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海禁の緩和




禎兆九年(1589年)    六月中旬            近江国蒲生郡八幡町 八幡城  朽木基綱




「琉球平定、お目出度うございまする」

 流暢な日本語で李旦が祝ってくれた。

「ああ、有り難う。琉球を滅ぼした事、驚いたかな?」

「いいえ」

 李旦が笑みを浮かべながら首を横に振った。

「そうか、驚かなかったか」

「はい」

 そうだよな、驚かないよな。可笑しくて笑ってしまった。李旦も声を合わせて笑う。変な二人だよな。


「あまりに俺をコケにするのでな。滅ぼした」

「イスパニア、朝鮮、明。皆驚いておりましょう」

「問題は驚いた後だ。俺を受け入れるか、それとも忌諱するか。イスパニアは俺との関係を改善しようとしている。朝鮮、明は未だ動きが無い」

 李旦は口元に笑みを浮かべて無言だ。小姓が茶を持ってきた。俺と李旦の前に茶碗を置く。一口飲んだ。うん、美味いわ。李旦も茶を美味そうに飲んでいる。


「どう思う?」

 李旦が”ふふふ”と笑った。おいおい、怖いじゃ無いか。

「呂宋のイスパニアは本国に兵の増強を要請するそうで」

「らしいな。名目は倭寇に対抗するためのようだ」

 李旦がまた”ふふふ”と笑った。


「勝てましょうか?」

 李旦が俺をじっと見た。俺にイスパニアに勝てるかと聞いている。

「さあ、どうかな。俺が倭寇なら今すぐイスパニアの艦隊を叩くがな。連中の艦隊が精強になるのを待つのは愚かだし兵が嵩むのを待つのも愚かだろう。マニラの艦隊を叩くだけ叩いて戦力を減少させる」

「……」

「そして来年の四月から五月、イスパニアの増援がマニラに来た所を襲う。マニラの艦隊と合流する前、接触する前にな。連中、俺に負けたからマニラの艦隊は苦しんでいると倭寇を侮っている筈だ。それに長旅で疲れてもいる。不意を突けば楽にとは言わぬがそれなりに損害を与える事が出来るだろう」 

 李旦が”なるほど”と頷いた。


「一度負ければ連中は簡単には戦力を回復出来ない。徐々にじり貧になる。今が良い機会だぞ。好き放題に出来るな」

 李旦が俺をジッと見た。そして破顔した。

「相国様は手強い」

「俺は倭寇とイスパニアの戦いを予測しただけだぞ」

「ははははは」

 李旦が声を上げて笑う。俺も笑った。


 イスパニアと戦になっても勝てる。理由はイスパニアには他にも大事な戦線が有るからだ。それを放り出してフィリピン方面に戦力を投入する事は出来ない。日本を圧倒するような戦力の投入は無理なのだ。それに連中の増援は年に一度だ。となれば戦力の回復力で日本の方が上だ。つまり戦力の集中と戦力の回復力で日本はイスパニアを圧倒出来る。だから勝てる。不安要素は明がどう動くかだな。イスパニアは何度もフィリピンに兵を出すかもしれない。だがそれは戦力の逐次投入でしかない。戦争ではもっとも避けなければならない事だ。


「私の事を調べられたようで」

「ああ、少し気になった事が有ったのでな」

 李旦が笑みを浮かべている。

「一体何をでしょう?」

「何を考えているのかと思ってな。王直の無念を晴らす、王直の夢を叶えるのが望みだと聞いたが……。王直の夢とは何だ?」

 李旦の顔から笑みが消えた。


「老船主の夢でございますか」

「ああ、想像はつく。だがそなたから聞きたい」

 李旦が笑みを浮かべた。

「自由な交易にございます」

 やはりそうか……。分かっていたんだが実際に聞くと溜息が出そうになる。


「王直とはどういう人物だ?」

「老船主は学が有り計数に明るく皆から信頼される人柄でした。倭寇というのは法の外に存在します。取引は大きな利益が有りますが危険でも有りました。売り手と買い手の間で信頼関係の無い事は珍しくなく紛争が起きても法を頼る事は出来ません。間に入って調停する者が必要になります」

