余波
禎兆九年(1589年) 七月中旬 近江国蒲生郡八幡町 八幡城 朽木基綱
「日本では満足のいく取引が出来たかな?」
俺の言葉を通訳がイスパニア語に変えると髭を生やした男が少し甲高い声でペラペラと話しだした。勿論イスパニア語だ。俺には何を言っているか分からない。話し終わると通訳が俺を見た。
「大変満足のいく取引が出来たと言っております」
通訳の言葉は嘘じゃないだろう。イスパニア人は満面の笑みを浮かべている。
「それは良かった。銀は全て使ったのかな?」
「はい、全て使ったと言っております」
なるほど、短期間売り捌いたか……。
イスパニア人の名前はアラベルト・クラナドス。ガレオン船の船長だ。年の頃は四十前後かな。九州の坊津にイスパニアのガレオン船が来ていると聞いて呼び寄せた。最高級の待遇でもてなしている。何と言っても俺とこの男は机を挟んで向かい合って椅子に座っているのだ。しかもカステーラを食べながら焙じ茶を飲んでいる。通訳はクラナドスがマニラから連れてきた日本人なのだがクラナドスの隣で同じように椅子に座ってカステーラと焙じ茶を楽しんでいる。俺の隣には主税が座ってカステーラと焙じ茶を楽しんでいる。クラナドスには俺の幼馴染みだと伝えた。気の置けない友人達のお茶会だ。
絹と陶磁器を買ったのかと聞くとそうだと答えた。日本に明の商船が沢山来ている事に驚いたらしい。干し椎茸も買ったようだ。なんでもヨーロッパに持って行けばとんでもない値で取引されるらしい。又兵衛からそういう報告を受けていたがイスパニア人から直接聞くと不思議な感じがする。現状ではポルトガル商人が独占的に取り扱っていてイスパニアは食い込めずにいるのだとか。持って行けば喜ばれると興奮気味に言っている。俺もそれは良かったと言うとクラナドスが声を上げて笑ったから俺も笑った。益々友達扱いだ。主税、お前も笑えよ。
「昨年の事だがルソンのイスパニア人が悪い奴に唆されて日本に攻め込んできた。知っているかな?」
問い掛けると通訳の言葉を聞いたクラナドスから表情が消えた。まあ、知っているよな。だから倭寇が暴れて明の商船がマニラに来なくなったんだから。
「幸い叩き潰したが俺はその事に非常に腹を立てている。しかし交易は大事だと思う。交易によって互いに利を得れば相手を重視するし大切にするだろう。それは仲良くなれるという事だ。そうは思わないか?」
通訳の言葉を聞いたクラナドスが大きく頷いて早口で何かを言った。
「自分もその通りだと思うと言っております」
有り難うよ、通訳君。そんなところだと思ったよ。
「俺はこれからもガレオン船が日本に来航する事を歓迎する。この国で交易をする事をな。日本とイスパニアは共に豊かになる道を歩むべきだ」
クラナドスが通訳の言葉を聞いて満面の笑みを浮かべて話し出した。
「ガレオン船はこれからも日本に来るでしょう。日本は豊かで諸国から船が来ます。様々な産物があるのです。とても魅力的な国です」
通訳がクラナドスの言葉を訳す。俺も満面の笑みを浮かべて頷いた。クラナドスがまた口を開いた。
「日本とイスパニアが共に豊かに栄える事を私は信じています」
「俺もそうなる事を願っている」
カステーラを一口食べるとクラナドスもカステーラを食べた。焙じ茶を飲んで何かを言い出す。通訳の言い分ではクラナドスは焙じ茶も購入したらしい。うん、ヨーロッパで売れると良いな。
「大殿、マニラの状況は大分悪いようですね」
主税が話しかけてきたのはクラナドスと通訳が帰ってからだった。
「そうだな、間違いなく日本に押されている」
マニラの海では倭寇が猛威を振るっている。そのせいでマニラに行く明の商船が減りマニラで取引される絹、陶磁器の値が跳ね上がった。品不足で価格が高騰したのだ。クラナドスの話では絹、陶磁器だけに留まらず食料品にも価格高騰は及んでいるようだ。
