になるとは思えないが念のために綿を多めに購入しておきたいと考えていると答えたそうです」
「……」
「我々に取引の声が掛かったのはそれが理由です」
なるほどな。通常の取引じゃ無い。緊急の取引か……。
「それと相手が戦になるかと訊ねてきましたので調べてみようと約束しました。十月の半ばにまた取引する事になっています」
半月後か。ならば九州に兵を送るのは十一月の直前が良いな。
「朽木は兵を出すと教えてやれ。戦にはならない。脅しだと。そろそろ九州に兵を送るようだとな」
「はっ」
小兵衛がにやりと笑った。当たればこちらを信じるようになる。向こうは取引相手が日本の上層部に伝手が有ると思うだろう。利用出来ると思う筈だ。上手く行けば取り込める。こちらの手駒に出来る。
重蔵が”ふふふふふ”と笑った。
「いざとなればその男、日本に通じたと脅せますな」
「脅しはせぬさ。大事な情報源だ。大切に扱う。小兵衛、相手の素性を探ろうとするなよ。警戒されるからな。俺達はその男の味方だ。正しい情報を教えるのだからな」
「はっ」
小兵衛が畏まった。
「その男は朝鮮史上最悪の裏切り者と言われる日が来るかもしれない。そうなれば皆から石をぶつけられるだろう。だがその日が来るまでは幸せに生きられる筈だ。朝鮮王の信頼厚い重臣と呼ばれ皆から羨まれるのだ。それで十分ではないか?」
皆が顔を見合わせた。
「やはり大殿は酷いな御方じゃ」
丹波守がボソッと言うと重蔵、小兵衛が笑った。丹波守も笑った。俺も笑った。まったくなあ、酷い男だよ。だがばれずに一生を過ごせる可能性も有る。本人も何も知らないまま幸せにな。そっちの方が酷いな。でもそうなれば良い。感謝されるだろうからな。
禎兆九年(一五八九年) 十月上旬 肥前国彼杵郡 長崎村 ルイス・フロイス
フランチェスコ・パシオ、アレッサンドロ・ヴァリニャーノ、ニェッキ・ソルディ・オルガンティノ、ペドロ・ゴメス、そして私ルイス・フロイス……。皆の顔が緩んでいた。
「間違いないのですね?」
ゴメス神父が訊ねてきた。皆に文を見せた。
「ええ、これは畿内に居る信徒からの文ですが日本と朝鮮の関係が険悪になっていると書かれています。理由は対馬です。朝鮮は対馬を朝鮮の領土だと主張しているそうです」
皆が顔を見合わせた。
「そう言えばかつて対馬を治めていた宗氏は朝鮮に従属していました」
「ええ、二年前に宗氏は対馬を取り上げられました。でもそれは朝鮮に従属していた事を咎められてではなかったと覚えています」
ヴァリニャーノ神父、パシオ神父の言葉にゴメス神父、オルガンティノ神父が頷いた。
「対馬では銀が採れるそうです」
私の言葉に”なんと”、”まさか”、”なるほど”と声が上がった。
「そういう事ですか。朝鮮は明に銀を差し出せと責められました。また要求されると考えているのでしょう。だから対馬を日本から奪おうとしている。対馬の銀を狙っているのでしょう」
「ええ、本当に対馬が朝鮮の領土だと思っているのなら二年前に抗議した筈です。だが抗議しなかった。朝鮮は対馬を日本の領土だと認めていたのです。今になって抗議をするのは銀が目的です」
ヴァリニャーノ神父、ゴメス神父の言葉に皆が頷いた。
「しかし抗議しても朝鮮の領土にはなりませんよ」
オルガンティノ神父が周りを見渡しながら言った。
「朝鮮は明を利用しようと考えているのだと思いますよ。対馬に銀が有る。対馬を取り返してくれれば銀を献上すると明に言うつもりでしょう」
パシオ神父が答えるとオルガンティノ神父が首を横に振った。