「それが王直か」

 李旦が”はい”と頷いた。


「最初は問題が生じた時に老船主を頼りましたが徐々に最初から老船主を皆が頼るようになりました。その方が安全だからです。そしてその事は老船主の活動する場を広げる事にもなりました」

 法が無い場所で必要とされた調停能力か……。いや、そうじゃないな。王直は海上交易の秩序と治安の維持を担ったのだろう。商取引だけじゃ無い。場合によっては法の執行も行ったのだ。王直は倭寇の頭目になったのでは無い。皆が倭寇の頭目に押し上げたのだ。徽王と呼ばれたのは尊称でも阿諛追従でも無い。倭寇にとって本当に王に等しい存在だったからだ。海上における形の無い王国か……。 


「王直は最後は明に降って処刑されたな。あれは単純に明に降ったのではあるまい。海禁の廃止、緩和を願い出たのではないか?」

 訊ねると李旦が”はい”と頷いた。

「老船主は海禁を愚かな事だと考えていました。異国と交易すればずっと豊かになれるからです。人は皆、豊かになりたいと思います。海禁はそれを無理矢理押さえ付けようとする事でした。だから倭寇は無くならない……」

「そうだな」

 倭寇は大きく分けて前期と後期に分けられる。前期倭寇は日本人が主体だ。あれは南北朝の動乱期に朝鮮半島の沿岸を中心に暴れた。要するに戦乱で喰えなくなった連中が海に出て海賊になったのだ。だが後期倭寇の主体は日本人では無い、明人だ。明の沿岸を中心に暴れている。


 多分、明国内での生産力の増大が原因じゃないかと思う。生産量が上がれば当然だが単価は下がる。安く買い叩かれるわけだ。おまけに明は慢性的に銀不足でデフレ状態にあった。デフレなら余計に安く買い叩かれるだろう。生産者にとっては堪ったものではない。働けば働くほど貧しくなるのだ。国内以外に新しい購入者を開拓してくれと言いたくなるだろう。それに応えたのが後期倭寇だったのだと思う。後期倭寇は明の産物を異国に運び異国からその国の産物を明に持ち込んだ。勿論海賊行為もしただろうが余剰物資を海外に売る事で国内の流通量を抑制したという面も有るんじゃないかと思う。


「朝廷にも海禁を緩めるべきだという声が有りました。しかし海禁は太祖洪武帝が定めた祖法です。受け入れられなかった」

 李旦が首を横に振った。太祖洪武帝ってのは明の創始者である朱元璋の事だ。王朝の創始者の言葉ってのは重いんだよ。変えようとすれば必ず反対する奴が現れる。自由な貿易なんて無理なんだ。


「しかし王直は可能だと考えた」

 李旦が頷いた。

「浙江巡按である胡宗憲を信じたのです。胡は倭寇討伐で著しい功を挙げた人物でした。徐海を敗死させたのも胡宗憲です」

「ほう」

 思わず声が出た。徐海は王直に匹敵する倭寇の頭目だった筈だ。それを敗死させたとなると相当な戦上手だな。それなのに王直は胡宗憲を信じた?


「徐海を敗死させても倭寇の勢いは衰えませんでした。胡宗憲は海禁に疑念を持たざるを得なかった。倭寇を討伐しても状況は改善しない。このままでは銭と労力を無駄に費やすだけだと。海禁の緩和こそが状況を改善させるのではないかと」

「なるほど」

 胡宗憲は現地で倭寇討伐を行う事で問題の根源に気が付いたという事か……。胡宗憲と王直は同じ考えを持ったわけだ。


「老船主も何時までも倭寇を続けるのは本意では有りませんでした。老船主に従う者達が沢山居た。その者達の事を考えれば海禁の緩和を望むのは当然の事でした。そして老船主は日本の平戸を始め海外に幾つか拠点を持っていました。自分と仲間達なら明をもっと豊かに出来る。倭寇が収まり明が豊かになるなら海禁の緩和を受け入れるのではないかと考えたのです」