「あの男、これからも日本に来ると言っていましたが?」
「本気だろう。社交辞令とは思わぬ。あの男はその方がイスパニアにとって得だと気付いたのだ」
マニラを敬遠した明の商船は日本に行くようになった。その結果日本に絹、陶磁器が溢れ価格もマニラに比べればずっと安くなった。つまりマニラよりも日本の方が取引がし易いのだ。クラナドスはそれに気付いている。主税が”ふふふ”と笑った。
「呂宋の総督が知ったら面白くないでしょうね」
「ガレオン船が日本に行くこと自体面白くないだろう。呂宋の存在価値が薄れると危惧している筈だ。しかし銀をイスパニアに持ち帰る事は出来ぬ」
そんな事をすればガレオン貿易の有効性に疑義が生じるだろう。総督としては倭寇を抑えれば問題は解決する。日本を頼らずに済む。そう思いたいところだ。しかしな、今回のガレオン船の日本来航は呂宋が無くてもガレオン貿易は成立するという事の証明になる。
「クラナドスは本気で友好関係を望んでいるとお考えですか?」
「主税は如何思う?」
問い返すと主税が笑った。あのなあ、そんな悪い笑顔はお前には似合わんぞ。
「隙さえ有れば攻め取りたい。そんなところだと思います」
「同感だ」
日本を重視しているだろうが日本との友好を望んでいるとは思えんな。
「上手く騙されましたな」
「ん?」
主税が俺を見ている。
「あの男は大殿を甘く見ますぞ。イスパニアに戻って日本には隙が有ると言うでしょう。懐柔するのは可能だと。あの男をわざわざ呼び寄せたのはそれが狙いなのでは?」
思わず苦笑いが漏れた。主税も笑った。
「呂宋の総督は兵力の増強を本国に要請するそうだ。表向きは倭寇対策だが本音は俺を危険だと見て大規模な増強を願っただろう。イスパニア本国も現地の要請を無視は出来ない。相応の増強を行う可能性が有る。だがあの男が楽観論を吐けば迷うだろうな」
現状でイスパニアはヨーロッパで幾つもの敵を抱えているのだ。イギリス、オランダ、トルコ……。この上アジアでも戦線を構築する? 誰もが二の足を踏むだろう。
遠方に大規模な兵力を送るなんて簡単じゃ無いんだ。これは陸路でも海路でも変わらない。膨大な人、物、銭が必要になる。国家にとっては大きな負担だろう。必ずそれを考えて憂鬱になる人間が出る筈だ。そういう人間にとって楽観論は魅力的だろうな。
「来年、年明け早々に呂宋を攻める。イスパニアからの増援は五月頃に来る筈だ。それ以前に攻略が終わっていれば良いが増援が来ると粘る可能性も有る。そのためにな、敵の増援を撃破し易くしておきたい」
主税が頷いた。
「後詰めが敗れれば気力が尽きましょう。それを狙っておられるのですね?」
「その通りだ」
後詰めが有ると思うから敵は手強く戦うのだ。その後詰めが敗れればあっという間に士気は落ちるだろう。何と言っても次の後詰めは一年後なのだ。一年も耐えられる筈が無い……。
「騙されたと怒るでしょうな」
「そうだな」
捕虜をイスパニアへ帰そう。そしてガレオン船の日本への来航を正式に依頼するのだ。イスパニアにとって大事なのは呂宋じゃない。ガレオン貿易だ。そこをこちらから指摘すれば……。
「ふふふふ」
「如何成されました?」
主税が訝しげに俺を見ている。
「いや、何でも無い」
勿論簡単じゃ無いだろう。戦が続く可能性は高い。しかしイスパニアにとっての主戦場はヨーロッパだ。アジアに兵力を注ぎ込むのは限界が有る。イスパニアが負担に何処まで耐えられるかだな。
禎兆九年(一五八九年) 七月中旬 近江国蒲生郡八幡町 八幡城 柳川調信
「権之助殿」
背後から声を掛けられて振り返ると朝鮮に行っていた柚谷半九郎の姿が有った。旅支度だ。着替えていないらしい。
「戻ったのか」
「はい、たった今」
「座ったらどうだ?」
半九郎が”はい”と頷くと近付いて座った。膝を突き合わせる程の距離だ。余り大声で話したくないのだと思った。半九郎が背中に背負っていた包みを解いて脇に置いた。