「明が兵を出すと? 戦争になるのですよ。出費の方が多くなる。それでは意味が無いでしょう」
今度はパシオ神父が首を横に振った。
「最初は交渉でしょう。対馬を朝鮮に返せば交易で日本を優遇するとか言うのだと思います。或いは朝鮮に日本との国交を結ぶように命じると言うかもしれません。朝鮮が日本との国交を拒絶するのは対馬の領土問題が有るからだと朝鮮が主張すれば十分に筋は通ります」
なるほどと思った。明は対馬が日本の領土だと分かってはいないだろう。だとすると朝鮮の主張を鵜呑みにする可能性は有る。領土問題があっては国交を結べないというのは道理だ。
「相国様が対馬を譲ると思いますか?」
私が問うと皆が顔を見合わせた。不同意な顔をしている。
「私も無理だと思います。この文には朝廷では朝鮮を懲らしめるべきだという意見が溢れていると書かれています。それに天下を統一したばかりです。対馬を譲るとなれば皆から頼りないと侮られましょう。天下は不安定になります。拒絶するでしょう」
私が自分の考えを言うと皆が頷いた。
パシオ神父が”私も同意します”と言った。
「相国様は琉球を滅ぼしたのです。明を恐れているとは思いません。それに私は朝鮮が対馬が戻ってくると考えているとは思っていないのです」
「それはどういう意味です」
ゴメス神父が訊ねた。
「朝鮮は言い訳を考えているのだと思います。明が銀を要求してきても対馬を日本が奪ったから渡せないと」
”なるほど”、”確かに”と声が上がった。
「相国様が明との交渉で対馬の返還を拒絶した時、明が如何するかは分かりません。面目を潰されたと戦になるのか、或いはオルガンティノ神父の言う通りに戦争は意味が無いと諦めるのか……。どちらにしても朝鮮は悪いのは日本で朝鮮では無いと明に言いたいのだと思います。だから銀を出せない朝鮮を責めるなと」
なるほどと思った。パシオ神父は朝鮮は日本では無く明を見て動いていると考えている。十分に有り得るだろう。
「では日本が朝鮮に攻め込む可能性は?」
私が問うと皆が顔を見合わせた。
「可能性は低いでしょう。朝廷を無視出来るとは思えませんが朝鮮は琉球とは違います。ずっと大きい国です。簡単に滅ぼせるとは思えません。それに朝鮮に攻め込めば流石に明も黙ってはいないでしょう。朝鮮を救うために兵を出す可能性が有ります。そうなれば戦争は長引きかねません。相国様は内を固めたいと思っている筈です。無理は避けたいと考えると思うのです」
オルガンティノ神父の言葉に皆が頷いた。
「残念ですが戦争にはならないですね」
私の言葉に”それは分かりません”とパシオ神父が言った。
「戦争を考えていないのに戦争になった事は少なく有りません。それに朝鮮も明も日本を快く思っていません。少し痛めつけてやれ、そう思ってもおかしくは無いんです。未だ未だ分かりません」
なるほど。偶然、弾みから戦争になる事は有り得るか……。
「そうですね、未だ分かりませんね。私達はやるべき事をやりましょう。先ずはマニラ、マカオへこの状況を教えましょう。そしてマカオでは明に対して日本は乱暴な国だが豊かだと言って貰いましょう。それとポルトガルの法を破った人間を優遇している。困った国だと。誰かが正してくれないかと」
私の言葉にゴメス神父が”ふふふ”と笑った。ヴァリニャーノ神父も”ふふふ”と笑った。
「そういう国が現れるのを皆で祈りましょう。必ずや主は私達の願いを聞き届けてくれる筈です」
オルガンティノ神父の言葉に皆が頷いた。明を動かさなければならない。日本と明が戦う。そこにしか我々の生きる道は無いのだから……。