 海上に有る王直の王国が明の物になる。王直は自分は役に立つ。明は自分を利用する筈だ。そう思ったわけだ。利(経済)で見ればそうだろう。だが理(政治)というのは違う判断をする事が多い。そして帝国なんてのは利よりも理の方が強いのだ。たとえそれが非合理的であろうと。


「王直と胡宗憲は手を組んだのだな。胡宗憲は王直の齎す利と倭寇討伐で実績を挙げた自分の言葉なら朝廷を動かせるのではないかと思った」

「はい、ですが駄目でした。私は止めたのですが……」

 李旦が俯いている。

「海禁は太祖が定めた祖法だ。海禁の緩和は太祖の顔を潰すに等しい。簡単に受け入れられるものではない」

 李旦が今度は首を横に振った。


「それも有りますが沿岸の有力者も緩和を望みませんでした。彼らの多くは直接、間接に倭寇と繋がっていました。それによって膨大な利益を得ていたのです。海禁の緩和は競争相手が増える事を意味します。彼らは朝廷に海禁を続けるべきだと働きかけたのです。それによって秩序を回復するべきだと。老船主に世話になったというのに!」

 李旦が吐き捨てた。溜息が出たよ。既得権益の侵害か……。得られる利が大きければ大きいほどそこにしがみつくだろう。連中は現状に満足、いや大満足していたのだ。王直も胡宗憲もそこを見誤ったな。味方だと思った連中に足を掬われたわけだ。


「私は最初、胡宗憲は十分に老船主を守らなかったのではないかと思いました。ですがそれは誤りでした。老船主の死後、また倭寇の勢いが激しくなった時があります。その時、胡宗憲は倭寇に通じたとして逮捕され獄中で自殺しました」

「……」

 思わず目を閉じた。溜息が出たというより溜息しか出ない。胡宗憲を死に追いやった連中は胡宗憲に王直を許し海禁の緩和を認めていればこんな事にならなかったと責められるのを怖れたのだろう。本当に自殺かね。他殺じゃないの。その事を言うと李旦が頷いた。


「海禁が緩和されたのはその直後です。福建の巡撫が海禁の緩和を上奏すると認められました。相国様の仰る通りだと思います。胡宗憲は邪魔だったのでしょう。殺されたのだと思います」

 王直が死んで胡宗憲も死んだ。海禁の緩和はそこまでセンシティブで莫大な利害が絡む問題だったのだ。死んだ人間を貶したくは無いが王直も胡宗憲もナイーブ過ぎたな。


「それにしても随分あっさりと緩和を認めたな」

 李旦が嗤った。明らかに冷笑だ。

「上奏には章州の月港だけを開くと記されていました。月港はそれまでも倭寇の根拠地だったのです」

 要するに現状の追認か。だから胡宗憲に反対した連中も文句を言わなかったのだろう。或いは福建の巡撫は事前に有力者達と条件を詰めたのかもしれない。胡宗憲が殺されたと思ったのなら独断では動かないだろう。一つ間違えば自分も死ぬ事になる。