「西笑承兌殿、景轍玄蘇殿を呼ぶか?」
小声で問うと半九郎が首を横に振った。
「先ずは権之助殿と」
半九郎の声も小さい。
「分かった。思ったより戻りが速かったと思うが?」
儂の問いに半九郎が頷いた。
「大殿の書状を出したのですが……」
「向こうは見なかったのか?」
半九郎が”いいえ”と首を横に振った。
「見ました。見た上で書式が礼に適っていないと受け取りを拒否しました」
「王宮へは持って行かなかったのだな」
「はい。釜山浦倭館で終わりです。朝鮮側の官吏は二名。二人とも紅袍を纏っておりました」
紅袍か。となると正三品以上の堂上官という事になる。王にも面会出来る立場だ。受け取りは拒否したがこちらを重視している事は間違いない。半九郎が脇に置いた包みから文箱を取り出した。漆塗り、螺鈿細工の贅沢な文箱だ。中から書状を取り出す。受け取られなかった書状だ。おそらく朝鮮側は最初から受け取る意思は無かったのだろう。
「受け取りの拒否は以前と同じだな。日本を非難はしなかったのか?」
半九郎が”はい”と頷いた。
「しませんでした」
「だが書状の受け取りは拒否した」
「ええ」
「予想通りだな」
儂の言葉に半九郎がニヤリと笑った。大殿が朝鮮に送った書状は朝鮮王と対等の立場に立つものだった。本来なら朝鮮は非礼だと厳しい言葉で大殿を非難するべきだろう。だが朝鮮側は非難をせず書式が礼に適っていないというだけだった……。
「やはり大殿を懼れているのかな」
琉球は明に見殺しにされた。朝鮮としては肝が冷えた筈だ。
「さあ、ですが念入りに書状を見ていたと思います。二度は見ました」
「……念入りにか」
半九郎が”はい”と頷いた。ジッと儂を見ている。念入りにか……。
「おかしな話だな、半九郎」
「はい。おかしな話だと思います」
書式の確認なら直ぐに終わる。だが朝鮮側は念入りに書状を見ていた。二度も。要するに書状の内容に興味があったという事になる。
「書状には琉球王を降伏させ琉球を滅ぼしたと書いてあった」
「はい、琉球王は殺さない。捕らえて帝に仕えさせるとも」
二人でジッと見合った。
「半九郎、朝鮮は何処に関心を持ったと思う?」
「さあ」
二人でまたジッと見合った。
明に服属していた琉球が滅んだ。琉球王は、いや尚寧王は正式には琉球王ではないか。代替わりの直後だ。未だ明から冊封されていない。琉球王は自称でしかない。そういう意味では大殿は王の居ない国を攻め取った事になる。非難してもおかしくは無いが……。
「やはり気になるのは琉球王が帝に仕えるという事かな?」
問い掛けると半九郎が渋い表情で頷いた。
「かもしれませぬ。琉球王が帝に仕えるとなれば日本は明と対等とは言えなくても朝鮮よりは上だとは言えましょう。朝鮮もその辺りを意識しているのかもしれませぬ」
だとすると書式が礼に適わないというのは日本が朝鮮より上に立つのは受け入れられないという事なのだろう。朝鮮の面子を潰すような事はするなという事だが……。
「それと書状を返された後ですが朝鮮の官吏が対馬は朝鮮の領地だと言いました」
「なんだと!」
思わず声が高くなった。半九郎が顔を顰める。慌てて小声で”真か?”と訊いた。
「真です。某は対馬は日本の領地だと言い返しました。向こうが反論するかと思ったのですが……」
「反論は無かったか」
半九郎が”はい”と頷いた。
「向こうは二人だったな。もう一人の反応は?」
半九郎が首を横に振った。
「有りませぬ。最初から対馬の領有権を主張する事は決まっていたのでしょう」
「お主が反論する事も、それを無視する事もな」
「ええ、そう思います。権之助殿、如何思われますか?」
半九郎が不安そうな顔をしている。一つ息を吐いた。落ち着かなければ……。
「大殿が宗氏から対馬を取り上げたのは二年も前の事だ。朝鮮は不満だっただろうがその事に抗議しなかった。宗氏は服属していたが対馬が朝鮮の領地だと言い切るだけの自信が無かったのだろうし最悪の場合は日本と戦になる。そこまで踏み込む覚悟は無かったのだろう。不満は有ったが認めざるを得なかったのだと思う」
半九郎が頷いた。
「某もそう思います。となると今になって敢えて対馬は朝鮮の領地だと言った真意は何処に有るのか……」
「そうだな。気になるところだが儂は相手が堂上官だったという事がどうにも引っかかる。対馬は朝鮮の領地だという主張は朝鮮王の意向が強く反映しているのではないか?」
半九郎が大きく頷いた。
「有りそうな事です。だとするとあの二人が反論しなかった事が気になります」
そうだな、気になる。二人は反対だったのかもしれぬ。対馬を朝鮮領だと主張する事は徒に日本を刺激するだけだと危惧したのかもしれない。だから半九郎が反論しても何も言わなかった。王の面目を立てた。それだったのかもしれぬ。その事を言うと半九郎が頷いた。
「朝鮮王は押されていると思ったのかもしれませぬ」
「大殿にか?」
「琉球は滅ぼされ書状では対等の関係です。武力をちらつかせながら押されている。そう思ってもおかしくはないでしょう。家臣達に強い姿を見せなければ侮られると思ったとすれば……」
半九郎が分かるだろうと言うようにこちらを見た。確かに、有り得る事だな。
「……対馬に寄ったか?」
「ええ、行き帰りに寄りました。随分と賑わっていたと思います。宗氏が対馬から去って二年、短いようで長いのだと思いました」
対馬は朽木の直轄領になった。九鬼、堀内が水軍を置き朽木の代官所が有る。彼方此方から商船が立ち寄るようになっている。北の海と南の海、そして明との中継点になっているようだ。
「それに銀が出たと聞きました。驚きました」
「ああ、もう掘り尽くしたと思っていたが……。半九郎、その事が絡んでいると思うか?」
問い掛けると半九郎が頷いた。
「無いとは言えますまい。明が朝鮮に銀を要求しております。再度要求されると思えば銀が無いと断り続けるのは難しいと考えたのでは有りませぬか? そんな時に対馬で銀が出たのです。日本を抑えるためにも明を利用して日本を凹ませようと考えた可能性は有るでしょう。朝鮮王もそれを望んでいるのかもしれませぬ」
大殿は朝鮮が明を日本にぶつけようとすると言っていたが……。対馬の銀がきっかけになるかもしれぬ。
「或いは対馬の銀は関係ないのかもしれませぬ。朝鮮は日本との間で緊張関係を作ろうとしているだけなのかも。そうする事で明の要求を躱そうとしているとも考えられます」
「躱せると思うか?」
半九郎が首を横に振った。
「分かりませぬ。しかし日本は琉球を攻め獲りました。此処で朝鮮が日本は朝鮮を攻め獲ろうとしている。既に対馬は獲られたと訴えれば……」
なるほど、明も何時までも無視は出来ぬか……。
「西笑承兌殿、景轍玄蘇殿を呼ぼう。二人の意見も聞かなければ……」
「そうですね。その後は大殿に」
儂が”うむ”と頷くと半九郎が”ふふふ”と笑った。
「如何した?」
問い掛けると半九郎がまた”ふふふ”と笑った。
「いえ、大殿が琉球を攻めたのは正しかったのかもしれませぬ」
「……」
「朝鮮の動きは明らかにこれまでとは違います。ただ拒絶するだけでは大殿は止められないと見ていると思うのです。これから先どうなるかは分かりませんが朝鮮を動かす事は出来ました」
なるほどと思った。大殿は琉球を攻め獲った。その事は明の覇権を揺るがしたのだ。明の覇権を認め保護を受けていた朝鮮は驚いたのだろう。明が琉球を見殺しにした事にも驚いたに違いない。
「これからか?」
「ええ、これからだと思います」
そうだな、これからだ。朝鮮は驚いたが大殿を認めたわけでは無い。さて、次の一手はどうなるか……。