「それに日本への渡航は認めていません」

「ああ、そうだったな」

 苦笑いが出た。李旦も嗤っている。教えてくれたのは組屋達だった。随分日本は信頼が無いんだと思ったわ。

「しかし皆が日本に行きます」

 なるほど、倭寇を密貿易者と規定するなら明は倭寇を制御出来ていないと言って良いな。海禁の緩和は形を取り繕っただけか。


「明を見限ったか」

 問い掛けると李旦が頷いた。

「はい、明では自由な交易は出来ませぬ」

 そうだな。海禁は明の祖法だし海禁で利益を得ている勢力も有る。李旦が明を見限って日本に拠点を構えるのも当然だろう。

「日本は良いか?」

 李旦が顔を綻ばせた。


「はい、この国は自由です。老船主も平戸に拠点を持ちました」

「まあ、国が乱れていたからな」

 商人にとっては統一国家であるより混乱している方が有り難いだろう。煩い規制が無い方がやりやすい筈だ。

「今は乱れておりませぬ」

「不安か?」

 問い掛けると李旦が笑いながら”いいえ”と首を横に振った。


「相国様も自由な交易を望んでいると私は思っております。違いましょうか?」

 李旦が俺の顔を覗き込んだ。




禎兆九年(1589年)    六月中旬            近江国蒲生郡八幡町 八幡城  李旦




 問い掛けると相国様が茶を一口飲んだ。

「違わぬぞ。それが国を豊かにすると俺は思っている。しかし中々難しいな。朝鮮も明も俺を受け入れようとせぬ。困ったものだ」

 老船主と目の前の男を会わせてみたいと思った。二人は意気投合しただろう。であれば老船主は明の海禁の緩和を考えなかったかもしれない。


「李旦、一つ教えて欲しい事が有る」 

「はて、なんでございましょう」

「アゴーは倭寇の拠点なのか?」

 相国様が笑みを浮かべている。なるほど、アゴーに目を付けたか。琉球からは目と鼻の先だ。イスパニアを攻めるのなら何時かは目を付けると思っていたが……。


「いいえ、違います。倭寇にとってアゴーは大事な場所ではありますが拠点ではありません」

 相国様が”ほう”と声を上げた。

「アゴーには色んな国から商船が来ているようだな。だとすると奪った荷を持ち込み取引する場所かな? 或いは情報の収集、伝達の場所か。何処にも属さないというのは何かと便利だな」

 相国様が笑う。私も笑った。お見通しか。


「アゴーの長、浜木文四郎が相国様に服属したいと申しております」

 相国様の表情に驚きは無い。手強い、想定していたのだと思った。

「文四郎に頼まれたのか?」

「そうではございません。相国様がどう思うか確認して欲しいと頼まれただけにございます」

 相国様が”なるほど”と頷いた。


「服属の理由は?」

「日本とイスパニアの間で戦争が起きました。今は和解しておりますがこのままで済むとは思えない。また戦争が起きるとアゴーは危惧しております」

「どちらが戦を望むと?」

「両者が望むと見ております」

 相国様が口元に笑みを浮かべた。


「本当にアゴーはそう見ているのか? 李旦が吹き込んだのではないのか?」

 苦笑いが出た。

「そんな事はございませぬ」

「それならば良いが……」

 二人で声を合わせて笑った。多少はそういうところが有る。しかし文四郎もその周囲も危険だと見ている事は嘘では無い。


「如何なさいます?」

 問い掛けると相国様がジッと私を見た。

「文四郎と会ってみよう」

「会うと?」

 相国様が頷いた。


「アゴーを巡ってイスパニアと戦になる事も十分に有り得る。互いに相手の為人を確認した方が良かろう。服属するかしないか、受け入れるか拒絶するか。会ってから決めれば良い。それに服属するとなれば色々と決めねばならぬ事も有る。そうではないか?」

「確かに」

「これから海が荒れる季節になる。海が穏やかになるのは十一月頃だろう。その頃に日本に来て貰う。どうかな?」

 そうだな、アゴーの者にこのお方と日本を見て貰った方が良いかもしれない。

「分かりました。そのように伝えましょう」

 相国様が頷いた。そして破顔した。


「ところで、利旦はムスリムと組んでいると見たのは俺の僻目か?」

 思わず苦笑いが出た。油断出来ないお方だ。






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よく祖法祖法といいますが、その法を作ったのはその時の状況に合わせたもの。偉大な祖先が今いたのなら、それを変えずに固執はしないでしょう。頑なに変えないのは祖先への侮辱ではないかと思うんですよね。
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